命を繋ぐ
フィルに敗れ、致命傷を負ったザイン。
仲間たちはその命を繋ぐため、崩壊した巨人国からの撤退を急ぐ。
「団長!」
ガレスは、崩れ落ちるザインの身体を寸前で受け止めた。
腕にかかった重みが、そのまま地面へ引きずり込もうとする。踏みしめた足元で、小石が乾いた音を立てた。
「ザイン! おい、聞こえるか!」
返事はない。
閉じた瞼も、力なく垂れた腕も、何ひとつ動かなかった。
腹部には、フィルの腕に貫かれた傷が残っている。流れ出した血が衣服を黒く染め、ガレスの腕まで濡らしていた。
「ミレイア!」
「ここです!」
駆け寄ったミレイアが、ザインの傍らに膝をつく。
傷口へ両手をかざすと、淡い光が溢れた。しかし、血の勢いはすぐには弱まらない。
「ノア、手を!」
「はい!」
ノアも反対側にしゃがみ込み、ザインの身体へ支援魔法をかける。弱りきった肉体を少しでも保たせるため、途切れかけた力を外から繋ぎ止める。
ミレイアの額から、一筋の汗が落ちた。
「傷が深い……。臓器まで……」
「治せるのか」
ガレスの問いに、ミレイアは答えなかった。
答える余裕すらない。
震えそうになる指を押さえつけるように両手を重ね、ただ治癒の光を注ぎ続けている。
「ザイン……!」
イリスが、ザインの肩へ手を伸ばした。
「ザイン、目を開けて! お願い……!」
その声にも反応はない。
ミレイアの治癒を受けているというのに、ザインの顔から血の気が失われていく。
ガレスは奥歯を噛み締めた。
フィルは去った。
だが、終わってはいない。
敵を追う者も、ここから生きて帰る方法を考える者も、ザインの代わりに命令を出す者も必要だった。
ガレスは、血に濡れた手をザインの背中から離した。
そして立ち上がる。
「リナ、ジグ、ダリオ!」
三人が振り返った。
「集落を捜せ。生きている者を一人でも多く見つけろ!」
「分かった!」
真っ先にリナが駆け出す。ジグとダリオも、それぞれ別の方向へ散った。
「エリオン。周囲に敵が残っていないか確認しろ。それと、ここから撤退する手段を確保してくれ」
「すぐに動く」
エリオンが短く答え、弓を手に崩壊した集落を見渡した。
ガレスは再び、ザインのそばへ視線を戻す。
イリスはまだその場に座り込み、ザインの手を握っていた。
「イリス」
呼びかけても、彼女は顔を上げなかった。
「今はミレイアに任せろ」
「でも……」
「助けたいなら、治療の邪魔をするな」
冷たく言い放ったつもりはなかった。
それでも、その言葉にイリスの肩が小さく震えた。
やがて彼女は、ザインの手をゆっくりと地面へ戻した。
「……絶対に、助けて」
ミレイアはザインから目を離さず、強く頷いた。
イリスは数歩だけ退いた。
離れたのは、それだけだった。
すぐに駆け寄れる距離から、ザインを見つめ続けている。
ガレスは息を吐き、辺りを見回した。
集落だった場所には、もう建物らしい形を残しているものすら少ない。
石を積み上げた家々は崩れ、太い柱は途中からへし折られている。地面には幾つもの巨大な足跡が刻まれ、その間を黒ずんだ血が流れていた。
少し前まで、ここには暮らしがあったはずだ。
誰かの声があり、火が焚かれ、食事を囲む時間があった。
今は、風が瓦礫の隙間を抜ける音しか聞こえない。
やがて、遠くからリナの声が上がった。
「一人いた! 生きてる!」
瓦礫の陰から救い出されたのは、身体中に傷を負った巨人だった。
片脚を引きずり、腕から血を流している。それでも意識はあり、リナの肩を借りながら自分の足で歩いてきた。
その後ろから、ジグとダリオも戻ってくる。
ジグは意識を失った巨人を背負い、ダリオはもう一人の巨人に肩を貸していた。
それだけだった。
ガレスは、三人の後ろを見た。
誰も続いてこない。
「……他には?」
リナが唇を噛む。
ジグは目を伏せた。
ダリオが、僅かに首を横へ振った。
ガレスは三人の巨人へ近づいた。
そのうち、意識のはっきりしている一人が、崩れた集落を呆然と見つめていた。
「聞きたいことがある」
巨人が、ゆっくりとガレスを見る。
「ここには、何人いた?」
巨人の視線が再び、故郷へ向いた。
潰れた家。
砕かれた石壁。
瓦礫の下から突き出した、大きな腕。
巨人は口を開いたが、すぐには声が出なかった。
何度か息を吸い、ようやく掠れた声を漏らす。
「……百五十だ」
風が吹いた。
細かな砂と灰が、足元を流れていく。
「ここには……百五十人ほど、いた」
ガレスも集落を見渡した。
見つけられた生存者は、三人。
それ以上、何も尋ねられなかった。
「ガレス!」
張り詰めた静けさを、ミレイアの声が引き裂いた。
「内側の出血が止まりません……!」
ガレスが振り返る。
ザインの傷口から溢れる血は弱まっている。
だが、ミレイアの表情は、先ほどよりも険しかった。
「表面を塞いでも駄目です。治癒が、追いつかない……!」
「代われるか?」
「今、手を止めたら……!」
その先を聞く必要はなかった。
周囲の確認を終えたエリオンが、ザインのもとへ駆け寄る。膝をつき、血に濡れた腹部へ目を向けた。
「この国に、治療できる場所は残っていない」
「なら、どうする」
ガレスの問いに、エリオンは迷わなかった。
「エルフ王国へ戻す」
「戻すと言っても、ザインは動かせんぞ」
「こちらから運ぶ必要はない。向こうから逆転送を行わせる」
エリオンは片膝を地面につき、掌を添えた。
指先から細い光が伸び、地面に幾つもの紋様を描いていく。複雑に絡み合った光の線が円を作ると、その中心へエリオンが手を押し当てた。
「聞こえるか。エリオンだ」
返答を待つ僅かな時間さえ、ひどく長く感じられた。
やがて、光の奥から微かな声が届く。
『エリオン? そちらで何が――』
「重傷者一名。意識なし。至急、逆転送を頼む」
声の温度が変わった。
『容体は』
「腹部を貫かれている。治癒術師が処置を続けているが、保たない」
エリオンは、三人の巨人族を見る。
「巨人族の生存者も三名いる。ここにいる全員を対象にしてくれ」
『人数を確認する』
エリオンは一人ずつ目で追った。
ザイン、イリス、ノア、ミレイア。
ガレス、リナ、ジグ、ダリオ。
自分を含めた九人と、巨人族三人。
「十二名だ」
『座標を固定する。そこを動くな。術者を集めるまで少しかかる』
「急いでくれ」
光が弱まり、声が途切れた。
エリオンは地面から手を離さなかった。
逆転送の目標となるため、この場所に座標を繋ぎ止めなければならない。
残された者たちは、待つことしかできなかった。
ミレイアの治癒の光が、明滅を繰り返している。
ノアも目を閉じ、両手をザインへ向け続けていた。その呼吸は荒く、頬には汗が伝っている。
それでも、誰も手を止めなかった。
イリスが、ゆっくりとザインの傍らへしゃがみ込む。
治療を妨げないよう、触れることはしなかった。
ただ、その横顔を見つめる。
「ザイン」
返事はない。
「聞こえてるなら、返事をして」
ザインの唇は動かなかった。
イリスはそれ以上、何も言わなかった。
声を出せば、押し殺しているものまで溢れてしまう。
握り締めた拳を胸元へ引き寄せ、ただザインが呼吸を続けていることだけを見つめていた。
どれほど待ったのか。
地面に描かれた紋様が、不意に強い光を放った。
「来るぞ!」
エリオンの声に、全員が身を寄せる。
淡い緑色の光が地面を走り、足元に巨大な円を描く。無数の文字と紋様がその内側を巡り、次第に回転を速めていった。
ガレスとダリオが、ザインの身体を慎重に持ち上げる。
その間も、ミレイアは傷口から手を離さない。
巨人族の三人も、リナとジグに支えられながら円の中へ入った。
光が足元から立ち昇る。
生き残った巨人が振り返った。
その先にあるのは、もう故郷とは呼べない光景だった。
崩れた家々。
動かなくなった同胞たち。
風に舞い上がる灰。
巨人は、何も言わなかった。
別れの言葉すら、口にはしなかった。
光が、その背中を包み込む。
次の瞬間。
十二人の姿は、巨人国から消えた。
◇
眩い光が収まるよりも先に、ガレスの耳へ幾つもの足音が飛び込んできた。
「担架を!」
「治癒術師を呼べ!」
「重傷者はどこだ!」
視界が戻る。
一行が立っていたのは、エルフ王国の転送施設だった。
広い石床を埋め尽くすように術式が描かれ、その周囲には十人を超える術者が立っている。誰もが息を切らし、額に汗を浮かべていた。
待機していた者たちがザインへ駆け寄る。
血に染まった姿を目にした瞬間、彼らの表情が変わった。
「何があった?」
一人がエリオンへ尋ねた。
エリオンは立ち上がり、短く答える。
「魔人だ」
その一言で、周囲の空気が凍りついた。
だが、問い返す者はいなかった。
ザインが担架へ乗せられる。
「治療室へ運ぶ! 急げ!」
「私も行きます!」
ミレイアが担架に付き添い、ノアも続く。
イリスは、そのすぐ後ろを離れなかった。
三人の巨人族も別の担架へ乗せられ、次々と運び出されていく。
やがて、転送施設に残ったのは、床に付着した血だけになった。
◇
治療室の扉は、固く閉ざされていた。
ガレスは壁際に立ち、腕を組んでいた。
リナは椅子に座り、何度も両手を組み直している。ダリオは俯いたまま動かない。ジグは廊下の端に立ち、閉ざされた扉だけを見ていた。
ノアは治療を補助したあと、限界を迎えて退出させられていた。
椅子へ腰を下ろし、床を見つめている。
イリスだけは座らなかった。
扉の前に立ち、ザインが運び込まれてから一歩も動いていない。
誰も言葉を発しなかった。
声にした瞬間、最悪の結末が現実になってしまうような気がした。
長い時間が過ぎた。
やがて、扉が開いた。
中から出てきた治療師の衣服には、ザインの血が染みついていた。
全員が立ち上がる。
イリスが、一歩詰め寄った。
「ザインは?」
治療師は、すぐには答えなかった。
重く息を吐き、額の汗を拭う。
「……命は繋いだ」
張り詰めていた空気が、僅かに緩んだ。
リナが胸を押さえ、ダリオが天井を仰ぐ。
ノアは俯いたまま、震える息を吐いた。
イリスの膝からも力が抜けかける。
だが、治療師の表情は変わっていなかった。
「じゃが――目を覚まさん」
誰も動かなかった。
イリスが、治療師を見つめる。
「どういう、こと……?」
「損傷した内臓は修復へ向かっておる。呼吸も脈も、ひとまず安定した。失った血も時間をかければ補えるじゃろう」
「だったら、どうして」
治療師は、扉の向こうにいるザインへ目を向けた。
「分からん」
その言葉が、廊下へ重く落ちる。
「身体を巡る魔素は、今もあの者を生かそうと働いておる。だが、意識だけが戻ってこない」
治療師は眉を寄せた。
「まるで、眠っているのではなく――」
一度、言葉を切る。
「さらに深いところへ、沈んでおるようじゃ」
◇
音がない。
痛みもない。
身体の重さも、呼吸をしている感覚すらなかった。
どれほどの時間が過ぎたのか、ザインには分からなかった。
やがて、閉じていた瞼をゆっくりと開く。
「……どこだ、ここ」
何もない。
地面も、空も、壁もない。
果ての見えない暗闇だけが、どこまでも広がっている。
その奥に、人影が立っていた。
顔は見えない。
名を呼ぶこともできない。
ただ、その手には一本の剣が握られている。
人影が足を引いた。
腰を落とし、剣先を僅かに下げる。
ザインは、その構えを知っていた。
何度も繰り返し、身体へ刻み込んできたもの。
それは――ザインとまったく同じ構えだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
フィルとの戦いに敗れたザインは、仲間たちの手によって辛うじて一命を取り留めました。
そして、百五十人いた巨人族の生存者は僅か三人。
ザインもまた、身体は助かったものの意識が戻らず、謎の空間で自分と同じ構えを取る人影と遭遇します。
果たして、ザインが辿り着いた場所とは――。
次話もよろしくお願いします!




