見えない火種
ザインたちと別れ、獣王国へ向かったガレスたち五人。
そこで待っていたのは、互いに武器を向け合う二つの国だった。
誰が先に手を出したのか。
なぜ衝突が起きたのか。
現場を調べるほど、その始まりだけが不自然に抜け落ちていく。
魔獣車が、土煙を上げながら街道を進んでいた。
窓の外に広がる景色は、少しずつ人間の国とは違うものへ変わっていく。
背の低い建物。
広い道。
ところどころに見える、獣人たちの姿。
御者台の方から、ガレスの声が飛んだ。
「見えてきたぞ!」
窓際にいたミレイアが身を乗り出す。
「獣王国ですか?」
「たぶんな!」
「たぶんって何ですか」
向かいでは、ダリオが腕を組んだまま眠っている。
その横でリナが小さく息を吐いた。
「よくこんな揺れる中で寝られますね」
「昔からだ」
ジグが短く答える。
「戦場でも寝る」
「それはそれでどうなんですか」
やがて魔獣車が速度を落とした。
大きな門。
その前で待っていた男が一人。
獣人の騎士。
レグルスだった。
車が止まり、扉が開く。
最初に飛び降りたガレスが、大きく手を上げる。
「久しぶりだな、レグルス!」
「相変わらず声がでかいな」
「元気そうで何よりだ!」
続いてダリオたちも降りる。
レグルスは五人を順番に見た後、少しだけ眉を動かした。
「ザインは?」
「エルフの国」
ガレスが答える。
「別件を調べてる」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
代わりに、表情が少し真剣になる。
「話は聞いている」
「なら早い」
ガレスも声を落とした。
「最近、こっちで妙な動きはないか?」
「ある」
返事は短かった。
「どんな?」
「説明するより、見た方が早い」
◆
獣王国の中心地から離れるにつれ、道を行く人の数が減っていった。
しばらく進んだ先。
小高い丘を越えたところで、レグルスが足を止める。
「見ろ」
その先にあったのは、一本の街道だった。
本来なら商人や旅人が行き交っていたであろう道。
だが今は違う。
獣王国側には、武装した兵士。
街道の向こう。
人間国側にも、同じように兵士が並んでいる。
互いに剣や槍を持ったまま、一定の距離を挟んで睨み合っていた。
誰も動かない。
だが、誰か一人でも何かを間違えれば。
そのまま戦いが始まってもおかしくない。
街道の端には、黒く焼けた荷馬車が横倒しになっている。
土には魔法で抉れた跡。
折れた矢が何本も転がっていた。
ミレイアの顔から笑みが消えた。
「……これ、本当にまだ戦争じゃないんですよね?」
「今のところはな」
レグルスが答える。
ダリオは何も言わず、人間側の兵士たちを見ていた。
しばらくして。
「……あいつら」
「ん?」
ガレスが振り向く。
「攻める顔じゃねぇな」
「分かんのか?」
「ああ」
ダリオは腕を組んだまま言う。
「怖がってる」
向こう側の兵士。
槍を握る手が固い。
視線が落ち着かない。
必要以上にこちらを警戒している。
「こっちも同じだ」
ダリオが今度は獣王国側を見る。
「どっちも、相手が先に来ると思ってる」
レグルスが小さく頷く。
「その通りだ」
「何があった?」
ガレスが聞く。
レグルスは焼けた荷馬車へ向かって歩き始めた。
「三日前だ」
「この街道で、小さな衝突が起きた」
「死者は?」
「いない」
「怪我人は出た」
ミレイアがすぐに反応する。
「その人たち、見せてもらえますか?」
「案内する」
◆
簡易の詰所。
そこには数人の獣人兵が休んでいた。
腕に包帯を巻いた者。
肩を負傷した者。
ミレイアは一人ずつ状態を確認していく。
「ここ、痛みますか?」
「少し」
「火傷ですね」
淡い治癒魔法が傷口を包む。
痛みで強張っていた兵士の肩から、少しずつ力が抜けていく。
その顔を見て、ミレイアも少しだけ安心する。
そのまま、自然な流れで尋ねる。
「最初に何が起きたんですか?」
兵士が答えた。
「向こうから魔法が飛んできた」
「人間側から?」
「ああ」
「誰が撃ったか見ました?」
そこで、兵士の言葉が止まった。
「……いや」
「見てない?」
「爆発が起きたんだ」
「気づいた時には仲間が倒れてて、それで……」
「反撃した?」
「そうだ」
ミレイアは少しだけ黙った。
治療の手は止めない。
でも、聞くたびに、胸の奥に小さな引っかかりが増えていく。
隣にいた別の兵士へ聞く。
「あなたも見てませんか?」
「見てない」
さらに一人。
「俺もだ」
誰も見ていない。
ただ、魔法が飛んできた。
そう思っているだけ。
治療を終え、最後の包帯を巻き終える。
兵士が小さく礼を言った。
その表情に、安堵はある。
でも、怯えは消えていない。
――誰も知らない何かに、怯えている。
詰所を出たところで、ミレイアがガレスに小声で伝えた。
「少し変です」
「何が?」
「最初の攻撃を、誰も見てません」
ガレスの表情が変わる。
「一人も?」
「はい」
「爆発と怪我人だけです」
その時。
少し離れた木陰から声がした。
「向こうも同じだ」
全員が振り向く。
ジグが立っていた。
ガレスが眉を寄せる。
「どこ行ってた?」
「向こう」
「向こうって」
ジグが人間国側を指す。
「昨日、入った」
「お前いつの間に行ったんだよ」
「昨日」
「それは聞いた」
ジグは気にせず続ける。
「人間側も同じことを言っている」
「獣王国側が先に攻撃した、と」
レグルスの表情が険しくなる。
「それで?」
「向こうも、最初に攻撃した者を見ていない」
沈黙。
ガレスがゆっくり街道を見る。
「……両方とも」
「相手が先にやったと思ってる」
ジグが頷く。
「だが」
一度、言葉を切る。
「最初の一撃だけ、誰も見ていない」
◆
再び、焼け跡。
リナがしゃがみ込み、黒く焦げた土へ手を伸ばしていた。
指先から細い光が広がる。
地面に残った魔素の流れを追うように、淡い線が浮かび上がった。
「どうだ?」
ガレスが聞く。
「魔法が使われたこと自体は、間違いありません」
「どっちのだ?」
「分かりません」
「は?」
リナは土へ手を当てたまま続ける。
「術式の痕跡が薄すぎます」
「薄い?」
「普通なら、少しくらい残るんです」
「魔法には術者ごとの癖がありますから」
指先を少し動かす。
だが、浮かぶ光はすぐに消える。
「ここには、それがほとんどない」
「綺麗すぎます」
ガレスが腕を組む。
「フィルか?」
リナはすぐに首を振った。
「分かりません」
「魔人だからできる、と断定できる材料はありません」
「ただ」
もう一度焼け跡を見る。
「自然に消えたようには見えないです」
「意図的に消した?」
「可能性はあります」
レグルスが黙って街道の先を見ている。
人間側。
獣王国側。
どちらも武器を握ったまま。
どちらも、相手を疑っている。
ガレスが焼けた地面を見下ろした。
「向こうも、こっちが先にやったと思ってる」
「こっちも、向こうが先にやったと思ってる」
誰も口を挟まない。
「なのに」
顔を上げる。
「最初に手ぇ出した奴だけ、誰も見てねぇ」
風が街道を抜ける。
誰も動かない両軍の間を、砂埃だけが通り過ぎていった。
◆
夕方。
一行は獣王国の城へ戻っていた。
大きな机の上に、地図が広げられる。
レグルスがいくつかの場所へ印を付けた。
ガレスが覗き込む。
「……多いな」
「問題は、ここだけじゃない」
最初の印。
今日見た国境。
次に、その北。
さらに西。
別の国との境界にも印がある。
「この数ヶ月、似たような小競り合いが増えている」
ダリオが地図を見る。
「全部、国境か」
「ああ」
ミレイアが静かに聞く。
「原因も同じなんですか?」
「そこまでは分からない」
レグルスが首を振る。
「だが、どれも以前なら起きなかった程度のことで兵が動いている」
リナも地図へ目を落とした。
「偶然にしては、少し多いですね」
ジグが短く言う。
「意図がある」
ガレスはしばらく黙っていた。
やがて。
「……誰かが火ぃつけて回ってるみてぇだな」
「俺もそう思っている」
レグルスが答える。
「問題は」
地図へ視線を落とす。
「誰が、何のためにやっているかだ」
その時。
開いていた窓の外から、羽音が聞こえた。
全員が振り向く。
白い大きな鳥。
淡い光を纏った魔法動物が、窓枠へ降り立つ。
「エルフの使いだ」
レグルスが近づく。
鳥の脚には、小さく巻かれた紙が結ばれていた。
それを外し、広げる。
短い文章。
目を通したレグルスの表情が変わった。
「何だ?」
ガレスが聞く。
「エリオンからだ」
「何て?」
レグルスは紙を読み上げた。
「魔人について、重要な記録が見つかった」
一同が黙る。
リナが先に口を開いた。
「重要な記録?」
「何が分かったんでしょう」
ガレスは地図へ視線を戻した。
いくつもの国境。
いくつもの印。
そして、今日見た焼け跡。
「……ちょうどいい」
「何が?」
ダリオが聞く。
ガレスは少しだけ笑った。
「こっちも、土産ができた」
レグルスが、広げたままの地図をゆっくりと丸め直す。
紙の擦れる音だけが、しばらく部屋に響いた。
地図の上には、いくつもの国境が引かれていた。
国が違う。
種族が違う。
起きている場所も違う。
それでも。
その境界で起き始めていることだけは、妙によく似ていた。
誰かが最初の一撃を放ち。
誰も、その姿を見ていない。
ガレスは地図を見下ろした。
「……戦争でも始めてぇのかよ」
その問いに答えられる者は、まだ誰もいなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回は、獣王国へ向かったガレスたちの調査回でした。
同じ出来事を見ているはずなのに、
獣王国側は「人間が先に攻撃した」。
人間側は「獣人が先に攻撃した」。
そう信じています。
しかし、その最初の一撃を実際に見た者は誰もいない。
さらに、同じような小競り合いは一つの国境だけではなく、各地で起こり始めています。
誰かが意図的に争いの火種を生んでいるのか。
そして、エルフ王国で見つかった「魔人についての重要な記録」とは何なのか。
次回、二つの調査結果が少しずつ繋がっていきます。
次話もよろしくお願いします!




