天敵
魔人フィルについて調べるため、古い記録が眠る大樹の記録庫へ向かうザインたち。
そこで見つかったのは、千年以上前に残された魔人との戦いの記録だった。
そして、その中には――ザインにとって無関係ではいられない種族の名が記されていた。
エリオンに案内され、ザインたちは街のさらに奥へ進んでいた。
先ほどまで周囲を忙しなく見回していたノアも、今は少し落ち着いている。
――とはいえ。
「……あれ、何だろう」
「ノア」
振り返る。
ノアは頭上を流れる水路を見上げたまま歩いていた。
「見てるだけだよ」
「さっきから歩くの遅くなってるぞ」
「そんなことない」
「ある」
「ないよ」
少し前を歩いてから、もう一度振り返る。
ノアとの距離が、さっきより開いていた。
「ほら」
「……これはたまたま」
隣を歩いていたイリスが笑う。
「置いていかれるわよ」
ようやくノアが前を向いた。
「分かってるよ」
「本当に?」
「ザインまで言わなくていいだろ」
そんなやり取りをしながら歩いていると、エリオンが足を止めた。
「着いた」
立ち止まる。
目の前にあったのは、一際巨大な大樹だった。
幹の太さだけでも、ザインたちが暮らしていた家を何軒並べても足りないほどある。
その根元に、扉がある。
いや。
扉が取り付けられているというより、大樹そのものが開口部を作っているように見えた。
「ここ?」
見上げる。
「ああ」
エリオンが扉に手を触れた。
僅かな光が走る。
木の表面が音もなく左右へ分かれた。
眉が上がる。
「便利だな」
「入るぞ」
中へ入る。
外から見た大きさだけでも十分異常だったが、内部はさらに広かった。
天井がどこにあるのか、一瞬では分からない。
巨大な樹の内側を螺旋状に棚が囲み、何段にもわたって書物や木板、石板が並んでいる。
床の一部には水が流れ、壁際には淡い光を放つ植物が生えていた。
紙の本だけではない。
文字が刻まれた石。
乾燥させた木の板。
薄く光る透明な板のようなものまである。
ノアが声を失った。
「…………」
横を見る。
「またその顔してるぞ」
「これは仕方ないだろ」
棚を見上げるノア。
「何年分あるんだろう……」
エリオンが答えた。
「古いものなら数千年前だ」
ノアが固まった。
「数千……」
周囲を見回すイリスも驚いていた。
「そんな昔の記録が、そのまま残ってるの?」
「全てではない。失われたものも多い」
エリオンは奥へ進む。
「それでも、人間の国に残っている記録より古いものは多いはずだ」
「そりゃ期待できそうだな」
後を追う。
しばらく進むと、奥に一人のエルフがいた。
長い銀色の髪を後ろでまとめ、机に広げた古い木板を読んでいる。
年齢はザインには分からない。
見た目だけならエリオンより少し上程度にも見えるが、エルフの年齢など当てにならない。
エリオンが声をかけた。
「少しいいか」
顔を上げるエルフ。
「珍しいな。お前がここへ来るとは」
その目が、ザインたちへ移った。
「人間?」
「ああ」
「それも三人」
視線が一人ずつを確認していく。
イリス。
ノア。
最後にザインで止まる。
ほんの一瞬。
何かを考えるような間があった。
だが、すぐにエリオンへ戻る。
「何を調べたい」
「魔人」
エルフの手が止まった。
「……魔人?」
「ああ」
「なぜだ」
一歩前へ出るイリス。
「私たちの国に現れたからよ」
エルフがイリスを見る。
「実際に見たのか?」
「ええ」
「間違いなく?」
「以前にも一度、同じ魔人と対峙してる」
「同じ?」
「フィルって名乗ってる」
エルフは僅かに眉を寄せた。
「フィル……」
しばらく考える。
そして首を振った。
「その名に覚えはない」
「やっぱりか」
頭を掻く。
だが、イリスはすぐに聞いた。
「名前じゃなくていいわ」
見つめ返すエルフ。
「魔人そのものについて残っている記録は?」
一拍。
エルフはゆっくりと周囲の棚へ目を向けた。
「……それなら、ある」
反応するノア。
「本当ですか?」
「ああ。ただし非常に古い」
立ち上がるエルフ。
「現代の文字ではないものも多い。すぐに読めるとは限らないぞ」
肩をすくめる。
「俺は最初から読める気してないから大丈夫」
「あなたは少しくらい努力しなさいよ」
イリスが呆れる。
「こういうのは得意なやつに任せた方が早いだろ」
「そういう問題じゃないでしょ」
「ザインらしいね」
「お前までそっち側行くなよ」
エルフは三人のやり取りを眺めていたが、特に何も言わず奥へ歩き始めた。
「ついてこい」
◆
案内された場所は、先ほどよりさらに古い資料が並ぶ区画だった。
棚そのものも古びている。
紙の書物は少なく、木板や石板が増えていた。
所々に、巻かれた布のようなものもある。
一つの棚の前で止まるエルフ。
「魔人について体系的にまとめられた記録は少ない」
一枚の木板を取り出す。
「古すぎる上に、時代ごとに呼び方も違う」
覗き込むノア。
「これは?」
「約二千年前の記録だ」
「二千……」
「ただし、これには遭遇記録しかない」
木板が机へ置かれる。
身を乗り出すイリス。
「何て?」
「人里から離れた地域で、異常な魔素の集積が確認された。その中心に、人の姿をした存在がいたとある」
表情が変わった。
「魔素が集まってた?」
「ああ」
同じ場所を思い出す二人。
かつての洞窟。
フィルと初めて遭遇した時。
周囲の魔素が、異常なほど濃くなっていた。
「……似てる」
顔を上げるエルフ。
「何がだ」
「私たちが初めて魔人と会った時も、周囲の魔素が異常に濃かった」
「偶然とは考えにくいですね」
「だろうな」
別の資料を取り出すエルフ。
「魔人に関する記録には、魔素の異常が伴うものが多い」
木板を見る。
「じゃあ、魔素とかなり関係ある存在ってことか」
「少なくとも、そう考えられていた」
「考えられていた?」
「断定はできない?」
「直接調べた者がほとんどいないからな」
エルフは淡々と答える。
「遭遇した者の多くは、生きて戻っていない」
場の空気が少しだけ重くなる。
資料から目を離さない。
「他には?」
「ある」
次の記録。
さらに次。
一つずつ確認していく。
魔人の出現。
周囲で起こる異常な魔素現象。
魔法による防御。
常人を遥かに超える身体能力。
人間や他種族を操ったという記述もあった。
だが、どれも断片的だ。
名前も違う。
姿の描写も統一されていない。
「……これだけじゃフィル本人かは分からないわね」
「そうだな」
ノアも頷く。
「でも、魔人という存在の性質はある程度共通してる」
腕を組む。
「もっと決定的なのないの?」
こちらを見るエルフ。
「決定的?」
「こいつらが何を嫌うとか。苦手なものとか」
「敵を知るなら、そこから?」
「そりゃそうだろ」
当然のように答える。
「倒すなら弱点知っといた方が早い」
イリスが少し笑う。
「あなたらしいわね」
少し考えるエルフ。
「……待て」
棚のさらに奥へ向かう。
古い箱を一つ引き出した。
埃はほとんどない。
だが、箱自体はかなり古びていた。
慎重に蓋を開く。
中には、布で包まれた何かが入っている。
「これは?」
「年代が正確には分かっていない」
布を開くエルフ。
「少なくとも、千年以上前だ」
出てきたのは一枚の古い獣皮だった。
表面に、色褪せた絵と文字が残っている。
覗き込む。
「絵?」
「おそらく戦いの記録だ」
獣皮が机に広げられる。
中央には、一人の人型。
その周囲には黒く塗られた歪な模様。
対するように、何人もの人影が描かれている。
その多くは倒れていた。
だが。
ある一角で目が止まった。
「……ん?」
こちらを見るノアとイリス。
「どうしたの?」
絵を指差す。
「これ」
絵の端。
魔人と思われる存在と正面から向き合っている者たちが描かれている。
他の者たちとは少し違う。
剣を持っている。
防具は簡素。
そして、その周囲だけ。
魔人の周りに描かれていた黒い模様が、不自然に途切れていた。
覗き込むノア。
「……確かに違う」
身を寄せるイリスも同じ箇所を見つめる。
「この人たちだけ、魔人の力が届いてないみたいに見える」
「誰?」
エルフはすぐには答えなかった。
絵を見つめる。
やがて、静かに言った。
「アルヴァだ」
「…………」
動きが止まる。
ノアもイリスも黙る。
「アルヴァ……」
もう一度絵を見る。
そこに描かれた者たち。
自分と同じ祖先を持つ種族。
別の木板を取り出すエルフ。
「この絵だけではない」
机へ置く。
「魔人が現れた記録には、何度かアルヴァの名が出てくる」
木板へ目を向けるノア。
「どういう形で?」
エルフは文字を追う。
「敵としてだ」
眉が上がる。
「敵?」
「魔人にとってのな」
「アルヴァが魔人と戦っていたってこと?」
「ああ」
次の箇所を指すエルフ。
「この記録では、魔人の術がアルヴァには通じにくかったとある」
「通じにくい?」
「正確には、魔法そのものが崩されたという記述がある」
顔を上げるノア。
「崩された?」
「魔法を受けたのではない」
エルフが続ける。
「アルヴァが触れた場所から、術式そのものが成立しなくなった――そう読める」
イリスの表情が変わった。
「魔法を……壊した?」
黙って聞いている。
別の記録を広げるエルフ。
「こちらには、魔人の周囲を覆っていた魔素の防壁を、アルヴァの戦士が突破したとある」
「防壁を?」
「ああ」
「普通なら?」
「近づくことすら困難だったようだ」
少しだけ首を傾ける。
「俺たち、そんな嫌われてたの?」
ノアがザインを見る。
「嫌われていたというより……」
「恐れられていたんじゃない?」
イリスが続けた。
顔から、少しだけ軽さが消える。
エルフは頷いた。
「その表現の方が近い」
「そこまで?」
「ああ」
獣皮の絵へ指を置くエルフ。
「魔人にとって、アルヴァは相性が悪すぎた」
「何で?」
「魔人は魔素を利用する」
「それは今の記録でも分かったな」
「周囲の魔素を集める。魔法にも使う。身体の維持にも関係している可能性がある」
エルフが頷く。
「対してアルヴァは、その魔素を直接身体へ取り込み、自らの力へ変えていた」
自分の手を見る。
「……俺と同じ」
「おそらくな」
エルフは続ける。
「魔人が周囲の魔素を支配しようとしても、アルヴァはそれを奪う」
すぐに理解するイリス。
「しかも、魔法そのものまで壊す」
「ああ」
「魔人が一番頼っているものを、アルヴァだけが正面から否定できた……」
「そういうことだ」
ザインを見るエルフ。
「古い記録では、アルヴァをこう表現しているものもある」
一拍。
「魔人の天敵、と」
誰もすぐには喋らなかった。
古い絵を見つめる。
魔人。
そして、その正面に立つアルヴァ。
千年以上前の記録。
今まで知らなかった、自分の祖先の姿。
沈黙を破ったのはノアだった。
「……ザイン」
「ん?」
何かを言いかけて、止まる。
代わりにイリスが口を開いた。
「待って」
視線を向ける。
イリスの表情が変わっていた。
何かが繋がった顔。
「ザインが国を追われたのって……」
空気が止まった。
顔から、完全に笑みが消える。
イリスは続けた。
「フィルが国の中枢に入り込んだ後よね」
「ああ」
「それまではあなたは英雄扱いだった」
「ああ」
「なのに突然、国家反逆者にされた」
気づくノア。
「……ザインが何かを知ったからじゃない」
見つめる。
「存在そのものが邪魔だった?」
ゆっくり頷くイリス。
「ザインがアルヴァだから」
何も言わなかった。
机に広げられた古い絵を見る。
魔人。
その前に立つアルヴァ。
昨日まで英雄だった自分。
突然下された追放命令。
国中に回された手配。
半年間。
理由も分からないまま追われ続けた。
長い沈黙。
やがて、小さく口が開かれる。
「……俺が何かしたからじゃなくて」
誰も口を挟まない。
「最初から、俺そのものが邪魔だったってことか」
イリスはザインを見たまま答えなかった。
エリオンも黙っている。
記録を管理していたエルフが静かに言う。
「可能性は高い」
顔を上げる。
「ただし」
エルフは続けた。
「これは過去の記録から導いた推測にすぎない」
「フィル本人が、お前をなぜ排除したのか。それは本人にしか分からない」
少しだけ黙る。
そして、古い獣皮へ視線を戻す。
「でも」
指先で、魔人とアルヴァが描かれた場所を軽く叩く。
「理由にはなりそうだな」
「ああ」
エリオンが答えた。
もう一度、絵を見る。
自分が国を追われた理由。
その答えは、ずっと自分の知らないところにあると思っていた。
だが。
もし、この記録が示す通りなら。
答えは最初から――
自分の中にあった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
今回は、魔人とアルヴァの関係が明らかになる回でした。
これまでザインが国を追われた理由は分からないままでしたが、古い記録から一つの可能性が見えてきました。
ザインが何かをしたからではなく。
ザインが「アルヴァであること」そのものが、フィルにとって脅威だったのではないか。
まだ確定ではありませんが、これまでの出来事の意味が少しずつ変わり始めています。
次回は、さらにザイン自身へ踏み込んでいく予定です。
次話もよろしくお願いします!




