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剣しか持ちえない少年の英雄譚  作者: 喜怒哀楽
イリス奪還編
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77/102

奪還

半年間、探し続けたイリスをついに見つけたザイン。


あとは、この塔から連れ出すだけ。


しかし、あまりにも順調だった救出作戦は――ここから大きく崩れ始める。

「……ザイン?」


半年ぶりに聞く声だった。


イリスは窓際に立ったまま、信じられないものを見るようにザインを見つめている。


ザインもすぐには言葉が出なかった。


生きている。


ノアからそう聞かされていた。


それでも、こうして目の前に立つ姿を見るまで、心のどこかに残っていたものがあった。


「……久しぶり」


ようやく出た言葉は、そんなありふれたものだった。


イリスの唇が僅かに震える。


「なんで……」


「迎えに来た」


ザインは笑った。


「帰るぞ、イリス」


イリスはしばらくザインを見つめていた。


やがて俯き、小さく息を吐く。


「……遅いのよ」


「悪かったって」


「半年よ」


「色々あったんだよ」


「私だって色々あったわよ」


「だろうな」


ザインが近づく。


そこで、イリスの両手に嵌められたものが目に入った。


黒い金属で作られた手錠。


表面には細かな術式が刻み込まれている。


「それか」


「ええ。これをつけられてから、まともに魔法が使えないの」


ザインはイリスの手を取って手錠を見る。


「魔法を封じるやつ?」


「正確には魔力の流れを乱されるの。無理に使おうとしても術式を維持できないわ」


「なるほど」


ザインは腰に下げていた鍵束を取り出した。


先ほど倒した見張りの騎士から奪ったものだ。


「ちょうどいい。あいつらいっぱい持ってたから」


一つ目。


入らない。


二つ目。


違う。


三つ目。


入った。


ザインの表情が明るくなる。


回す。


動かない。


「……違うな」


「ちょっと」


次。


その次。


鍵束に付いていたものを一通り試す。


ザインは無言で鍵束を見た。


「ない」


「ないって?」


「この手錠の鍵」


「そんなことある?」


「あるみたいだな」


ザインは鍵束を放り捨てた。


「じゃ、壊すか」


「ちょっと待って。これ、かなり頑丈――」


ザインは手錠へ手を掛けた。


力を込める。


その瞬間だった。


カチッ。


どこかで。


小さな音がした。


「……ん?」


次の瞬間。


塔の壁に刻まれていた術式が一斉に光った。


ザインが周囲を見る。


光はすぐに消える。


何かが飛んでくるわけでもない。


炎も雷もない。


何も起こっていない。


そう思った。


「ザイン」


イリスの声が変わった。


「どうした?」


「……魔素がない」


ザインがイリスを見る。


「魔素?」


「周りの魔素が……全部消えた」


イリスは拘束された両手を見た。


魔法を扱う者だからこそ分かる。


空気中に満ちているはずのものが、突然消えている。


ザインは自分の手を見る。


そこでようやく気づいた。


「……ああ」


身体が重い。


疲れているわけではない。


力が抜けたわけでもない。


ただ、普段なら絶えず身体へ流れ込んでくるものが来ない。


ザインの身体は周囲の魔素を吸収し、それを全身へ供給している。


その供給が、完全に途絶えていた。


「これ、まずいな」


直後。


塔の中に警鐘が鳴り響いた。


「侵入者だ!!」


「最上階だ!」


「囚人を確保しろ!」


下の階から、いくつもの足音が響いてくる。


ザインは扉を見る。


イリスを見る。


手錠を見る。


「ザイン?」


「悪い。ちょっと我慢しろ」


「え?」


ザインはイリスを抱き上げた。


「ちょっ――!」


そのまま走り出す。


「ちょっとザイン!」


「舌噛むぞ!」


「先に言いなさいよ!」


通路へ飛び出す。


階段へ向かう。


普段なら一瞬で駆け抜けられる距離。


だが、ザイン自身には明確に違いが分かった。


遅い。


身体そのものは動く。


生まれ持った肉体の強さまで消えたわけではない。


それでも、普段なら無意識に身体を支えている魔素がない。


一歩が短い。


加速が鈍い。


「……こんなに違うのかよ」


「ザイン、大丈夫なの?」


「大丈夫」


答えながら走る。


「いつもより遅いだけだ」


それでも普通の人間から見れば十分に速い。


イリスを抱えたまま、ザインは階段を駆け下りていく。


だが。


「いたぞ!!」


下から騎士たちが上がってきた。


ザインが止まる。


背後からも足音。


「……挟まれたか」


ザインはイリスを床へ降ろした。


剣を抜く。


「ここにいろ」


「でも、今のあなた――」


「すぐ終わる」


騎士が踏み込んできた。


ザインも前へ出る。


剣が振り下ろされる。


半歩ずれる。


避けた――はずだった。


「っ!」


剣先がザインの肩を掠めた。


服が裂け、血が滲む。


ザインが僅かに目を見開く。


いつもの感覚で身体を動かした。


だが、足がそこまで届かなかった。


「……やっぱ遅ぇな」


二撃目。


今度は見誤らない。


ザインは剣の腹で受け流した。


相手の身体が前へ流れる。


柄を顎へ叩き込む。


騎士が崩れる。


横からもう一人。


ザインは身体を沈め、斬撃をかわす。


脚を払う。


倒れた騎士の手から剣を蹴り飛ばした。


三人目が突っ込んでくる。


正面から受けない。


剣を滑らせるように逸らし、その勢いを利用して壁へ叩きつける。


普段のような圧倒的な速度はない。


一撃で全てを吹き飛ばす力もない。


それでも。


ザインが十年以上積み上げてきた剣技まで失われたわけではない。


一人。


二人。


三人。


騎士が倒れていく。


最後の一人の剣を弾き飛ばし、ザインは柄を鳩尾へ叩き込んだ。


騎士が膝から崩れる。


「ふぅ……」


ザインが息を吐く。


普段より明らかに呼吸が荒い。


イリスが駆け寄った。


「ザイン」


「平気」


「平気な顔してないわよ」


「まだ走れる」


ザインは剣を握ったまま周囲を見る。


再び足音が聞こえてくる。


「行くぞ」


二人は走り出した。


◆


その頃。


国境からかなり離れた街道。


「おらぁ!!」


ガレスの拳が騎士の盾を吹き飛ばした。


盾が宙を舞う。


「武器だけ狙え! 殺すなよ!」


「一番暴れてる人が言わないでください!」


ミレイアが叫ぶ。


リナが後方へ手を向けた。


魔法陣。


地面が爆ぜる。


騎士たちの進路を炎が塞いだ。


「こっちです!」


五人は別の街道へ走る。


既に追ってきている騎士の数は、最初とは比較にならなかった。


ガレスが振り返る。


「いい感じじゃねぇか!」


「どこがですか!」


「これだけ連れてりゃ十分だろ!」


ダリオが後方を見る。


「そろそろ離脱してもいい頃じゃないか?」


ジグが空を見る。


「まだ合図がない」


ガレスの表情が少しだけ変わる。


「……遅くねぇか?」


リナも気づいていた。


「予定なら、もう塔には入ってる頃ですよね」


「何かあったんでしょうか……」


ミレイアが不安そうに呟く。


再び騎士たちが迫ってくる。


ガレスは拳を握った。


「俺たちが戻ったら、こいつらも塔へ戻る」


ダリオが頷く。


「ああ」


「なら、まだ引っ張るぞ」


ガレスが追跡してくる騎士団へ振り返った。


「団長がしくじるまで、俺たちが心配する必要はねぇ!」


ジグが短く答える。


「同感だ」


ガレスが笑う。


「よし! もう一周だ!」


「どこをですか!?」


ミレイアの声が街道に響いた。


◆


塔の遥か上空。


ランフォスが大きく旋回していた。


その背で、ノアは何度目か分からないほど塔を見下ろした。


何も起こらない。


ザインからの合図もない。


「……遅いな」


ランフォスが小さく鳴いた。


「君もそう思う?」


返事をするように翼竜が首を動かす。


ノアは再び塔を見る。


「大丈夫かな……」


ザインなら大丈夫。


そう思っている。


だが。


ザインだから絶対に何も起こらない、とは思っていない。


むしろザインは、何かが起きた時ほど無茶をする。


「もう少しだけ待とう」


ノアはランフォスの背を撫でた。


「それでも来なかったら、こっちから行く」


◆


ザインは階段の踊り場で立ち止まった。


下。


複数の足音。


後ろからも来ている。


何人倒しても終わらない。


ザインはイリスを見る。


「……下は無理だな」


「どうするの?」


ザインは上を見る。


「上」


「上?」


「ランフォスが待ってる」


屋上へ出る。


そこからならランフォスに拾わせられる。


ザインは再びイリスを連れて階段を上がり始めた。


魔素は戻らない。


この塔全体ではない。


だが少なくとも、今いる区画では完全に消えている。


屋上へ続く階段が見えた。


あと少し。


その時。


下から大量の足音が響いた。


「いたぞ!」


「逃がすな!」


ザインが振り返る。


十人。


その後ろにもいる。


さらに別の通路からも騎士が現れた。


ザインはイリスを見る。


「イリス」


「何?」


「先に行け」


イリスの表情が変わる。


「ザインは?」


「こいつら止めたらすぐ行く」


「でも今のあなたじゃ――」


「イリス」


ザインは剣を構えた。


「行け!」


イリスはザインを見る。


一瞬迷った。


それでも。


「……絶対来なさいよ!」


「ああ」


イリスが階段を駆け上がる。


ザインは振り返った。


騎士たちが迫る。


「さて……」


剣を構える。


「ここから先は通行止めだ」


騎士たちが一斉に踏み込んできた。


◆


屋上の扉が開いた。


イリスが外へ飛び出す。


強い風。


久しぶりに見る広い空。


だが立ち止まっている暇はなかった。


背後から騎士たちが追ってくる。


別の階段からも数人が屋上へ出てきた。


「いたぞ!」


イリスは後退する。


両手には手錠。


魔法を使おうとしても術式が乱される。


騎士たちが距離を詰める。


その時。


空から翼を打つ音が響いた。


イリスが顔を上げる。


大きな翼。


ランフォスが屋上へ向かって急降下してくる。


そして、その背から一人の青年が飛び降りた。


「イリス!」


聞き覚えのある声。


イリスの目が見開かれる。


「ノア!?」


ノアが屋上へ着地する。


「話は後!」


騎士が斬りかかる。


ノアは身体を逸らし、攻撃をかわす。


そのままイリスの前へ出た。


「手、見せて!」


「これ、鍵がないの!」


「ザインは?」


「下で騎士を止めてる!」


ノアの表情が変わる。


だが、すぐに手錠へ意識を戻した。


「分かった」


手錠の術式を見る。


「これなら――」


ノアは騎士の攻撃をかわしながら、手錠の接合部を狙った。


一撃。


金属に亀裂が入る。


もう一度。


ガキンッ!


手錠が割れた。


床へ落ちる。


イリスが自分の手を見る。


屋上には魔素がある。


久しぶりに。


周囲の魔素が身体へ馴染んでいく感覚。


イリスの周囲に炎が灯った。


追ってきた騎士たちが止まる。


ノアがイリスを見る。


「イリス!」


「何!?」


ノアは足元を指差した。


「この辺り、壊して!」


「……どのくらい?」


ノアはザインがいるはずの塔内部を見る。


「ザインが出てこられるくらい!」


イリスも下を見る。


一瞬だけ考える。


そして。


「分かったわ!」


両手を広げた。


炎が膨れ上がる。


◆


ザインの剣が騎士の剣を弾いた。


身体を捻る。


横から迫った槍をかわす。


柄で一人の顔を打ち、蹴りで別の騎士を階段下へ落とす。


「くっ……!」


ザインの脇腹へ盾が叩き込まれた。


「がっ!」


身体が壁へぶつかる。


普段なら避けられた。


分かっている。


だからこそ腹が立つ。


「ほんっと……身体重いな!」


ザインは迫ってきた剣を受け流す。


踏み込む。


肩をぶつけ、相手の体勢を崩す。


そのまま剣の柄を顎へ叩き込んだ。


一人倒れる。


だが、次が来る。


さらに次。


ザインは後退しながら階段を守った。


ここを通せば、イリスへ追いつかれる。


なら。


自分が立っていればいい。


騎士が剣を振り上げる。


ザインも踏み込もうとした。


その瞬間。


――ドォォォォォォン!!


塔全体を揺らす轟音。


「ん?」


ザインが上を見る。


騎士たちも動きを止めた。


天井から砂埃が落ちてくる。


一本。


亀裂が走った。


次の瞬間。


その亀裂が一気に広がる。


ザインの顔に笑みが浮かんだ。


「やっとか!」


戦闘を即座に中断した。


「なっ――!」


騎士を置き去りにして走る。


「待て!」


「待つかよ!」


背後から声が飛ぶ。


直後。


天井が崩れ落ちた。


巨大な石材が通路へ落下する。


ザインは横へ飛んだ。


「うおっ!」


さっきまでいた場所が瓦礫に埋まる。


塔全体が激しく揺れている。


壁に亀裂が走る。


床が傾く。


「イリス、加減ってもんを……!」


言いながら走る。


前方の床が崩れた。


ザインは勢いを殺さない。


残った足場を蹴り、向こう側へ飛ぶ。


着地。


その瞬間、背後の床が落ちた。


「危なっ!」


さらに壁が崩れる。


外の光が差し込んだ。


ザインはそちらを見る。


大きく吹き飛んだ外壁。


その向こうには何もない。


空だけ。


ザインは一瞬で理解した。


塔の中に残れば埋まる。


ランフォスから見えなければ拾ってもらえない。


なら。


「あそこだ!」


崩れかけた床を走る。


背後から塔が崩れてくる。


最後の足場を蹴った。


ザインの身体が、崩壊する塔の外へ飛び出した。


◆


「ノア!」


ランフォスの背に乗ったイリスが叫ぶ。


「ザインは!?」


ノアが崩壊する塔を見る。


煙。


炎。


大量の瓦礫。


ザインの姿が見えない。


「探してる!」


ランフォスが塔の周囲を旋回する。


「ザイン!!」


イリスが叫ぶ。


その時。


ノアが何かを見つけた。


「……いた!」


崩壊した外壁。


煙の中から。


一人の人間が飛び出してきた。


そのまま空中へ投げ出される。


イリスも気づく。


「ザイン!!」


ランフォスが大きく翼を傾けた。


急旋回。


そのままザインへ向かって急降下する。


ザインも気づいた。


落下しながら上を見る。


ランフォス。


その背にノアとイリス。


「よし!」


ランフォスが脚を伸ばす。


ザインが腕を上げた。


次の瞬間。


ガシッ!!


巨大な脚がザインの胴体を掴んだ。


「ぐえっ!」


ランフォスが翼を広げる。


落下速度が一気に削られた。


そのまま塔から離れていく。


「ちょっ……ランフォス!」


ザインがぶら下がったまま叫ぶ。


「もうちょい優しく掴めない!?」


上からイリスの声が飛んできた。


「今そんなこと言ってる場合!?」


「結構痛いんだよ!」


「生きてるなら我慢しなさい!」


ノアが額に手を当てた。


「……元気そうで安心したよ」


背後。


塔の上部が完全に崩れ落ちた。


巨大な瓦礫が地面へ落下し、轟音と土煙が辺り一帯へ広がっていく。


ランフォスはそのまま高度を上げた。


騎士たちの姿が小さくなる。


塔も遠ざかる。


やがて追撃される心配がなくなったところで、ランフォスがザインを背へ引き上げた。


「っつー……」


ザインが背中へ転がり込む。


「酷い目に遭った」


「自分から五千メートルの高さから飛び降りた人が言う台詞じゃないよ」


ノアが言った。


イリスが固まる。


「……五千?」


ザインがノアを見る。


「言わなくてよくない?」


「何の話?」


「いや、なんでもない」


「ザイン」


イリスの声が低くなる。


「五千って何?」


「……帰ってから話そう」


「今話しなさい」


「いや、今はほら。逃げてる途中だし」


「ザイン?」


「近い近い」


半年ぶりなのに。


何も変わっていない。


ノアは二人を見ながら、小さく笑った。


ザインもやがて笑う。


そして。


イリスを見る。


手錠はもうない。


追っ手も遠い。


ようやく。


本当に助け出せた。


ザインは空の向こうへ目を向けた。


「とりあえず――」


ランフォスが大きく翼を羽ばたかせる。


「今度こそ、帰るぞ」


三人を乗せた翼竜は、崩れ落ちた塔を背にして空を駆けていった。

第77話をお読みいただき、ありがとうございます!


半年ぶりの再会、そしてイリス奪還。


魔素を失い、いつもの力を発揮できないザイン。

それでも剣技と生来の身体能力で騎士団を食い止め、最後はノア、イリス、ランフォスも加わって、なんとか塔から脱出することができました。


これで、散り散りになっていた仲間たちがようやくザインのもとへ戻ってきました。


しかし、塔でザインたちを襲った「魔素そのものを消す仕掛け」。


なぜ、そんなものが用意されていたのか。


その答えは、まだ誰も知りません。


次回もお楽しみいただければ嬉しいです!

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