異変
第5話です。
三人で行動を始めたザインたち。
しかし、森の中で何やら不穏なものを見つけてしまったようです。
今回も楽しんでいただけたら嬉しいです!
三人になってから、しばらく森を歩いた。先頭を歩くのはザイン、その少し後ろをイリス、最後尾を地図を抱えたノアがついていく。
「このまま東へ進めば、しばらくは平坦な道が続くと思います」
ノアが地図を確認しながら言う。
「西へ行くと渓流があります。北は山に入るので、移動速度を考えるなら──」
「……待って」
ザインが突然立ち止まった。
「どうしました?」
ノアが地図から顔を上げる。ザインはその場にしゃがみ込み、落ち葉を手で退けた。地面には、大きな窪みが残されている。
イリスが横から覗き込んだ。
「何?」
「足跡」
「魔獣の?」
「多分」
ザインは立ち上がると、周囲を見渡す。少し離れた木の幹に、深い傷が刻まれていた。近づいて確認する。さらに視線を上げれば、ザインの身長を遥かに超える高さで、太い枝がへし折られていた。
「……でかいな」
ノアも恐る恐る近づいてくる。
「どれくらいですか?」
「少なくとも俺より三倍くらいはありそう」
「三倍……」
ノアの表情が強張った。改めて足元を見る。一つではない。巨大な足跡が、森の奥へと続いていた。
「警戒した方が良さそうですね……」
「そうだな」
ザインは剣の柄へ手を添える。
「歩いてるうちに、そいつの住処に入らないよう気をつけようぜ」
「そうね」
イリスも周囲へ視線を向ける。
「わざわざ面倒事に首を突っ込む必要もないわ」
「うん」
ザインは足跡が続く方向を確認した。
「こっちは避けよう」
三人は進路を少し変え、再び歩き始める。先ほどまでとは違い、ザインは頻繁に周囲へ視線を送っていた。イリスもすぐに魔法を使えるよう杖から手を離さない。ノアは地図と周囲を交互に確認しながら歩いていく。
それからしばらく、巨大な足跡を見ることはなかった。
「……大丈夫そうですね」
ノアが小さく息を吐く。
「多分ね」
ザインも周囲を見た。木々は穏やかに揺れている。魔獣の気配もない。三人はそのまま歩き続けた。
やがて、森の中に妙に開けた場所が現れる。
「……ん?」
ザインが足を止めた。木々が途切れている。その中央には、何かが横たわっていた。
ザインが目を細める。
「魔物?」
数体。すでに息絶えている。ザインは一体の傍へしゃがみ込み、傷を見た。
「……新しいな」
ノアの表情が曇る。
「ザインさん……」
「ん?」
ノアが別の方向を指差していた。そこにも死骸。一体ではない。さらに奥にも。大小様々な魔物が倒れている。
イリスが眉をひそめた。
「何よ、ここ……」
ザインは立ち上がり、周囲を見回す。地面に残る血の跡。木々に刻まれた巨大な爪痕。そして――。
「……あ」
ザインが足元を見る。先ほど見つけたものと同じ、大きな足跡だった。
イリスも気付いた。
「まさか」
ノアの顔が引きつる。
「ここ……」
――バキッ。
三人の動きが止まった。背後。ザインがゆっくり振り返る。
――バキッ。
木々の奥から何かが近づいてくる。地面が僅かに揺れた。
「……どうやら」
ザインは剣を抜いた。
「住処じゃなくて──」
木々の向こう、巨大な影が動く。
「狩場の方に来ちゃったみたいだな」
――ズン。
木々を押し退け、それが姿を現した。熊に似た巨大な魔獣。全身を覆う黒い甲殻。異常なほど発達した四肢。地面を抉るほどの爪。そして、ゆっくりと後ろ足で立ち上がる。その巨体は五メートル近くに達していた。
「……でっか」
ザインが見上げる。ノアは一目見た瞬間、顔色を失った。
「黒鎧熊……」
イリスが杖を構える。
「知ってるの?」
「学術書で見たことがあります。でも……」
ノアは目の前の巨体を見上げる。
「こんなに大きくない……」
黒鎧熊の呼吸は異様に荒かった。口元から涎を垂らし、何度も頭を振る。焦点の定まらない瞳。太い前脚で自らの首元を掻き、苛立ったように身体を木へ叩きつけた。
――バキンッ!
太い幹がへし折れる。
「……様子も変ね」
イリスが呟く。ノアも目を離せない。
「まるで……苦しんでるみたいな……」
黒鎧熊の動きが止まった。三人を見る。濁った瞳が、ザインを捉えた。
「──来る」
ザインが剣を構える。次の瞬間、五メートルの巨体が地面を蹴った。速い。
「うおっ!」
ザインが横へ飛ぶ。直後、巨大な前脚が地面へ叩きつけられた。
――ドンッ!
地面が砕け、土が舞い上がる。
「すごい力……」
イリスが呟く。
「だね」
ザインはすぐに体勢を立て直した。黒鎧熊が再び前脚を振り上げる。ザインは地面を蹴り、攻撃を横へかわしてそのまま懐へ入り込んだ。
「もらった」
剣を両手で握り、全力で振り抜く。
――ギィンッ!!
「……あれ」
甲高い音とともに、ザインの剣が大きく弾かれた。腕まで痺れる。
「硬っ」
思わず剣へ視線を落とした。ほんの一瞬。その隙を、黒鎧熊は逃さなかった。
「ザイン!」
イリスの声。ザインが顔を上げる。すでに拳が迫っていた。
「──っ!」
腹部に直撃。
「がっ──!」
ザインの身体が宙を舞う。数メートル吹き飛び、背中から地面へ叩きつけられた。
「っ……!」
肺から空気が抜ける。視界が揺れた。
「ザインさん!」
ノアの声が遠く聞こえる。
「……いてぇ」
ザインは顔をしかめながら身体を起こそうとする。その時、視界が暗くなった。
「……ん?」
見上げる。巨大な足。黒鎧熊がザインを踏み潰そうとしていた。
「……まず」
足が振り下ろされる。直前。
「──退きなさい!」
炎が炸裂した。
「グオオオオオッ!」
黒鎧熊の顔面を爆炎が包み込む。巨体がよろめき、ザインから離れた。
イリスが駆け寄る。
「何ぼーっとしてるの!」
「助かった」
ザインは素直に答え、立ち上がった。
「次はないわよ」
「気をつける」
剣を握り直す。黒鎧熊が炎を振り払うように頭を振った。顔の一部は焦げている。だが、倒れる気配はない。
「……あれで倒れないのね」
「丈夫だねぇ」
「感心してる場合?」
「確かに」
黒鎧熊が咆哮する。ザインが前へ、イリスが後方へ。二人が同時に動いた。
ザインが前脚をかわし、懐へ入る。甲殻の隙間を狙って剣を走らせるが、浅い。
「ダメか」
すぐに離れる。
「ザイン!」
イリスの声。ザインが横へ跳ぶと、その直後、炎が黒鎧熊へ直撃した。
――ドンッ!
爆炎。巨体が揺れる。それでも倒れない。
「グオオオオオッ!!」
むしろ怒りを増したように暴れ回る。前脚が木を薙ぎ倒し、地面を踏み砕いていく。ザインは避ける。イリスが炎を放つ。また避ける。また炎。
戦える。攻撃も避けられる。だが――倒せない。
「面倒だなぁ」
ザインが距離を取りながら呟く。
「同感」
イリスも呼吸を整えた。
その少し離れた場所で、ノアは動けずにいた。
「……」
手が震える。脚も震えている。怖い。逃げたい。目の前では、ザインとイリスが巨大な魔獣と戦っている。自分には何もできない。剣も使えない。攻撃魔法もまともに使えない。
「……」
それでも、ノアは黒鎧熊を見る。ザインの剣は弾かれる。イリスの炎は効いてはいる。でも決定打にはならない。何か。何かないのか。
黒鎧熊がザインへ襲い掛かる。右前脚を大きく振り上げた。
「……」
ノアの視線が止まった。今、何か見えた。もう一度、ザインが黒鎧熊の攻撃を誘う。前脚が振り上げられる。
「あ……」
ノアが目を見開いた。
「ザインさん!」
「なに!」
「右前脚の付け根!」
「右?」
「腕を上げた時だけ、甲殻に隙間ができます!」
ザインは攻撃を避けながら一瞬だけ確認する。確かに、黒い甲殻が重なる部分。腕を上げた瞬間だけ、その奥の皮膚が露出していた。
「そこなら通る?」
「多分!」
「分かった!」
「え……」
ノアが固まる。
「信じるんですか?」
「うん!」
ザインは黒鎧熊から目を離さない。
「ノアが見つけたんだろ!」
「……」
ノアはザインを見つめた。疑わない。迷わない。自分の言葉を、そのまま信じている。
だが、ノアはすぐに黒鎧熊へ視線を戻した。
「でも……」
隙間が開く時間は短い。あの巨体。あの速度。動き回る相手の僅かな隙間へ正確に剣を通すのは難しい。
なら。
「ザインさん!」
「なに!」
「僕が強化します!」
ザインが少しだけ振り返る。
「できるの?」
「少しだけなら!」
「お願い!」
「は、はい!」
ノアは杖を構えた。手はまだ震えている。怖い。それでも目を逸らさなかった。
短い詠唱。淡い光がザインの身体を包み込む。
「……お」
ザインが自分の手を見る。身体が軽い。視界が鮮明になる。脚へ力が満ちていく。
剣を握った。
「これ凄いね」
「長くは持ちません!」
「十分」
ザインが笑う。
「イリス!」
「何!」
「もう一発お願い!」
イリスはすぐに意図を察した。
「簡単に言ってくれるわね」
杖を構える。周囲の魔力が集まっていく。
「行くわよ!」
「うん!」
ザインが地面を蹴った。
「……!」
速い。自分でも驚くほど身体が前へ出る。黒鎧熊がザインを捉える。咆哮とともに、巨大な右前脚を振り上げた。
「ザインさん!」
ノアが叫ぶ。
「今です!」
「──燃えなさい!」
同時に、イリスの炎が黒鎧熊の顔面へ炸裂した。視界を奪われた魔獣が暴れる。それでも前脚はザインへ向けて振り下ろされた。
ザインは止まらない。一歩、さらに一歩。巨腕の下へ潜り込む。見える。右前脚の付け根、甲殻の隙間。
「見えた」
剣を振り抜く。今度は弾かれなかった。刃が通る。
「グオオオオオオオッ!!」
黒鎧熊が大きく仰け反った。ザインは剣を引き抜き、すぐに距離を取る。巨体がふらつき、一歩、二歩と揺れて――。
――ズンッ。
黒鎧熊が地面へ倒れた。
「……」
静寂。三人とも、しばらく動かなかった。やがてザインが息を吐く。
「ふぅ」
剣を軽く振った。
「強かったね」
「他人事みたいに言わないで」
イリスが呆れたようにザインを見る。
「途中で踏み潰されかけてたでしょうが」
「助けてくれてありがと」
「……」
イリスが一瞬だけ黙り、やがて視線を逸らした。
「次はちゃんと避けなさい」
「うん」
ザインはそのままノアを見る。
「ノア」
「は、はい!」
「助かった」
「……僕が?」
「うん」
ザインは黒鎧熊の右前脚を見た。
「弱点、教えてもらわなかったら気付かなかった」
自分の腕を軽く回す。
「それに、あの魔法も凄かった」
「で、でも……」
ノアは困ったように杖を見る。
「ただの身体強化です」
「そうなの?」
「はい」
「俺、魔法分かんないから」
ザインは笑った。
「でも、めちゃくちゃ助かったよ」
ノアは俯く。
「……ありがとうございます」
イリスも倒れた黒鎧熊を見ながら口を開いた。
「術式そのものは初歩的なものね」
ノアの肩が僅かに落ちる。
「……はい」
「でも」
ノアが顔を上げた。
「あの状況で、動き回ってる人間に正確に強化を掛けられる人は多くない」
「少なくとも、私なら攻撃魔法を選ぶ」
「……」
「褒めてるの」
イリスはそれだけ言って顔を逸らした。ノアの口元が、ほんの少し緩む。
「ありがとうございます」
ザインも笑った。
「三人いると楽だね」
「あなたが一番危なかったけどね」
「それはそう」
その時だった。
「……でも」
ノアの声色が変わる。ザインが振り返った。ノアは倒れた黒鎧熊の前にしゃがみ込んでいた。
「どうした?」
「……おかしいです」
イリスも近づく。
「何が?」
「黒鎧熊は、確かに危険な魔獣です」
ノアは巨大な身体を見上げる。
「でも、学術書に記録されている成体でも……ここまで大きくありません」
異常に発達した四肢。黒い甲殻。そして、焦点の合っていなかった瞳。
「それに……」
ノアは近くの折れた木を見た。
「様子も変でした」
「凶暴だっただけじゃないの?」
イリスが尋ねる。
「分かりません」
ノアは首を横に振った。
「でも……苦しんでいたように見えました」
ザインも黒鎧熊を見る。戦う前、何度も頭を振っていた。自分の首を掻きむしり、身体を木へ叩きつけていた。まるで、何かから逃れようとしていたような――。
「……」
ノアはしばらく魔獣を見つめる。そして、小さく呟いた。
「でも……」
二人がノアを見る。
「こんなレベルの魔獣を、試験場に放つなんて……」
森に静寂が戻る。三人の目の前には、異様な巨体だけが、静かに横たわっていた。
第5話を読んでいただき、ありがとうございました!
今回はザイン、イリス、ノアの三人で初めての戦闘でした。
剣で戦うザイン、魔法で援護するイリス、そして観察と補助魔法で二人を支えるノア。
少しずつ三人らしい戦い方が見えてきました。
そして、通常とは明らかに様子の違った黒鎧熊。
果たしてただの異常個体なのか、それとも――。
次回も楽しんでいただけたら嬉しいです!
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