救済
ザインの前に立ちはだかった、かつて獣人だったもの。
その一方で、洞窟の奥にはまだ助けを待つ者たちが残されています。
救える命と、もう戻すことのできない命。
ザインたちは、それぞれの「救済」と向き合うことになります。
第40話「救済」、よろしくお願いします。
剣と腕がぶつかった。
耳をつんざくような衝撃音が洞窟内に響き渡る。
「っ……!」
ザインの身体が後方へ押し込まれる。
靴底が地面を削り、二本の跡を残した。
目の前では、かつて獣人だったものが低く唸っている。
巨大化した腕。
歪に発達した筋肉。
身体のところどころに残る体毛。
そして、右耳の欠けた先端。
間違いない。
町で聞いた特徴と一致している。
「……随分変えられちまったな」
返事はない。
怪物の喉が震える。
「ヴ……ァ……」
声ですらない。
空気が擦れるような音だけが漏れた。
次の瞬間。
怪物が踏み込んだ。
速い。
ザインは横へ跳ぶ。
直後、巨大な拳が先ほどまでザインのいた地面へ叩き込まれた。
岩盤が砕ける。
破片がザインの頬を掠めた。
「力だけなら、とんでもねぇな」
ザインが踏み込む。
剣を横薙ぎに振るう。
怪物が腕を上げた。
刃が食い込む。
だが――浅い。
ザインの眉が動いた。
「硬ぇ」
怪物の反撃。
ザインは身を屈める。
頭上を腕が通過する。
風圧だけで髪が大きく揺れた。
ザインはそのまま懐へ入った。
腹部へ蹴り。
巨体が僅かに浮く。
続けて剣を振り上げる。
怪物が後方へ跳んだ。
「……避けた?」
ザインの目が細くなる。
ただ暴れているだけではない。
攻撃を認識している。
怪物が着地する。
ザインを睨む。
「意外と頭も残ってんのか?」
その瞬間。
怪物の身体から魔力が膨れ上がった。
「……は?」
怪物が口を大きく開く。
光。
ザインは反射的に横へ飛んだ。
直後。
魔力の塊が一直線に放たれた。
岩壁へ直撃。
轟音。
洞窟全体が揺れる。
ザインが転がりながら起き上がった。
「おいおい」
崩れ落ちる岩を見る。
「魔法まで使えんのかよ」
怪物が再びザインへ向かってくる。
ザインは剣を構え直した。
先ほどの一撃。
詠唱はなかった。
魔法を理解して使っているようにも見えない。
身体そのものへ組み込まれている。
そんな印象だった。
「……趣味悪ぃな」
怪物が腕を振り下ろす。
ザインは受けない。
横へ。
もう一撃。
後ろへ。
さらに一撃。
ザインは怪物の攻撃を避け続ける。
見る。
肩。
腰。
脚。
視線。
呼吸。
攻撃の直前、右肩が僅かに沈む。
魔法を撃つ前には喉が膨らむ。
単純。
だが速い。
そして圧倒的に重い。
一度でもまともに受ければ、こちらが不利になる。
怪物が踏み込む。
ザインも同時に動いた。
拳を紙一重で避ける。
脇を抜ける。
振り向きざま。
剣を振るう。
怪物の背中が裂けた。
「グァァァッ!!」
初めて明確な咆哮。
ザインは止まらない。
脚。
脇腹。
肩。
硬い場所を避け、動きを止めるための攻撃を重ねる。
怪物が振り返った。
ザインが踏み込む。
――その瞬間。
怪物の口元に光。
「っ!」
近い。
ザインは咄嗟に剣を前へ出した。
爆発。
「ぐっ……!」
ザインの身体が吹き飛ばされる。
岩壁へ激突。
息が詰まる。
「……っつぅ」
立ち上がる。
服の一部が焼けている。
腕から血。
だが。
すぐに傷口が塞がり始めた。
ザインが腕を見る。
「まだいけるな」
怪物が迫る。
ザインは走った。
正面ではない。
洞窟の側面。
岩柱の間を抜ける。
怪物が追う。
ザインは振り返らない。
巨体が岩柱へぶつかる音。
砕ける岩。
それでも追ってくる。
「しつけぇな!」
角を曲がる。
巨大な拳が岩壁を砕いた。
ザインはそのまま細い岩の隙間へ滑り込んだ。
怪物の腕が伸びてくる。
ザインはさらに奥へ。
やがて怪物の腕が届かなくなる。
「……はぁ」
ザインは岩壁へ背中を預けた。
外から怪物の唸り声が聞こえる。
岩を殴る音。
ザインは剣を見る。
刃こぼれはない。
腕も動く。
問題ない。
「硬い。速い。馬鹿力」
そして魔法。
「面倒くせぇ……」
ただ。
倒せない相手ではない。
ザインが目を閉じる。
攻撃の癖。
歩幅。
踏み込み。
魔法を撃つ瞬間。
頭の中で組み立てる。
次は――
「……お兄さん」
ザインの目が開いた。
「……?」
今。
声がした。
ザインはゆっくり横を見る。
誰もいない。
「……お兄さん」
今度ははっきり聞こえた。
下。
ザインが視線を落とす。
岩陰。
何かがいる。
ザインは即座に剣を向けた。
「ひっ……!」
小さな身体が縮こまった。
ザインの動きが止まる。
「……なんだ、お前」
魔物。
そうとしか呼べない姿だった。
身体には獣人だった頃の名残がある。
だが皮膚の一部は変質し、腕も本来の形ではない。
それでも。
小さい。
ザインの腰ほどしかない。
そして何より。
その目。
ザインを見て怯えている。
明確な感情がある。
「待って……」
ザインの眉が寄る。
「お前……」
小さな魔物が震える。
「殺さないで……」
ザインはゆっくり剣を下げた。
「……喋れるのか?」
小さな魔物が頷いた。
「うん……」
ザインは言葉を失った。
今まで見てきた実験体とは違う。
洞窟の外から轟音。
小さな魔物が身体を震わせる。
ザインは入口を見る。
まだ怪物はこちらを探している。
「お前も……あいつらにやられたのか?」
小さな魔物が俯いた。
「みんな……やられちゃった」
ザインの表情が変わる。
「みんな?」
小さな指が洞窟の奥を指した。
「下にいるの」
「いっぱい捕まってる」
「……」
「お父さんも、お母さんも……みんな連れていかれた」
ザインがしゃがむ。
「まだ生きてるのか?」
「うん」
子供が必死に頷く。
「まだ、みんなはそのままだから」
「そのまま?」
「僕みたいになってない」
ザインの目が細くなる。
子供が自分の身体を見る。
そして。
「僕……変になっちゃった」
小さな声だった。
ザインは何も言えない。
子供がザインを見る。
「お兄さん」
「……なんだ」
「みんなを助けて」
ザインの目を見る。
「僕みたいになる前に」
声が震えている。
「助けてあげて」
ザインの手が僅かに動いた。
「お願い……!」
「みんなを助けて!」
その瞬間。
轟音。
岩が砕けた。
ザインが振り返る。
怪物がこちらへ向かっている。
「チッ」
ザインは立ち上がった。
子供を見る。
ここに置いておく。
駄目だ。
戦闘がここまで来る可能性がある。
ザインは剣を鞘へ戻した。
「ちょっと我慢しろ」
「え?」
ザインが子供を抱き上げた。
「わっ!」
「暴れんな。落とすぞ」
「お、お兄さん!?」
「舌噛むから口閉じとけ!」
ザインが走る。
岩の隙間から飛び出す。
怪物が即座にザインを捉えた。
「グァァァァッ!!」
「うるせぇ!」
拳。
ザインが跳ぶ。
子供を片腕で抱えたまま、岩壁を蹴る。
拳が下を通過。
ザインは着地すると再び走った。
横穴。
先ほど通った場所より高い位置にある。
怪物の巨体では入れない。
ザインはそこへ子供を降ろした。
「ここにいろ」
子供がザインの服を掴む。
「お兄さんは?」
ザインはその手を見る。
「俺?」
剣を抜く。
怪物を見る。
「ちょっとあいつ片付けてくる」
「でも……」
ザインが子供を見る。
「大丈夫だ」
ほんの少し笑う。
「仲間も、お前の仲間を助けに行ってる」
子供の目が大きくなる。
「ほんと?」
「ああ」
ザインは前を向いた。
「だから待ってろ」
怪物へ歩き出す。
「すぐ終わらせる」
怪物がザインを見つける。
咆哮。
ザインは剣を肩へ担いだ。
「さて」
一歩。
「続きやろうぜ」
怪物が走る。
ザインも走った。
激突。
拳を避ける。
ザインの剣が腕を斬る。
浅い。
もう一撃。
同じ場所。
怪物が振り払う。
ザインは後方へ跳ぶ。
「やっぱそこだな」
硬い。
だが無傷ではない。
同じ箇所へ攻撃を集中すれば通る。
怪物が魔法を放つ。
ザインは横へ。
着弾。
爆発。
煙。
ザインが煙の中から飛び出す。
怪物の懐。
「そこ!」
剣を振るう。
脚。
怪物の身体が傾く。
ザインが回る。
もう一撃。
怪物が膝をついた。
「グッ……!」
ザインが剣を振り上げる。
首。
これで終わる。
踏み込んだ。
その時。
怪物が右腕を振り上げた。
ザインへの迎撃。
ザインはそのまま行く。
間に合う。
先に首を――
怪物の右腕が止まった。
「……?」
ザインの剣も止まる。
怪物が震えている。
右腕を。
左手が掴んでいた。
自分自身で。
「……お前」
怪物の身体が痙攣する。
ザインを殴ろうとする右腕。
それを必死に止める左腕。
喉から音が漏れる。
「ァ……ァ……」
言葉ではない。
だが。
ザインには分かった。
「……まだいるのか」
怪物の目がザインを見る。
ほんの一瞬。
さっきまでの獣性が消えた。
苦しそうな目。
ザインの剣が下がる。
「……」
怪物が震える。
だが次の瞬間。
目が変わった。
「グァァァァァ!!」
左手が弾かれる。
右腕がザインへ。
ザインは後方へ跳んだ。
拳が地面を砕く。
「……そうかよ」
ザインは剣を握り直した。
怪物が再び立ち上がる。
ザインを見る。
ザインはもう迷わなかった。
「悪かったな」
怪物が走る。
ザインも踏み込む。
「もっと早く気付いてやれなくて」
拳。
ザインは身体を沈める。
紙一重。
怪物の横を抜ける。
ザインの剣が走った。
怪物の身体が止まる。
「……」
ザインは背を向けたまま剣を振る。
刃についた血が地面へ落ちた。
背後。
巨体が崩れ落ちる。
静かになった。
ザインは振り返った。
怪物はもう動かない。
右耳の欠けた獣人。
町で待っている家族がいる。
ザインはしばらく見つめていた。
「……ごめんな」
剣を鞘へ戻す。
「助けられなかった」
返事はない。
ザインは踵を返した。
「お兄さん!」
声。
ザインが顔を上げる。
横穴から小さな魔物が顔を出している。
「終わった?」
「ああ」
ザインが近づく。
「終わった」
子供が少し笑った。
その時。
奥から足音。
ザインが振り返る。
「副団長!」
リナ。
その後ろからジグ、ガレス、ダリオ。
レグルス。
そして――
大勢の獣人たち。
歩ける者。
肩を借りている者。
意識を失い、背負われている者。
それでも。
生きている。
ザインが息を吐いた。
「……やったか」
ジグが頷く。
「確認できた生存者は全員救出しました」
「教団員は?」
「抵抗した者は制圧。数名、生け捕りにしています」
「そうか」
ザインの肩から僅かに力が抜けた。
横から小さな魔物が出てくる。
「……みんな」
救出された獣人たちが止まった。
魔物を見る。
警戒。
困惑。
その中で。
一人の女性が口元を押さえた。
「……あなた」
子供が女性を見る。
「……!」
顔が明るくなる。
「おばちゃん!」
女性の目から涙が溢れた。
「まさか……」
子供が周囲を見る。
たくさんの獣人。
助かった。
本当に。
助かった。
「よかった……」
小さな魔物が笑った。
「みんな……助かったんだ」
ザインはその横顔を見る。
「お前のおかげだ」
子供がザインを見る。
「僕の?」
「ああ」
ザインが軽く頭へ手を置く。
「お前が教えてくれたからな」
子供が嬉しそうに目を細めた。
「……よかった」
その瞬間。
子供の身体が僅かに揺れた。
「……?」
ザインが見る。
「どうした?」
「うぇ……」
子供が腹を押さえる。
「おい?」
「なんか……変……」
膝をついた。
ザインがしゃがむ。
「大丈夫か?」
「副団長?」
リナがこちらを見る。
ザインが子供へ手を伸ばす。
「おい。どこが――」
リナの表情が変わった。
「……え?」
魔力。
子供の身体の中。
急激に膨張している。
あり得ない速度で。
「副団長!」
ザインが振り返る。
「その子から離れてください!!」
「は?」
「早く!!」
ザインが子供を見る。
子供自身も何が起きているのか分かっていない。
身体が震えている。
「お、お兄さん……」
「大丈夫だ。落ち着け」
ザインが手を伸ばす。
「おにい……ちゃん……」
光。
ザインの目が見開かれた。
「――ッ!」
爆音。
衝撃。
ザインの身体が吹き飛んだ。
「副団長!!」
岩壁へ叩きつけられる。
煙が洞窟内を覆った。
耳鳴り。
何も聞こえない。
「……っ」
ザインが身体を起こす。
視界が揺れる。
腕から血が流れている。
そんなことはどうでもいい。
ザインは前を見る。
「……おい」
煙。
「おい……」
立ち上がる。
足元がふらつく。
それでも歩く。
「……おい」
煙が晴れていく。
ザインの足が止まった。
「……」
何も言わない。
ただ。
立っていた。
リナも動けなかった。
ガレスの笑顔は消えている。
ダリオは俯いた。
ジグも何も言わない。
レグルスは拳を強く握っていた。
救出された獣人たちから、すすり泣く声が聞こえた。
ザインは動かない。
さっきまで。
ここにいた。
喋っていた。
笑っていた。
『よかった……』
ザインが目を閉じた。
「……」
しばらくして。
踵を返した。
「ジグ」
声が低い。
「……はい」
「資料」
「可能な限り回収しています」
「全部持ってけ」
「了解」
ザインは歩く。
「捕まえた奴らもだ」
「はい」
レグルスがザインを見る。
「ザイン……」
ザインは止まらない。
「……帰るぞ」
誰も返事をしなかった。
ザインが振り返る。
疲れていた。
身体ではない。
その顔には、いつもの軽さがなかった。
「……とりあえず、国に帰るぞ」
ジグが静かに頷いた。
「了解しました」
ザインは洞窟の出口へ向かう。
誰も喋らない。
ガレスも。
ダリオも。
リナも。
レグルスも。
その後ろを、救出された獣人たちがついていく。
洞窟を出る直前。
ザインは一度だけ振り返った。
暗い洞窟。
そこに残された二つの命。
ザインは何も言わなかった。
前を向く。
そして。
救出した獣人たちを連れ、ザインたちは獣王都への帰路についた。
救出には成功しました。
ですが、全てを救うことはできませんでした。
「みんなを助けて」と頼んだ小さな命。
そして、最後まで自分自身に抗っていた獣人。
教団が行っている実験の残酷さを、ザインたちは改めて目の当たりにすることになりました。
救出した獣人たちを連れ、一行は獣王都へ戻ります。
次回、獣王国での一件はひとまず決着へ。
しかし、ザインたちに休息の時間は――。
次回もよろしくお願いします。




