炎の少女
第3話です。
今回から新キャラクターが登場します。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
立ち上る炎は、森のどこからでも見えるほど大きかった。
「おぉ……」
ザインは木の枝を軽く蹴り、次の枝へと飛び移る。風を切る音と葉が揺れる音、それらに混じって、遠くから爆発音が響いてきた。
「派手だなぁ」
試験が始まってから、まだそれほど時間は経っていない。それなのに、あれほどの魔法を放つ受験生がいるとは思わなかった。
「どんな人なんだろ」
ただの興味本位。それだけの理由で、ザインは火柱の方向へと進んでいく。
やがて、焦げ臭い匂いが鼻をついた。焼け焦げた木々、黒く炭化した地面、倒れた魔物の死骸――そのどれもが、一撃で焼き払われたように見える。
「森の人に怒られそうだなぁ」
そんな呑気な感想を漏らしながら、最後の一本を飛び越えると、視界が一気に開けた。
大きな広場だ。その中央では、一体の巨大な魔物が咆哮を上げていた。全長は三メートルを超え、漆黒の毛並みを持つ狼型の魔物。肩には岩のような突起が連なり、一本一本の牙は剣ほどの長さを持っている。
「おぉ……でか」
その巨体と対峙しているのは、一人の少女だった。長い金髪が、炎の光を受けて揺れている。杖を掲げると、周囲の空気がびりびりと震えた。
次の瞬間、無数の炎槍が空中に生まれる。
「──穿て」
放たれた炎槍が一斉に魔物へ襲いかかり、轟音と爆炎の中、巨体が大きく吹き飛んだ。それでも魔物は倒れない。煙の中から咆哮を上げ、再び少女へ突進していく。
「へぇ」
ザインは木の枝に腰掛けたまま、その光景を眺めていた。
「強いな」
魔法の威力も、詠唱速度も、判断の速さも、どれを取っても一流だった。それでも、あの魔物はしぶとい。
「俺なら斬るかな」
ぼそりと呟く。
少女は再び杖を構える。
その時だった。
「……ん?」
違和感を覚えた。少女でもない、魔物でもない――広場を囲む木々の、その一角だけ鳥が飛び立たない。葉の揺れ方も、どこか不自然だった。
視線をずらす。また一人。さらに反対側にもう一人。数えれば、全部で五人。全員が身を伏せ、少女だけをじっと見ている。
「……」
あれは魔物を見る目じゃない。獲物を見る目だ。
ザインは静かに立ち上がった。
「ありゃ、魔物狙いじゃないな」
少女はまだ気付いていない。視線は、巨大な魔物だけに向いたままだ。それも当然だろう。あれほどの相手を前にして、周囲まで警戒し続けるのは簡単なことではない。
その瞬間、魔物が大きく飛び上がった。少女も迎え撃つために魔力を練り始める。
「今だ」
小さな声とともに、五つの影が同時に飛び出した。前、左右、そして背後――完全な包囲だった。
「……あー」
ザインは頭を掻いた。
「それはずるいな」
枝を蹴る。一直線に、風を裂きながら落下していく。
少女の背後へ迫る一人が、剣を振り下ろす。
だが。
──ギィンッ!!
鋭い金属音とともに、その剣が止められた。
「なっ!?」
いつの間にか、黒髪の少年が少女の前に立っていた。片手で剣を受け止め、そのまま弾き返す。暗殺者が慌てて距離を取り、残る四人も動きを止めた。
少女が驚いたように振り返る。
「あなた……」
ザインは剣を肩に担いだ。
「大丈夫?」
その一言に、少女は眉をひそめた。
「何勝手なことしてるの」
冷たい声だった。
「助けなんて頼んでない」
ザインは少しだけ目を丸くすると、
「そっか」
とだけ答えた。その様子に、少女は一瞬だけ拍子抜けしたような表情を浮かべる。だが、その隙を逃す相手ではなかった。
「二人まとめて殺せ!」
暗殺者たちが再び動き出す。五人分の殺気が、一斉に二人へと向けられた。
ザインは剣を握り直し、小さく息を吐く。
「さて」
「ちょっと忙しくなりそうだ」
五人の暗殺者が一斉に動き出す。前方から二人、左右から一人ずつ、そして最後尾には短杖を構えた魔法使いが控えていた。
「囲め!」
掛け声と同時に、火球が放たれる。
ザインは地面を蹴った。一つ目を紙一重でかわし、二つ目を剣で弾き、三つ目は身を沈めてやり過ごす。その間にも、正面、右、左と剣が休みなく襲いかかり、息をつく暇もない。
「へぇ……」
ザインは思わず笑った。
「ちゃんと強い」
先ほど襲ってきた三人組とは比べ物にならない。連携も、間合いも、狙いも洗練されている。だからこそ、面白い。
剣を受け流し、その勢いのまま相手の腹を蹴り飛ばす。もう一人の剣を柄で逸らし、肘を打ち込んだ。だが、倒し切る前に次の攻撃が来る。数が多い。
「今だ!」
魔法使いの声とともに、三つの火球が一直線に飛んでくる。ザインは前へ踏み込んで一つをかわし、二つ目を斬り、三つ目を避けるために身体を捻った。
その一瞬だった。
死角から、音もなく一人の男が懐へ潜り込んでくる。小刀が閃いた。
――ドスッ。
腹部に鋭い痛みが走る。男が笑った。
「よし」
「あとは女だ」
興味を失ったように、小刀を引き抜こうとする。
しかし。
「……ん?」
抜けない。男は眉をひそめ、もう一度力を込めた。それでも動かない。
「何だ……?」
ザインがゆっくりと顔を上げる。
「まだ……」
静かな声だった。
「終わってねーぞ」
男の表情が凍りついた。
「なっ──」
ザインは顔をしかめる。
「いてぇーな」
左手が男の手首を掴んだ。逃げられない。
「離せ!」
「無理」
一閃。銀色の軌跡が走り、袈裟斬りが男を吹き飛ばす。男はそのまま地面を転がり、動かなくなった。
ザインは腹に刺さったままの小刀をちらりと見た。
「……あとで抜くか」
そう呟き、再び剣を構える。
「一人」
残る四人の暗殺者たちの顔から、余裕が消えていた。
「馬鹿な……」
「刺したぞ!」
「何で動ける!」
ザインは肩をすくめる。
「痛いものは痛いよ」
「でも、終わってない」
その頃、イリスもまた大型の魔物と距離を取っていた。肩で息をしながら、ちらりとザインの方を見る。
(刺された……)
(なのに戦ってる……)
一瞬だけ、思考が止まった。その隙を魔物は見逃さない。巨腕が振り下ろされる。
「っ!」
炎の壁を展開する。轟音とともに、衝撃が全身を揺らした。押し切られる。このままでは魔力が尽きる。
ザインは魔物とイリスを見比べながら叫んだ。
「さっきの炎、もう一回撃てる?」
イリスは視線を外さずに答える。
「無理」
「今は魔力が足りない」
「時間が必要」
「どれくらい?」
「三十秒」
ザインは苦笑した。
「結構長いね」
イリスは少しだけ眉をひそめる。
「口を閉じて、早く行きなさい」
ザインは肩をすくめた。
「はいはい」
剣を握り直す。
「撃てるようになったら合図ちょうだい」
そう言い残し、残る四人の暗殺者へ向かって駆け出した。
四人もまた、剣を構え直した。先ほどまでの余裕はもうない。目の前の少年は、常識では測れない――ならば、四人がかりで殺すしかなかった。
森に、再び剣戟の音が鳴り響く。
数は四人に減っていたが、それでも連携は崩れない。一人が正面から斬り込み、一人が死角へ回る。残る二人は魔法と牽制で逃げ道を塞いでいく。
ザインは剣を振るい、斬撃を受け流す。火球が頬を掠めた。熱い。だが、まだ浅い。
「囲め!」
「逃がすな!」
四人が同時に踏み込んでくる。ザインは身体を沈め、一人の懐へ潜り込んで柄で鳩尾を打った。振り返りざま、もう一人の剣を受け流す。
倒す必要はない。今は――時間だ。それだけ稼げばいい。
その時だった。背中に熱を感じる。振り返らなくても分かる。イリスだ。
空気が震え始めた。魔力が周囲へ溢れ出し、地面の小石が音を立てて浮き上がっていく。
「まずい!」
暗殺者の一人が叫んだ。
「止めろ!」
二人がイリスへ向かって駆け出す。
「悪い」
ザインが進路へ滑り込んだ。剣を一閃、さらに二撃。二人は前へ出られない。
「どけ!」
「今は無理」
熱気がさらに増していく。ザインも思わず後ろを見た。
イリスの頭上、そこには巨大な爆炎の塊が浮かんでいた。炎は唸りを上げながら渦を巻き、周囲の木々を焦がしていく。
「おお……」
思わず感嘆する。そして。
「……ん?」
炎の塊。自分。炎の塊。自分。
「これって……」
一拍置いて。
「ここにいたら俺もやばくね?」
イリスがゆっくりと目を開く。ザインへ視線を向け、小さく頷いた。それが合図だった。
「こりゃ、まずいっ!」
ザインは目の前の暗殺者の胸を思い切り蹴り飛ばす。
「ぐあっ!」
男は仲間を巻き込みながら吹き飛んだ。ザインは踵を返し、全力で駆け出す。
「待──」
暗殺者の声は、途中で掻き消えた。
「──燃えなさい」
イリスが静かに呟く。
直後、轟音とともに巨大な爆炎が地面へ降り注いだ。世界が赤く染まり、爆風が森を薙ぎ払って木々を焼き尽くす。地面は砕け、爆心地には巨大なクレーターだけが残った。
静寂。焦げた匂いだけが、風に乗って漂っている。
ザインは少し離れた場所で立ち止まり、その光景を眺めていた。
「流石に凄いな」
素直な感想だった。イリスが歩み寄ってくる。ザインの姿を見つけると、口元をふっと緩めた。
「あら」
「生きてたの」
「危なかったよ」
ザインは苦笑する。
「まさか俺ごと吹き飛ばすとは思わなかった」
イリスはにっこりと微笑んだ。
「一応、合図は出したつもり」
「失礼」
ザインは肩をすくめる。
「嫌な奴だね」
イリスは笑みを崩さない。
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
「やれやれ」
ザインが苦笑した、その時。イリスの視線が腹部へ落ちた。
「……その傷」
「ああ、これ?」
ザインも自分の腹を見る。小刀はまだ刺さったままだった。
「あとで抜こうかと」
イリスは小さくため息をつく。
「今、応急処置くらいはしておきなさい」
「後で倒れられたりしたら迷惑だわ」
ザインは一瞬だけイリスを見て、素直に頷いた。
「了解」
腰のポーチから包帯を取り出し、小刀を一気に引き抜く。
「っ……!」
血が溢れた。すぐに布を押し当て、手際よく腹へ巻き付けていく。その様子を見ながら、イリスがぽつりと呟いた。
「慣れてるのね」
「魔物狩りしてると、たまにね」
包帯を締め終え、ザインは軽く身体を動かす。
「よし」
「これで大丈夫」
「本当に?」
「多分」
「……その『多分』が不安なんだけど」
ザインは笑った。
「死なないよ」
イリスは呆れたように息を吐く。
「変な人」
「よく言われる」
少しの沈黙のあと、やがてイリスが口を開いた。
「私はイリス」
「ザイン」
短い自己紹介。それだけで、十分だった。
イリスは森の奥へ目を向ける。
「この試験が終わるまで」
「一時的に手を組まない?」
ザインは迷うことなく頷いた。
「いいよ」
「即答なのね」
「強い人と一緒の方が楽だから」
イリスは少しだけ笑う。
「……正直ね」
「利害は一致してる」
「じゃあ、よろしく」
二人は並んで歩き出した。まだ仲間ではない。互いを深く知っているわけでもない。それでも――この試験を生き残るという、たった一つの目的のために。
二人は、一時的な同盟を結んだ。
第3話を読んでいただき、ありがとうございました。
イリスとの出会い、いかがでしたでしょうか。
ここから二人は試験を通して少しずつ距離を縮めていきます。恋愛よりも、まずは「相棒」と呼べる関係になっていく過程を楽しんでいただけたら嬉しいです。
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それでは、第4話でお会いしましょう。




