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剣しか持ちえない少年の英雄譚  作者: 喜怒哀楽
イリス奪還編
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力の境界

己の身体に隠された力を知ったザイン。


だが、力は知るだけでは意味がない。


イリスの婚姻まで、あと十日。


残された時間の中で、ザインは初めてその力を自らの意思で掴もうとする。

――イリスの婚姻まで、あと十日。


「……何も感じない」


ザインは目を閉じたまま呟いた。


「わしから見ても何も変わっとらん」


少し離れた場所で、老人がゴーグル越しにザインを観察している。


昨日、ザインは初めて自分の身体の正体を知った。魔力を生み出す器官を持たない代わりに、全身の皮膚から、大気中の魔素を直接取り込んでいる。それがザインの異常な身体能力を生み出している。ならば、意識的に魔素を取り込めるようになれば、今よりも強くなれるかもしれない。そう考えたザインは、朝から老人の家を訪れていた。


「もう一度やります」


「好きにせい」


ザインは再び目を閉じる。魔素。それが大気中に存在していることは理解した。だが、見えない。感じない。ましてや、どうやって取り込めばいいのかなど分かるはずもない。


「……。」


意識する。魔素を、身体へ。


「……今は?」


「変わっとらん」


「……。」


もう一度。


「……。」


「変化なしじゃ」


「……難しいな」


「当たり前じゃ」


老人が椅子へ腰掛ける。


「昨日知ったばかりのものを、今日から自在に扱えたら苦労せん」


「それもそうですね」


ザインは、その場へ座り込んだ。


「そもそも」


老人が言う。


「お主は何をしようとしておる?」


「魔素を取り込もうとしてます」


「どうやって?」


「……。」


ザインは答えられなかった。


「分からないものを、分からない方法で取り込もうとしておる」


「……確かに」


「まずは自分の身体が何をしておるのか知ることじゃ」


その言葉に、ザインは顔を上げた。


『己の身体を知れ』


「……。」


あの男。


『身体を動かす時に意識しろ』


『無意識にやってのけることを、当たり前と思うな』


『細胞一つ一つを意識しろ』


「……そういうことか」


「なんじゃ?」


「いや」


ザインが立ち上がる。


「少し、やり方を変えてみます」


     ◇


剣を握る。


「……。」


振る。いつもなら、ただそれだけ。だが、今日は違う。指。剣を握る。手首。角度を固定する。腕。肩。腰。脚。足裏。


「……。」


もう一度。ゆっくり。剣を振る。足で地面を捉える。脚へ力を込める。腰を回す。肩。腕。手首。そして、剣先へ力を伝える。


「……。」


何度も、何度も繰り返す。今まで一つの動作として行っていたことを、一つずつ分ける。理解する。意識する。


「……。」


やがて、ザインは剣を置いた。目を閉じる。呼吸。息を吸う。吐く。胸が動く。心臓。一定の間隔で、鼓動を刻んでいる。そこから、さらに外へ。腕。脚。背中。顔。指先。そして――皮膚。


「……。」


何か、ある。気がした。ザインの眉が、僅かに動く。今まで一度も意識したことがなかった。全身。皮膚の奥。そこに、無数の、小さな何か。


「……。」


ザインが、そこへ意識を向ける。ほんの少し、開くように。


「――おい」


老人の声。ザインが目を開ける。


「今、何をした?」


「……身体を意識してました」


「その最後じゃ」


「皮膚に……何かあるような感じがして」


「……。」


「そこを少し、開くように意識しました」


老人が、ゴーグルを押さえる。


「もう一度やれ」


「はい」


ザインが目を閉じる。呼吸。鼓動。身体。皮膚。そして、あの感覚。


「……。」


開く。ほんの少し。


「……!」


老人の目が見開かれる。ゴーグル越し、ザインの周囲を漂っていた魔素が、僅かに、その身体へ向かって流れ始めていた。


「……できたぞ」


ザインが目を開ける。


「本当ですか?」


「ああ」


老人がゴーグルを外す。


「ほんの僅かじゃが、明らかに流入量が増えた」


「……。」


ザインが、自分の手を見る。何も、変わった感じはしない。それでも。


「できた……」


ザインの口元に、僅かに笑みが浮かんだ。


     ◇


そこから、ザインの修行が始まった。老人は魔素の流入量と、ザイン自身の感覚を照らし合わせ、目安として、吸収器官の開放度を大まかな割合で呼ぶことにした。


「厳密な数値ではないぞ」


老人がゴーグルを覗きながら言う。


「あくまで、わしの目と勘での目分量じゃ」


「それでも分かるだけ助かります」


「まあな」


一%。変化はほとんどない。三%。僅かに身体が軽くなる。五%のあたりで、力が増していることを、ザイン自身が感じ始めた。


「……。」


剣を振る。風を切る音。昨日までより、僅かに鋭い。


「面白いな」


「遊びではないぞ」


「分かってます」


そして、ザインは、さらに開く。おおよそ十割程度――老人はそう呼んだ。


「……っ」


地面を蹴る。一気に、景色が流れた。


「……!」


ザイン自身が、驚いて足を止める。振り返る。先ほどまで立っていた場所が、想像以上に遠い。


「これくらいで、もうこれか」


「身体に異常は?」


「ありません」


「なら、少し動いてみろ」


ザインが、剣を構える。踏み込む。一閃。


「……。」


速い。明らかに、今までとは違う。もう一度。さらに、もう一度。身体が、思った以上に動く。


「……これなら」


レオンハルト。あの男の姿が、頭に浮かぶ。


「まだじゃ」


「……。」


「今、余計なことを考えたじゃろ」


ザインが老人を見る。


「顔に出てました?」


「分かりやすいわ」


老人が腕を組む。


「力が増えたからといって、扱えるとは限らん」


「……。」


「今のお主を見れば分かる」


ザインは、自分の足元を見る。踏み込んだ場所。地面が、深く抉れていた。


「……確かに」


「身体がお主の感覚を追い越しておる」


老人の言葉に、ザインは頷いた。


     ◇


さらに開く。身体能力が上がる。だが、同時に制御が難しくなる。


「――っ!」


ザインが地面を蹴る。想定していた位置を、大きく通り過ぎる。


「……。」


「行き過ぎじゃ」


「分かってます」


戻る。もう一度。今度は力を抑える。踏み込む。


「……。」


先ほどより、狙った位置へ近い。


「もう一度」


繰り返す。歩く。走る。止まる。跳ぶ。剣を振る。ザインは、強くなることより、まず、その身体を自分のものにすることを覚えていった。


     ◇


そして、修行を始めて数日。


「……このあたりが、二割ってところじゃな」


老人が呟く。ザインは、目を閉じている。皮膚。全身に存在する、無数の入口。それを、さらに僅かに開く。


「……。」


ザインが、目を開ける。


「……。」


身体が、軽い。それでいて、力が溢れている。拳を握る。今までとは、明らかに違う。


「異常は?」


「ないです」


「動いてみろ」


ザインが、剣を抜く。構える。踏み込む。


――轟ッ!


地面が、弾ける。老人の視界から、一瞬、ザインが消えた。次の瞬間、少し離れた場所で、剣が振り抜かれている。


「……。」


ザインが、自分の手を見る。


「これが二割……」


今なら、分かる。以前の自分とは、違う。レオンハルト。あの時、何もできなかった相手。


「……。」


ザインが、再び構える。


「もう少し」


「ザイン」


「少しだけです」


さらに、開く。二割を、僅かに超えたあたりで。


「――っ」


瞬間、ザインの表情が変わった。


「……?」


身体が、重い。先ほどまで、あれほど軽かった身体が、突然、内側から押さえつけられているような、妙な感覚。


「止めろ!」


老人の声。ザインは、すぐに吸収器官を閉じる。


「……っ」


膝へ、手をつく。


「はぁ……」


「どうじゃ?」


「急に……身体が重くなりました」


老人が、ゴーグル越しにザインを見る。


「やはりな」


「……。」


「二割を境に、魔素の流入量が身体の処理能力を上回り始めておる」


「二割が……今の限界」


「正確には、安全に扱える限界じゃ」


老人が、ザインを見る。


「二割を超えた瞬間に死ぬわけではない」


「……。」


「じゃが、そこから先は取り込んだ魔素が少しずつ体内に余り始める」


「そのまま続ければ」


「いずれ身体が耐えられなくなる」


ザインは、自分の手を見る。


「……二割」


今の自分が、安全に扱える、最大。


「……。」


ザインは、ふと、あることを思い出した。


「そういえば」


「なんじゃ?」


「以前、これよりずっと身体が動いたことがあります」


老人が、ザインを見る。


「何?」


「少し前です」


ザインは、洞窟での出来事を話し始めた。崩壊する洞窟。ノア。杖を失った状態で、ザインへ、残った全ての魔力を使って身体強化をかけた。


「その時だけ、今とは比べものにならないくらい身体が動きました」


「……。」


「人を二人抱えていても、ほとんど重さを感じなかった」


老人が、顎へ手を当てる。


「身体強化魔法か……」


「はい」


「その術者は、どれほどの魔力を使った?」


「全部です。魔法を使った直後に倒れました」


「……。」


老人の表情が変わる。


「待て」


「?」


「その場所は洞窟と言ったな」


「はい」


「普通の洞窟か?」


「……いえ」


ザインは、思い返す。


「元々、魔物の住処でした」


「魔物の?」


「かなりの数が生息していたらしいです。ただ、俺たちが入った時には生態系が変わってました」


「……。」


「最下層には地竜もいました」


「地竜?」


「はい」


老人が、ザインを見る。


「他には?」


「魔人と名乗る男がいました」


「……魔人?」


「フィルと名乗ってました」


「……。」


「そいつの魔力はかなり異質で、洞窟にも濃く残っていたみたいです」


「…………。」


老人が、額へ手を当てた。


「お主」


「はい」


「それを先に言わんか」


「……魔素と関係があるんですか?」


「大ありじゃ」


老人が、立ち上がる。


「魔物が大量に生息する場所は、それだけでも周囲より魔素濃度が高くなりやすい」


「……。」


「そこへ地竜」


「そして、その魔人とやらが残した濃密な魔力の残滓」


老人が、ザインを見る。


「お主が今修行している、この村周辺とは条件が違いすぎる」


「……。」


「あの洞窟は、魔素に満ちていた可能性が極めて高い」


「……。」


ザインが、あの時を思い返す。


「でも、それだけであの力が?」


「それだけではない」


老人が、ザインを指す。


「仲間から受けた身体強化魔法じゃ」


「ノアの?」


「ああ」


老人が、机の上にあった紙へ、簡単な図を描く。


「魔素は世界中に存在する」


「空気中に酸素が存在するようにな」


「……。」


「そして、魔法という現象もまた、この世界の中で起きるものじゃ」


「当然、その中にも魔素は存在する」


ザインが、少しずつ、老人の言いたいことを理解する。


「……つまり」


「気付いたか」


「ノアのバフそのものだけじゃない」


ザインが、自分の腕を見る。


「魔法と一緒に存在していた魔素まで、俺は取り込んでいた」


「恐らくな」


老人が頷く。


「それも、術者が全ての魔力を使い切るほどの強力な魔法を、全身へ受けた」


「……。」


「さらに周囲は、ここより遥かに濃い魔素に満ちた環境」


ザインは、黙って聞く。


「身体強化魔法そのものによる強化」


「お主自身が取り込んだ魔素による肉体強化」


「そして」


老人の声が、僅かに低くなる。


「大量の魔素によって活性化した、お主の異常な再生能力」


「……。」


「その全てが」


一拍。


「偶然、同時に作用した」


ザインは、あの時、洞窟を走った感覚を思い出す。ノアとイリスを抱え、崩れていく洞窟を、ただ走った。身体は、異常なほど軽かった。どれだけ地面を蹴っても、疲労が追いついてこなかった。


「……だから」


ザインが呟く。


「あの時だけ……」


「ああ」


老人が頷く。


「お主は、自分でも理解できぬほどの力を出した」


「……。」


「じゃが」


老人の表情が、険しくなる。


「勘違いするな」


ザインが、老人を見る。


「あれは、今のお主が扱える力ではない」


「……。」


「話を聞く限り、あの時のお主は自分の許容量を遥かに超える魔素を取り込んでいた可能性がある」


「でも」


ザインが、自分の身体を見る。


「壊れはしなかった」


「違う」


「……。」


「壊れなかったのではない」


老人が、ザインを真っ直ぐ見る。


「壊れながら、治っていたのかもしれん」


「……!」


「大量の魔素によって肉体が強化される」


「じゃが、許容量を超えた魔素によって身体は傷つく」


「そして同時に」


「その大量の魔素が、お主の再生能力まで異常なほど引き上げる」


ザインの表情が、少しずつ変わっていく。


「壊れる」


「治る」


「また壊れる」


「また治る」


「……。」


「それを繰り返しながら、無理矢理動いていた可能性がある」


老人が、静かに言った。


「お主の身体が耐えていたわけではない」


「……。」


「再生が、破壊に追いついていただけじゃ」


ザインは、しばらく何も言わなかった。


「……危なかったんですね」


「恐らくな」


老人が、深く息を吐く。


「どれほどの魔素を取り込んでいたのかは、今となっては分からん」


「……。」


「じゃが」


老人がザインを見る。


「再現しようなどとは思うな」


「……はい」


ザインは、自分の手を見る。あの時の力。もし、自分の意思で扱うことができたなら。レオンハルトにも、届くかもしれない。


「……。」


「ザイン」


老人の声。


「今、あの力を出したいと思ったじゃろ」


ザインが、老人を見る。


「……少し」


「やめておけ」


老人が即答する。


「お主が目指すべきは、あの時の再現ではない」


「……。」


「力というものは、大きければいいわけではない」


老人が、ザインの胸を指す。


「自分で扱えぬ力など、暴走と変わらん」


「……。」


「まずは」


老人が、二本の指を立てる。


「今、辛うじて扱えているその二割」


「……はい」


「それを完全に己のものにしろ」


ザインが、老人を見る。


「完全に、というのは?」


「今日から」


老人が、当たり前のように言った。


「常にその状態を保ったまま生活しろ」


「……常に、ですか」


「ああ」


「食事をする時もですか」


「そうじゃ」


「歩く時も」


「当然」


「剣を振る時、休む時も」


「言うまでもない」


「……眠っている時は、さすがに無理じゃないですか」


「できるならそれもじゃ」


「……無茶言いますね」


「無茶を言っておるのではない」


老人が、ザインの胸を指す。


「お主は今、その二割を特別な状態だと思っておる」


「……。」


「それをやめろ」


「二割の魔素を処理することを」


「お主の肉体にとっての当たり前にする」


「……。」


「身体というものは環境に適応する」


「高い負荷に晒され続ければ、やがてそれに耐えようと変わっていく」


「ましてや」


老人が、ザインの身体を見る。


「お主には、常人とは比較にならん再生能力がある」


「……。」


「その状態で動く」


「その状態で食う」


「その状態で眠る」


「それを繰り返せ」


「……。」


「やがて」


老人が、ザインを見る。


「身体が覚える」


ザインは、自分の手を見る。


「今の限界を……普通にする」


「そうじゃ」


「そうすれば」


「今は限界を迎える肉体も」


老人が、僅かに笑う。


「その先へ進めるかもしれん」


「……。」


ザインが、拳を握る。皮膚。全身に存在する、無数の入口。そこへ、意識を向ける。少しずつ、開いていく。


「……。」


身体が、一気に変わる。


「このまま……」


「ああ」


老人が頷く。


「生活しろ」


「分かりました」


ザインが、一歩、踏み出す。


――ドンッ!


「……!」


想像以上の勢いで、身体が前へ飛ぶ。ザインは、慌てて足を止めた。老人が、呆れたように見る。


「まずは歩くところからじゃな」


「……そうみたいですね」


ザインが、もう一度、今度は慎重に足を出す。一歩、そして、もう一歩。力を抑える。身体を意識する。自分のものにする。


これまで、ザインは、ただ強くなろうとしていた。剣を振り、身体を鍛え、敵を倒す。だが、今は違う。自分の身体そのものを理解する。制御する。そして、その先へ進む。


イリスの顔が、頭に浮かぶ。


「……待ってろ」


ザインは、ゆっくりと、歩き始めた。


――イリスの婚姻まで、あと七日。


ここまで読んでいただきありがとうございます!


ついにザインが、自分の意思で魔素を取り込むことに成功しました。


そして明らかになった、現在の安全限界――二十%。


洞窟脱出時に見せた異常な力の正体も、少しずつ繋がってきました。


イリスの婚姻まで、あと七日。


残された時間でザインはどこまで強くなれるのか。


次回もよろしくお願いします!

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