己を知れ。
イリスの婚姻まで、残された時間は二週間。
強くなるため、ひたすら剣を振り続けるザイン。
その先で彼は初めて、自分自身の身体に隠されていた力と向き合うことになる。
イリスが連れ戻されてから。
ザインは毎日のように討伐依頼を受けていた。
剣を振る。
魔物を倒す。
帰る。
眠る。
そして翌朝。
また剣を振る。
今までザインが強くなるためにしてきたことは、それだけだった。
だから今回も。
同じことを続けていた。
「……ザイン君」
受付嬢が、カウンター越しにザインを見る。
「昨日も討伐依頼に行ったわよね?」
「うん」
「一昨日も。その前の日も」
「ああ」
「少し休んだら?」
「まだ大丈夫」
「あなたの大丈夫は信用できないのよ」
受付嬢がため息をつく。
ザインは依頼掲示板へ目を向けた。
イリスの婚姻まで二週間。
その限られた時間の中で、少しでも強くならなければならない。
だが。
ザイン自身も感じ始めていた。
――このままで、本当に間に合うのか。
毎日戦っている。
以前よりも剣は速くなっている。
身体も動く。
それでも。
『遅いな』
レオンハルトの声が蘇る。
一度も届かなかった。
何度剣を振っても。
何度立ち上がっても。
相手にすらならなかった。
「……。」
ザインの目が、一枚の依頼書で止まる。
魔物の巣の殲滅。
推奨人数――四名。
ザインはそれを手に取った。
「これにする」
「ちょっと待って」
受付嬢が依頼書を確認する。
「魔物の巣の殲滅依頼じゃない」
「ああ」
「推奨人数四人よ」
「分かってる」
「だったら――」
「今までと同じことをしてても、多分間に合わない」
「……。」
受付嬢が言葉を止めた。
ザインは依頼書を見る。
「少しでも強い相手と戦いたい」
「だからって、一人で行く必要はないでしょう」
「一人でやりたいんだ」
「……。」
「今の自分がどこまでやれるのか、知っておきたい」
ザインの目は。
真剣だった。
受付嬢はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「危険だと思ったら、すぐに撤退すること」
「ああ」
「絶対よ」
「分かってる」
「……無茶しないでね」
「ありがとう」
ザインは依頼書を受け取り。
ギルドを後にした。
◇
街から離れた森。
さらにその奥。
岩肌に、大きな洞穴が口を開けていた。
ザインは依頼書と洞穴を見比べる。
「ここだな」
近隣では、以前から魔物による被害が相次いでいた。
調査の結果。
この洞穴が住処であることが判明。
確認されているだけでも二十体以上。
ザインは剣を抜いた。
「……行こう」
暗闇へ。
一人。
足を踏み入れた。
◇
一体目。
斬る。
横から二体。
踏み込む。
一体の爪を避け、そのまま首元へ剣を走らせる。
返す刃で。
二体目。
「――っ」
背後。
ザインが身体を捻る。
爪が頬を掠めた。
血が飛ぶ。
その腕を斬り上げ。
身体が崩れたところへ剣を突き立てる。
「……次」
暗闇から。
いくつもの唸り声。
ザインは剣を構え直した。
◇
斬る。
避ける。
踏み込む。
斬る。
何度も。
何度も。
繰り返す。
どれほど戦ったのか。
もう数えていない。
「はぁ……はぁ……」
ザインの呼吸が。
少しずつ荒くなっていく。
腕が重い。
脚にも疲労が溜まっている。
身体には。
いくつもの傷。
それでも。
「まだ……」
剣を握る。
暗闇から。
また一体。
ザインへ飛びかかる。
『遅いな』
「――っ!」
剣を振る。
魔物が倒れる。
『後ろだ』
背後から。
ザインへ迫る爪。
身体を沈める。
避ける。
振り返りざま。
一閃。
『力はある』
「……。」
さらに一体。
『速さも悪くない』
「……っ!」
斬る。
『だが――』
最後の一体が。
ザインへ飛びかかる。
「うるさい……!」
踏み込む。
剣が。
魔物の身体を斬り裂いた。
「――っ」
魔物が。
ザインの横を通り過ぎる。
そして。
地面へ倒れた。
「……。」
静寂。
ザインは。
剣を構えたまま。
周囲を見る。
「……終わったか」
もう。
魔物の気配はない。
依頼は。
終わった。
「……。」
ザインが。
剣を下ろす。
腕が。
震えていた。
それでも。
ザインは。
剣を握り直した。
「……まだだ」
誰もいない。
魔物も。
残っていない。
それでも。
剣を振る。
一回。
二回。
三回。
『私に届くには――』
振る。
『少々早すぎるな』
もう一度。
「……っ」
腕が。
悲鳴を上げる。
それでも。
振る。
「まだ……」
一回。
また一回。
剣を振るたび。
レオンハルトが。
頭に浮かぶ。
あの時。
何もできなかった。
イリスを連れていかれるのを。
止められなかった。
「……まだ」
振る。
「もっと……」
振る。
指の感覚が。
薄れていく。
脚が。
震える。
「強く……」
剣を振り上げる。
「ならないと……」
振り下ろす。
「……イリスを」
再び。
剣を持ち上げようとする。
だが。
腕が。
動かなかった。
カラン――。
剣が。
地面へ落ちる。
「……っ」
膝が。
落ちる。
ザインは。
剣へ手を伸ばした。
「まだ……」
指先が。
届かない。
視界が。
暗くなっていく。
「……くそ」
そのまま。
ザインの意識は。
途切れた。
◇
「……。」
暗い。
何も。
見えない。
「……?」
ザインが。
目を開ける。
そこには。
何もなかった。
地面すら。
あるのか分からない。
身体の痛みも。
消えている。
「……ここは」
ザインが。
周囲を見る。
夢なのか。
現実なのか。
それすら。
分からない。
「――お前はまだ、力を知らない」
「……!」
ザインが振り返る。
一人の男が。
立っていた。
顔は。
見えない。
「誰だ?」
男は。
答えない。
「お前は」
一方的に。
言葉を続ける。
「己の肉体について、何も知らない」
「……俺の身体?」
「身体を動かす時に意識しろ」
男が。
一歩。
近づく。
「腕を上げる」
「足を踏み出す」
「剣を握る」
「地を蹴る」
ザインは。
黙って男を見る。
「お前は、その全てを無意識に行っている」
「……。」
「無意識にやってのけることを、当たり前と思うな」
ザインが。
自分の手を見る。
「己の身体を知れ」
「……何を意識すればいい」
「全てだ」
男の声が。
暗闇へ響く。
「血」
「骨」
「筋肉」
「呼吸」
「鼓動」
「そして――」
男が。
ザインを指差す。
「細胞一つ一つを意識しろ」
「……。」
「お前の身体が」
「何をしているのか」
「何を使っているのか」
「何を巡らせているのか」
「その全てを知れ」
「……。」
ザインが。
男を見る。
「それが、俺の力に繋がるのか?」
男は。
答えなかった。
その身体が。
少しずつ。
暗闇へ溶けていく。
「待ってくれ」
「目を覚ませ」
「……!」
「そして」
男の姿が。
消えていく。
「己を知れ」
「あなたは――」
「ザイン」
「……!」
初めて。
名前を呼ばれた。
「なぜ俺の名前を――」
男は。
消えた。
暗闇だけが。
残る。
「……。」
そして。
世界が。
崩れた。
◇
「――っ!」
ザインが。
目を開ける。
「……。」
洞穴。
倒れた魔物。
地面に転がった剣。
「……夢?」
身体を起こそうとする。
「っ……」
全身が。
痛む。
ザインは。
しばらく地面に座ったまま。
自分の手を見る。
『無意識にやってのけることを、当たり前と思うな』
「……。」
指を。
一本。
動かす。
握る。
開く。
『己の身体を知れ』
「……何だったんだ」
夢だったのかもしれない。
疲労で。
変なものを見ただけなのかもしれない。
それでも。
男の言葉だけは。
妙に。
頭に残っていた。
◇
しばらく休み。
ザインは。
洞穴を出た。
ギルドまで戻るには距離がある。
既に日は傾き始めていた。
この身体で。
街まで戻るのは得策ではない。
ザインは。
近くにある村へ向かうことにした。
「……。」
村へ向かって歩きながら。
ザインは。
自分の身体を見る。
不思議だった。
目を覚ました直後より。
明らかに。
身体が動く。
傷の痛みも。
少しずつ引いている。
いつものこと。
ザインは。
そう思いかけて。
足を止めた。
『当たり前と思うな』
「……。」
頬へ触れる。
魔物に。
爪で切られた場所。
既に。
血は止まっている。
「……確かに」
今まで。
疑問に思ったことはなかった。
自分は。
こういう身体だから。
それだけ。
「……。」
ザインは。
再び歩き始めた。
◇
村へ着く頃には。
日が沈み始めていた。
ザインは。
宿を探しながら。
村の道を歩いていた。
その時。
「――そこの若者」
声をかけられた。
ザインが。
足を止める。
一人の老人が。
こちらを見ていた。
目には。
奇妙なゴーグル。
「……俺ですか?」
「ああ」
老人が。
ザインへ近づいてくる。
「少し、そこに立っていてくれ」
「……?」
ザインは。
言われた通り。
その場に立つ。
老人は。
ザイン本人ではなく。
その周囲を見ている。
「……やはり」
老人が。
ゴーグルへ手を添える。
「なんじゃ、この流れは……」
「何か?」
「お主」
老人が。
ザインを見る。
「魔力は持っておるか?」
「いえ。全く」
「……そうか」
老人の表情が。
変わる。
「ならば、なおさら妙じゃ」
「……?」
「わしは長年、魔素について研究しておる」
老人が。
ゴーグルを指す。
「これは、大気中に存在する魔素を視覚的に観測するために開発したものじゃ」
「魔素を……」
「ああ」
老人が。
再びザインの周囲を見る。
「これを使って村を歩いておったところ、お主の周囲だけ妙な流れが見えた」
「妙な流れ?」
「周囲の魔素が」
老人が。
ザインを指す。
「お主へ向かって流れておる」
「……。」
ザインの表情が。
僅かに変わった。
『お前の身体が』
『何をしているのか』
『何を使っているのか』
『何を巡らせているのか』
「……。」
「どうした?」
「いえ」
ザインが。
老人を見る。
「詳しく調べることはできますか?」
「……ほう」
「俺も、自分の身体について知りたい」
老人が。
ザインを見つめる。
やがて。
「ついて来い」
そう言って。
歩き始めた。
◇
老人の家には。
ザインが見たこともない道具が。
いくつも並んでいた。
「魔素の研究を?」
「ああ」
「長いんですか?」
「もう何十年になるかのう」
老人は。
いくつもの器具を使いながら。
ザインの身体を調べていく。
腕。
胸。
背中。
そして。
ゴーグルを通して。
何度も。
魔素の流れを確認する。
「……。」
「何か分かりましたか?」
「少しな」
老人が。
椅子へ座る。
「結論から言おう」
ザインも。
向かいの椅子へ座った。
「お主の身体は」
老人が。
ザインを見る。
「普通の人間とは、構造そのものが違う可能性がある」
「……構造」
「ああ」
老人が。
紙へ簡単な図を描く。
「通常、人間の体内には魔力を生み出し、それを全身へ送るための特殊な器官が存在する」
「……。」
「そこで生み出された魔力は身体を巡り、詠唱によって魔法という現象へ変換される」
「ですが、俺にはそれがない」
「その可能性が高い」
老人が頷く。
「お主の魔力が完全にゼロなのも、それなら説明がつく」
「……。」
「じゃが」
老人が。
ザインの腕を指す。
「その代わり」
「?」
「お主の全身の皮膚には、通常の人間には存在しない構造があるようじゃ」
ザインが。
自分の腕を見る。
「詳しくは分からん。肉眼で確認できるほどのものでもない」
老人が。
ゴーグルを手に取る。
「じゃが、魔素の流れを追う限り――」
「……。」
「毛細血管よりも遥かに細い、魔素を取り込むための管のようなものが全身に張り巡らされている」
「……。」
ザインが。
静かに自分の腕を見る。
「それが、外の魔素を俺の身体に?」
「そう考えるのが自然じゃ」
老人が頷く。
「お主の周囲の魔素は、その管を通じて絶えず体内へ取り込まれている」
「魔力にはならない」
「ああ」
「そのまま、身体へ流れている」
「そうじゃ」
「……。」
ザインは。
少し考える。
「だから俺は、魔力がなくても身体だけは強かった」
老人の目が。
僅かに細くなる。
「恐らくな」
老人が続ける。
「取り込まれた魔素は、お主の骨、筋肉、皮膚、内臓――あらゆる組織を常人より遥かに強靭なものにしていると考えられる」
「……。」
「骨や筋肉そのものが高密度化している可能性もある。だからこそ、強い衝撃にも耐えられる」
ザインは。
レオンハルトに。
壁を突き破るほど蹴り飛ばされた時を思い出す。
普通なら。
あれだけでは。
済まなかったのかもしれない。
「それだけではない」
老人が続ける。
「お主の身体は、疲労の蓄積も極端に少ないようじゃ」
「……確かに、長く動くのは昔から得意です」
「運動によって生じる疲労の原因そのものを抑えているのか。あるいは、発生したものを異常な速度で処理しているのか」
老人が。
ザインを見る。
「そこまでは分からん」
「……。」
「そして、最も異常なのが」
老人が。
ザインの頬を見る。
「回復速度じゃ」
魔物の爪が。
ザインの頬を切った。
だが。
既に。
ほとんど傷は塞がっている。
「昔、骨を折ったことがあります」
「どれほどで治った?」
「次の日には、ほとんど痛みもなくなってました」
「……やはりな」
「これも魔素の影響ですか?」
「可能性は極めて高い」
老人が。
ザインの腕を見る。
「取り込まれた魔素によって、お主の細胞は常人とは比較にならん速度で修復されているのかもしれん」
「……細胞」
ザインの目が。
僅かに見開かれる。
『細胞一つ一つを意識しろ』
「……。」
繋がった。
あの男が。
何を伝えようとしていたのか。
ザインには。
少しだけ。
分かった気がした。
『無意識にやってのけることを、当たり前と思うな』
力が強い。
身体が頑丈。
疲れにくい。
傷が早く治る。
全部。
当たり前だと思っていた。
自分は。
そういう人間なのだと。
それだけだった。
だが。
違った。
自分の知らないところで。
自分の身体は。
ずっと。
何かをしていた。
「……。」
ザインが。
自分の手を見る。
そして。
老人へ視線を戻す。
「今、俺は無意識に魔素を取り込んでいるんですよね」
「そう考えている」
「なら」
ザインが。
自分の拳を握る。
「意識的に取り込む量を増やすことができれば」
老人の表情が。
変わった。
「今以上に、身体を強化できる可能性がある」
「……。」
老人は。
すぐには答えなかった。
やがて。
ゆっくりと頷く。
「理屈だけで言えばな」
「……。」
「じゃが」
老人の声が。
低くなる。
「絶対に試すな」
「……なぜですか」
「お主の身体が、今どれほどの魔素を取り込んでいるのか」
老人が。
ザインを見る。
「そして、どれほどまで耐えられるのか」
「……。」
「わしにも分からん」
老人が。
ザインの胸を指す。
「今のお主は無意識に魔素を取り込んでいる」
「はい」
「ならば身体そのものが、自らに必要な量を調節している可能性が高い」
「……。」
「そこへ意識的に魔素を流し込み」
「身体が処理できる許容量を超えたらどうなると思う?」
ザインは。
少し考える。
「……行き場がなくなる」
「そうじゃ」
老人が。
真剣な目でザインを見る。
「行き場を失った魔素は、お主の内側に溢れる」
「……。」
「それが何を引き起こすかは分からん」
一拍。
「じゃが最悪の場合」
老人は。
はっきりと言った。
「お主の肉体は、内側から自壊する」
「……。」
「筋肉も」
「骨も」
「内臓も」
「魔素の圧力に耐えられず、破壊される可能性がある」
ザインは。
黙って聞いていた。
「お主の身体は確かに異常なほど強い」
「……。」
「じゃが」
老人が。
ザインを見る。
「無限ではない」
その言葉を。
ザインは。
静かに受け止める。
「……分かりました」
「なら、無茶はするな」
「はい」
「……。」
老人は。
しばらくザインを見る。
「本当に分かっておるのか?」
ザインが。
僅かに笑う。
「危険なのは分かりました」
「……。」
「でも」
自分の手を見る。
「初めて、自分がどうやって強くなればいいのか」
拳を。
ゆっくりと握る。
「分かった気がします」
「……。」
老人は。
何も答えなかった。
ザインは。
自分の身体へ。
意識を向ける。
指。
手のひら。
手首。
腕。
肩。
呼吸。
鼓動。
そのさらに奥。
今まで。
一度も意識したことのない場所へ。
『己の身体を知れ』
「……。」
まだ。
何も感じない。
それでも。
進むべき方向は。
見えた。
強くなるために。
ただ。
剣を振るだけではない。
自分が。
生まれた時から持っていたもの。
その正体を知り。
使いこなす。
イリスの婚姻まで。
残された時間は。
あと僅か。
ザインは。
初めて。
自分自身という力と。
向き合い始めた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
ついにザインの異常な身体能力の秘密が少しずつ明らかになってきました。
魔力を持たないザインの身体は、一体どこまで強くなれるのか。
そして残された時間で、レオンハルトに届くことができるのか。
次回もよろしくお願いします!




