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剣しか持ちえない少年の英雄譚  作者: 喜怒哀楽
イリス奪還編
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一つだけ

ザインの前に立ちはだかるヴァルド。


いくつもの印によって剣も身体も動かされ、次に何が起こるのかすら読めない戦いが続きます。


一方、イリスとリナもまた、分身体を追うためセヴェルの水膜を突破しようとします。


剣が、横へ跳ねた。


ザインがヴァルドの首へ放った斬撃は、触れる寸前で軌道を変え、王の間に立つ柱へ引かれていく。


剣の腹に残された印。


柱へ刻まれている、同じ形の印。


二つが淡く浮かび上がっていた。


ザインは剣を握る腕へ力を込め、刃が柱へ叩きつけられる前に踏み込んだ。


引かれる勢いへ逆らわず、一気に距離を詰める。


「おっ」


ヴァルドが嬉しそうに声を漏らした。


横薙ぎの刃を仰け反ってかわし、そのままザインの懐へ潜り込んでくる。


伸びてきたのは、武器ではない。


素手だった。


ザインは肩を引いた。


指先が外套の表面を掠める。


触れられた場所へ、うっすらと印が浮かんだ。


次の瞬間、剣を引いていた力が消える。


代わりに、肩が下方へ引かれた。


外套の印が床へ刻まれた印へ引き寄せられ、ザインの上体が大きく傾く。


ヴァルドの拳が迫る。


身体を沈められた姿勢のまま、床を蹴った。


拳が頭上を通過する。


引かれる力に合わせて前へ転がり、外套の留め具を引き千切る。布だけが床へ叩きつけられ、ザインの身体はその先へ抜けた。


立ち上がりざまに剣を振るう。


ヴァルドが一歩退く。


刃先が胸元を掠める寸前、再び剣が柱の方角へ跳ねた。


「いいねぇ!」


ヴァルドが声を上げる。


「今のを踏み止まるか!」


ザインは流された剣を両手で押さえ、足を滑らせながらも姿勢を崩さなかった。


「感心してる暇があるなら、手を止めろ」


「そいつは無理な相談だ!」


ヴァルドが床を蹴る。


間合いの外へ逃げるのではない。


刃の内側へ飛び込んでくる。


素手で剣へ触れようとするヴァルドの腕を、ザインは柄で弾いた。だが、もう一方の手が脇腹の衣服を掠める。


新たな印が浮かぶ。


直後、身体が横へ弾かれた。


壁へ刻まれた印が視界の端で光る。


ザインは床へ片足を突き立てた。


靴底が滑る。


倒れる代わりに、その力を使って身体を回した。


剣が弧を描く。


ヴァルドは笑いながら身を反らし、刃を紙一重でかわした。


剣。


外套。


衣服。


触れられたものの材質は、すべて違う。


それでも、同じ印が残されている。


「金属じゃねぇな」


ザインの呟きに、ヴァルドの笑みが深くなった。


「もう気づいたか」


視線を、ヴァルドの両手へ落とす。


ただ剣を避けるだけなら、ここまで危険な距離へ入る必要はない。


刃に触れる危険を冒してまで、素手で触れようとしてくる。


理由は一つしかなかった。


「その手で触れた場所に、印を付けてやがる」


「正解だ」


ヴァルドは両手を開き、構え直した。


王の間に刻まれた複数の印が、淡い光を残している。


「けど――分かっただけで、止められるか?」


「試してみろよ」


「そのつもりだ!」


二人が同時に踏み込んだ。


◇


炎が水膜へ衝突した。


爆ぜるような音とともに、白い蒸気が噴き上がる。


熱に晒された水膜が激しく波打った。


だが、一枚目すら崩れない。


幾重にも重なった膜の向こうで、セヴェルは身じろぎもせず立っていた。


そのさらに先。


フィルと同じ姿をした分身体が、転送施設の方角へ遠ざかっていく。


「逃がさない!」


イリスが続けて炎を放つ。


水膜へ触れた瞬間、再び大量の蒸気が広がった。


一帯が白く染まり、セヴェルも分身体も見えなくなる。


「右へ回る!」


声とともにリナが駆けた。


詠唱を挟まず、次々と魔法を放つ。


蒸気の中へ飛び込んだ攻撃が、水膜の表面を連続して打った。


膜が揺れる。


大きく形を歪めながらも、攻撃はすべて僅かに軌道を逸らされていく。


一つも奥へ届かない。


イリスは目を凝らした。


風に流された蒸気の隙間から、逃げる分身体の背中が一瞬だけ見えた。


すぐに白い霧の向こうへ消える。


「このままじゃ、あいつを見失う!」


リナが次の魔法を放とうとする。


「待って!」


イリスの声に、リナの手が止まった。


「撃つほど、私たちの視界が消えてる」


炎を当てれば蒸気が生まれる。


蒸気に紛れて魔法を撃てば、水膜に軌道を逸らされる。


攻撃を重ねるほど、分身体を逃がす手助けをしてしまう。


二人は距離を取り、構えたまま攻撃を止めた。


蒸気が風に薄められていく。


その向こうで、水膜はまだ揺れていた。


セヴェルは追ってこない。


こちらを倒すことではなく、道を塞ぐことだけを優先している。


イリスは息を整え、幾層にも重なる水の壁を睨んだ。


力が足りないわけではない。


ただ撃ち続けても、届かない。


◇


剣が柱へ引かれる。


ザインは腕力だけで軌道を戻そうとせず、引かれる方向へ自ら一歩踏み込んだ。


ヴァルドとの距離が一気に縮まる。


切っ先が迫る。


ヴァルドは身体を沈め、刃の下を抜けながらザインの腕へ手を伸ばした。


触れられる寸前で肘を引く。


だが、指先が袖を掠めた。


印が残る。


その瞬間、剣は自由になった。


ザインは即座に刃を返す。


届く前に、今度は印を刻まれた腕が床へ引かれた。


肩が下がり、斬撃が空を切る。


ヴァルドの膝が腹部へ迫った。


ザインは引かれた腕を支点に身体を捻り、膝を脇へ逃がす。片足で床を蹴り、至近距離から柄頭を叩き込んだ。


ヴァルドが腕で受ける。


鈍い衝突音が響いた。


互いに一歩ずつ離れる。


「そうだ!」


ヴァルドが弾んだ声を上げた。


「もっと来い、国斬り!」


返事はしなかった。


床。


柱。


壁。


剣。


破れた外套。


袖。


王の間には、いくつもの印が残されている。


どれも、うっすらと目で確認できる。


だが、次にどの印が使われるのかは分からない。


ヴァルドの視線は当てにならなかった。


剣を見ていながら身体を引く。


ザインを見ていながら、視界の外にある外套を床へ叩きつける。


指先にも、構えにも、力が働く前触れはない。


剣が引かれる。


抗った瞬間、力が消える。


次には身体が弾かれる。


立て直す。


斬り返す。


再び剣の軌道が変わる。


何度繰り返しても、ヴァルドが先だった。


力が働いてから対処するしかない。


それでもザインは倒れなかった。


剣も手放さない。


姿勢を崩されれば、崩れたまま斬る。


身体を引かれれば、その勢いを踏み込みへ変える。


剣を流されれば、流された先から次の斬撃へ繋げる。


ザインの対応が速くなるほど、ヴァルドの笑みは大きくなっていった。


「最高だ!」


ヴァルドが迫る。


「こんな戦い、ずっと待ってた!」


ザインは振り下ろされた拳を剣の腹で受けた。


次の一歩へ移ろうとした瞬間、身体の反応が僅かに遅れた。


痛みはない。


ただ、いつもなら淀みなく繋がるはずの力が、ほんの一瞬だけ途切れた。


原因を確かめている暇はない。


違和感を押し込み、そのまま踏み込む。


肩からヴァルドへぶつかり、間合いを押し広げた。


追撃は来ない。


ヴァルドは嬉しそうに笑ったまま、再び両手を構えている。


ザインは呼吸を整えた。


次にどこが動く。


その予測を、頭から捨てる。


前触れがない以上、当てることはできない。


見るべきなのは、次ではない。


力が働いている、今だ。


◇


蒸気が晴れていく。


陽光を受けた水膜が、薄く輝いていた。


一枚ではない。


奥行きを持って重なり、それぞれが絶えず波打っている。


イリスは掌を向けた。


先ほどまでより、遥かに小さな炎を生む。


「何をするの?」


「壊すんじゃないわ」


短く答え、水膜の端へ炎を放った。


小さな炎が表面へ触れる。


微かな蒸気が立ち、接触した場所から波紋が広がった。


一つ目の膜。


その奥にある膜。


さらに奥。


波紋は形を変えながら、外側へ伝わっていく。


リナは攻撃せず、その動きを目で追っていた。


「もう一度」


「どこへ?」


「今と同じ場所」


理由を尋ねず、イリスは同じ大きさの炎を放った。


水膜が揺れる。


先ほどと同じ場所から、同じように波紋が広がっていく。


その中で、リナの視線だけが一点に止まった。


「……あそこ」


イリスも目を凝らす。


水膜全体が揺れている。


外側から内側へ。


内側から外側へ。


幾つもの波が複雑に重なっている。


だが、その中に一か所だけ、動いていない点があった。


波紋が近づいても、その周囲から形を変えて流れていく。


「あそこだけ、動いてない」


リナの声に、イリスは小さくうなずいた。


力で押し破るための壁ではない。


この水膜を保っているものがある。


二人は攻撃を急がなかった。


イリスが再び小さな炎を作る。


リナは動かない一点を見据え、片手を構える。


次は数ではない。


確実に届かせる、一撃だった。


◇


剣が柱へ引かれた。


ザインは逆らわない。


引かれるまま腕を伸ばし、身体ごと前へ飛び込んだ。


ヴァルドの目が僅かに見開かれる。


ザインの剣は柱へ向かっている。


だが、ザイン自身はヴァルドとの距離を縮めていた。


「そう来るか!」


ヴァルドが懐へ踏み込む。


剣が封じられている間に、ザインへ新たな印を刻むつもりだ。


伸びてきた手をかわさない。


ザインは半身になり、肩で受けた。


ヴァルドの掌が衣服へ触れる。


印が浮かんだ。


直後、身体が後方へ引かれる。


同時に。


剣を引いていた力が消えた。


自由になった腕を、ザインは振り抜いた。


刃が低く走る。


ヴァルドが咄嗟に身を捻った。


切っ先は身体を外れたが、軍装の胸元を斜めに裂いた。


布の破片が宙へ舞う。


二人の動きが止まる。


ほんの一瞬。


ヴァルドは裂けた軍装へ目を落とした。


ザインの剣が、初めて届いた。


印は消えていない。


剣にも。


衣服にも。


床にも、柱にも、壁にも残っている。


ヴァルドはいくつでも印を刻める。


離れた場所にある印さえ使える。


次にどれを選ぶのか、前触れもない。


だが。


剣が引かれている間、身体は自由だった。


身体が引かれた瞬間、剣は自由になった。


同時には来ない。


ザインは剣を構え直す。


「分かったぞ」


ヴァルドが顔を上げた。


驚きよりも、期待が浮かんでいる。


「何がだ?」


「何個印を付けようが――」


ザインは切っ先を向けた。


「お前が動かせるのは、一つだけだ」


一瞬の沈黙。


やがてヴァルドが、声を上げて笑った。


「ははっ!」


能力を見破られた焦りなど、どこにもない。


むしろ先ほどまで以上に、目が輝いていた。


「やっぱり、あんたを待ってて正解だった!」


ザインが床を蹴る。


今度は、どこを動かされるかに備えるためではない。


剣か。


自分の身体か。


どちらを止めるのか。


ヴァルドへ選ばせるための一歩だった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


今回は、ザインとヴァルドの戦いを中心にお送りしました。


触れた場所へ印を残し、離れた場所から剣や身体を動かすヴァルド。


次に何を動かされるのか分からない中、ザインは予測するのではなく、実際に起きていることを一つずつ観察していきます。


そして辿り着いたのが、


「何個印を付けようが――お前が動かせるのは、一つだけだ」


という答えでした。


一方、イリスとリナもセヴェルの幾重にも重なる水膜の中から、一つだけ動かない場所を発見します。


今回のタイトル「一つだけ」は、この二つの戦いに重ねています。


弱点を見つけたからといって、まだ勝ったわけではありません。


ザインはここから、ヴァルドに「どちらを動かすのか」を選ばせる戦いへ。


イリスとリナも、見つけた一点へ攻撃を届かせなければなりません。


それぞれの攻略戦は、ここからです。


次回もよろしくお願いします!

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