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剣しか持ちえない少年の英雄譚  作者: 喜怒哀楽
イリス奪還編
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待ち望んだ男

獣王国の内側で起きていた異変。


ザインたちは、ついに獣王の待つ王の間へ辿り着きます。


しかし、そこで待っていたのはフィルの分身体だけではありませんでした。



王の間へ続く扉を蹴り破った。


重い扉が内側へ倒れ、床を打つ。


響き渡った轟音の向こうに、二つの人影があった。


玉座の前で片膝をつく獣王。


その正面に立つ、フィルと同じ顔を持つ男。


獣王は頭を押さえ、荒い呼吸を繰り返している。立ち上がろうとしているのか、片脚へ力を込めていた。


しかし、身体は動かない。


喉の奥から掠れた音が漏れるだけで、言葉にもならなかった。


「陛下!」


レグルスが駆け込む。


獣王の顔が僅かに動いた。


こちらを見ようとしている。


それでも、首は本人の意思に従わない。


震える指だけが、床を掴んだ。


硬い爪が石の表面を削る。


「まだ、陛下はそこにいる」


レグルスの声に、確信が宿る。


完全に支配されてはいない。


身体の自由を奪われながらも、獣王の意識は残っている。


今も内側で抵抗を続けている。


ザインはフィルと同じ顔を持つ存在へ目を向けた。


気配の正体を探る。


流れている魔素は、巨人国で対峙したものと同じ質を持っている。


だが、薄い。


あのとき感じた、立っているだけで押し潰されそうな密度がない。


目の前にいるのは、あの男ではない。


「お前、本体じゃねぇな」


分身体は否定しなかった。


「この身体に、戦闘能力は必要ありません」


静かな声。


獣王へ向けていた手を下ろし、ザインたちを見る。


「王一人を支配できれば、国を動かすには充分ですから」


ザインは剣を構えた。


獣王国の兵を王城へ集め、転送施設を無防備にする。


王の命令という形さえ作れば、国そのものが自ら崩れていく。


敵をすべて倒す必要などない。


フィルらしいやり方だった。


「なら、一撃で終わりだ」


分身体の反応は遅い。


構えすら取らない。


戦闘能力がないという言葉は、虚勢ではなかった。


右脚へ魔素を流す。


床を蹴った。


間合いが一瞬で消える。


剣を握る指へ力を繋ぎ、その首を目がけて刃を振り抜く。


届く。


そう確信した寸前。


横から、素手が伸びた。


掌が刃を掴んだのではない。


剣の腹へ一瞬だけ触れる。


接触した場所に、見慣れない印が浮かんだ。


二つに分かれた、淡い紋様。


次の瞬間、剣が横へ跳ねた。


「なっ――」


腕ごと強く引かれる。


首を捉えるはずだった刃が分身体の脇を通り過ぎ、離れた壁へ向かって軌道を変えた。


剣先が石壁へ突き刺さる。


衝撃で腕が伸び切った。


すぐに身体から余分な力を抜き、壁へ激突する前に踏みとどまる。


背後で、誰かが楽しそうに笑った。


「危ねぇな」


振り返る。


王の間の側方。


柱の陰から、一人の男が姿を現した。


年はガレスと大きく変わらないように見える。


戦場へ潜入してきたとは思えないほど、表情は明るい。


「あと少し遅かったら、俺が戦う前に終わってたじゃねぇか」


ザインは壁から剣を引き抜き、そのまま男へ振り返った。


「誰だ、お前」


男は武器を持っていない。


それでも、逃げる様子はなかった。


むしろ待ち望んだものを前にしたように、口元を吊り上げている。


「ヴァルド・ケイン」


軽く両手を広げる。


「ファイデン王国第1軍を預かってる」


その目が、ザインだけを捉えた。


「あんたと戦うために来た男だよ、国斬り」


剣に浮かんだ印が、微かに光る。


同じ形の印が、離れた壁にも刻まれていた。


こいつが付けた。


いつ、何をしたのかは分からない。


ただ、剣へ触れた直後に軌道が変わった。


ザインが視線を戻した一瞬の隙に、分身体が動いた。


玉座の横にある通路へ身を翻す。


「待て!」


レグルスが追おうとする。


その背後で、獣王の腕が力を失った。


巨体が床へ倒れかける。


レグルスの足が止まった。


分身体を追えば、身体の自由を奪われた獣王が無防備になる。


ここへ潜り込んだ敵がヴァルドだけとも限らない。


「レグルス! 獣王のそばにいろ!」


ザインの声に、レグルスが振り返る。


「しかし、あれを逃がせば――」


「イリス!」


呼ぶ前から、イリスは逃げる分身体を見ていた。


杖を構え、迷わず走り出す。


「私が追うわ」


ザインと視線が重なる。


長い言葉は必要なかった。


「頼む」


「ええ。そっちは任せたわ」


イリスが通路へ消える。


レグルスは歯を食いしばり、獣王のもとへ戻った。


その身体を支え、呼びかける。


「陛下、私です。レグルスです!」


獣王の瞳が、僅かに動いた。


意識はある。


なら、守る者が必要だ。


ザインはヴァルドへ向き直った。


男は分身体を追わない。


逃がしたことを気にする様子すらなかった。


視線は最初から、ザインだけに向けられている。


「お前、あいつの仲間じゃねぇのか?」


「別に?」


あっさりと返ってきた。


「俺が遅れて、あれが斬られてても困らなかったのか」


「少しは困るかな。王命で来てるし」


ヴァルドが肩を回す。


「でも、俺の目的は果たせる」


「俺と戦うことか」


「そういうこと」


屈託のない笑顔だった。


殺意よりも先に、純粋な期待が伝わってくる。


それが余計に気味悪い。


剣を壁へ引きつける力は、まだ残っていた。


ザインは握る指と手首、腕へ必要な分だけ魔素を流す。


引かれる方向に力任せで抗わず、剣の角度を変えて壁から離した。


身体の正面へ戻すと同時に、使い終えた魔素を抜く。


腹部に痛みはない。


貫かれた傷は、すでに完治している。


身体は思いどおりに動いた。


ヴァルドが目を輝かせる。


「いいな、それ」


「何がだよ」


「今、力の使い方を変えただろ」


「どうでもいい。そこを退け」


「嫌だね」


床を蹴り、ヴァルドが距離を詰める。


武器を持たないまま、剣の間合いへ入ってきた。


伸びた手がザインの手首を狙う。


刃を返す。


手を斬られる寸前で、ヴァルドが腕を引いた。


代わりに反対の手が、ザインの袖を掠める。


布の表面に、淡い印が浮かび上がった。


「また、それか」


剣を振る。


ヴァルドは後方へ跳び、刃を避ける。


「獣王国へ入ってきたのも、俺を狙ってか?」


「最初は王命だ」


ヴァルドが着地する。


「避難民に紛れた連中が騒ぎを起こしたら、俺も中へ入れってな」


王城へ潜り込んだ経路を、悪びれもせず明かした。


「でも、あんたがいると分かってからは別だ」


両手を開き、楽しそうに構える。


「あの第3軍を一人で潰した男が来てる。国一つを敵に回して、王城まで斬り込んだって噂の男だ」


「噂話を聞きに来たなら、よそでやれ」


「噂が本当か確かめたいんだよ」


ヴァルドが踏み込む。


「ずっと、あんたとやってみたかったんだ!」


*


地竜の巨体が、エルグランド軍の盾列へ激突した。


重ねられた盾が弾け飛ぶ。


兵士たちが左右へ押し退けられ、隊列に大きな裂け目が生まれた。


「今だ! 進め!」


ガレスの号令で、獣人兵と直属部隊が突破口へ入る。


ジグが先行し、立て直そうとする敵の動きを探る。


敵の側面へ回り、その進路を味方へ知らせた。


ダリオは押し寄せる兵士を受け止め、後続が前へ出るための場所を作る。


リナの魔法がその頭上を越え、敵の後列で弾けた。


一度は押し返す。


だが、エルグランド軍は崩れたままではいなかった。


指示を伝える音が響く。


正面にいた部隊が左右へ分かれ、地竜との距離を取った。


同時に後列が魔法を放ち、巨体の進路を限定する。


さらに軽装の一団が、本隊の陰から抜け出した。


正面の戦線には加わらない。


王城と転送施設の間を断つように、大きく回り込んでいく。


ガレスの目が細くなる。


偶然に空いた道を進んでいるのではない。


地竜が突撃したあとの動きまで見越して、別部隊を動かしている。


「この動き……偶然ではない」


戦場のどこかに、軍全体を動かしている者がいる。


「ガレス!」


ダリオの声が飛ぶ。


「右から来る!」


敵兵の一団が、地竜を避けて側面へ迫っていた。


ガレスは剣を構え、周囲へ指示を出す。


「ダリオはここを支えろ! ジグは敵の次の動きを探れ!」


「了解!」


「リナ!」


呼ばれたリナが振り返る。


ガレスは、王城と転送施設の間へ向かう軽装部隊を指した。


「あの部隊を止めろ!」


「分かった!」


返事と同時に、リナが本隊を離れる。


敵兵たちの後を追い、崩れた建物の間へ消えていった。


地竜が咆哮する。


新たに迫る部隊へ身体を向けた。


ガレスも剣を掲げる。


「俺たちはここを持たせる! 一歩も通すな!」


*


分身体は振り返らない。


戦う力がないと自ら認めたとおり、追いつかれれば終わると理解しているのだろう。


王城の廊下を抜け、階段を駆け下りる。


イリスはその背中を追った。


「逃がさない!」


杖を振る。


分身体の前方で炎が立ち上がり、通路を塞ぐ。


足を止めるかと思った。


だが、分身体は壁際へ進路を変え、別の扉を押し開ける。


外へ続く回廊。


そこから中庭へ飛び降りた。


イリスも後を追う。


着地と同時に魔法を放つ。


炎が地面を走り、分身体の逃げ道を削った。


戦闘能力は低い。


攻撃を防ぐ力もない。


それでも、逃げることだけに集中している。


無駄に反撃せず、僅かでも生存できる道を選び続けていた。


イリスは王城の外へ出る。


前方に転送施設が見えた。


分身体も同じ方向へ走っている。


なぜ、あちらへ向かうのか。


本体と合流するつもりなのか。


別の誰かを洗脳するつもりなのか。


目的は分からない。


今は、追いついて消すだけだ。


進路の先に、複数のエルグランド兵が現れた。


分身体へ道を空けるように広がり、イリスへ武器を向ける。


「邪魔よ!」


広範囲へ炎を放とうとした瞬間、兵士たちの横から魔法が炸裂した。


衝撃を受けた敵兵が吹き飛び、道の端へ転がる。


「イリス!」


聞き覚えのある声。


回り込み部隊を追ってきたリナが、敵兵の向こうに立っていた。


「リナ! あれを止めて!」


詳しい説明は求めなかった。


リナは逃げる分身体へ手を向ける。


詠唱を挟まず放たれた魔法が、足元へ着弾した。


分身体が進路を変える。


その先を読んで、イリスが炎を広げた。


右をリナが塞ぐ。


左をイリスが焼く。


分身体の進める道が、急速に狭まっていく。


二人の攻撃が、同時に背中を捉えようとした。


その間へ、水が立ち上がった。


一枚ではない。


幾重にも重なる薄い水の膜。


イリスの炎が触れ、激しい蒸気が噴き上がる。


リナの魔法は膜の表面を滑るように逸れ、離れた地面を抉った。


「なに……?」


白い蒸気の向こうに、人影が立っている。


水膜が僅かに開き、分身体がその奥へ逃げていった。


追おうとする二人の前へ、男が一歩出る。


「セヴェル・ローデン……」


イリスがその顔を見据える。


男の瞳に、普段の意思は見えない。


命令に従うことだけを残されたような、濁った目。


イリスは杖を向ける。


「退きなさい」


セヴェルは表情を変えなかった。


「通すことはできない」


再び水膜が重なり、道を完全に塞ぐ。


その向こうでは、分身体の姿が遠ざかっていく。


リナがイリスの隣へ立った。


「あれを倒さないと、追えないみたいね」


「ええ」


イリスは水膜の奥に立つ男から目を離さない。


「二人で行くわよ」


リナが両手を構える。


「分かった」


水が渦を巻き始める。


イリスの周囲にも、炎が浮かび上がった。


*


王の間に、靴底が床を擦る音が響いた。


ザインは身体を半歩ずらし、ヴァルドの手を避ける。


触れられてはいけない。


確証はまだない。


それでも、剣へ触れられた直後に印が現れた。


袖を掠めた場所にも同じものが残っている。


ヴァルドが素手で接触しようとしてくることにも、意味があるはずだ。


斬撃を放つ。


ヴァルドは紙一重で躱し、懐へ入ろうとする。


膝を上げて接近を止めた。


ヴァルドが腕で受ける。


衝撃で後方へ滑りながらも、その笑みは消えない。


「やっぱり強ぇな!」


「楽しんでんじゃねぇよ」


「無理だろ、こんなの!」


ヴァルドの指が僅かに動いた。


予備動作と呼べるほどのものではない。


その瞬間、剣が壁へ引かれた。


来ると分かっていたザインは、腕へ魔素を集中させて耐える。


だが、引く力へ対処した直後。


袖に付いた印が光った。


身体が今度は床へ引き落とされる。


「っ!」


片脚へ魔素を流し、膝をつく寸前で踏みとどまった。


操作が切り替わった。


剣。


次に袖。


何が起点なのか。


なぜ離れた場所から力が働くのか。


まだ分からない。


ただ、印が関わっていることだけは間違いない。


ヴァルドは床を蹴った。


ザインの体勢が崩れた瞬間を狙い、一気に距離を詰める。


伸ばした手が、今度はザインの腕へ迫った。


剣を引き戻し、その手を斬り払う。


ヴァルドが寸前で身を捻る。


刃が胸元の布を裂いた。


浅い。


それでも、初めて笑顔から余裕が消えた。


ほんの一瞬だけ。


次の瞬間には、さらに楽しそうな表情へ変わっていた。


「そうだよ」


ヴァルドが笑う。


「それが見たかった」


ザインは剣を正面へ戻す。


壁。


床。


剣。


袖。


王の間の各所に浮かぶ淡い印を、視界の端で捉える。


仕組みを理解できていないまま踏み込めば、また軌道を変えられる。


だからといって、立ち止まるつもりもなかった。


分身体はイリスが追っている。


獣王はレグルスが守っている。


自分の役目は、この男をここから動かさないことだ。


ヴァルドが両手を広げる。


「さあ――もっと見せてくれよ、国斬り!」


ザインは腰を落とした。


余計な力を抜く。


必要な瞬間。


必要な場所へだけ、魔素を流す。


「後悔するぞ」


ヴァルドが嬉しそうに踏み込む。


「それを確かめに来たんだよ!」


二人が同時に床を蹴った。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


ついに第100話となりました!


王を操るために作られたフィルの分身体。

そしてザインを待ち続けていた、ファイデン王国第1軍のヴァルド・ケイン。


フィルの分身体とは違い、ヴァルドの目的はとても単純です。


「国斬り」と呼ばれるザインと、自分の手で戦ってみたい。


そのために、ザインの前へ立ちはだかりました。


一方、逃げる分身体を追うイリスはリナと合流。

獣王国外ではガレスたちも、地竜と共にエルグランド軍との戦闘を続けています。


それぞれの戦いが、同時に動き始めました。


そしてザインは、まだヴァルドの能力の仕組みを掴めていません。


二つの印が何を意味するのか。

自在に軌道を変える力を、ザインはどう攻略するのか。


第100話までお付き合いいただき、本当にありがとうございます!


物語はまだ続きます。

次回もよろしくお願いします!


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