5.亡国
【冥継術師は、有無を言わさず処刑とする】
それは、この国で生きる者なら誰もが知る絶対の禁忌だった。
もっとも、ジーンはそんな言葉を聞いたことすらない。
魔法の知識などほとんど持たず、ただ騎士への憧れだけを胸に生きてきた彼にとって、“冥継術師”という存在はあまりにも遠いものだった。
しかしリゼアは違う。
幼い頃から魔法や歴史について学んできた彼女は、その言葉の意味を知っていた。
死者に囚われてしまう呪い。
死者を操る禁忌。
死者の能力を略奪する魔導。
国が最も忌み嫌う災厄。
だからこそ、リゼアは理解してしまった。
今、自分たちが庇おうとしているものが、どれほど危険視されている存在なのかを。
それでもリゼアは一歩も引かなかった。
震える指先を強く握り締め、ジーンと共にナクトを庇うよう前へ立つ。
「何をしているのです」
イネーラが冷ややかな視線を向けた。
「まさか、その者を庇うつもりですか?」
静かな声だった。
だが、その場の空気を一瞬で凍らせるほどの威圧感がある。
「あなたたち二人は、今回の魔法適性検査において極めて優秀な結果を残しました。特に光属性の少女、そして炎属性の少年――将来的にも貴重な戦力となるでしょう」
イネーラはゆっくりと二人へ手を差し出す。
「故に、冥継術師への加担という罪によって追放することは避けたい。こちらへ来なさい」
「ふざけんなよ……」
ジーンが低く唸る。
「だからって、ナクトを殺していい理由には――」
言い終わるより早かった。イネーラの杖が静かに持ち上がる。
瞬間、ナクトの身体へ黒い帯のような魔法陣が絡みついた。
「っ!?」
両腕、両足、胴体。
まるで生き物のように締め付ける拘束魔法に、ナクトは声を漏らす。
「や、やだ……!」
そのまま身体が宙へ浮き、イネーラの背後へ引き寄せられていく。
「ナクト!!」
ジーンが駆け出そうとするが、リゼアの方が早かった。
「返して!!」
リゼアは片手を前へ突き出し、強引に魔力を収束させる。
白い光の粒子が手のひらへ集まり、空気を震わせながら膨れ上がっていく。
まだ形は不安定だった。歪で、荒削りで、制御もままならない。
それでも、その光は周囲の空気を呑み込むほどの圧力を放っている。
「これで……っ!!」
ヨリゼアは歯を食いしばり、その光をイネーラへ叩きつけた。
轟音。眩い閃光が校庭を包み込む。
しかし、イネーラは微動だにしなかった。
ただ静かに杖を振る。それだけで、リゼアの放った魔法は呆気なく弾き散らされ、光の粒となって空中へ消えていく。
「なっ……!?」
リゼアの顔が絶望に染まる。
「どうして……効かないの……!?」
なおも魔力を練り上げようとするリゼアを見ながら、イネーラは淡々と言い放った。
「無駄です」
「確かに、あなたの秘める光属性は極めて強力でしょう。しかし、まるで制御できていない」
イネーラの瞳は冷たい。
「その程度で、私と戦えると思ったのですか?」
リゼアは言葉を失った。魔法学校へ入れば、自分たちは特別になれると思っていた。
だが目の前の女は、そんな自信を一瞬で踏み潰していく。
「だったらこれでどうだよ!!」
次に動いたのはジーンだった。彼は腰へ隠していた短剣を抜き放ち、一直線にイネーラへ飛び込む。荒々しい。だが迷いのない突撃だった。
しかし。
「遅い」
イネーラの姿が、一瞬で消える。
「っ!?」
気づいた時には、すでに背後を取られていた。
ジーンが振り返るより先に、イネーラの杖が首筋へ軽く触れる。
その瞬間、ジーンの視界がぐらりと揺れた。
「が……っ」
膝から崩れ落ち、そのまま意識を失う。
「ジーン!!」
リゼアが叫ぶ。
だが次の瞬間には、彼女の身体にも拘束魔法が絡みついていた。
「やっ……!」
抵抗する間もなく、リゼアの身体が宙へ浮かび上がる。
そして。
ナクトと同じように、二人も校舎の奥へと強制的に連行されていった。
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「……ここは」
目を覚ましたナクトは、ゆっくりと顔を上げた。
周囲は闇だった。
灯りは一つもなく、まるで地の底へ落とされたかのように薄暗い。
湿った空気が肌へまとわりつき、息をするだけで胸が苦しくなる。
牢獄、と聞いて想像していた鉄格子はない。
あるのは、分厚い石壁と、正面に設置された重々しい片開きの扉だけ。その中央には、小さな覗き窓が埋め込まれている。
逃げられるような場所ではない。
ナクトは膝を抱え、小さく身体を縮こませた。
「……ジーン、リゼア」
二人はどうなったのだろう。
自分のことも恐ろしかったが、それ以上に、二人まで巻き込んでしまったことが胸を締め付けていた。
どれほど時間が経ったのかも分からない。
静寂だけが続いていた空間へ、不意に硬い靴音が響き始める。
――コツ、コツ、コツ。
規則正しい足音は徐々に近づき、やがてナクトの牢の前で止まった。
ナクトの肩がびくりと震える。
そして。
ガチャリ、と鈍い音を立てながら扉がゆっくり開いた。
「……え」
そこに立っていたのは、イネーラだった。
相変わらず黒いローブを纏い、冷たい表情を浮かべている。
だが。
「逃げなさい。早く」
低く落とされた声に、ナクトは一瞬言葉を失った。
「ど、どうして……ぼくを」
恐怖の方が先に来る。
処刑すると告げた本人が、今度は逃げろと言っているのだ。理解できるはずがなかった。
「早く」
イネーラは短く言うと、廊下の奥へ視線を向ける。
「誰かに見つかれば、私もただでは済みません」
「し、信じられません……」
ナクトの声は震えていた。
「ぼくを処刑するって言ったのに……」
「グジグジ言うのはやめなさい」
イネーラが静かに遮る。
「先ほどは監視の目が多すぎた。あれはあくまで、“教師”として必要な対応です」
そこで彼女は、ほんの僅かだけ目を伏せた。
「私は過去に、ある冥継術師へ恩義があります。だからあなたを見捨てることは、不本意でした」
その言葉に、ナクトは息を呑む。
「冥継術師って……一体、なんなんですか」
だがイネーラは首を横に振った。
「今は話している時間がありません。さあ、行きなさい」
そう言うと、彼女はナクトの腕を掴み、半ば強引に廊下へ引き出した。
廊下へ出た瞬間、ナクトは目を見開く。
警備兵たちが、壁際で次々と倒れ込んでいたのだ。
誰もが深い眠りに落ちているように寝息を立てている。
「眠らせました」
イネーラは淡々と言う。
「あちらに外へ繋がる扉があります。警備兵専用の通路です」
その先を指差しながら、彼女は続けた。
「この先、あなたに何が待っているかまでは保証できません。ですが――あなたの“希望”は、そこで待っています」
「希望……?」
ナクトが聞き返した瞬間、シクワエルの杖が静かに持ち上がる。
淡い光がナクトの身体を包み込み、透明な膜のようなものが全身を覆った。
「透過魔法です。長くは持ちません」
イネーラは真っ直ぐナクトを見据える。
「とにかく走りなさい。止まってはいけない」
その直後。
彼女はナクトの背中を強く押した。
ナクトはよろめきながらも、言われるまま走り出す。
重い扉を開けた先には、夜の空気が広がっていた。
月明かりと、遠くで揺れる松明の灯りだけが街を照らしている。
冷たい風が頬を叩く。
ナクトは転びそうになりながら、必死に坂道を駆け下りた。
足がもつれ、何度も石畳へ躓きそうになる。
それでも止まれなかった。
止まれば、すべて終わってしまう気がした。
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やがて街外れの小さな小屋へ飛び込む。
同時に、身体を覆っていた透明化の膜が淡く崩れ始めた。
「……ナクト」
暗闇の奥から、小さな声が聞こえる。
ナクトはびくりと肩を震わせ、恐る恐る視線を向けた。
そして。
「ジーン……! リゼア……!」
そこにいたのは、二人だった。
イネーラの言っていた“希望”とは、この二人のことだったのだ。
つまり彼女は、自分だけではなく、ジーンとリゼアまでも逃がしていた。
安心した瞬間、張り詰めていた感情が一気に崩れ、ナクトの目から大粒の涙が零れ落ちた。
「こら」
リゼアが困ったように笑う。
「泣かないの。もう十五歳でしょ?」
その声は、いつもと同じだった。
だからこそ、余計に涙が止まらない。
だが。
「なあ、ナクト」
ジーンの声だけは、いつもと違っていた。
真剣だった。
「お前だけでも逃げるんだ」
「ぼくが……逃げる?」
ナクトは涙で濡れた顔のまま、ジーンを見上げた。
ジーンは強く頷く。
「そうだ。イネーラも言ってただろ。このままここにいたら、お前は処刑される」
その声には迷いがなかった。
「だからおれたちが、お前をこの国から逃がす」
「でも、それって……」
ナクトの喉が震える。
自分を逃がすということが、どういう意味を持つのかくらい分かる。
国へ逆らうこと。冥継術師を庇うこと。
それがどれほど重い罪なのか、さすがのナクトでも理解できた。
だからこそ、言葉が続かない。
するとリゼアが、小さく息を吐いた。
「大罪でしょうね」
どこか諦めたように笑う。
「もしかしたら、私たち一生牢獄暮らしかもしれない」
「リゼア……!」
ナクトの顔が歪む。
だがリゼアは、逆に優しく微笑んだ。
「でも、処刑されるのはナクトだけなの」
その言葉が、胸へ鋭く突き刺さる。
「一緒にいたい……」
ナクトは子供みたいに呟いた。
今までずっと三人だった。
辛い時も、不安な時も、いつだって隣には二人がいた。
だから、離れるなんて考えたくなかった。
しかし。
「それはできない」
ジーンが静かに首を振る。
「そろそろ追手が来る」
その瞬間だった。
「おい!! どこへ行った!!」
外から怒号が響き渡る。
「隅々まで探せ!! まだ遠くへは行っていないはずだ!!」
鎧のぶつかる音。
荒々しい足音。
松明の火が揺れる気配。
ナクトの身体がびくりと震えた。
「ほら、もう来た」
リゼアはそう言うと、小屋の奥を指差した。
「奥に抜け道があるの。昔、密輸業者が使ってた通路らしいわ」
「そこを使って逃げて、ナクト」
リゼアはナクトの肩へそっと触れる。
優しく、安心させるように。
「ここは、私たちが何とかするから」
「この中は見たのか!!」
すぐ外まで兵士たちの声が迫っていた。
ジーンが腰の短剣を抜き放つ。
「行け、ナクト」
その声は、今まで聞いたことがないほど低かった。
ジーンは扉の陰へ身を潜める。
リゼアもまた、両手へ光のオーラを集中させ始めた。
淡い光が暗い小屋の中を照らし出す。
二人とも、もう覚悟を決めていた。
その姿を見た瞬間、ナクトの胸が潰れそうになる。
自分のせいだ。
自分が冥継術師だから。
自分が、生まれてきてしまったから。
「早く!!」
リゼアが叫ぶ。
ナクトは震える足で小屋の奥へ駆け出した。
薄暗い床板の下に、小さな抜け道が見える。
その時だった。
――ドゴォンッ!!!
兵士たちが扉を蹴破った。
木片が激しく飛び散る。
「いたぞ!!」
怒号と同時に、ジーンが飛び出した。
「うおおおおっ!!」
短剣を振るい、兵士へ突っ込んでいく。
同時にリゼアの光魔法が炸裂し、小屋の中を白く染め上げた。
「ナクト!!」
ジーンの叫び声が響く。
「いつか絶対、おれがお前を救う!! だから今は行け!!」
「ナクト!!」
リゼアも涙を堪えながら叫ぶ。
「これは最後の別れじゃないからね!!」
ナクトの視界が滲む。
それでも彼は抜け道へ飛び込み、振り返らなかった。
もし一度でも振り返ってしまえば、自分はきっと戻ってしまう。
だからナクトは、ただ必死に走った。
ジーンとリゼアの未来を、無駄にしないために。




