4.冥継術師
「ナクト……、お前……」
ジーンは振り返ったナクトの瞳を見た瞬間、まるで全身を氷水へ沈められたように息を呑んだ。
そこに映っていたのは、いつものどこか怯えたような紫色ではない。底の見えない闇。人ではない何かを思わせる、不気味な紫だった。
だが、ジーンは一瞬だけ硬直した後、迷うことなくナクトの腕を掴む。
「ナクト!!」
そのまま力任せに陣の外へ引きずり出すと、校庭全体を覆っていた黒紫色の闇は、まるで霧が風に流されるように少しずつ薄れていった。
押し潰されそうだった重苦しい空気も消えていき、渦巻いていた雲も徐々に静けさを取り戻していく。
しかし、その場に残されたものは悲惨だった。
校庭の至る所で少年少女たちが倒れ込み、苦しそうに身体を震わせている。
「や、やめろ……っ」
「来るな……来るなぁ……!」
誰もが悪夢でも見ているかのように虚空へ怯えた視線を向け、脂汗を浮かべながら呻いていた。
その中で、辛うじて正気を保っていたのはジーンとリゼアだけだったが、二人も無事とは程遠い。
ジーンは片膝をつき荒く肩を上下させ、ヨルミアも胸元を押さえながら必死に呼吸を整えている。
そして陣から出た瞬間、ナクトの瞳は何事もなかったかのように元の淡い紫へ戻っていた。
「え……?」
ナクトは呆然と周囲を見渡し、自分の目の前で起きている光景に顔を青ざめさせる。
地面へ倒れ込む生徒たち。
苦しそうに息をするリゼア。歯を食いしばりながら呼吸を整えるジーン。
「ふ、二人ともどうしたの……!?」
慌てて駆け寄り、ナクトは二人の顔を交互に覗き込んだ。
「っはぁ……、久々だったな……」
ジーンは大きく息を吐き出しながら、それでも無理やり笑みを浮かべる。
「ちょっと油断したぜ……」
「もしかして……また、あの時みたいに……?」
ナクトの声は小さく震えていた。
その瞬間だった。
『――今の者。名を名乗りなさい』
静まり返った校庭へ、冷たい女の声が響き渡る。それは悪夢にうなされる生徒たちの呻き声すら切り裂くような、感情の欠片もない声だった。
ナクトの肩がびくりと震える。
「な、ナクト……です」
思わずジーンの背中へ隠れるように身を寄せながら答えると、わずかな沈黙の後、再び女の声が校庭へ落ちた。
『そうですか。ではナクト、たった今をもってあなたの処刑が決定されました』
「……え?」
処刑。
その言葉だけが、頭の中で何度も反響する。
誰が。
どうして。
何を言われている。
ナクトは呆然と立ち尽くしたまま、ただ口を小さく開けることしかできなかった。
「処刑だと!?」
次の瞬間、ジーンが怒鳴るように立ち上がる。
「なんでナクトが処刑なんだよ!!」
怒声が校庭へ響き渡り、リゼアも苦しそうに息を乱しながら声を張り上げた。
「そうよ! どうしてナクトが処刑されなきゃいけないの!?」
すると。
校庭中央の空間が、ゆらりと陽炎のように歪んだ。その歪みの中から、一人の女が静かに姿を現す。
漆黒のローブ。
その裾には、深い青色の刺繍が波打つように刻まれている。
長い銀髪は月光のように淡く輝き、その瞳には人間らしい温度が一切存在しない。まるで最初からそこに立っていたかのように、女は静かに校庭へ降り立った。
そして女は現れるなり、倒れている生徒たちへ向け白い光を放つ。
淡い光に包まれた生徒たちは徐々に呻き声を止め、苦しそうに咳き込みながらもゆっくり身体を起こし始めた。
「う……っ」
「ここ、は……?」
混乱した視線が周囲を彷徨う。
その様子を見下ろしながら、女は淡々と口を開いた。
「あなたたちが、まだ正気を保っている方が不思議です」
その声を聞いた瞬間、ナクトは理解する。
――この人だ。
先ほどから校庭全体へ声を響かせ、自分たちを見定めていた存在。
漆黒のローブを纏った女は、生徒たちを見下ろしながら静かに口を開いた。
「私の名は、イネーラ」
感情を感じさせない声だった。
「《テムリアーツ》高等魔法学校、主席教師を務めています」
その言葉だけで周囲の空気が張り詰める。倒れ込んでいた生徒たちも、苦しそうに息を乱しながら顔を上げた。
「そんなことどうでもいいんだよ!!」
ジーンがイネーラを睨みつける。
「なんでナクトが処刑なんだ!! 理由を言え!!」
怒気を剥き出しにした声が校庭へ響き渡る。しかしイネーラは眉一つ動かさなかった。
「理由、ですか」
イネーラは静かにナクトへ視線を向ける。その瞳は氷のように冷たく、まるで人間を見ている目ではなかった。
ナクトは思わず肩を震わせる。
「率直に言いましょう」
イネーラは淡々と告げた。
「その少年――ナクトは、“冥継術師”の系譜を継ぐ者だからです」
校庭が静まり返った。
「冥継術師……?」
誰かが怯えるように呟く。
「冥継術師は、死者の魂・感情・記憶と繋がり、それを継承する極めて危険な存在」
イネーラの声には一切の迷いがない。
「国は古くから、冥継術師を禁忌として定めています」
「そんな……」
ナクトの喉が小さく震える。
冥継術師。
死者。
禁忌。
知らない言葉ばかりだったが、周囲の反応だけで分かる。
それが、この国で恐れられている存在なのだと。
「だからって、いきなり処刑なの!?」
リゼアが食い下がる。
「絶対におかしいわ!」
「おかしくはありません」
イネーラは即答した。その声音は、恐ろしいほど冷え切っている。
「これは国の掟です」
そして。
イネーラはナクトを真っ直ぐ指差した。
「冥継術師は――発見次第、処刑する」
その瞬間だった。生徒たちが、一斉にナクトから距離を取る。
怯えた目。
嫌悪を滲ませる視線。
まるで化け物でも見るかのような顔。
ナクトはその光景を見つめながら、ゆっくりと理解してしまった。
自分は今。
世界から拒絶されたのだ、と。
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コンコンコン。
静まり返った謁見の間に、重厚な扉を叩く音が響いた。
「入れ」
低く、感情の読めない声が返る。
「ハッ、失礼します」
騎士団長は深く一礼し、巨大な扉を押し開けた。
ギギギ――。
鈍い軋み音と共に扉が開き、薄暗い室内が姿を現す。赤い絨毯の先、高い玉座に一人の男が花瓶にさしている花を見ている。
その男は、国王 ヴィルハイム・クローヴェル。
騎士団長は玉座の前まで進むと、迷いなく片膝をつく。
広い空間には、わずかに揺れる燭台の火音しか存在しない。
「……報告は」
玉座から静かな声が落ちた。
「ハッ。本日の入学能力判定試験にて、一名、特殊適性者が確認されました」
そこで騎士団長は一瞬だけ言葉を止める。そして、喉の奥から押し出すように続けた。
「……“冥継術士”です」
その瞬間、謁見の間の空気が凍りついたように感じられた。燭台の火が、ふっと揺れる。
「現在は拘束済みです。地下牢へ収監しております」
しばしの沈黙。やがて国王は肘掛けに置いた指先を僅かに動かし、静かに目を伏せた。
「冥継」
その声音には怒りも驚きもない。ただ、何かを思い返すような、重い響きだけがあった。
「……」
再び沈黙が落ちる。
そして国王は、誰に向けるでもなく不敵な笑みを浮かべた。




