25.煩悶の樹海へ
「そろそろ行こっか」
ウルリカはリュックを背負い、街の門の前で腰に手を当てた。
「食料も買ったし、準備万端だね」
ナクトは荷袋の中をもう一度確認し、小さく頷く。
「よし! 次の街へ出発!」
「お、おー……!」
ウルリカの勢いに押されるように、ナクトも弱々しく拳を突き上げた。
二人は街道へ足を踏み出す。
△▽△▽ △▽△▽
スタスタスタ。
コツ、コツ、コツ。
スタスタスタ。
コツ、コツ、コツ。
二人が歩けば、一定の距離を保つように、もう一つの足音が重なる。
ついにウルリカのこめかみに青筋が浮かんだ。
「…………ッ!」
ぴたりと足を止める。
後ろの足音も同時に止まった。
「なんなのよ! あんた!」
勢いよく振り返る。
そこには、銀髪の青年――キールが、何事もなかったかのように立っていた。
「……歩いているだけだ」
「そんなこと聞いてるんじゃないの!」
ウルリカは人差し指を突きつける。
「なんで私たちの後ろをずっとついてくるのって聞いてるの!」
「気にする必要はない」
「気になるわよ!」
ウルリカは頭を抱え、大きくため息をつく。
「ねえ、ナクトも何とか言ってよ!」
「あ、うん」
ナクトは困ったように苦笑し、キールへ視線を向けた。
「あの……どうしてついてくるんですか? キールさん」
キールは無表情のまま二人を見つめる。
「行き先が同じだ」
短く答える。
「それだけだ」
「いやいや、それだけじゃないでしょ!」
ウルリカは思わずツッコミを入れた。
「そんなことより、お前たちはどこへ向かう」
キールは話を切るように口を開いた。
「旅の目的はなんだ」
「あんたには関係ないでしょ!」
ウルリカが即座に言い返す。
「……人助け、です」
ナクトの声が重なった。
「ちょっと、ナクト……」
ウルリカは頬をかき、小さくため息をつく。
「……まあ、ナクトの言う通りよ。私たちは困っている人を助けながら旅をしてる。それだけ」
言い終えた途端、自分でも少し気恥ずかしくなり、最後の声は小さくなった。
「人助けか」
キールは表情一つ変えない。
「それで」
一拍置く。
「何人救った」
「え……」
ウルリカは言葉に詰まる。
「一人……だけかな」
ナクトが正直に答えた。
「ナクト!」
ウルリカが慌てて袖を引く。
「そういうのは正直に言わなくてもいいの!」
「えっ、ご、ごめん……」
ナクトは申し訳なさそうに肩をすくめる。
キールはそんな二人を静かに見つめた。
「一人か」
その声には嘲笑も感心もなく、ただ事実を確認しただけだった。
「その程度で人助けを語るのか」
静かな一言。
それだけなのに、二人の胸へ重く突き刺さる。
「……一人でも、助けられたなら十分です」
ナクトはまっすぐキールを見つめた。その瞳には、譲れない想いだけが宿っていた。
「……聞いていられないな」
キールは静かに視線を逸らした。
「そういうあんたこそ、何のために”ただ歩いてる”のよ」
ウルリカは口元を吊り上げる。
「おれの目的は人探しと……」
そこでキールは横目だけをナクトへ向けた。
「……まあ、一つはもう済んだ」
「はあ? じゃあ、もう一つは?」
ウルリカは苛立ちを隠さず、つま先で地面をコツコツと鳴らす。
「お前たちに話す義理はない」
「なによ、それ!」
ウルリカは噛みつくように睨みつけた。
「まあまあ……」
ナクトは慌てて二人の間へ入る。
「誰にでも話したくないことくらいあるよ。ウルリカ、落ち着いて」
「ったく……」
ウルリカは肩をすくめる。
「ナクトがいてよかったわね。いなかったら、あんたなんて私の魔法で丸焦げなんだから」
杖をドンッと地面へ突き立てた。
「当たると思っているのか」
キールは一歩も動かない。
「あの程度の魔法が、おれに」
「……あの程度?」
ウルリカの眉がぴくりと動く。
「あんた、あの時見てたのね!? だったらどうして戦わなかったのよ!」
「戦う理由がなかった」
短い一言だった。
「それだけだ」
沈黙が落ち、やがてキールは小さく息を吐き、ナクトへ視線を向けた。
「おい、お前」
「は、はい」
「この女をどうにかしろ」
「え?」
「ここまで騒がしい女は初めて見た」
キールは心底疲れたようにため息をついた。
「誰が騒がしいですってぇぇぇ!」
ウルリカの怒声が道中の果てまで届くように響き渡った。
ナクトは二人を交互に見つめるしかなく、困ったように苦笑いを浮かべた。
「もう、勝手にしなさいよ」
ウルリカは呆れたようにため息をついた。
「最初からお前の許可を得るつもりはない」
キールは表情一つ変えない。
「あんたねぇ!……もういいわ。ナクト、あっちに小さな村があるみたいだから行こっか」
ウルリカは肩を落としながらも気持ちを切り替える。
「うん。でも……」
ナクトは地図を広げた。
「その村へ行くには、煩悶の樹海を抜けないといけないみたいだ」
「煩悶の樹海か」
キールの声色がわずかに低くなる。
「侵入した者の記憶を読み取り、最も深い後悔や恐怖を幻として見せる森だ」
「聞いたことあるわ」
ウルリカも真剣な表情になる。
「幻を拒めば拒むほど精神を削られて、最後には現実との境界すら分からなくなるっていう……」
「迂回しろ」
キールは間髪入れずに言った。
「あそこは、お前たちみたいな子どもが入る場所じゃない」
「子どもですって?」
ウルリカの眉がぴくりと跳ねる。
「そういうあんたは何歳なのよ」
「十八だ」
「ぼくたちと三つしか違わないんですね」
ナクトは少し驚いたように目を丸くした。
「三つ”も”違う」
キールはナクトを見据える。
「おれとお前たちじゃ、くぐってきた修羅場の数が違う」
その一言は、年齢以上の重みを帯びていた。
「いちいち癪に障る言い方するわね!」
ウルリカは腕を組み、ふんと鼻を鳴らす。
「私たちはまだ十五歳なんだから、これからいくらでも強くなるのよ。ねえ、ナクト?」
「うん」
ナクトは穏やかに頷いた。
「ぼくたちはぼくたちのペースで旅をして、一人でも多くの人を助けられる冒険者になりたいんだ……と思ってます」
キールは小さく鼻で笑う。
「……勝手にしろ」
そう言って前を向く。
「だが忠告だけは聞いておけ。煩悶の樹海を甘く見るな。熟練の冒険者ですら、抜けるのに何日もかかることがある」
「でも迂回するとなると……」
ウルリカは地図に目を落とした。
「食料も足りなくなるし、かなり遠回りになるわね……」
ウルリカが地図を見つめたまま黙り込む。
その沈黙を破ったのは、ナクトだった。
「……行ってみよう」
ナクトはゆっくりと顔を上げる。
「ぼくたちの目的は人助けだ。この森にも、助けを待っている人がいるかもしれない」
その瞳に迷いはなかった。
ウルリカは少し驚いたようにナクトを見つめ、それからふっと口元を緩める。
「……そうね」
小さく笑うと、ナクトの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「なんだか少しだけ、頼もしくなったじゃない」
ナクトは照れくさそうに頬をかいた。
「助けに行くつもりが、自分たちが助けられる側になるかもしれん」
静かに口を開いたのはキールだった。
「ミイラ取りがミイラになる、という言葉を知っているか」
「それでも行きます」
ナクトは迷わず答える。
「三人なら、きっとなんとかなります」
「……三人?」
キールが眉をわずかに動かした。
「おれも数に入っているのか」
「だって来るなって言っても、どうせついて来るんでしょ?」
ウルリカはにやりと笑う。
「…………」
珍しくキールが返す言葉を失った。
その様子がおかしくて、ナクトは思わず笑みをこぼす。
「行こう、ウルリカ。キールさん」
ナクトは煩悶の樹海へ続く道へ一歩踏み出した。
その背を見つめ、ウルリカも歩き出す。
キールは小さく息を吐くと、何も言わず二人の後に続いた。
三人の足音は、静かに煩悶の樹海へと吸い込まれていった。




