16.未来の自分を見た夜
「デメリット……?」
ナクトは眉をひそめた。
能力を継承できる。
死者と話せる。
死者を現世へ留めることもできるらしい。
聞けば聞くほど便利な力に思える。
だからこそ、その言葉だけが胸の奥に引っ掛かった。あまりにも都合が良すぎる。そんな力に代償がないはずがない。
「ああ」
男は短く答えた。
風が吹き、荒野の草がざわりと揺れる。月明かりに照らされた横顔は青白く、生者のものとは思えなかった。
「落ち着いて聞け。お前の場合はまだ大丈夫……だと思うがな」
最後だけ声が鈍る。
その曖昧な言い方に、ナクトは思わず唇を噛んだ。
大丈夫。そう言われたはずなのに、まるで安心できない。
「二人分の能力を継承した」
男は指を二本立てる。
節くれだった指先が月光を受けて白く浮かんだ。
「聞こえはいい」
夜風が二人の間を吹き抜ける。
「だが、なぜ冥継術師だけがそんな真似をできると思う?」
「えっと……」
突然問われ、ナクトは視線を泳がせた。
考えてみれば、確かにおかしい。死者の力を受け継ぐなど聞いたこともない。
「冥継術師が特別だから、とか?」
半分ほど諦めながら答えると、男は小さく鼻を鳴らした。
「まあそんなところだ」
感情の見えない声だった。
「おれたちは特別だ」
男は自分の胸元を軽く叩く。乾いた音が夜の静寂に溶けた。
「普通の人間なら魔力を練る器官がある」
そして今度はナクトを指差す。
「だが冥族にはそれがない」
「ない?」
「ああ」
男は頷いた。
「正確には空っぽだ」
ナクトは思わず首を傾げる。
空っぽ。
その言葉が妙に引っ掛かった。
魔法を使えない理由なら分かる。だが、それだけなら話は終わるはずだ。
「空っぽ……?」
男はゆっくり夜空を見上げた。
雲の切れ間から覗いた月が、その虚ろな瞳を白く照らす。
「だから入る」
静かな声だったけれどその一言は妙に重い。
「死者の力も」
男は目を閉じる。
「死者の記憶もな」
ナクトは言葉を失った。無意識のうちに、自分の手へ視線が落ちる。
薬草の知識。花飾りの作り方。どちらも最初から知っていたわけではない。
もし本当に死者の記憶が流れ込んでいるのだとしたら――。今、自分の中にあるものは。
本当に、自分だけのものなのだろうか。
「実はおれも冥継術師だ」
男はぽつりと呟いた。
乾いた風が荒野を吹き抜け、痩せ細った髪を揺らす。
「いや――だった、と言った方がいいかもしれないな」
その言葉にナクトは眉を寄せた。
「だった? もう術師じゃないんですか?」
男はすぐには答えなかった。骨と皮だけになったような細い指先を見つめながら、ゆっくりと擦り合わせる。
まるでそこに、かつて失った何かの感触を探しているかのようだった。
「さっき言ったよな」
男は低い声で続ける。
「冥継術師は体内の空洞――冥核に死霊の能力と記憶を溜め込む」
月明かりが男の横顔を照らした。その頬は不自然なほど痩けている。生きている人間の顔ではない。けれど死者とも言い切れない。そんな不気味な存在感があった。
「おれは傲慢だった」
男は自嘲するように笑う。
「魔法使い、騎士、僧侶……利用できそうな死霊を見つけては未練を晴らし、片っ端から力を継承した」
遠い昔を思い出しているのだろう。
虚ろだった瞳がわずかに揺れた。
「強かったぞ」
男は肩を竦める。
「魔法使いを力でねじ伏せ、騎士を技で叩き伏せる。誰もおれに勝てなかった」
風が吹く。草原がざわざわと波打った。
「気に入らないやつは潰した。歯向かうやつも潰した。恐れられたし、持ち上げられもした」
ふふっ――。
男の口元がわずかに歪む。
「今思えば笑える話だ。神にでもなった気分だった」
だが、その笑みはすぐに消えた。
夜の闇が顔を覆う。
「しかし」
男の声が重く沈む。
「おれが積み上げたものは一瞬で塵になった」
ナクトは思わず息を呑んだ。目の前の男と、今語られている英雄譚のような話がまったく結び付かない。だからこそ恐ろしかった。
「……何があったんですか」
男はしばらく答えない。
やがて夜空を見上げた。雲の隙間から覗く月を見つめながら静かに口を開く。
「冥核には限界があった」
その一言にナクトの背筋が強張る。
「蓄積できる人数は決まっていたんだ」
男は指を折りながら数え始める。
「魔法使いが数人。騎士が数人。僧侶もいた。便利そうな能力は片っ端から集めた」
指が止まる。
「おそらく二十人程度だったんだろうな」
男は苦く笑った。
「だがおれは知らなかった」
その声には後悔が滲んでいた。
「もっと強くなれる。もっと力を手に入れられる。そう思って継承を続けた」
拳がわずかに震える。
「そして限界を超えた」
ナクトは唾を飲み込む。嫌な予感がしていた。
男は夜空から視線を外し、静かにこちらを見る。
「爆発した」
あまりにもあっさりした口調だったが、その一言が妙に重い。
「簡単に言えばそんな感じだ」
男は足元の小石を蹴る。
「水風船に水を入れ続けたらどうなる」
「いっぱいになって……破れます」
「そうだ」
男は頷く。
「おれの冥核は死霊の魂で溢れ返り、耐え切れなくなって破れた」
風が吹く。その瞬間だけ男の輪郭が揺らいだ気がした。
ナクトは思わず目を見開く。
「そこに残ったのが今のおれだ」
男は自分の胸を見下ろした。何の感情も浮かべずに。
「能力も失った。積み上げた力も失った。金も仲間も全部なくなった」
そこで初めて男の声がわずかに震える。
「だがな」
低く掠れた声だった。
「それらはどうでもよかった」
男は拳を握り、骨ばった指が白くなる。
「おれは自分自身を失ったんだ」
ナクトは息を止めた。その言葉だけは理解できなかった。
「自分自身を……?」
男は答える。
「冥核が壊れた人間は元には戻らない」
夜風が吹き抜ける。
「能力を失うだけじゃない。存在そのものが曖昧になる」
男は自分の胸を指で叩くと、空虚な音がした。
「名前も過去も感情も少しずつ消えていく」
その声には諦めがあった。
長い年月をかけて受け入れてきた絶望が。
「……でも」
ナクトは震える声で言う。
「こうして話せてるじゃないですか」
男はしばらく黙り込み、そして小さく笑った。
「そこなんだよ」
月明かりが男の顔を照らす。
「本来ならできない」
虚ろな瞳が真っ直ぐナクトを見た。
「おれはこれまで何人もの冥族に会った」
静かな声だった。
「だが誰一人として、おれを認識できなかった」
風だけが二人の間を通り過ぎる。
「なのにお前は見える」
男は呟く。
「会話もできる」
そして初めて興味を抱いたような目を向けた。
「お前には何かある」
男の瞳が細くなる。
「おれたち冥族の中でも、何か特別なものがな」
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「ウルリカ~、起きて。ほら、街が見えてきたよ」
ナクトは荷台で丸くなっていたウルリカの肩を軽く揺する。
「んん……」
寝ぼけた声を漏らしながらウルリカがゆっくりと身を起こした。
朝日が地平線の向こうから顔を出し始めている。長かった夜も終わりを迎えていた。
「着いたぞ」
御者台から男の声が飛ぶ。相変わらず感情の読めない声だった。
ナクトたちは礼を言い、馬車を降りる。
踏み固められた街道の先には小さな街が見えていた。行き交う人々の姿もある。昨日までの荒野が嘘のようだった。
「ありがとうござ――」
言いかけて振り返る。
だが男はそれ以上何も言わなかった。ただ手綱を握り、前だけを見つめている。
やがて馬車はゆっくりと動き出した。ガラガラと車輪を鳴らしながら。
ナクトはその後ろ姿を黙って見送る。
昨晩聞かされた話が頭から離れない。
冥継術師。能力の継承。死者の記憶。そして――冥核。
男は確かに言った。
力を求め続けた先で、自分自身を失ったのだと。
ガラガラガラ。
馬車は遠ざかっていく。朝靄の中へ溶けるように。その姿はどこか頼りなく、ひどく寂しげだった。
ナクトは無意識に自分の胸元へ手を当てる。
そこにはまだ何の変化もないけれど、もし自分がこれからも死者の未練を晴らし続けたら、能力を継承し続けたらあの男と同じ場所へ辿り着くのだろうか。
小さくなっていく馬車を見つめながら、ナクトはそんなことを考えていた。




