13.父親と風の少女
野宿続きで疲れ切った二人は、ようやく宿場村へ辿り着いた。木々に囲まれた小さな村だった。宿が三軒ほど並び、その周囲に民家がぽつぽつと建っている。
元気だけが取り柄のウルリカでさえ足取りは重い。
「やっと……着いたわね……」
「はあ、はあ……うん、着いた……」
二人は最後の力を振り絞るように村へ入った。どこからか人の話し声や笑い声は聞こえてくる。
けれど賑やかというほどではない。どこか静かな空気が村全体を包んでいた。
村の入口で立ち尽くしていると、
「あれ、お客さんか?」
後ろから声が飛んできた。振り返ると、農具を肩に担いだ男が立っている。日に焼けた肌と人懐っこい笑顔が印象的だった。
「はい。泊まれる場所を探していて」
「それならちょうどいい。歓迎するよ」
男は気さくに笑う。
「ついてきな」
案内されたのは村外れの小さな宿だった。
「ここ、好きに使ってくれていいからさ」
男は宿の鍵を渡す。
「何かあったら声かけてくれ。おれはあそこの家にいる」
宿の奥にある木造の家を指差した。
「そういや名乗ってなかったな。おれはウィット。嫁はクオーネだ」
「私はウルリカ!」
「ぼ、ぼくはナクトです」
「そうかそうか。じゃあゆっくり休みな」
ウィットは大きく手を振りながら去っていった。その背中を見送りながらナクトが呟く。
「いい人だね」
「会ったばかりでしょ」
ウルリカが即座に返す。
「そうだけど……なんだか安心する人だった」
「まあ、それは分かるかも」
そう言ってウルリカは宿の扉を開けた。
中は決して綺麗とは言えなかった。床は少し軋み、壁にも年月を感じる。それでも二人にとっては十分すぎる。屋根がある。ベッドがある。それだけで天国だった。
荷物を置いた瞬間、二人はそれぞれの部屋へ倒れ込んだ。
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どれほど眠っただろう。
コンコンコン。
扉を叩く音でナクトは目を覚ました。
「ナクト、ご飯だよ」
ウルリカの声だった。
「う、うん……」
「先行ってるね」
足音が遠ざかっていく。ナクトは再び目を閉じそうになった。
その時だった。
コンコンコン。
再び扉が鳴る。
『ご飯だってさ』
「うん、今行くよ」
返事をしてから、ナクトはゆっくり顔を上げた。
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数分後、ナクトは宿を出てウィットの家へ向かった。扉を開けると。
「あ、ナクト!」
ウルリカが元気よく手を振る。隣にはエプロン姿の女性がいた。優しそうな笑顔を浮かべている。
ついさっきウルリカは宿に居たはず、とナクトは呆然とした。
「きみがナクトくんね」
女性は柔らかく微笑んだ。
「私はクオーネ。小さな村だけど、ゆっくりしていってね」
「はい、ありがとうございます」
その時だった。ナクトの視線が棚の上で止まる。
一枚の写真。ウィットとクオーネ。そして、その真ん中で笑う小さな女の子。三人とも本当に幸せそうだった。
「ナクト!見て見て!」
ウルリカが籠いっぱいの野菜を抱えて見せる。
「こんなにもらっちゃった!」
「あはは、畑で採れたばっかりだからね」
クオーネが笑う。楽しそうな声が部屋に広がる。けれどナクトだけは、しばらく写真から目を離せなかった。
「この女の子は……?」
ナクトは棚の上に飾られた写真へ目を向けた。
そこにはウィットとクオーネ、そして二人の間で無邪気に笑う少女が写っている。三人とも自然な笑顔を浮かべていて、見ているだけで温かな空気が伝わってくるようだった。だが、その写真を見た瞬間、クオーネの手がぴたりと止まった。
「ああ、その子ね」
彼女は少しだけ目を細める。懐かしいものを見るような、どこか遠くを見つめるような表情だった。
「半年前に亡くなった娘よ」
静かな声だった。
それなのに、その一言は重く胸へ沈んでくる。
「ご、ごめんなさい……」
ナクトは慌てて頭を下げた。聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして、視線を合わせることができない。するとクオーネは小さく首を振った。
「いいのよ。もう半年も前のことだもの。その日が私たちの結婚記念日なんてのも皮肉よね」
そう言って笑う。けれど、その笑顔の奥には消えない寂しさが滲んでいた。
「それより、今日はうちで夕飯を食べていかない? もうすぐ夫も帰ってくると思うし」
空気を変えるようにクオーネが明るく言う。
「ウィットさん、まだお仕事ですか?」
ウルリカが少し驚いたように尋ねた。村へ着いた時も畑仕事をしていたはずだ。クオーネは窓の外へ目を向ける。
「たぶん違うわ」
その声はどこか優しい。
「娘に会いに行ってるの」
一瞬、部屋の空気が止まった気がした。
「会いに……?」
思わずナクトが聞き返す。クオーネは苦笑を浮かべた。
「あの人ね、今でも娘があそこにいる気がするんだって」
窓の向こうには、夕日に染まる森が見えている。
「私は何度か一緒に行ったことがあるの。でも何も感じなかった」
寂しそうに笑いながら、クオーネは布巾でテーブルを拭く。
「だからきっと、私には分からないだけなんでしょうね」
それ以上は聞けなかった。二人は黙って夕食の準備を手伝う。包丁の音と食器の触れ合う音だけが、静かな家の中に響いていた。
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宿へ戻る頃には、空には無数の星が瞬いていた。村の明かりは少なく、だからこそ夜空は驚くほど綺麗だった。
「つらいよね」
不意にウルリカが呟く。
「え?」
「ウィットさん」
彼女は星空を見上げたまま続けた。
「クオーネさん、ずっと笑ってたけどさ」
夜風が髪を揺らす。
「本当はすごく寂しいんだと思う」
ナクトは黙って耳を傾けた。
「娘さんが亡くなったのに、ウィットさんは毎日会いに行くんでしょ?」
ウルリカは小さく息を吐く。
「もし何も感じられなかったら、それってすごく苦しいと思う」
ナクトは足を止めた。森で出会ったルーナのことを思い出す。あの時も死者には強い想いがあった。
だから。
「……何か理由があるのかもしれない」
自然とそんな言葉が零れる。
「理由?」
「うん」
ナクトは俯いた。
「会いたいから残ってるとか……そういうの」
自分でも曖昧な言葉だった。
けれどウルリカはじっとナクトを見つめている。
「ナクトってさ」
「な、なに?」
「そういう時だけ変に詳しいよね」
心臓が跳ねた。
「そ、そうかな……?」
「そうだよ」
ウルリカはくすりと笑う。
「まあいいや」
そう言ってナクトの手を掴んだ。
「私も気になる」
「え?」
「娘さんのこと」
ウルリカの瞳が真っ直ぐ前を向く。
「明日、ウィットさんに話を聞いてみようよ」
ナクトの表情が少し明るくなる。
「うん」
二人は再び歩き出した。
その時だった。
ふわりと風が吹く。ナクトは何となく振り返った。
宿の裏手。月明かりが差し込む木陰に、一人の少女が立っている。年は七、八歳ほどだろうか。白いワンピースを着た少女は、両手で小さな花束を抱えていた。少女はナクトと目が合うと、嬉しそうに微笑む。まるで誰かを待ち続けていたかのような笑顔だった。
「ナクト?」
ウルリカの声が聞こえる。
その一瞬。少女の姿は夜風に溶けるように消えていた。
「どうしたの?」
不思議そうに首を傾げるウルリカへ、ナクトはゆっくり首を振る。
「……なんでもない」
そう答えながらも、胸の鼓動だけは静まらなかった。
あの少女は間違いなく見ていた。自分を。
そして何かを伝えたがっていた。
夜の空に小さな花びらが舞った。




