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12/21

12.迷い猫とかくれんぼ

「こっち……だよね」


「うん。おばあさん、森の奥によく行くって言ってたもんね」


二人は迷い猫を探して森へ入っていた。昼間だというのに木々は深く生い茂り、辺りは薄暗い。湿った土の匂いと葉擦れの音だけが静かに響いている。


四か月。


その言葉が、ずっとナクトの頭に引っかかっていた。


飼い猫が野良として生き延びるには長すぎる時間だ。もちろん生きている可能性もある。けれどナクトは薄々気づいていた。


――多分、この依頼は。


その時だった。


ササッ。


草むらが揺れる。


「あっ……!」


白い影が木陰を横切った。


「ね、猫! ウルリカ!」


ナクトは咄嗟に振り返り、ウルリカの袖を引っ張る。


「どこ!?」


「ほら、あそこ!」


ナクトが指差した先には、揺れる草しかない。


「……逃げちゃったかな?」


ウルリカは残念そうに辺りを見回した。


ナクトは何も言えなかった。


見えていた。確かに。


木々の隙間からこちらを見つめる、淡白い猫の姿が。


「よーし! この辺にいるのは分かったし、もっと探すよ!」


ウルリカは気合を入れるように腕まくりした。


「……うん」


ナクトは曖昧に頷く。


その後も二人は森を歩き回った。倒木の上。岩陰。枝の先。

ナクトは何度も白い猫を見つける。けれどウルリカは一度も気づかない。やっぱり、自分にしか見えていない。森で出会ったルーナの時と同じだった。


――死んでいるんだ。


その確信だけが、静かに胸へ沈んでいく。気づけば空は赤く染まり始めていた。


「ふぅ……今日はこの辺でやめよっか」


ウルリカが額の汗を拭う。


「そうだね」


ナクトは森の奥へ目を向けた。白い猫が、薄暗い木々の隙間からじっとこちらを見つめている。


「……明日には会える気がする」


「へぇ?」


ウルリカが面白そうに振り返る。


「珍しく自信あるじゃん」


ナクトは小さく笑って誤魔化した。




山を下り、二人は宿へ戻ろうとする。

その途中だった。


「あら、帰ってきたのかい」


依頼主の老婦が家の前で二人を待っていた。


「見つかったかい?」


その言葉に、ウルリカの笑顔がぴたりと止まる。


「ま、まだです……」


「そっかい」


老婦は責めることなく小さく笑った。


「一日で見つかるとは思ってないよ」


「明日も頑張ります!」


ウルリカは慌てたように言う。


「ね、ナクト!」


「えっ、あ……はい!」


突然振られ、ナクトは背筋を伸ばした。すると老婦はどこか寂しそうに目を細める。


「……無理はしなくていいからねぇ」


その声音が妙に優しくて、ナクトは胸の奥が少し痛くなった。


「よかったら、うちに泊まっていくかい?」


「えっ!? いいんですか!?」


ウルリカの目が輝く。


「部屋なら余ってるからねぇ。好きに使いな」


金のない二人にとって、それは願ってもない申し出だった。

二階へ上がる直前、ナクトはふと振り返る。家の門前。白い猫が、ちらりと通り過ぎたような気がした。



△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽



翌朝、ナクトは香ばしい匂いに誘われるように目を覚ました。階段を下りると、一階からじゅうっと油の弾ける音が聞こえてくる。


「わぁ……」


思わず声が漏れた。食卓には焼き立てのオムレツと湯気の立つスープ。窓から差し込む朝日が、木造の部屋を柔らかく照らしていた。


「あ、ナクト。おはよ!」


ウルリカは一足先に席へ着いており、すでにオムレツを頬張っている。


「おはよ、ウルリカ」


ナクトは小さく笑った後、台所へ立つ老婦へ頭を下げた。


「あの……ご飯までありがとうございます。でも、ぼくたちお金払えなくて……」


すると老婦は目尻に皺を寄せながら笑う。


「いいんだよぉ。若い子はたくさん食べるのが仕事なんだから」


そう言って、出来立てのオムレツを皿へ乗せた。とろりと溶けた卵の匂いに、ナクトの腹が小さく鳴る。


「……ありがとうございます」


椅子へ腰掛けながら、ナクトはそっと食卓を見回した。

温かい食事。誰かと囲む朝。何気ない会話。そんな当たり前の光景が、胸の奥をじんわり温めていく。昨日の酒場では、冒険者として笑われた。でも、この村には優しく迎えてくれる人もいる。


――だからこそ。


自分も誰かの役に立てる人になりたい。どんな形でもいい。誰かに“ありがとう”と言ってもらえるような人に。

ナクトは静かに箸を手に取った。



△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽



「昨日と同じ山、だね」


「うん。でも今日は絶対見つけるよ!」


ウルリカは拳を握りながら、ずんずん森の中へ入っていく。昨日と同じ道。昨日と同じ木々。昨日と同じ場所。けれどナクトの胸の中には妙な確信があった。


ガサガサ。


ふいに茂みが揺れる。ナクトがそちらを見ると、白い猫がひょこっと顔を出した。そしてこちらを見つめると、森の奥へ駆けていく。


「……やっぱりこの辺だ」


「えー? もう少し別のところ探さない? 移動してる可能性もあるよ?」


ウルリカは別方向を指差す。


「いや、ここでいいんじゃないかな」


「なんか自信満々だねぇ」


試すような目を向けられ、ナクトはぎこちなく笑った。


「ま、まあね……」


もちろん本当の理由なんて言えない。


――猫の霊が見えているから。


ナクトは森の奥を見つめる。ルーナの時と同じだ。自分には死者が見える。だったら、この猫にも未練があるはず。でも猫の未練なんて、どうやって晴らせばいいんだろう。


「この辺だったよね? ナクトが見つけたの」


ウルリカが辺りを見回す。


「私は全然見つけられなかったけど」


「ぼくに任せてよ」


ナクトは強がるように胸を張った。


それからしばらく森を探し回った頃だった。


「ナクト!」


離れた場所からウルリカの声が響く。


「今、こっちから音した!」


「えっ、どこ!?」


ナクトは慌てて駆け寄る。その途中で、違和感を覚えた。


――音?


霊なのに?


「ほら! あそこの草!」


ウルリカが指差す先。草むらがガサガサと大きく揺れている。

ナクトは咄嗟にウルリカの前へ立った。


「ウルリカ、危ない!」


「……!」


ウルリカは目を丸くする。

そして次の瞬間。


「ニャー」


草むらから白い猫が姿を現した。


「あっ、猫!」


ウルリカがぱっと顔を輝かせる。


「この子、おばあちゃんが探してた猫だよね!?」


「……え?」


ナクトの頭が真っ白になった。

見えてる。ウルリカにも、見えてる。


「かわいい〜!」


ウルリカはしゃがみ込み、そっと猫を抱き上げた。猫は嫌がるどころか、甘えるように喉を鳴らしている。


「ほら、抱っこもさせてくれる!」


「え、えぇ……?」


ナクトは混乱した。霊って触れるの?というか、誰にでも見えるの?


「早くおばあちゃんのところ行こうよ!」


「あ、う、うん……」


ナクトは曖昧に頷く。

頭の中がぐちゃぐちゃだった。



△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽



「おばあちゃーん! 猫ちゃんいたよー!」


老婦の家へ戻るなり、ウルリカが勢いよく扉を開ける。


「あらあら……!」


奥から出てきた老婦の目が大きく見開かれた。


「コロロ!」


ニャー。


猫はウルリカの腕から飛び降りると、老婦の足元へ擦り寄った。


「どこ行ってたんだい……もう、心配させて……」


老婦は涙ぐみながら猫を抱き上げる。その光景を見て、ナクトは完全に思考停止していた。


「ナクト?」


ウルリカが不思議そうに顔を覗き込む。


「大丈夫? 感動してる?」


「いや……その……」


ナクトは猫を指差した。


「ウルリカ、あの猫……見えてるんだよね?」


「え?」


ウルリカはきょとんとする。


「何言ってるの? 普通に見えてるけど」


「…………」


ナクトは絶句した。すると老婦が苦笑する。


「実はねぇ、もう死んじゃったのかと思ってたんだよ」


「え?」


「たまーに家の前へちらっと現れるだけだったからねぇ」


老婦はコロロの背を撫でる。


「でも、この子なりに遊んでほしかったのかもしれないね」


「遊ぶ?」


「私、少し前に足を悪くしてねぇ。昔みたいに追いかけっこできなくなったんだよ」


老婦は懐かしそうに笑った。


「この子、昔から山でかくれんぼするのが大好きだったから」


かくれんぼ。

その言葉を聞いた瞬間、ナクトはハッとする。昨日も今日も。自分たちはずっと、この猫とかくれんぼをしていたんだ。


「コロロちゃん、満足そう!」


ウルリカが嬉しそうに猫を撫でる。コロロは目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。

その晩、老婦はご馳走を振る舞ってくれた。焼き魚の匂いが部屋いっぱいに広がる。コロロは魚をぺろりと平らげると、満足したように丸くなった。そしてゴロゴロと喉を鳴らしながら、そのまま静かに眠り始めた。



△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽



その晩、満腹になったナクトとウルリカは、それぞれ二階の部屋へ戻り休むことにした。柔らかな布団へ身体を沈めながら、ナクトは天井をぼんやり見つめる。


――結局、あの猫は霊じゃなかったんだ。


考えてみれば当然だ。草をかき分ける音もしていたし、ウルリカだって普通に抱き上げていた。最初にウルリカが見つけられなかったから、自分が勝手に思い込んでいただけ。そう結論づけたものの、胸の奥には小さな違和感が残っていた。でも、その答えを考える前に、睡魔が静かに意識を包み込んでいく。

ナクトはゆっくり目を閉じた。


翌朝。


「はい、報酬の二万ギルム。本当にありがとうねぇ」


老婦はそう言って、厚みのある封筒を差し出した。隣ではコロロが丸くなりながら、のんびり毛づくろいをしている。


「あー……えっと」


ウルリカが困ったように視線を泳がせた。その気持ちを察し、ナクトが口を開く。


「こ、こんなによくしてもらったので、報酬なんていただけません。ね、ねえウルリカ?」


振り向くと、ウルリカが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「う、うん……。モ、モラエナイ、デス……」


明らかに無理している。ナクトは少し言い過ぎたかもしれないと後悔した。

すると老婦は、くしゃりと優しく笑う。


「いいのいいの。婆の一人暮らしなんて、お金余るばっかりだからねぇ」


そう言って、ウルリカの手を取り、ぐいっと封筒を握らせた。


「あなたたち、冒険者なんだろう? ちゃんと受け取りな」


「……ありがとうございます」


ウルリカの声が震える。

次の瞬間。


「おばあちゃん、本当にありがとぉ……!」


勢いよく老婦へ抱きつき、大粒の涙をぽろぽろ零し始めた。


「おやおや、大袈裟だねぇ」


老婦は困ったように笑いながら、その頭を優しく撫でる。

短い時間だった。

けれど、それでもこの家は温かかった。



△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽



村の門前。

老婦はコロロを抱えながら、二人へ大きく手を振っていた。


「気をつけて行くんだよぉ!」


「はーい! いってきまーす!」


ウルリカも負けじと大きく手を振り返す。


「い、いってきます……またいつか」


ナクトも少し照れながら頭を下げた。


村を出てしばらく歩いた頃。


「いい村だったね!」


ウルリカが晴れやかな笑顔を浮かべる。


「うん。おばあさん、本当に優しかった」


ナクトも自然と笑みを零した。するとウルリカが、じーっとナクトを見る。


「そういえばさぁ」


「え?」


「コロロちゃん探してる時のナクト、なんか変だったよね」


ギクッと肩が揺れる。


「やたら自信満々だったし」


「い、いやぁ? なんとなくだよ、なんとなく!」


ナクトは引きつった笑みを浮かべた。


「……ふーん?」


ウルリカは少しだけ怪しむような目を向ける。けれどすぐに、ぱっと笑顔へ戻った。


「ま、いっか! さあ、次の街に行こう!」


ウルリカは拳を高く突き上げる。


「うん!」


ナクトも頷いた。


「……ほんと、変なやつ」


前を歩きながら、ウルリカは小さく笑う。




春風が二人の間を静かに吹き抜けていった。





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