12.迷い猫とかくれんぼ
「こっち……だよね」
「うん。おばあさん、森の奥によく行くって言ってたもんね」
二人は迷い猫を探して森へ入っていた。昼間だというのに木々は深く生い茂り、辺りは薄暗い。湿った土の匂いと葉擦れの音だけが静かに響いている。
四か月。
その言葉が、ずっとナクトの頭に引っかかっていた。
飼い猫が野良として生き延びるには長すぎる時間だ。もちろん生きている可能性もある。けれどナクトは薄々気づいていた。
――多分、この依頼は。
その時だった。
ササッ。
草むらが揺れる。
「あっ……!」
白い影が木陰を横切った。
「ね、猫! ウルリカ!」
ナクトは咄嗟に振り返り、ウルリカの袖を引っ張る。
「どこ!?」
「ほら、あそこ!」
ナクトが指差した先には、揺れる草しかない。
「……逃げちゃったかな?」
ウルリカは残念そうに辺りを見回した。
ナクトは何も言えなかった。
見えていた。確かに。
木々の隙間からこちらを見つめる、淡白い猫の姿が。
「よーし! この辺にいるのは分かったし、もっと探すよ!」
ウルリカは気合を入れるように腕まくりした。
「……うん」
ナクトは曖昧に頷く。
その後も二人は森を歩き回った。倒木の上。岩陰。枝の先。
ナクトは何度も白い猫を見つける。けれどウルリカは一度も気づかない。やっぱり、自分にしか見えていない。森で出会ったルーナの時と同じだった。
――死んでいるんだ。
その確信だけが、静かに胸へ沈んでいく。気づけば空は赤く染まり始めていた。
「ふぅ……今日はこの辺でやめよっか」
ウルリカが額の汗を拭う。
「そうだね」
ナクトは森の奥へ目を向けた。白い猫が、薄暗い木々の隙間からじっとこちらを見つめている。
「……明日には会える気がする」
「へぇ?」
ウルリカが面白そうに振り返る。
「珍しく自信あるじゃん」
ナクトは小さく笑って誤魔化した。
山を下り、二人は宿へ戻ろうとする。
その途中だった。
「あら、帰ってきたのかい」
依頼主の老婦が家の前で二人を待っていた。
「見つかったかい?」
その言葉に、ウルリカの笑顔がぴたりと止まる。
「ま、まだです……」
「そっかい」
老婦は責めることなく小さく笑った。
「一日で見つかるとは思ってないよ」
「明日も頑張ります!」
ウルリカは慌てたように言う。
「ね、ナクト!」
「えっ、あ……はい!」
突然振られ、ナクトは背筋を伸ばした。すると老婦はどこか寂しそうに目を細める。
「……無理はしなくていいからねぇ」
その声音が妙に優しくて、ナクトは胸の奥が少し痛くなった。
「よかったら、うちに泊まっていくかい?」
「えっ!? いいんですか!?」
ウルリカの目が輝く。
「部屋なら余ってるからねぇ。好きに使いな」
金のない二人にとって、それは願ってもない申し出だった。
二階へ上がる直前、ナクトはふと振り返る。家の門前。白い猫が、ちらりと通り過ぎたような気がした。
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翌朝、ナクトは香ばしい匂いに誘われるように目を覚ました。階段を下りると、一階からじゅうっと油の弾ける音が聞こえてくる。
「わぁ……」
思わず声が漏れた。食卓には焼き立てのオムレツと湯気の立つスープ。窓から差し込む朝日が、木造の部屋を柔らかく照らしていた。
「あ、ナクト。おはよ!」
ウルリカは一足先に席へ着いており、すでにオムレツを頬張っている。
「おはよ、ウルリカ」
ナクトは小さく笑った後、台所へ立つ老婦へ頭を下げた。
「あの……ご飯までありがとうございます。でも、ぼくたちお金払えなくて……」
すると老婦は目尻に皺を寄せながら笑う。
「いいんだよぉ。若い子はたくさん食べるのが仕事なんだから」
そう言って、出来立てのオムレツを皿へ乗せた。とろりと溶けた卵の匂いに、ナクトの腹が小さく鳴る。
「……ありがとうございます」
椅子へ腰掛けながら、ナクトはそっと食卓を見回した。
温かい食事。誰かと囲む朝。何気ない会話。そんな当たり前の光景が、胸の奥をじんわり温めていく。昨日の酒場では、冒険者として笑われた。でも、この村には優しく迎えてくれる人もいる。
――だからこそ。
自分も誰かの役に立てる人になりたい。どんな形でもいい。誰かに“ありがとう”と言ってもらえるような人に。
ナクトは静かに箸を手に取った。
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「昨日と同じ山、だね」
「うん。でも今日は絶対見つけるよ!」
ウルリカは拳を握りながら、ずんずん森の中へ入っていく。昨日と同じ道。昨日と同じ木々。昨日と同じ場所。けれどナクトの胸の中には妙な確信があった。
ガサガサ。
ふいに茂みが揺れる。ナクトがそちらを見ると、白い猫がひょこっと顔を出した。そしてこちらを見つめると、森の奥へ駆けていく。
「……やっぱりこの辺だ」
「えー? もう少し別のところ探さない? 移動してる可能性もあるよ?」
ウルリカは別方向を指差す。
「いや、ここでいいんじゃないかな」
「なんか自信満々だねぇ」
試すような目を向けられ、ナクトはぎこちなく笑った。
「ま、まあね……」
もちろん本当の理由なんて言えない。
――猫の霊が見えているから。
ナクトは森の奥を見つめる。ルーナの時と同じだ。自分には死者が見える。だったら、この猫にも未練があるはず。でも猫の未練なんて、どうやって晴らせばいいんだろう。
「この辺だったよね? ナクトが見つけたの」
ウルリカが辺りを見回す。
「私は全然見つけられなかったけど」
「ぼくに任せてよ」
ナクトは強がるように胸を張った。
それからしばらく森を探し回った頃だった。
「ナクト!」
離れた場所からウルリカの声が響く。
「今、こっちから音した!」
「えっ、どこ!?」
ナクトは慌てて駆け寄る。その途中で、違和感を覚えた。
――音?
霊なのに?
「ほら! あそこの草!」
ウルリカが指差す先。草むらがガサガサと大きく揺れている。
ナクトは咄嗟にウルリカの前へ立った。
「ウルリカ、危ない!」
「……!」
ウルリカは目を丸くする。
そして次の瞬間。
「ニャー」
草むらから白い猫が姿を現した。
「あっ、猫!」
ウルリカがぱっと顔を輝かせる。
「この子、おばあちゃんが探してた猫だよね!?」
「……え?」
ナクトの頭が真っ白になった。
見えてる。ウルリカにも、見えてる。
「かわいい〜!」
ウルリカはしゃがみ込み、そっと猫を抱き上げた。猫は嫌がるどころか、甘えるように喉を鳴らしている。
「ほら、抱っこもさせてくれる!」
「え、えぇ……?」
ナクトは混乱した。霊って触れるの?というか、誰にでも見えるの?
「早くおばあちゃんのところ行こうよ!」
「あ、う、うん……」
ナクトは曖昧に頷く。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
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「おばあちゃーん! 猫ちゃんいたよー!」
老婦の家へ戻るなり、ウルリカが勢いよく扉を開ける。
「あらあら……!」
奥から出てきた老婦の目が大きく見開かれた。
「コロロ!」
ニャー。
猫はウルリカの腕から飛び降りると、老婦の足元へ擦り寄った。
「どこ行ってたんだい……もう、心配させて……」
老婦は涙ぐみながら猫を抱き上げる。その光景を見て、ナクトは完全に思考停止していた。
「ナクト?」
ウルリカが不思議そうに顔を覗き込む。
「大丈夫? 感動してる?」
「いや……その……」
ナクトは猫を指差した。
「ウルリカ、あの猫……見えてるんだよね?」
「え?」
ウルリカはきょとんとする。
「何言ってるの? 普通に見えてるけど」
「…………」
ナクトは絶句した。すると老婦が苦笑する。
「実はねぇ、もう死んじゃったのかと思ってたんだよ」
「え?」
「たまーに家の前へちらっと現れるだけだったからねぇ」
老婦はコロロの背を撫でる。
「でも、この子なりに遊んでほしかったのかもしれないね」
「遊ぶ?」
「私、少し前に足を悪くしてねぇ。昔みたいに追いかけっこできなくなったんだよ」
老婦は懐かしそうに笑った。
「この子、昔から山でかくれんぼするのが大好きだったから」
かくれんぼ。
その言葉を聞いた瞬間、ナクトはハッとする。昨日も今日も。自分たちはずっと、この猫とかくれんぼをしていたんだ。
「コロロちゃん、満足そう!」
ウルリカが嬉しそうに猫を撫でる。コロロは目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。
その晩、老婦はご馳走を振る舞ってくれた。焼き魚の匂いが部屋いっぱいに広がる。コロロは魚をぺろりと平らげると、満足したように丸くなった。そしてゴロゴロと喉を鳴らしながら、そのまま静かに眠り始めた。
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その晩、満腹になったナクトとウルリカは、それぞれ二階の部屋へ戻り休むことにした。柔らかな布団へ身体を沈めながら、ナクトは天井をぼんやり見つめる。
――結局、あの猫は霊じゃなかったんだ。
考えてみれば当然だ。草をかき分ける音もしていたし、ウルリカだって普通に抱き上げていた。最初にウルリカが見つけられなかったから、自分が勝手に思い込んでいただけ。そう結論づけたものの、胸の奥には小さな違和感が残っていた。でも、その答えを考える前に、睡魔が静かに意識を包み込んでいく。
ナクトはゆっくり目を閉じた。
翌朝。
「はい、報酬の二万ギルム。本当にありがとうねぇ」
老婦はそう言って、厚みのある封筒を差し出した。隣ではコロロが丸くなりながら、のんびり毛づくろいをしている。
「あー……えっと」
ウルリカが困ったように視線を泳がせた。その気持ちを察し、ナクトが口を開く。
「こ、こんなによくしてもらったので、報酬なんていただけません。ね、ねえウルリカ?」
振り向くと、ウルリカが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「う、うん……。モ、モラエナイ、デス……」
明らかに無理している。ナクトは少し言い過ぎたかもしれないと後悔した。
すると老婦は、くしゃりと優しく笑う。
「いいのいいの。婆の一人暮らしなんて、お金余るばっかりだからねぇ」
そう言って、ウルリカの手を取り、ぐいっと封筒を握らせた。
「あなたたち、冒険者なんだろう? ちゃんと受け取りな」
「……ありがとうございます」
ウルリカの声が震える。
次の瞬間。
「おばあちゃん、本当にありがとぉ……!」
勢いよく老婦へ抱きつき、大粒の涙をぽろぽろ零し始めた。
「おやおや、大袈裟だねぇ」
老婦は困ったように笑いながら、その頭を優しく撫でる。
短い時間だった。
けれど、それでもこの家は温かかった。
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村の門前。
老婦はコロロを抱えながら、二人へ大きく手を振っていた。
「気をつけて行くんだよぉ!」
「はーい! いってきまーす!」
ウルリカも負けじと大きく手を振り返す。
「い、いってきます……またいつか」
ナクトも少し照れながら頭を下げた。
村を出てしばらく歩いた頃。
「いい村だったね!」
ウルリカが晴れやかな笑顔を浮かべる。
「うん。おばあさん、本当に優しかった」
ナクトも自然と笑みを零した。するとウルリカが、じーっとナクトを見る。
「そういえばさぁ」
「え?」
「コロロちゃん探してる時のナクト、なんか変だったよね」
ギクッと肩が揺れる。
「やたら自信満々だったし」
「い、いやぁ? なんとなくだよ、なんとなく!」
ナクトは引きつった笑みを浮かべた。
「……ふーん?」
ウルリカは少しだけ怪しむような目を向ける。けれどすぐに、ぱっと笑顔へ戻った。
「ま、いっか! さあ、次の街に行こう!」
ウルリカは拳を高く突き上げる。
「うん!」
ナクトも頷いた。
「……ほんと、変なやつ」
前を歩きながら、ウルリカは小さく笑う。
春風が二人の間を静かに吹き抜けていった。




