桜の木の下で
彼は去年の春に私を初めて見たと言った。桜の木の下で、風になびく髪が綺麗だったと言ってくれた。それが彼の初恋だとも教えてくれた。
けれども、私には家の事情があった。仲の良い親同士が、その繋がりを長引かせる為に画策した計画。自分達の子供を結婚させ、子供を作らせて、その子供を互いの絆として象徴化させるつもりだったのだろう。私とアオの親は、私達の事を一度たりとも血の通った子供とも、人間とも思っていなかった。計画に使う物としてしか、私達を認識していなかった。
だからかな。私はアオに同情していながら、アオを人間とは思っていなかった。多分、あっちもそうだったと思う。そうだったからこそ、私達は親を欺く為に上辺を演じ、プライベートを尊重し合えた。
アオが複数の女性と関係を持ってると知ったのは、ちょうど高校生になってから。それは偶然知ってしまった事だけど、嘘はいずれバレるという真理を実感した瞬間だった。
「どういうつもりなの!? こんな事を知られたら、怒られるのはアオだけじゃないんだよ!?」
「親に怒られるのがそんなに怖いか?」
「怖い? 違う! これは駄目な事なんだよ!」
「役を演じ過ぎて役そのものにでもなったか? 僕は男だ。それも年頃のな。女性の一人や二人、求めてしまうんだよ」
「なんて浮気な……!」
「お前もそうしたらいい。自由を謳歌出来るのは今だけなんだ。なら、今の内に関係を作っておくんだよ。そうじゃなきゃ、生きてるのが馬鹿らしくなるじゃないか」
女の元へ戻っていくアオの背に、私は羨ましさを覚えた。私だって分かっている。アオのようにするのが正しいのだと。親に何を言われたって、自分が何をするかの決定権は、自分にある。
けれども、私はアオのように出来ない。自由恋愛への羨望が、私を邪魔している。私は一途でありたいんだ。
それからというもの、アオは更に演じるのが上手くなった。どうすれば男女の関係を臭わせられるか。私の肩を寄せる手、私の話をする口ぶり、笑顔の作り方。本当に、見事だった。すっかり私達の親はアオに騙され、私の親でさえ、アオにお金や物を与えるようになっていった。
私はというと、駄目駄目だった。アオがあんまりにも上手く演じる所為で、私は両親から「もっとアオ君に良くしなさい」と怒鳴られてばかり。アオの両親からも冷ややかな眼を送られてた。
だから高校一年の一年間は、本当に生きた心地がしなかった。学校では誰にも心を開けず、家では親に怒られて。そんな毎日を送っていたから、私は自暴自棄になった。
髪を短くした時、私は自分が女である事を断ち切った。自由恋愛の憧れもキッパリと断ち切り、親の言いなりになる事を選んだ。
そして全てをプラス思考にした。
これで良い。
これが正しい。
私は間違っている。
自我なんてものは、持っていては傷付くだけ。
「花咲さん」
遠慮のある声。見ると、私の前には男の子が立っていた。確か名前は―――
「―――カナタ君、だったか」
思い出せて良かった安心感と、どうして彼の名前を憶えていたのかという疑問。
「桜とか、綺麗な風景が好きなんだ」
そう語るカナタ君の目は、桜にではなく、私に向けられていた。真っ直ぐと見つめてくるその瞳に、私の心に残っていた自我が、最後の抵抗を見せてくれた。
「私も好きです」
考えて出た言葉では無い。
私の心がそう呟いたんだ。




