第85話 SUKIYAKI〜
母が徐に口を開いた。
「え? なに? で、あんたも雪男が好きなの? 私、誰が誰だかわからないけど、名前は知ってるわよ」
母はぼーっとテレビを観ているようだったが、ちゃんとどのアイドルグループなのかは認識しているらしい。
なんだか少し安心した。
このままだと認知症になってしまうんじゃないか……。ちゃんと頭を使って考えているんだろうか?
そんな心配をしていたのだ。
「んー。別に誰かが好きってわけじゃないんだけど、いい楽曲が結構あって……」
「あぁ、そういうことね」
母は再びぼーっとしている。
そして、突然こう言った。
「あれでしょ? SUKIYAKI、食べたいね〜ん♪ってやつ」
は?
さすがに「は?」すぎる。
「……お母さん、誰の話をしてる?」
「やっぱSUKIYAKI、食べたいね〜ん♪、でしょ?」
隣からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「何わろてんねん。こっちは死にそうなんだぞ。ガン患者だぞ!」
……と、ガン患者がガン患者に向かって叫んでいる。
せっかく話し仲間ができるかと思ったのに……。
やばいやつ認定されて終わったな、これは。
「まぁ、多分、お母さんが言ってる人たちとは違うよ」
「あぁ、そうなの。あら、残念」
突然、マダムのような語り口調になった。
さっきまではチンピラみたいな言い方をしていたのに。
「今からだけどさぁ、個室に変えられないかな?」
「へ? 今?」
「うーん。私、過敏性腸症候群ってやつなのか、寝てるときにおならが止まらないのよ」
「そうなの? 全然知らなかった」
「そうなのよ。ぶっ、ぶっ、って。かわいいもんじゃないと思うのよ。自分のおならが大きすぎて、爆発音にしか聞こえなくて、しんどいのよ」
それはしんどいなぁ。
近くにいる人もかわいそうだ。
「本当、近くに火なんてあったら、多分、引火するわね。……でも本当、大変なのよ。ガスが溜まっちゃう」
「じゃあ、お母さん、もう少し歩いてみたりしたら?」
「そうねぇ……。歩くたびにぷっぷ言うこともあるのよ。辛いわ」
「まぁ、もう今日は時間がないから、看護師さんに要件だけ伝えてみるわ。他に何かある?」
「うん、ありがとう。他はないかなぁ」
「あ、そう。わかった」
「よろしく」
そう言って軽く挨拶を交わし、私は病室のドアを閉めた。
さて、看護師さんを探さなければ。
なるべく、さっきの佐藤さんではない看護師さんに、手短に要件だけ伝えようと思う。




