第79話 退院したらしたいこと
パタン、とほとんど音がしないくらい静かにドアが閉まった。
「びっくりしたー。優しそうだけど、結構迫力ある先生だね」
母は天井を見ながらつぶやいた。
「えー。やっぱり飲めないのかなぁ」
「まぁ、普通は飲めないね。病院内でシャンパンは」
「まぁ、そうだよねぇ。入院祝いしたかったなぁ」
それを言うなら退院祝いだろ……と心の中で突っ込む。
それにしても、大変な一日だった。
先生に何を言われるかと思って警戒してしまったが、それよりも、もっとお世話になっている立場なのだから、他に言わなければいけないことがあっただろうに。
いけないことをしたなぁ、と少し反省した。
私は母の方を振り返る。
「あ、それで退院の日のことなんだけどね」
母はまだ天井を見ている。
「何か、やりたいことある?」
「そうね。若いのが見たいわ。孫とか」
素直に孫が見たいと言えばいいのに、なぜこんなにめんどくさい言い方をするんだろうか。
「はい。孫、用意しておきます」
しばらくすると、看護師さんが部屋に入ってきた。
「それでは、抗がん剤の治療を始めますね。本日は……」
時間がないのか、忙しそうに早口で話す。
「あ、看護師の岩井です。よろしくお願いします。お母さん、このまま進めていってよろしいですか?」
「はいー」
偉そうな返事をしている。
母だからか、なおさら腹が立つのだが、岩井さんは忙しそうにしながらも、にこにこしている。
コンコン、とドアの方から音がした。
「あっ、ちょっと入りますねー。面会の方、いらっしゃいますか?」
「あ、私です」
「すみませんが、面会の時間を過ぎています。時間はきちんとお守りいただけますか?」
あぁ、そうか。
個人的に病院で母と会える時間も限られているわけか。
面会できる時間ばかり気にしていて、実際に時間を計るのをすっかり忘れていた。
「すみません。じゃあ、お母さん、私帰るね」
そう言うと、母はめんどくさそうに手を振った。
まぁ、なんとかなるだろう。
看護師さんに一礼して、私は病室を後にした。




