第58話 帽子は戦友
思考力が下がったのか、それとも体力が落ちたのか。
最近の母を見ていると、そんなことを考える。
体力が落ちたのが加齢のせいなのか、癌のせいなのかは分からない。
もしかすると、その両方なのかもしれない。
5階に着くと、母は真っ先にフロアマップを探した。
現在地はここ。
どうやら右へ進むらしい。
言われるまま右へ向かうと、そこはタオル売り場だった。
何かおかしい。
そう思って辺りを見渡すと、反対側に帽子売り場が見えた。
「あーら、やだ。反対だったわ。なんでフロアマップ見ても間違えるんだろうねぇ。ほんと嫌になるわ。」
母はぺちゃくちゃと言い訳をしながら歩き出す。
そして帽子売り場へたどり着いた。
ほう。
帽子が欲しかったのか。
「抗がん剤もこれから始まるでしょう。だからさ、髪の毛もなくなるかもしれないしね。」
そう言いながら、母は店内を見回した。
「つるつるなのもいいかなー、おしゃれだし。とも思うんだけどさ。でも私の場合、周りから『あ、がん患者さんかな』って思われるのが嫌なのよ。」
そう言って店の奥へ進んでいく。
母はこんなによく話す人だっただろうか。
小さい頃は、母が何を考えているのかよく分からなかった。
大人になってからもだ。
もしかすると私は、母のことを何も知らないのかもしれない。
母の価値観も。
母が何を大切にしているのかも。
母にとって、これから帽子は癌と戦うための戦友になるのだろう。
どんな戦友を選ぶのだろう。
そう思うと、私は母の選択を受け入れようと自然に思えた。
「こんなのどう?」
そう言って振り返った母の頭には、カーキ色に黒いラインの入ったキャスケット帽が乗っていた。
「まんまやん。」
思わず声が出た。
「まんまやん。」
もう一度言ってしまった。
戦友は想像以上に戦闘帽の形をしていた。
「お母さん、戦闘帽みたいだよ、それ。」
そう言うと、近くにいたご高齢の店員さんが少しだけムッとした顔をした気がした。
私は慌てて口を閉じる。
母は気にする様子もなく帽子を脱いだ。
すると店員さんが近づいてきた。
「ミリタリーキャップのようで可愛いですよね。こういったデザインをお探しですか?」
「いえ、違います。」
私は心の中で思わず叫んだ。
あっ、なんかよかった!
なんか安心した!
「ワクワクする帽子はありますか?」
母が真顔で尋ねる。
ワクワクする帽子……?
すると店員さんの目の色が変わった。
「ございますよぉ〜。」
待ってましたと言わんばかりの笑顔だった。
「どのようなお色や柄がお好きですか?」
私は母と店員さんの顔を交互に見た。
どうやら、戦友選びはここからが本番らしい。




