第56話 「もう十分」未満
こうして考えると、最近母と会う機会が増えてきた。
節約をしまくって生きてきた人だから、買い物には罪悪感を感じるかもしれないと思っていた。
しかし実際は違った。
母が気にしているのは、
「高いか安いか」
ではなく、
「元が取れるかどうか」
だった。
どれくらい使えるのか。
何回使えば得なのか。
原価はいくらなのか。
そういうことばかり気にしている。
どうやら母には、
「好きだから買う」
という発想があまりないらしい。
それでも、自分が必要だと思ったものを買い、新しい発見を楽しんでいる姿を見ると少し安心した。
この歳になっても、
「知らなかった」
がまだある。
「やったことがない」
がまだある。
もし母が、人生でやりたいことは全部やった。
もう十分だ。そう思っていたなら、
きっと今頃、違う言葉を口にしていた気がする。
まだやったことがないことがある。
それは、生きる理由の一つになるのかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、「着いた。」と母が言った。
顔を上げると、そこは子ども服売り場だった。
どうやら私は何も考えず、ただ母について歩いていたらしい。
「今日、別に私買いたいものないよ?」
「違うのよ。」
母は当然のように言った。
「私が買うのよ。お孫ちゃんの服。」
「えーっ。」
百貨店の子ども服は高い。
重厚感のある店。キラキラした店。ふりふりした店。
どこを見ても、小さいのに高そうな服ばかり並んでいる。
「ちゃんとした服、買ってあげたことないでしょ?」
母はそう言うと、一着の小さな服を手に取った。
「今度みんなで写真でも撮りましょうよ。その時に着る服の下見でもいいし。」
そう言って、まるで十代みたいな顔でくるりと振り返る。
「ほら、これ可愛いんじゃない?」
「まぁ……うちは今、Sweet Red Bean Bunのキャラクターにどハマり中だから着るかなぁ。」
そう言って首を傾げると、母は少し残念そうにした。
「えぇ〜?そう〜?」
そう言いながら値札を見た瞬間、
「うげっ、高っ。」
秒で棚に戻した。
するとそこへ店員さんが近づいてきた。
「何かお探しですか?」
母は一瞬固まった後、「いえ、何も。」と、にこやかに笑っているつもりなのだろうが、右半分の顔は笑顔だが、もう半分は真顔という恐ろしい顔をしていた。
そしてそのまま店を出る。
「まぁ、今度ね。本当に必要な時に。ネッ!」
何事もなかったかのように言いながら、母はずんずん先へ進んでいった。
母の形は元に戻っていて安心したが、一体、あの服はいくらだったんだろう。




