第34話 六本木のカエル男爵
神崎が
「オイッ、行くぞ!」
と言いながら私の腕を引っ張ろうとした頃には、母はすでにガラスが割れた方へ向かって走り出していた。
私は慌てて後を追う。
物騒なものでも持っていたらどうしよう。
いや、そもそも何でガラスが割れたのだろう。
嫌な想像ばかりが頭をよぎる。
私とほぼ同時に、この後叱られるであろう神崎も走り出した。
しかしタイミングが微妙に噛み合わなかった。
ドンッ。
互いにぶつかり、そのまま細い廊下の壁へ激突する。
肩と肘がジンジンと痛む。
だがそんなことを気にしている場合ではない。
私は再び走った。
店内へ続くドアの前では、先ほどのボーイらしい男性が困った顔で立っていた。
ドアは開いたままである。
私は恐る恐る中を覗いた。
そこにいたのは――
見事なまでにカエルだった。
もちろん人間である。
だが、目。
鼻。
口。
輪郭。
全てのパーツの配置が、どう考えてもカエル寄りだった。
体格はでっぷりとしていて、ゆったりとした高級そうな椅子に深く腰掛けている。
片手には泥水のように茶色い飲み物。
おそらく高級な酒なのだろう。
だが私には泥水にしか見えなかった。
私は心の中で彼をこう呼ぶことにした。
カエル男爵。
まるでカエル王国の貴族である。
そのカエル男爵が私たちを見回し、ゆっくりと口を開いた。
「なに?」
低く、腹の底に響く声だった。
そして次の瞬間。
「私服警官?」
と言った。
店内が静まり返った。
神崎は顔面蒼白である。
私は意味が分からない。
母だけが、なぜか少し嬉しそうだった




