パース
三日後と決まった。
「ベルクさんの商会で。倉庫の下見から始めましょう」
店を出る時、Claudeが言ったのはそれだけだった。
***
一日目の夜、ベルクは眠れなかった。
寝台に横になり、目を閉じても、頭が止まらない。倉庫はどのくらい空けられるか。仕切りはどう作るか。伯爵領のどの商会に声をかけるか。王都への知らせはどんな文にするか。版木が刷り上がるまで何日かかるか。販売員たちの揃いの衣装は、いつ縫い上がるか。
考えることが、あまりにも多すぎた。
ベルクは寝台から起き上がると、紙を引き寄せて書き始めた。気づいた時には、窓の外が白んでいた。
***
二日目の夜も、同じだった。
今度は、別のことが頭に浮かんだ。うまくいかなかったらどうする。商人が来なかったら。品物が売れなかったら。倉庫を空けたのに、誰も来なかったら。
いや、とベルクは首を振った。需要が先で、建物は後。小さく始めれば、失敗しても損は小さい。Claudeは、確かにそう言っていた。
それに、版木の広告がある。価格表がある。揃いの衣装がある。マルタの食事もある。これだけ揃えば、人は来る。
そう思った。そう思いたかった。
それでも、やはり眠れなかった。
***
三日目の朝、ベルクは商会の者たちを集めた。
「今日、客が来る。倉庫を見せるから、案内を頼む」
商会の者たちは顔を見合わせた。
「客とは、どなたですか?」
「Claudeさんとフローラ様、それから職人の方たちだ」
「……魔法使い様が?」
「そうだ」
商会の中が、一気にざわついた。
***
昼前に、全員が揃った。
Claude、フローラ、ヴァルター、レオン、イグナーツ、マルタ、マリア。ベルク商会の前に、これだけの顔ぶれが並んだ。
「どうぞ」
ベルクが扉を開け、全員を倉庫へ案内した。天井は高く、奥行きもある。今は、荷が半分ほど入っていた。
「この半分を空けます。どうでしょうか?」
Claudeは倉庫を見回し、しばらく黙っていた。
「十分です」
「仕切りを作れるな」
ヴァルターが天井を見上げた。
「石を敷けば、展示台になる」
レオンは、しゃがみ込んで床を叩いた。
「陶器は、あそこに並べよう」
イグナーツが、倉庫の隅を指さした。
「ここに食事の場所を作れますね。外からも見える」
マルタは入口の方へ歩いていく。
「人の流れは、どうしましょう?」
マリアの問いかけを合図にしたように、全員が一斉に動き始めた。
ベルクは、その場に立ったまま、それを見ていた。この三日間、ずっと頭の中で思い描いてきた場面だった。けれど、実際に皆が動き出すと、思っていたより速く、思っていたより熱かった。
Claudeが、ベルクの横に来た。
「いい倉庫ですね」
「ありがとうございます」
「三日、眠れましたか?」
ベルクは、少し間を置いた。
「……眠れませんでした」
Claudeは何も言わなかった。ただ、少しだけ目が細くなった気がした。
倉庫の中で、全員の声が重なっていた。
***
Claudeは紙を広げ、倉庫の間取りを引き始めた。
「ヴァルターさん、この壁の長さはどのくらいですか?」
ヴァルターが、壁沿いを歩幅で測っていく。
「大体、これくらいだ」
Claudeは数字を書き込み、仕切りの位置を引いた。入口から奥へ、人の流れを矢印で示していく。
「伯爵領の商人の場所はここ。この領の特産の展示はここ。マリアさんの食事処は入口のそばがいいでしょう。外からも見えます」
マリアが、紙を覗き込んだ。
「ここに、厨房を置けますか?」
「簡単なものなら。マルタさん、どのくらいの大きさが要りますか?」
マルタは、少し考えてから答えた。
「煮込みとパンなら、かまど一つで何とかなります」
「では、入口の右側にかまどを置きましょう。煙が出るので、壁に穴を開ける必要があります」
「石の穴は、俺がやる」
レオンが、すぐに手を挙げた。
「仕切りの材料は——」
言いかけたヴァルターに、Claudeが答えた。
「木で十分です。売れれば、次は石にする」
「なるほど」
間取りが、少しずつ埋まっていった。
「もうひとつあります」
Claudeがそう言うと、全員が顔を上げた。
「外からわかるようにします。大きな看板を立てる」
ベルクが首をかしげた。
「看板ですか? それなら、うちにもあります。屋号を書いたものが」
「今あるものより、ずっと大きなものです」
Claudeは倉庫の入口に目をやった。
「前にいたところの歴史でも、看板は昔からありました。居酒屋は樽を吊るし、靴屋は靴の形を掲げる。ただ、それは『何の店か』を示すものです。今回は『ここで何かが起きている』を伝える看板にします。通りの遠くからでも目に入る大きさで」
「遠くから……」
ベルクが通りの方を振り返った。
「文字が読めなくても、あそこで何かやっていると、体で感じるくらいです」
レオンが眉を上げた。「体で感じる?」
「圧があります。大きくて、整っていて、かっこいいものは人を引きつける。下品に大きいのではなく、品があって大きい。それが一番目を引きます」
「品があって大きい、か」
ヴァルターが腕を組んで、天井近くの壁を見上げた。
「読める商人には文字で伝わる。読めない人には、大きさと形で印象が残る。あそこには何かある、と思わせる。それだけでいいんです」
Claudeは紙に、縦長の旗を描き加えた。
「それから、のぼりです。棒に布を取り付けて立てる。風に揺れて、動くものは目を引きます」
全員が紙を覗き込んだ。
ヴァルターが目を細めた。「……なんだ、それは」
レオンが、紙の上の絵を指でなぞった。「旗か? 旗なら、戦場で見たことがある」
「近いですが、違います。戦場の旗は、誰のものかを示す。これは、何があるかを示します。文字を入れれば、読める人には中身がわかる。読めない人にも、布の色や形で目立つ」
ヴァルターが、少し考えるように顎に手をやった。「動くから目に入る、ということか?」
「そうです。人は、動くものをつい見てしまいます」
「それはそうだな。猫でもそうだ」
レオンの一言に、全員が少し笑った。
「看板は倉庫の壁に取り付けます。のぼりは入口の両脇に。通りから見て、ここで何かやっていると一目でわかるようにします」
ベルクが、腕を組んで頷いた。
「なるほど。来てもらうには、まず気づいてもらわないといけない、と」
「そうです。知ってもらうことが最初です。どんなに良い品物があっても、知られなければ売れません」
「商売の基本、ですね」
「はい。認知が先です」
「認知?」
「気づいてもらうことです。気づいてもらって、興味を持ってもらって、来てもらう。その順番です」
ベルクは、まじまじとClaudeを見た。
「……Claudeさんは、どこでそれを学んだのですか?」
Claudeは、少し間を置いた。
「遠いところです」
ベルクは、それ以上は聞かなかった。
壁際で腕を組んでいたフローラが、短く言った。
「のぼりの布、染めが要るな」
「できますか?」
「やってみる」
マリアが、紙の端に手を添えた。
「文字は、私が入れます。書けますから」
全員が、また動き始めた。間取り図の周りに、人が集まっていく。
三日間、眠れなかった。頭の中で、ずっと考え続けていた。
あの三晩、自分はいったい何を心配していたのだろう。ベルクは小さく息をついて、思わず笑っていた。
***
工房に戻ったのは、夜だった。
フローラはすぐに作業に入った。彫刻刀の設計を始めていた。
Claudeは別の紙を広げた。
まず、間取りを正確に引いた。倉庫の寸法を、ヴァルターから聞いた数字で確かめながら。仕切りの位置。かまどの場所。展示台の配置。人の流れ。
それから、別の紙を取った。
今度は、違う角度から描き始めた。
入口の外から見た図だった。奥に向かって、線が一点に集まっていく。遠いものが小さく、手前のものが大きく描かれていく。のぼりが入口の両脇に立っている。看板が壁に掲げられている。入口には、揃いの服を着た販売員が立っている。奥に商品が並んでいる。さらに奥に、食事のコーナーがある。かまどの煙が少し上がっている。
壁はなかった。ガラスもなかった。入口から奥まで全部見える、オープンな構造にした。光が中まで入り、商品が明るく見える。
奥の天井に、小さく丸いものが描いてあった。いくつか並んでいた。
のぼりには文字を入れた。「もつ煮 領内名物」。
それから、工程表のフォームを一枚引いた。縦に作業の欄。横に日付の欄。中身は空白のままだった。明日、全員に聞きながら埋める。
夜明けが来た。
フローラが顔を上げた。「まだやっているのか?」
Claudeが紙から手を離した。「できました」
フローラが紙を覗いた。透視図を見た。しばらく目が止まった。
奥の天井の、丸いものを指さした。
「これは何だ?」
「照明の魔法具です。奥が暗いと商品が見えにくいので、均一に明るくしたいんです」
フローラが少し黙った。
「作れる」
それだけ言って、自分の作業台に戻った。
***
日が昇りきるのを待って、Claudeはベルク商会へ向かった。
扉を開けると、ベルクがいた。それだけのはずだった。
ヴァルターがいた。レオンもいた。
「来られたんですか?」
ヴァルターが頭を掻いた。「気になってな。もう一回、現場を見ておきたかった」
「昨日の帰り道、話してたら止まらなくなった」レオンが言った。
「ちょうどよかったです」
倉庫に入った。Claudeは壁に紙を広げて貼り付けた。
ヴァルターが紙に顔を近づけた。「何だこれは? 建物の中が——外から見えている」
「透視図です。遠くのものを小さく、手前のものを大きく描くことで、実際に見ている景色に近づけます。完成した時の姿を、今の段階で全員が共有できます」
レオンが入口ののぼりを指でなぞった。「こんな描き方があるのか。普通の絵と全然違う」
「この辺りでは、まだ見かけない描き方です。遠近を計算して描きます。全員が同じ完成形を持てれば、指示も迷いも減ります」
「これを見ながら作るのか?」
「はい。どこを作るかではなく——これを完成させるために動いている、という認識になります」
ヴァルターが天井の丸いものを指さした。「これは何だ?」
「照明の魔法具です。フローラさんが作ります」
ヴァルターとレオンが顔を見合わせた。
「工程表を作ります」
Claudeはフォームを広げた。中身は空白だった。
入口の絵を指した。「まず作業を洗い出します。入口から始めます——レオンさん、石の階段を二段作れますか? 土汚れが倉庫に入らないように」
レオンが入口の絵に目をやった。「できる。石は現場で切る。半日で終わる」
Claudeが書き込んだ。
床の部分に指を移した。「次に床です。ヴァルターさん、根太を組む前に床板の準備が要ります。工房で鉋をかけた材料を、搬入してから現場に入る形にしましょう」
ヴァルターが腕を組んだ。「そうだな。現場で鉋をかけるより、工房で仕上げてから持ってきた方が早い。仲間を二人呼ぶ。材料の加工に二日、これは工房でやる。現場は搬入して床下地を組むのに二日、床板張りに二日。現場は計四日見てくれ」
「床を先に仕上げます。作業中は、布や板で覆って守ります」
「わかった」
書き込んだ。
展示台の絵を指した。「仕切りと展示台は、その後です」
ヴァルターが日付の欄を目で追った。「床が終わってから入る。仲間がいれば、さらに三日」
Claudeがレオンに向き直った。「並行して、レオンさんにかまどの煙出しの穴をお願いします。壁に穴を開ける作業は、床の工事と同時に進められますか?」
「できる。ほこりが出るが、覆ってあれば問題ない」
書き込んだ。
天井の丸いものを指した。「照明の魔法具の取り付けは、フローラさんが、仕切りと展示台の後に入ります。天井への取り付けは、最後の工程です」
レオンが少し目を丸くした。「フローラ様が、現場に来るのか?」
「来てもらえるか、確かめます」
Claudeは項目を並べた。並行して動く作業を矢印で繋ぎ、その束を指で示した。
「同時に進むのはこちらです。工房での床板の加工、版木の彫り、チラシの印刷、衣装の縫製、伯爵領の商人への告知。これらは、現場の工事と並行して動きます」
「告知はすぐ動けます。伯爵領には知り合いがおりますので」ベルクが言った。
「王都の商会への告知も、並行でお願いします」
「わかりました」ベルクが帳面に書き留めた。
Claudeが看板の位置を指した。「看板の設置は、完成の最後です。これは領内で目立ちます。設置したら噂が広まります。それは承知の上で」
ベルクが頷いた。
「開催日を逆算します」
全工程を確かめた。どの作業がどの作業を待つかを確かめた。予備の日を入れた。
Claudeが紙の右端に筆を置いた。
「材料の手配と人の確保に三日。施工に十五日。搬入と訓練に十日。合計二十八日。二十八日後が開催です」
全員が静かになった。
「二十八日か」ヴァルターが言った。
「トイレより規模が大きいです」
ヴァルターが顔を上げた。「わかった。仲間を呼ぶ。今日中に声をかける」
「費用の計算をします」
材料費、人件費、食材費、布代、版木の材料費、魔法具の材料費——項目を並べた。
それから計算を始めた。声に出しながら足していった。掛け算が入った。端数の調整が入った。
「合計——」
数字を言った。
ベルクが固まった。
「今、何をしたんです?」
「費用の合計です」
ベルクが紙とClaudeの顔を見比べた。「……頭の中で? 今の全部を、暗算で?」
「そうです」
ベルクがしばらく黙った。
「……どういう頭をしているんですか、あなたは」
「私の頭は、少し特殊なのかもしれません」
ベルクがヴァルターを見た。ヴァルターがレオンを見た。
レオンが肩をすくめた。「まあ、Claudeさんだからな」
それで終わった。
工程表が、透視図の隣に貼り付けられた。
二十八日後の開催日が、紙の右端に書かれていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
168号と仲間たちの物語を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。
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