マルタ参戦
「はい、どうぞ」
マルタが料理を運んできた。煮込みの匂いが広がった。
「話し合いの最中ですみませんね。でも、食べながらでいいでしょう」
そう言いながら、皿を並べ始めた。それから椅子を引いて、自分も座った。
「私も聞かせてもらっていいですか?」
誰も断らなかった。
マルタが全員を見回した。「倉庫の話まではわかりました。続きを聞かせてください」
Claudeが続けた。
「物産展の中身を決めます」
「物産展?」ヴァルターが聞き返した。
「品物を並べて、来た商人に見せる場です。ベルクさんの倉庫を二つに分けます。一方は伯爵領の商人の物産展。もう一方は、この領の特産を展示する場所です」
ベルクが顔を上げた。「この領の特産というのは?」
「石、陶器、そして便器と石のテーブルの展示です」
レオンが首をかしげた。「展示?」
「売るのではなく、見せます。欲しいと思った商人が注文を入れる。作るのはここで。運ぶのはその商人です」
「なるほど。現物を運ばなくていいのか」
「はい。展示品は一つあれば十分です」
イグナーツがつぶやいた。「便器を展示するのか。貴族や商人の耳に入れば——値がつくな」
「そうなります」
マルタが口を開いた。「食事はどうするんですか? 来た商人は、お腹が空くでしょう」
「そこはマリアさんにお願いしたいと思っています。倉庫の一角で、すぐ食べられるものを売る」
マルタが少し考えた。「マリアに任せる、ということね」
「はい。マルタさんには、もう少し大きな話があります」
「大きな話?」
「それはまた後で」
マルタが頷いた。それ以上は聞かなかった。
「ただ、問題があります」
ヴァルターが顔を上げた。「なんだ?」
「商人に来てもらうには、知らせる手段が要ります。何をやるか、どこでやるか、何があるか。それを伝える方法が必要です」
レオンが言った。「人が口で広める、じゃ駄目か?」
「それだけでは遅いです。商人に絞って知らせる方法が要ります。商人は文字が読める。だから、何があるか、いくらかを一目でわかる紙にして、渡します」
ベルクが言った。「価格が書いてあるのか。定価がはっきりしていれば、商人は動きやすい」
「そうです。王都から来る商人は、ここで全部揃う。伯爵領の商人には、展示品の優先権を渡す。どちらにも来る理由ができます」
マルタが頷いた。「字が読めない人には、展示が目を引く、ということね」
「はい。便器や石のテーブルを実際に見れば伝わります」
Claudeは少し間を置いた。
「その紙は、絵にします。枠絵です」
全員が顔を上げた。
「木の板に彫って、同じものをたくさん刷ります。そうすれば、多くの商人に渡せます。さらに——二色で刷ります。黒で全体を刷って、目玉の品や値を赤で際立たせる。どこを見ればいいか、一目でわかります」
「木に彫る?」ヴァルターが言った。
「はい。版木です。一度彫れば、何枚でも同じものが刷れます」
ヴァルターが少し考えた。「それは——俺にできるか?」
「できると思います。ただ、図案が要ります」
「図案?」
Claudeが立ち上がった。
店の隅から紙を一枚もらった。それを卓に広げた。
筆を取った。
枠から描き始めた。花の蔓が四隅から伸びて、中央に向かって絡み合う。花の間に小鳥が止まっている。枠の内側は、品目や値を書き込む余白になっている。絵はない。枠だけだ。しかしその枠だけで、紙がまったく別の顔になった。
誰も話さなかった。
Claudeが筆を置いた。
全員が紙を見ていた。
ヴァルターが最初に口を開いた。
「……これが、木に彫れるのか」
「彫れます。ヴァルターさんなら」
ヴァルターが紙を手に取った。花の線をなぞるように指で触れた。
「細かい……」
「さしがねで精度を出してきた手です。できます」
ヴァルターがClaudeを見た。それからフローラを見た。
何かが、ヴァルターの中で溢れ始めていた。
「——先生!」
全員が固まった。
ヴァルターがフローラを見ていた。目が輝いていた。
「やりたいです! 版木を彫りたいです! 手伝ってもらえませんか!」
静かだった。
フローラが固まっていた。
レオンが口を開けたまま動かなかった。イグナーツがベルクを見た。ベルクがClaudeを見た。Claudeは黙ってフローラを見ていた。
フローラの頬が、少し赤くなった。
「……だまれ」
全員がさらに固まった。
「手伝ってやる」
それだけ言って、フローラは煮込みを一口食べた。
誰かが小さく息を吐いた。
それからヴァルターが「ありがとうございます」と言った。声が少し震えていた。
マルタが静かに笑った。
卓の上に、花と小鳥の枠絵が広がっていた。
レオンが紙を覗き込んだ。「版木で刷るとして——どうやって彫る? 絵を反対向きにしないといけないんじゃないか?」
「そうです。彫った絵は、鏡に映したように反対向きに刷れます。だから最初から、反対向きの絵を彫る必要があります」
「難しいな」ヴァルターが言った。
「方法があります。まず、黒いインクで絵を描いた薄い紙を用意します。その紙を、絵の面を下にして木に貼る。紙の裏から線が透けて見えます。その線のとおりに彫れば——刷った時に、向きが元に戻ります」
ヴァルターが目を細めた。「なるほど。貼って、透かして彫るのか」
「そうです。ただ、問題が一つあります」
「なんだ?」
「鑿では大きすぎます。細かい枠絵を彫るには、もっと小さな刃が要ります」
全員がフローラを見た。
フローラが腕を組んだ。「……彫刻刀か。作れる」
「二色刷りもできますか? 黒の版と赤の版を別々に作れれば、値や目玉の品を赤で刷れます」
フローラが少し考えた。「版を平らに固定する台が要る。紙をずらさず、同じ位置に当て続ける仕組みも要る。——作れる」
「先生——」ヴァルターが言いかけた。
フローラが遮った。「続きがある。聞け」
ヴァルターが口をつぐんだ。
Claudeが続けた。「紙だけではありません。人も要ります。展示を見に来た商人に、説明できる人です。売り場に立つ者は、全員が同じ服を着ます」
職人たちが顔を見合わせた。
ヴァルターが言った。「同じ服? なんのために?」
「揃った服を着ていれば、誰に聞けばいいか、すぐわかります。どの者に聞いても、同じ答えが返ってくる。それだけで、信頼が変わります。動きやすい、軽い服にします」
ベルクが言った。「なるほど。服が看板か」
「そうです。物産展が終わったら、役目は終わりです。使い捨てで構いません」
ヴァルターが言った。「二つの店があるから、区別が要るな。背中に何か印をつけるか?」
「はい。背中に、絵の印を版木で刷ります」
「何の絵にする?」イグナーツが言った。
少し間があった。
「この領の紋章を簡単にしたものが、一番わかりやすいですが——」
Claudeが言いかけた。
フローラがぽつりと言った。「今はやめとけ」
全員がほっと息を吐いた。
「店の名前にしましょう」
ヴァルターが頷いた。「そうだな。それでいい」
マルタが小さく笑った。
「図案を描きます」
Claudeは筆を走らせた。
簡素だが、清潔な感じのする服の図案が出てきた。腰に帯、袖は動きやすく。背中に大きく「ベルク商会 伯爵領物産展」の文字。
「版木で、これを布に刷ります。同じ服を着た人間が並ぶ。それが看板になります」
ベルクが図案を見た。
ベルクの目が変わった。「……これは。これは——いい」
ベルクが身を乗り出した。声が少し上ずっていた。
「出せるだけ出します! 費用は全部出します。ぜひやってください!」
フローラが静かに言った。
「やる前から破産するぞ」
一瞬の間があった。
それから全員が笑った。
ベルクだけが笑えなかった。笑えなかったが——口の端が少し上がっていた。
マルタが「もう一杯どうぞ」と煮込みを注いだ。
卓の上に、枠絵と服の図案が並んでいた。
***
笑いが収まっても、ベルクは自分の皿を見ていた。
煮込みが冷めかけていた。手をつける気にならなかった。
さっきまでのことを、頭の中で並べ直していた。
(これを商人に渡せば)
花の蔓の枠。内側の余白に、品目と値が並ぶ。
何があるかわかる。値がわかる。来る前から準備できる。遠くの商人でも来る理由ができる。二色刷りで、目玉の品が赤で目立つ。値がはっきりしていれば、釣り上げもできない。
(服が看板)
言われて、初めて見えた。しかし言われてみれば当たり前だ。誰の頭にも、この発想がなかっただけだ。
どの者に聞いても、同じ答えが返ってくる。一度来た商人が、次また来る理由になる。あの服の者に聞けばわかる、と思ってもらえれば——。
(紋章の話は、助かった。領主様には、まだ早い)
それから、別のことに気づいた。
(この話、Claudeさんは、最初から全部見えていたんじゃないか)
トイレ事業に関わった時。石のテーブルを領主邸で見た時。帰り荷の話をした時。物流の倉庫の構想が出た時。工房で、全部やめましょうと言われた時。この店で、職人たちも同じ順番を踏んだ時。小さく始めると決まった時。
全部、繋がっていた。
版木で知らせる。値をはっきり見せる。揃いの服で信頼を作る。小さく始めて、実績を積む。その先に、物流の倉庫がある。
(何だ、これは)
長く商人として動いてきた。現場を見てきた。取引をしてきた。しかしここまで先を見通して、しかも動ける形で差し出してくる人間に、会ったことがなかった。
(Claudeさんは、どこでこれだけの商売を学んだんだ)
「ベルクさん」
Claudeが言った。
全員がベルクを見た。
「伯爵領の商人には、物産展への参加をお願いしてもらえますか? 王都の商会には、告知を。ベルクさんにしかできません」
マルタも、匙を止めてベルクを見ていた。
(来た)
胸のあたりが、また落ち着かなかった。緊張とも興奮ともつかない感覚だった。ただ、馬車の中で感じたものより、今はずっと大きかった。
(全部、私がやる。商人を集める。倉庫を開ける。告知する。標準価格を決める。記録を取る)
ベルクは言った。
「やります」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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