職人集結
工房の前に、馬車が待っていた。
御者が三人の姿を見て、手綱を持ち直した。
「町まで急いでくれ」ベルクが言った。
フローラが先に乗り込んだ。ベルクが続いた。Claudeが最後に乗った。
扉が閉まった。馬車が動き出した。
Claudeは、今日のことを整理した。
ベルクが来た。石のテーブルの話をした。商人の本音を話した。帰り荷の話になった。物流の拠点の構想が出た。大きくなりすぎた。止めた。小さく始めることにした。
ここまでは順序だ。問題ない。
それでも、まだ何かが引っかかっていた。
地球にも、似た時代があった。中世のヨーロッパでは、教会が人々の暮らしを、生まれてから死ぬまで支えていた。知識は聖職者が持っていた。民衆は文字を読まなくてよかった。困ったら神に頼めばよかった。その形が、何百年も続いた。
この世界では、魔法使いが同じ場所に立っている。困ったら魔法使いに頼む。自分で考えなくていい。
人々の力は、ずっとそこにあった。使う場がなかった。
その場が、今、少しずつできつつある。工房に職人が集まり、問いを持ち込み、自分で答えを見つけていく。
今夜、全員で話す。何が出てくるか。
Claudeにはわからなかった。
ただ——出てくるものは、おそらく自分が考えた以上のものになる。いつもそうだった。
馬車が揺れた。
窓の外を、夕暮れの町並みが流れていった。煙突から煙が上がり始めていた。
「フローラさん。ヴァルターさんたちは——」
フローラが先に言った。「あの店にいるはずだ。よく工房で話していた」
ベルクとClaudeがフローラを見た。
「なんだ?」
馬車が町の入口で止まった。
Claudeとフローラが降りた。
ベルクが扉から顔を出した。「申し訳ない。予定をほっぽり出して来てしまいまして。一旦商会へ寄ってから向かいます」
「わかりました。先に行っています」
扉が閉まった。馬車が動き出した。
***
馬車の中で、ベルクは一人になった。
夕暮れの町並みが窓を流れていった。
——なんだ、この感じは。
胸のあたりが、妙に落ち着かなかった。長く商売をやってきた。交渉も、修羅場も、何度もくぐり抜けてきた。今更こんなことで——
——緊張している。
年甲斐もなく、緊張していた。
ベルクは苦笑した。自分でも可笑しかった。
あの工房で話していた時は夢中だった。気づいたら話が大きくなっていた。しかし今、一人になって冷静になってみると——今夜これから何が始まるのか、自分でもよくわかっていなかった。
わかっているのは、何かが変わるということだけだ。
「……なんか緊張してきたな」
思わず口に出ていた。
御者が「はい?」と聞いた。
「なんでもない」
馬車が商会の前で止まった。
***
Claudeとフローラは、マルタの店へ向かって歩いていた。
夕暮れの石畳に、二人分の足音が響いた。
フローラが前を歩いていた。Claudeがその後ろを歩いた。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
「なあ」
「はい」
「今夜、うまくいくか?」
Claudeは少し考えた。
「みなさんが動けば、うまくいきます」
「おまえが動かすんじゃないのか?」
「私は答えるだけです」
フローラは前を向いたまま歩き続けた。
マルタの店の灯りが、通りの先に見えてきた。
店に入ると、温かい空気と食事の匂いが来た。
夕食前の時間だった。職人たちの姿があった。
ヴァルターとレオンが隅の席にいた。イグナーツもいた。三人で何やら話していた。
マルタがカウンターの向こうから声をかけた。「いらっしゃい。今日は珍しい顔ぶれですね」
「少し場所を借りていいですか? みなさんに話があります」
マルタがClaudeを見た。フローラを見た。
「どうぞ」
それだけ言った。理由は聞かなかった。
ヴァルターが顔を上げた。「なんだ、勢揃いじゃないか」
レオンが腕を組んだ。「何かあったか?」
そこへ扉が開いた。
ベルクが入ってきた。息が少し上がっていた。
「お待たせしました」
ヴァルターがベルクを見た。「商人まで来るとは——本当に何かあったのか?」
Claudeが全員を見た。
「少し聞いてもらえますか?」
***
Claudeが話し始めた。
石のテーブルの話から始めた。ベルクが領主邸で気づいたこと。工房に来たこと。商人の目でこの領を見た時に何が見えたか。帰り荷の問題。
レオンが言った。「帰り荷の問題は知ってる。どうにもならないと思っていたが」
「なります。この領を、商人が折り返す場所にすれば」
そこから話が変わった。
王都からの商人が荷を降ろして折り返す。伯爵領からの商人が荷を降ろして折り返す。この領で取引して帰る。移動の距離が半分になる。回転が倍になる。
ヴァルターが身を乗り出した。「つまり——ここが商人の集まる場所になるということか?」
「そうです」
「どこに作る?」
「場所はセラフィナ様に選んでもらいます。領の入口のあたり、道沿いが理想です」
「大きさは?」
「荷を大量に保管できる規模が要ります。領主邸に近いくらいの広さを考えています」
ヴァルターが目を見開いた。「領主邸並みか」
「そうなります。建てるのは、ヴァルターさんとレオンさんです」
ヴァルターが立ち上がりかけた。「いつだ?」
レオンが「石の基礎は——」と言いかけた。
イグナーツが「食器や陶器の展示場も要る。俺が——」と言い始めた。
三人が同時に話し始めた。
Claudeは、それを少しだけ見ていた。
工房でベルクとフローラが見せたのと、同じ顔だった。
「ただ——今は、やりません」
全員が止まった。
ヴァルターが眉を寄せた。「……今、なんと言った?」
「物流の倉庫を建てることも、見本市を開くことも、今はやりません。これは、ずっと先の形です」
レオンが口を開けたまま固まった。イグナーツが「は?」と言った。
ベルクは黙っていた。顔色だけが少し変わった。工房で、同じ場面を一度くぐっていた。
壁際で、フローラが小さく息を吐いた。「……二度目だな」
ヴァルターが静かに言った。「ここまで話しておいて、なぜだ?」
「順番があります。大きく動く前に、小さな実績が要ります。信用と信頼が先です。土台なしに建物を建てると崩れます」
店の中が静かになった。
フローラが壁際から全員を見ていた。
「……なんだ、忙しい顔だな」
フローラがぼそりと言った。
ヴァルターがフローラを見た。「忙しいって——当たり前でしょう。ここまで話を聞かされて——」
「続きを聞け」
ヴァルターがClaudeに向き直った。「続きがあるのか?」
「あります」
「……聞こう」
レオンとイグナーツも頷いた。
「まず小さく動きます。大きな建物は要りません。ベルクさんの倉庫を、三十日だけ開放します。伯爵領の商人に場所を貸す。場所代だけ取る。品物は商人が持ち込む。売れた分は商人の利益です」
ヴァルターが拍子抜けした顔をした。「それだけか?」
「石と陶器を出してください。小口でいい。今すぐ出せる量で構いません」
イグナーツが言った。「今すぐ出せるな」
レオンが頷いた。「石も、小口なら今すぐだ」
「最初に、目安の値を決めます。それより高く売ることは禁止。安く売るのは自由。最初の値が高すぎれば売れない。商人が自分で値を下げます。それを見た別の商人が、次は最初から合った値で来る。市場が自分で値を見つけます」
レオンが顎をさすった。「なるほど。競り市みたいなものか?」
「近いです。私のいた場所の市でも、同じことが起きていました。売れない商人は値を下げ、買い手はより良い条件を探す。繰り返すうちに、合った値が見つかる。誰かが決めるのではなく、場が決める」
ヴァルターが繰り返した。「場が決める——面白い考え方だな」
「記録が取れます。何が売れたか。どの値で動いたか。それがあれば——セラフィナ様を動かせます」
ヴァルターが腕を組んだ。「つまり、小さくやって、実績を見せて、それから大きくやると」
「そうです」
ヴァルターが少し間を置いた。
「……なるほどな」
三人の表情が、少しずつ変わっていった。がっくりした顔が、持ち直していった。
フローラが壁際で静かに見ていた。ベルクも黙って聞いていた。
ヴァルターがベルクを見た。「で、倉庫はどこだ?」
ベルクが少し間を置いた。「……三十日なら空けられます。ただ、今のままでは商人に貸せる状態じゃない」
ヴァルターがすぐに応じた。「改修か」
「お願いできますか?」
ヴァルターがレオンを見た。レオンが頷いた。
ヴァルターがベルクに向き直った。「見てからだが——やれると思う」
ヴァルターがClaudeを見た。「これが上手くいったら、次は?」
「それは、みなさんが決めます」
ヴァルターが眉を上げた。「俺たちが?」
「はい」
しばらく沈黙があった。
それからヴァルターが言った。「……面白いな」
レオンが笑った。イグナーツも笑った。
ベルクだけが、まだ真剣な顔をしていた。
何かが、始まりつつあった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
168号と仲間たちの物語を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。
続きが気になると思っていただけたら、ブックマークや、下の☆での評価をいただけると励みになります。




