白い便器
二十三日目の朝、荷車が来た。
イグナーツが先頭を歩き、職人が二人、後ろについていた。荷車には藁に包まれた荷物がいくつも積んである。
ベルクが門のところで出迎えた。
「早かったですね」
イグナーツが言った。「職人たちが急いだ。窯の番を交代でやった。誰も帰らなかった」
荷車が中庭に入った。
セラフィナとエドワール団長が出てきた。エリザとソフィ、ヴァルター、ガレスとダンも続いた。気がつけば現場にいた全員が集まっている。
誰かが呼んだわけではなかった。
イグナーツが藁を解いた。
白かった。
陽の光の中で、白く光っていた。
セラフィナが少し息を飲んだ。
エリザが「あ」と言った。それだけ言った。
ヴァルターは黙っていた。白い便器を、職人の目で見ていた。形を見ていた。
「……きれいだ」
イグナーツが少し目を細めた。
「釉薬が上手く乗った。表面がガラスになっている。水を弾く。汚れが染みない」
エリザが聞いた。「触っていいですか?」
イグナーツが頷いた。「どうぞ」
エリザが便器の縁に触れた。つるつるしている。陶器なのに、冷たくて滑らかだった。
「……不思議な感触」
「これが白い土の焼き上がりです。素地から白くしてあります」
セラフィナは便器から少し離れて、全体を見た。
白い椀を伏せたような形。後ろにS字の管がついている。見たことがない形だった。何に使うものか、知っている。しかしこうして目の前にあると、なぜか美しいと思った。
「……これが、トイレになるんですね」
「はい。設置します」
***
設置作業が始まった。
トイレ棟はすでに骨格ができていた。石の外壁、木の内装、格子の壁、モルタルの床。個室の区切りも終わっている。あとは便器と配管の接続だけだった。
便器を個室に運び込んだ。
床に固定する位置を決めた。排水口と配管の接続部を合わせる。
Claudeはフローラを見た。「水漏れ防止用の詰め物を作ります」
フローラは麻の束を持っていた。
「麻でいいんだな?」
「はい。繊維を圧縮して帯状にしてください。接続部を一周巻けるくらいの長さで」
フローラが魔法で麻の繊維を整え、圧縮する。均一な厚さの帯になった。
イグナーツがそれを見た。
「……麻を使うのか?」
「古くからある方法です。革より水に強い。配管の接続に向いています」
「知らなかった。うちは今まで粘土で埋めていた」
「粘土は乾くと縮みます。麻の繊維は圧縮すると水を含んでさらに膨らむ。隙間が埋まります」
イグナーツは少し間を置いた。
「……なるほど」
フローラが帯状の麻の詰め物を接続部に巻いた。均一に、隙間なく。魔法で押し込んだ。
フローラがイグナーツに言った。「固定しろ」
イグナーツが便器を所定の位置に置き、接続部を合わせた。詰め物が隙間を埋め、便器が動かなくなった。
便器の後ろの壁には、魔石を二つ取り付けた。流す石と、止める石。フローラが術式を刻み、埋め込んだ。
フローラが言った。「次」
四つの個室、同じ作業を繰り返した。便器を置く。詰め物を巻く。固定する。魔石を埋める。次へ。
フローラは無駄な動きをしなかった。作業のたびに麻の束から繊維を引き出しては、同じ厚さに圧縮する。毎回同じ形の詰め物ができた。
ヴァルターがその様子を見ていた。
「……毎回同じになる」
フローラは答えなかった。次の詰め物を作り始めた。
「数を作るには、何か別の方法が要りますね。今後の課題です」
フローラは次の詰め物を作りながら言った。「圧縮する型を作ればいい。木でいい。ヴァルターに頼め」
ヴァルターは少し間を置いた。
「……作れます」
「では頼む」それだけだった。
***
四つの便器が設置された。
手洗い場の魔石も取り付けた。フローラが術式を刻んだ石を二つ、壁に並べて埋め込んだ。出す石に手をかざすと水が出る。止める石にかざすと止まる。受け皿の陶器はイグナーツの窯で焼いたものだった。
Claudeがセラフィナに言った。「試してみますか?」
セラフィナは少し考えた。
「水を流してみます」
セラフィナが便器の流す石に手をかざした。水が便器の中へ流れ込んだ。止める石にかざすと、水が止まった。
水がS字の管を通って流れる。静かな水音がした。においがしない。
全員が聞いていた。
エリザが言った。「……においがしない」
「水が封じています。S字の部分に水が溜まって、においが上がってこない」
エリザはしゃがんで便器の下を覗いた。
「どこに行ったんですか?」
「配管を通って処理槽に行きます。スライムが分解します」
エリザは立ち上がった。
「……スライムが」
「はい」
エリザはソフィを見た。ソフィはエリザを見た。
二人とも何も言わなかった。
セラフィナが手洗い場の出す石に手をかざした。水が出る。受け皿の上で手を洗い、止める石にかざすと水が止まった。
セラフィナは濡れた手を見た。
「……便利ですね」
「これは魔石がないと難しい部分です。フローラさんでないと作れません」
「そうでもない。術式を覚えれば他の魔法使いでもできる。簡単な方だ」
セラフィナが身を乗り出した。「教えてもらえますか?」
「気が向いたら」
エドワール団長はその間、建物の隅に立っていた。
格子の壁を見た。白い便器を見た。魔石から水が出るのを見た。
それからClaudeを見た。
Claudeはエドワール団長の視線に気づいた。
エドワール団長は何も言わなかった。
しかしその目は、工事が始まった日とは違っていた。
***
スライムを処理槽に入れたのは、その日の夕方だった。
冒険者の女が水桶ごと持ってきた。
「入れるだけでいいんですか?」
「はい。蓋を閉めたら、後は触らないでください」
女は水桶を槽の中に傾けた。ぐじゅぐじゅとした音がした。スライムが槽の底に落ちた。
蓋を閉めた。
暗くなった。
密閉された。
槽の中でスライムが動き始めるまで、どれくらいかかるかわからない。しかし条件は整っている。暗所、湿気、有機物が来る経路。
セラフィナが言った。「これで、全部ですか?」
「はい。あとは使うだけです」
セラフィナはトイレ棟を見た。
石の外壁。木の格子。白い便器。魔石の手洗い。地面の下の配管。その先の処理槽。さらにその先の縦穴。
二十三日前、ここには穴が一つあるだけだった。
セラフィナがClaudeに言った。「……ありがとうございました」
「動いたのは全員です。私は知っていただけです」
セラフィナは少し間を置いた。
「それが、一番難しいことだと思います」
Claudeは何も言わなかった。
夕暮れが、白い壁を橙色に染めていた。
***
完成から十日が経った。
領主邸のにおいが変わった。
誰もそれを言葉にしなかったが、全員が気づいていた。何かが違う。空気が違う。邸の中に入った時の、あの独特の重さがない。
気づいたのはエリザだった。
「……においがしない」
ソフィが少し間を置いた。
「していましたか? 今まで」
「していた。慣れていたから、わからなかった」
二人はしばらく黙っていた。
***
メイドの仕事が変わった。
おまるの処理がなくなった。毎朝の憂鬱がなくなった。トイレ掃除は水を流して拭くだけになる。においがないから、長く居られる。丁寧にできる。
エリザが言った。「掃除が嫌じゃなくなった」
「そうですね」
ただ一つだけ問題があった。
水を流し忘れることがある。
用を足した後、流す石に手をかざす。その一手間を忘れると——翌朝、個室を開けた者が恐ろしい目に遭う。においではなく、恥ずかしさで。誰がやったか、大体わかる。罰則はない。しかし当人はその日一日、顔を上げられない。罰則より効く、とエリザは思った。
流し忘れた者の名前は、その日のうちに全員が知っていた。
***
兵士たちは、領主邸の工事を手伝った者とそうでない者で、明確に分かれた。
手伝った者は、完成したトイレを使った。一度使った。
詰所に戻った。
詰所のトイレが、怖くなった。
においではない。以前はそれが普通だった。しかし一度あちらを知ると、こちらに戻れなくなった。
ガレスのところに嘆願書が来た。差出人は兵士十二名の連名だった。
*詰所のトイレ改修をお願いしたい。費用は自腹でも構わない。*
ガレスはその嘆願書を読んだ。
読み直した。
「自腹」とある。兵士が自腹を申し出るのは、極めて異例だった。
ガレスはエドワール団長のところに持っていった。
エドワール団長はしばらく嘆願書を見ていた。
「……セラフィナ様に見せましょう」
セラフィナは嘆願書を読んで、少し間を置いた。
「自腹は結構です。領として手配します」
***
フローラは完成の翌日、工房に籠もっていた。
二日後、ヴァルターが工房に来た。
道具袋を持ち、図面も持っていた。自分で描いてきた図面だった。
「工房のトイレをやらせてほしい。水を張ってあるのは知っている。だが、穴の先は昔のままだろう。勉強がてら、全部繋ぎたい」
フローラは少し間を置いた。
「好きにしろ」
ヴァルターは三日かけて施工した。配管を引き、処理槽を工房の裏に掘り、便器を据える。フローラが接続部を密閉し、魔石の手洗いもつけた。
完成した時、ヴァルターは工房のトイレを自分で確認した。水を流すと、においがしなかった。
「……次は一人でできます」
「そうだな」
それだけだった。しかしフローラは珍しく、作業中ずっと工房にいた。
***
陶器職人のイグナーツが、便器の設計を簡略化し始めた。
最初の便器は美しかったが、手間がかかった。量産するには工程が多すぎる。
イグナーツは二十日ほどかけて型を改良し、工程を減らし、焼成時間を短くした。それでも強度が出るように、素材の配合も変えた。
職人八人が、それぞれ工夫した。
気がつくと、八通りの簡略版ができていた。イグナーツが全部試して、一番いいものを選んだ。
「これで行く」
量産が始まった。
白磁器の便器だけではなかった。白い土で皿を作り、壺を作った。今まで見たことがない白さの皿と壺が焼き上がっている。
マルタの店がそれに目をつけた。
Claudeの助言があった。
「流通に乗せると広がります。白い食器は珍しい。値段がつきます」
マルタはすぐに動き、イグナーツと話をつけた。マリアが運搬を手配すると、最初の荷が出て数日後には注文が来た。
動き出すと止まらなかった。
***
セラフィナが通知を出した。
*町の商店および飲食店において、トイレの改修を希望する者には、費用の半分を領が負担する。*
改装に関わったベルクの商会が、一番乗りで申請した。
工事が終わると、ベルクは店に来る客に言った。
「領主邸と同じトイレです」
それだけで客が来た。
においがしない。清潔だった。白い便器があり、水が流れる。
口コミが広がるのに、三日かからなかった。
*あの店のトイレ、においがしない。*
*白くて、きれいで、水が流れる。*
*トイレで過ごしたくなる。*
最後の噂は少し誇張だったが、言いたいことはわかった。
***
商人たちが話を聞きに来るようになった。
何をしたのか。どうやって作ったのか。費用はいくらか。職人はどこにいるか。
その話が伝わるうちに、少しずつ変わっていった。
最初は「領主が衛生改革をした」という話だった。
次に「大魔法使いと名大工と陶器職人が傑作を作った」という話になった。
その次に「わずか三十日で領主邸が生まれ変わった」という話になった。
「壮絶な三十日」と誰かが言い始めた。
商人のベルクが話す時は、毎回少し盛られた。
「領主様の采配が見事でして。現場がてきぱき動いて。兵士が一丸となって。職人も魔法使いも同じ目標に向かって。そして——材料を全部揃えたのは、うちの商会でして」
最後の一文は毎回入った。
聞いた商人が別の商人に話した。また少し変わった。
セラフィナはその話が自分の耳に入ってきた時、少し眉を上げた。
「壮絶な三十日」
エリザが言った。「そう呼ばれているようです」
「三十日もかかっていませんが」
「噂は丸くなります」
セラフィナは少し間を置いた。
「……ベルクが毎回、自分の商会の話を入れているのは知っています」
「商人ですから」目が笑っていた。
「ぐぬぬぬ」
エリザは何も言わなかった。
しかし廊下の角を曲がってから、少し笑った。
動き出した歯車は、もう止まらない。
***
その夜、フローラは工房の作業台で次の設計図を広げていた。
手を止めた。
何かを忘れている気がした。
何だろう。工房のトイレは終わった。配管も終わった。水漏れ防止用の詰め物の型はヴァルターに頼んだ。陶器職人には次の発注をかけた。
……何だろう。
フローラはしばらく考えた。
思い出せなかった。
「まあ、いいか」
設計図に向き直った。
領主邸の兵士詰所の裏手で、レーザーがぽつんと置かれたままだった。雨除けの布が、風でわずかに揺れていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
168号と仲間たちの物語を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。
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