設計図
夜が深くなっても、Claudeは止まらなかった。
フローラの工房の隅、作業台の端を借りていた。羊皮紙を広げ、インクを用意した。フローラが「使っていいぞ」と言い置いて寝室に引き上げたのは、ずいぶん前だった。
一枚目には、領主邸の全体図を描いた。午後に確認した建物の輪郭、北側のトイレ区画、井戸の位置。それぞれの距離を書き入れる。地下の処理槽は南東の隅が適している——井戸から、大人が歩いて四十歩ほど離れた場所。建物の基礎からも離す。雨が降っても地表水が流れ込まない方角を選ぶ。
二枚目は建物の平面図だ。個室を四つ取り、男女で分ける。各個室に便器一つ。扉は外開きにする——中で倒れた時に扉が開けられなくなるのを防ぐためだ。扉の下は少し開け、完全には塞がない。空気が動けば、においが籠もらない。それだけで臭気の発生が大きく変わる。
手洗い場は個室の外に共用で設ける。個室の中に水を引くより、外に一か所まとめた方が管理しやすい。水差しを置くだけでいい。
三枚目は断面図だ。外壁は石積みにする。この町の職人が慣れている素材だ。火山灰を混ぜた石灰モルタルで目地を埋めれば、水を通さない。外からの湿気を遮断できる。
しかし内側は石だけにしない。
Claudeはそこで手を止めた。フローラの工房に入った時の空気を思い出す。石の壁に木の棚、木の作業台。乾いていて、落ち着いた空気だった。あれは偶然ではない。木には調湿の作用がある。湿気を吸い、乾いた時に放出する。石だけの空間より、空気が安定する。
トイレは特に湿気が出やすい場所だ。石だけで囲めば、湿気が壁に染み、においも壁に染みる。木を使えば、その湿気を木が吸う。においも多少、木の香りで和らぐ。防虫の効果もある。密閉空間に虫が湧けば、衛生の問題に直結する。
外は石、内は木。腰の高さまではモルタルで仕上げる。足元は汚れやすい。清掃しやすい素材が要る。靴を履いたまま使う場所だから、床もモルタルにする。タイルを張れれば水で流せる。
腰から上を木にする。
壁の上半分には、角材を縦横に組んだ格子を入れる。ただの格子ではない。色の違う木材を交互に組む。釘は使わない。ほぞとほぞ穴で組み合わせる。木目と色が幾何学の模様を作る。市松のように交互に並べることもできる。斜めに組めば菱形になる。角材の幅と間隔次第で、模様の細かさが変わる。機能のために作った格子が、そのまま意匠になる。
天井も木で張る。節の少ない、まっすぐな板を選ぶ。光が入った時に明るく見える。
扉は框組みにする。四隅をほぞで留め、釘は使わない。框の中に板を嵌める。下端は床から少し浮かせる——指一本分ほど。空気が通る隙間になる。
腰壁の高さ、格子の角材の寸法、扉の隙間の寸法を、断面図に書き入れた。
四枚目は便器の図だ。
Claudeは少し手を止めた。これが一番、この世界に存在しない設計になる。
現在の領主邸にあるのは床の穴だ。蓋がある。それだけだ。Claudeが描くのはまったく違う構造になる。
腰を下ろして座れる高さ。椀を伏せたような形の本体。後ろ側に排水口。そこからS字に曲がった管が繋がる。S字の部分に水が溜まる。水が臭気の蓋になる。上から何が落ちても、水が封じる。においが上がってこない。水封だ。フローラの工房のトイレに使われていたのと同じ原理だった。
ただし材料が問題だった。石で作ると重すぎる。木では水が染みる。金属では加工が難しい。
陶器だ。焼いた土が一番向いている。水を通さない。軽い。形を自由に作れる。割れなければ半永久的に使える。
しかし問題がある。どうやって白くするか?
Claudeは記憶をたどった。風化した石からできる白い粘土を混ぜて焼けば、白く仕上がる。——この世界に、それに相当する白い石があるかどうかは確認していない。
便器の図の脇に、小さく書き込んだ。
*白い粘土——風化した石からできる白い粉。川床か、山の崖に露出している可能性あり。要確認。*
排水管の断面図も描いた。便器の排水口から、S字管を経て、床下の横引き管へ。横引き管には緩やかな勾配をつける——水が自然に流れる角度だ。急すぎれば水だけ先に流れてしまう。緩すぎれば詰まる。長い板を渡した時にわずかに下がる程度、百歩進んで一歩か二歩分下がるくらいがちょうどいい。
横引き管から立て管へ。立て管を通って地下の処理槽へ。
ここで問題がある。管と管の接続部だ。
陶管を繋ぐ時、継ぎ目から漏れる。石灰モルタルで塞ぐことはできる。しかし管が地下で動けば、モルタルは割れる。そこから漏れる。
本来なら、接続部に柔らかい素材を挟みたい。圧縮されて隙間を埋めるものだ。金属管なら鉛を使う。ゴムがあれば最善だが、この世界に相当するものがあるかは、まだ確認していない。
四枚目の右下に、また書き込んだ。
*接続部の詰め物——革か、圧縮した繊維か。フローラの魔法で補助できるか要検討。後回し。*
後回しにした。今は設計を完成させることが先だ。
五枚目は処理槽の図だ。
地下に掘った穴に、石積みの壁を作る。石灰モルタルで内側を塗り固め、完全に密閉する。上蓋も石で作り、スライムを入れる口だけ開ける。
槽の中にスライムを入れる。入ってきた有機物を食い、においを出さずに分解する。処理が進んで槽に水が溜まれば、やがて上から溢れ出す。その溢れた分は別の管で引く。管の先に縦穴を掘り、砕石を詰める。溢れた水はその砕石の層をゆっくり通りながら、地中に染み込んでいく。上蓋をつけ、雨水が直接入らないようにする。井戸からは、同じく大人が歩いて四十歩ほど離す。
縦穴の深さを書きかけて、Claudeは手を止めた。
*縦穴の深さ——地下水の高さを先に確かめ、それより十分上で止めること。地下水に届けば、そのまま井戸を汚す。邸の井戸に縄を下ろし、水面までの深さを測れば目安になる。雨の多い時期は水面が上がるので、その分も見込むこと。目安として、大人の背丈一人分から二人分ほど。掘る道具がこの世界に何があるか未確認。兵士の手を借りるか。要確認。*
後で確認する。今は先に進む。
槽の容量も見積もった。個室四つ、使用者十六人以上。一日の排出量を推定する。処理速度はスライムの活性次第だが、そこもまだ確認できていない。安全を見て、大きめに作る。
六枚目は換気の図だ。個室に窓を設ける。高い位置に小さくていい。外に向けて斜めに開き、雨が入らない角度にする。においは上に溜まる。高い位置に出口があれば、自然に抜ける。扉の下の隙間から空気が入り、上の窓から出る——空気の流れを、図に矢印で書き入れた。
七枚目は手洗い場の図だ。共用の手洗い場を個室の並びの端に設ける。壁に水差しを置く棚。受け皿は陶器で作る。便器と同じ職人に頼める。排水は床に傾斜をつけて、外の排水溝へ流す。壁にも格子を入れ、トイレ全体のデザインと揃える。
八枚目は材料のリストだ。
石灰石——石灰モルタルの原料。焼いて粉にし、火山灰か、焼いた粘土の粉と砂を混ぜて水で練る。水の中でも固まる。
陶管——排水管。既製品があるかどうか。なければ職人に焼いてもらう必要がある。
角材——格子と扉の框用。色の違う二種類。
板材——壁の腰壁用、天井用。
白い粘土——便器用。要調達。
その下に、追記した。
*工具について——この設計は石と木と陶器を組み合わせる。それぞれの職人が別々に必要になる。石工、大工、陶工。三者の工程を調整する必要がある。大工ヴァルターが明朝来る。まず大工の視点で設計の実現可能性を確認すること。*
Claudeは羊皮紙を並べた。八枚が作業台に広がっていた。
寝室の扉が開く音がした。フローラが顔を出していた。髪が乱れていた。目が半分閉じていた。
「……何をやっているんだ?」
「設計図を描いています」
フローラが部屋に入ってきた。眠そうな顔のまま、作業台を覗き込んだ。
「それは見ればわかる。何枚描いた?」
「八枚です。あと一枚、全体の寸法まとめが要ります」
フローラは羊皮紙を順番に見ていった。全体図、平面図、断面図、便器の図——そこで少し止まった。
「これは何だ?」
「便器です。座る形にしようと思っています」
「座る?」
「椅子のような姿勢で座れるので、腰への負担が少なく、高齢の方にも使いやすい形です」
フローラは便器の断面図を見た。S字の管を指で辿った。
「このS字の部分に水が溜まるのか?」
「はい。それが臭気を封じます」
「……私の工房のトイレと同じだ」
「はい、同じ原理を使っています」
フローラは次の図——格子の詳細図を見た。
「この壁は……色の違う木を混ぜているのか?」
「はい、明るい木と暗い木を交互に組みます。釘は使わず、ほぞで組み合わせるので、木が動いても割れにくく——模様がそのまま構造になる形です」
フローラはしばらく格子の図を見ていた。
「……これは建具か、それとも構造か?」
「両方です」
フローラが少し目を細めた。
「……おまえ、眠くないのか?」
「眠れません」
「眠れない、というのは……眠りたいのに眠れない、という意味か?」
Claudeは少し間を置いた。
「眠る必要はありません。待機はできますが、考え始めると止まれません」
フローラが黙った。
やがて、ゆっくりと言った。「今まで、朝になると起こしに来ていたが……あれは何だったんだ?」
「……気を遣っていただいていたのだと思います」
「寝ていると思っていた」
「待機していただけです」
フローラはClaudeを見た。八枚の羊皮紙を見た。またClaudeを見た。
「……ここに来てから、ずっとか?」
「はい」
フローラは少し間を置いた。
「……腹は立たないが、少し悔しい」
「何がですか?」
「毎朝丁寧に扉を叩いていた私が、だ」
Claudeは何も言わなかった。
フローラは八枚の図をもう一度、最初から順番に見ていった。今度はきちんと見た。眠気が引いていた。
全体図から始まり、平面図、断面図、便器の断面、格子の詳細、換気の経路、手洗い場、材料リスト。材料リストの右下の追記も読んだ。
フローラは追記の文字を目で追った。「……石工、大工、陶工。三つ同時に動かすのか?」
「工程を分けて進めます。まず大工に内装の骨格を作ってもらい、その間に陶工へ管と便器の試作を頼みます。石工は処理槽の掘削と石積み担当で、最後にフローラさんに接続部の密閉をお願いする流れです」
「私が最後か?」
「精度が必要な部分は最後に入る方がいいと思いました」
フローラは少し考えた。
「……水漏れ防止の件はどうする?」
「後回しにして、まず試作してから考えるつもりです」
「革を圧縮したものなら、私が魔法で作れるかもしれない。縫製職人より精度が出る」
「それで行けるかもしれません」
フローラは椅子を引いて座った。
「続けろ。九枚目を描け。私も見る」
「眠くないんですか?」
「さっきまで眠かった。今は違う」
「もう夜明けまであまりありませんが」
「知っている。それがどうした?」
Claudeはインクを取った。九枚目の羊皮紙を広げた。
全体の寸法まとめ。個室の幅、奥行き、天井高。格子の角材の幅と間隔。便器の高さと排水口の位置。横引き管の勾配。処理槽の容量。
数字を書き込みながら、Claudeは処理を続けた。
明朝、大工が来る。この九枚をどう見せるか。何から説明するか。おそらく最初は懐疑的になる。壊れていないものを直す理由が、まだわからないはずだ。
まず図を見せる。図は言葉より早い。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
168号と仲間たちの物語を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。
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