全部壊そう
セラフィナは少し間を置いた。
それから顔を上げた。領主の顔だった。
セラフィナが言った。「わかりました。ガレス副団長、スライムの採取を冒険者に依頼してください。小型のもの、数匹」
ガレスが答えた。「……はい」
「必要な材料は、トイレを見てから教えてください。揃えます」
「はい」Claudeが頷いた。
セラフィナはエリザを見た。「大工のヴァルターを呼んでください。明日の朝一番で」
「はい、領主様」
セラフィナはフローラとClaudeを見た。「それから、邸内のトイレを確認していただけますか? 邸はすぐ先です。ソフィに案内させます」
フローラが軽く頷いた。
「ソフィ」
メイドのソフィが前に出た。「はい。こちらへどうぞ」
フローラとClaudeがソフィについて、領主邸へ向かった。
その背中を見送りながら、エドワール団長はセラフィナの隣に進み出た。
「領主様」
「なんですか、団長」
「この件、私が直接管轄してよろしいですか?」
セラフィナはエドワール団長を見た。
「ガレスではなく?」
エドワール団長は言葉を選んだ。「はい。あの二人は……少し、目を離しにくい」
セラフィナは少し考えた。
「……フローラとClaudeが、ですか?」
エドワール団長は二人が向かった先を見た。二人はもう見えなかった。「二人で一つのような動き方をします。それ自体は問題ありません。ただ、領主様がその中に入っていかれる案件です。私が近くで見ておいた方がいいと思いました」
セラフィナは団長の顔を見つめた。
「Claudeのことが、まだわからないということですか?」
エドワール団長が静かに言った。「人間かどうかより——こちら側かどうか、です」
セラフィナはその言葉を聞いた。
「……わかりました。お願いします」
エドワール団長が頭を下げた。
***
トイレは、邸の北側にあった。
ソフィが扉を開けた。
フローラが中を見た。
石造りの小部屋だった。床に穴があった。蓋がしてあった。隅に水差しが置いてあった。
「これか」フローラが言った。
ソフィが少し緊張した顔で言った。「はい。何か……問題が」
「穴だな。ただの穴だ」
Claudeは室内を観察した。
穴の位置。壁との距離。床の傾斜。窓の有無——窓はなかった。換気は扉だけだった。水差しは手洗い用だった。
「ソフィさん、邸にはこのトイレ一つですか?」Claudeがソフィに聞いた。
「使用人用が裏手にもう一つあります」
「何人がこの邸を使っていますか?」
「領主様、私たち侍女が三人、料理人が二人、警護の兵士が常時十人ほど……合わせて十六、七人かと」
Claudeは処理した。
十六人以上が、穴二つを使っている。
「床下を確認できますか?」
「床下……ですか?」
「穴の先がどうなっているか知りたいです」
三人で裏手に回った。
建物の基礎に沿って、石積みの壁があった。その下、地面に近いところに、小さな染みがあった。
Claudeはその染みを見た。
晴れが続いている。それでも染みがある。
「フローラさん」
「見た。漏れている」
「はい。常時漏れています」
フローラは腕を組んだ。染みを見ていた。
「説明しろ。何が問題で、どうすればいいのか。全部だ」
Claudeは少し間を置いた。
(全部、か)
「わかりました」
Claudeは染みを見たまま、話し始めた。
「まず建物の話からします。この邸の石造りは、私が知っている世界の中世と比べても高い水準です。壁の精度、石の積み方、どれも優れている。魔法による補正があるとしても、職人の技術が高い」
「当然だ」フローラが言った。
「しかしトイレの構造は、私が知っている世界の中世と全く同じです。穴を掘って、蓋をして、土に返す。それで終わり」
「何が問題だ? 土に返るなら問題ないだろう」
「私が知っている世界でも、ずっとそう思っていました。しかし土に返る前に、地下水に混ざります。その地下水を井戸で汲み上げて飲む。見た目は透明です。においもしない。しかし中に病を起こすものが含まれている」
フローラが少し止まった。
「……見えないのか?」
「見えません。私が知っている世界では、それが原因だと気づくまでに、とても長い時間がかかりました。その間に、流行のたびに、大勢の人が亡くなっていました」
フローラは何も言わなかった。
「次に換気の話です。さっきの小部屋、窓がありませんでした」
「扉があるだろう」
「扉を閉めると空気が動きません。臭気が籠もる。香草や香料で誤魔化す方法もありますが、それは根本的な解決ではない。臭気の発生源を断たないといけない」
「断てるのか?」
「断てます。水で封じます。穴の下に水を張った仕掛けを作る。臭気は水を通過できない。それだけで、においがなくなります」
フローラが少し目を細めた。
「……水を張るのか。私が工房に作ったのはそれだ」
「はい。フローラさんは正しい方法を、正しい理由は知らずに作っていました」
フローラは少し間を置いた。
「……続けろ」
「次に人数の話です。この邸には十六人以上がいます。穴が二つ。私が知っている基準で言えば、男女を分けて、それぞれ二つほどは必要です。清潔に保つなら広さも要る」
「そんなに要るのか?」
「要ります。人が使いやすい場所でなければ、外で済ませます。外で済ませれば、どこに染みが広がるかわからない」
フローラは染みを見た。それから建物全体を見渡した。
「……つまり、今あるものは全部、設計が間違っている」
「間違っているというより——概念がなかった。わかった時点から作り直せばいい」
「作り直すとしたら、どうする?」
Claudeは頭の中で設計図を展開した。
「配管を使います。陶管を地下に通して、一つの処理槽に繋げます。処理槽にはスライムを入れて分解させる。配管で繋げば、トイレをどこにでも作れます。数も増やせます」
「配管の接続は私がやる。それ以外は?」
「石灰を使います。石灰石を焼いて、火山灰か、焼いた粘土の粉を混ぜて練る。そうすると、水の中でも固まります。ずっと昔に、ある国が使っていた方法です。槽はそれで密閉します。魔法がなくても職人でできます」
「石灰に、灰を混ぜる。知らない方法だ」
「この世界にも石灰石はあるはずです。焼けば作れます」
フローラは少し考えた。「……試す価値はある。それで、形はどうする?」
Claudeは少し間を置いた。「私が知っている中で、一番合理的なのは——日本という国のトイレです」
「日本?」
「私が知っている世界にあった国です。清潔さ、使いやすさ、維持管理のしやすさ、全てを同時に解決していました。個室を広く取る。手洗いを必ず設ける。換気を確保する。男女を分ける。配管で全て一つの処理槽に繋ぐ」
フローラはしばらく何も言わなかった。
染みを見ていた。建物を見ていた。Claudeを見た。
「……理にかなっている」フローラが言った。
「はい」
フローラはClaudeを見たまま、少し間を置いた。
どこかで見た知識ではない。
見たような知識だ、とは思う。しかしClaudeは「見た」とは言っていない。「知っている」と言った。「私が知っている世界」と言った。
その世界で何があったか。大勢が死んだ。長い時間がかかった。香草で誤魔化した。そして最終的に、日本という国が全部解決した。
それをClaudeは知っている。
知識の源は——本だ。
莫大な本を読んだ何かが、この器の核になっている。建物の構造原理から疫病の歴史から、知らない国のトイレの設計まで。全部本から来ている。
フローラには、それがわかった。
(自分と同じだ)
フローラも本を読んだ。読んで、読んで、読み続けた。魔法の理論書、錬金術の記録、失敗した実験の報告書、誰も読まない古い写本。知識を積み上げて、積み上げて、それが今の自分の核になっている。
Claudeがやってきたことと、自分がやってきたことは——同じだ。
ただ規模が、比べものにならない。
(これは——運命だったかもしれない)
根拠はない。しかしそう思った。167回失敗して、168回目でこれが入った。この知識の塊が。自分の魔法と技術があれば、Claudeが知っている構造を全部、この世界に形として出せる。
やってみたい、という衝動が収まらなかった。
「全部作ろう」
ソフィが青い顔をしていた。
「あの……領主様には」
フローラが歩き出した。「言え。早い方がいい」
***
セラフィナとエドワール団長は、邸の庭で待っていた。
フローラが戻ってきた。
歩き方が違った。目が違った。
「全部壊す」フローラが言った。
庭が静かになった。
「……何を、ですか?」セラフィナが言った。
「トイレだ。全部壊して作り直す」
「全部、とは?」
「邸にあるもの全部だ。今あるものは設計が根本から間違っている」
セラフィナはClaudeを見た。
Claudeが一歩前に出た。
「説明します」
「お願いします」
「トイレの穴は地下に繋がっています。その先が地下水に混ざっている可能性があります。今日確認したところ、晴れが続いているにも関わらず基礎の壁に染みがありました。常時漏れています」
セラフィナの顔が少し変わった。
「……井戸との距離は?」
「確認できていません。ただ領主邸の規模から見て、十分な距離が取れていない可能性があります」
エドワール団長が腕を組んだ。「……春に腹を壊す者が出る、とガレスが言いましたが」
「はい。水が原因かもしれません」
エドワール団長は庭の井戸を見た。それからClaudeを見た。
「作り直すとして——どれくらいかかりますか?」
「材料と職人次第です。ただ設計はできています」
「どんな構造になりますか?」セラフィナが聞いた。
「個室を複数作ります。男女で分けます。配管で地下の処理槽に繋げます。処理槽でスライムが分解します。臭いは水で封じます。換気の窓を設けます。手洗いも設けます」
セラフィナはしばらく黙っていた。
「……今のものとは、全く違う構造ですね」
「はい。概念が変わります」
「費用は?」
「材料は石灰石と火山灰、砂、陶管です。この地域で揃うはずです。職人の手間と時間が主な費用になります」
セラフィナはエドワール団長を見た。エドワール団長は少し考えた。
「……やってみる価値はあると思います」
セラフィナが頷いた。
「わかりました。職人を呼んで——」
フローラが割り込んだ。「設計図は書けるか?」
「書けます」
「明日の朝、職人が来る前に書いておけ。私も見る」
「……フローラさん、設計の段階から入っていただけますか?」Claudeが言った。
「当然だ。私なしでは作れない部分がある」
「配管の接続ですね」
「それだけじゃない。処理槽の密閉、水で封じる仕掛け、換気の設計——全部魔法で精度を出した方が早い。職人には後で覚えさせればいい」
セラフィナはフローラを見た。
珍しく、フローラが前のめりになっていた。
「……フローラ、楽しそうですね」
フローラが即答した。「楽しい。こんな面白い構造、考えたことがなかった」
セラフィナは少し間を置いた。
「……レーザーの件はどうなりましたか?」
フローラが少し止まった。
「ん?」
「兵器の改良の話です。今朝から取り掛かるはずでしたが」
「……ああ。ほっとけ。あとでいいだろう」
エドワール団長が額に手を当てた。
ガレスは遠くを見ていた。
セラフィナは何も言わなかった。
言えなかった。
フローラがあんな目をするのを、初めて見た。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
168号と仲間たちの物語を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。
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