第15話「崩れ去った虚栄と、過去との決別」
村の屋根を厚く覆っていた雪が溶け出し、規則正しい音を立てて地面へと落ち始めた頃だった。
王都の使者が逃げ帰ってからさらに数週間が経過し、季節はゆるやかに冬の終わりを迎えようとしている。
ある日の午後、村の結界のすぐ外側の雪だまりに、一人のみすぼらしい老人が力なく倒れ込んでいるのを村の若者が発見した。
知らせを受けたノアが境界線に駆けつけると、そこにはひどく見覚えのある顔があった。
王都の地下室で奴隷のように働かされていた頃、唯一ノアに対して同情的な態度で接し、粗末な食事を運んできてくれていた心優しい老齢の使用人だ。
ノアはすぐに結界灯を操作して見えない壁を開き、凍えきった老人を内側へと招き入れると、自分の家へと背負って運び、暖炉の前の柔らかい毛皮の上に寝かせた。
騒ぎを聞きつけたエルナが作ってくれた温かい肉と野菜のスープを少しずつ口に運んでやると、老人は深く息を吐き出し、ようやく濁った瞳に正気の色を取り戻した。
老人はノアの顔を認めると、信じられないものを見るように何度もまばたきを繰り返した。
「まさか、本当にノア様がこんな立派な村を作られたとは……王都の噂は真実だったのですね」
老人はひび割れた唇を震わせ、か細い声でゆっくりと王都の現状を語り始めた。
あの使者が手ぶらで帰還した後、王都の魔力インフラはすっかり機能を停止してしまったのだという。
魔導炉の種火を失ったことで巨大な防壁は崩れ去り、魔物が街の下層区画にまで入り込むようになった。
終わりの見えない寒さと恐怖に耐えきれなくなった貴族たちは、次々と屋敷を捨てて暖かい南の領地へと逃げ出した。
全ての責任を問われた宮廷魔術師長レオンは、王族の怒りを買って地位も名誉も財産も剥奪され、かつてノアが押し込められていたあの暗く冷たい地下牢に鎖で繋がれて幽閉されたそうだ。
「レオン様は地下の冷たい石の床の上で、最後まで叫び続けていたそうです。底辺職の灯火師が、自分のような天才魔術師を凌駕するはずがないと……王都はもう、魔法の恩恵を失ったただの冷たい石の街になってしまいました」
老人の語る凄惨な言葉を聞きながら、ノアは手にした木彫りのカップの温もりを静かに味わっていた。
不思議なほど、心は穏やかな水面のように波立たない。
自分を虐げ、ゴミのように捨てた者たちが破滅したと聞いても、胸のすくような喜びも、哀れみも湧いてこなかった。
ただ、自分を理不尽に縛り付けていた過去という名の鎖が、音を立てて崩れ去ったような静かな解放感があるだけだ。
王都の繁栄も、貴族の権力も、ノアの放つたった一つの小さな炎に依存した空虚な幻に過ぎなかったのだ。
「大変な旅だったな。王都からここまで、よく生きて辿り着いてくれた。あんたさえ良ければ、これからはこの村で暮らすといい。空き家ならいくらでもあるし、誰もあんたをこき使ったりしないさ」
ノアが穏やかな声でそう告げると、老人は顔中に深いしわを刻んで、大粒の涙を次々とこぼした。
枯れ木のように痩せ細った彼の手がノアの手を強く握りしめ、言葉にならない感謝の念を伝えてくる。
ノアは老人が温かい毛布の中で静かな寝息を立て始めたのを見届けると、一人で家の外へと出た。
屋根の端から、溶けた雪が心地よい水音を立てて柔らかな土の上に落ちている。
王都での悲惨で冷たい記憶は、この春を前にして溶けゆく雪とともに、ノアの心の中から跡形もなく消え去ろうとしていた。
過去との決別の儀式は、誰にも知られることなく静かに終わりを告げたのだ。




