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名もなき怪異の夜  作者: 早谷 蒼葉


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第九夜 淵より出し鬼 前編

第九夜 淵より出し鬼 前編


 その淵には、昔から近づくなと言われていた。


 近づいたものには、災いがあるとも。


 しかし——それを知るものは、もうほとんどいない。




「ここは、落ち着く……」


 陸は、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。


 異世界から戻って以来、海斗はいつもの神社で過ごすことが増えた。境内の石段に座り、黙って目を閉じている。陸はそれを邪魔しないよう、近くで見守るようにしている。


 先日の事件で、海斗はさらに力を得た。それに比べ自分は——


(……何も護れなかった……)


 その想いが陸の内面を占めている。胸が何かに追い立てられるようにざわつく。


 陸の内心とは裏腹に、時間は静かに流れていく。だが、賑やかな声によって、思考は中断した。


「海斗、陸さん! やっぱ、ここにいた。休日やのに、他にすることあらへんの?」

「ほら、俺の言うた通りやろ?」


 入り口にある鳥居から、小林亮太(こばやしりょうた)高梨恵(たかなしめぐみ)が、境内に入ってくる。


「……ほっとけ」


 海斗が目を閉じたまま応える。


 砂利を踏みしめる足音が近づいて、目の前で止まる。そこで、初めて海斗の目が開いた。


「また仕事か?」

「うん、聡子から相談受けた……」


 その名前に、陸は眉を動かす。


「友達のカップルが、森で遊んどったらしいんやけど……変なんに襲われたらしくて」

「変なん? 幽霊か、化け物か?」

「牛みたいなやつらしいわ」

「……は?」


 恵の思わぬ返答に、海斗の口から間抜けな声が出た。だが恵は大真面目な顔で、海斗を見つめている。


「彼氏の方が、高熱を出して寝込んでるみたい。ケガとかも無いのに意識が戻らん」


 ただの怪異ではない。その匂いのようなものを感じとり、陸の声が低くなる。


「恵ちゃん……場所は?」

「隣り町にある森です。地元じゃちょっと有名なとこらしいですよ」

「……もしかして」


 詳しい場所を確認すると、陸の予想は的中していた。だとしたら今回も二人の方がいい。


 毎度ついてきたがる亮太と恵も、陸が説得するとすぐに折れた。今回は依頼人がいる。陸は早速行動を開始することにした。


「陸、何か心当たりあるんか」

「あそこには地厄(じんやく)がいると聞いている」

「じんやく?」


 地の厄災と書いて地厄(じんやく)。陸も詳しくは知らない。噂話程度に聞いただけだ。


「その土地に巣食うモノのことだ」

「……それが牛なんか?」

「さあな」


 地厄——その言葉の不吉さに、陸の首元で寒気を感じた。




 その土地には電車とバスを乗り継いで訪れた。賑やかな駅前から、少し離れた閑静な住宅街。山を切り開いて宅地を分譲した新興住宅地で、比較的綺麗な一軒家が並ぶ。


 その外れに元の姿を残した森がある。海斗は森に入る手前で、腕を組み森を見上げる。


「この森やな?」

「おそらく、な」

「ほな、行くで!」


 普段通りの口調で、海斗は一歩を踏み出す。気負いも油断も感じない、自然体であると陸には感じた。


(強く、なったんだな……)


 前を行く海斗の背中は、以前より大きく見える。澪はいつも通り、海斗のすぐ後ろに憑いている。陸は目を細め、口元だけで笑みを浮かべた。


 それなりに人の往来があるのか、小道ができていて歩きやすい。しかし、まだ夕方前だというのに、森は薄暗く静かだ。


 二人の足音だけが辺りに響く。


 いや、静か過ぎる——


 陸が違和感を感じ始めた頃、海斗の呟きが聞こえた。


「……嫌な感じやな」


 陸は眉を寄せた。違和感は感じるが、嫌な感じはしない。陸が口を開きかけた時、後ろから声が落ちた。


「そこまでや」


 振り返ると、男が立っている。いつから——陸は気づかなかった自分に舌打ちする。男は険しい顔のまま、再び口を開く。


「ここから立ち去れ」

「あなたは?」


 陸の問いには答えず、男はさらに距離を詰めてくる。


「ここは触るべき場所やない」


 そう言いながら、男は一度だけ森の奥を見る。


「やはり……地厄か?」

「なん、やと?」


 男は目を見張った。そのまま二人を観察するように、視線が往復している。やがて、諦めたように、大きなため息をついた。


「ワシはこの森の管理者、柊木(ひいらぎ)というもんや」


 シワがれた声と、深く刻まれた顔の皺が年齢を感じさせる。陸と海斗はそれぞれ名乗り、害意がないことを示す。


「おっちゃん、ここで何があったんや?」

「……泉が濁り始めたんは最近や」


 柊木は森の奥を見つめる。釣られて陸たちも同じ方向に視線を向ける。


「人が捨てよった……」


 柊木によると、最近になり産廃の不法投棄が始まったらしい。


 粗大ゴミ……崩れた均衡。


「その結果……呼ばれたんや……」

「何がや?」


 海斗の問いに、柊木は答えない。ただ陸には想像がついている。


牛鬼(ぎゅうき)……か?」

「……っ!」

「やはり、な」


 海斗の目が説明しろと訴えかけている。


「牛の頭に、鬼の体を持つ妖怪だ」


 だが、陸にはもう一つ気になることがある。


「元々、ここには何がいるんだ?」

「なぜ……そう思うんや?」

「あなたが、呼ばれたと言ったからだ。呼んだものがいるのだろう?」


 海斗は目を閉じて、腕を組んでいる。陸はそれを横目に、話を続けた。


「何がいる?」


 再び問いかける。だが、柊木は答えない。ただ一言。


「ついてこい」


 陸たちは柊木の言葉に従い、さらに森の奥へと歩を進めた。すると、それほど大きくない泉が姿を現した。


「こっちだ」


 泉から少し離れた場所に、ひっそりと小屋が建てられている。柊木は小屋のドアを開けて、二人を招き入れた。中は広くはないが、意外にも綺麗に整えられている。最低限の生活を送れるように生活用品も揃っているようだった。


 木製のテーブルに陸たちを座らせると、柊木はようやく口を開いた。


「あの泉に、触れてはならんもんが沈んでる」

「何や、それは?」


 長い沈黙が小屋の中を支配する。誰も口を開かない。


 だが——


「かけらや……神様の」


 ようやく声を振り絞るように、柊木は告げた。


「ワシは、見守ってきたんや」


 湯呑みを両手で包み込み、柊木は目を伏せた。


「……何十年もな」


「だが、その神聖な場所が穢された……」

「そうや。そして……呼ばれた」


 柊木はそれ以上、口にしなかった。


 呼ばれたのが牛鬼——そういうことだ。


 点だったものが、陸の中で静かに繋がった。


 重い沈黙が流れる中、海斗は腕を組んだまま動かない。


「なら……」


 海斗は顔を上げ、口元を歪ませる。


「牛鬼を沈めて、神さんを移せばええ——それで終いや」

「そういうことだ」


 陸は迷いなく頷いた。


 柊木は、冷めた目で二人を見ていたが——


 喉の奥でくぐもった笑いを漏らした。


「面白い……だが、ワシは何もしてやれんぞ」

「あぁ、それでいい」


 三人の視線が交錯し、誰も動かない。


 やがて、柊木は立ち上がり、お茶の用意を始めた。


「せめて、これ位はしてやる……その女の分もな」




 日が暮れるまで、陸たちはその小屋で過ごした。柊木は寡黙な男だが、悪い男ではないと陸は感じていた。あたりが暗くなるまで、静かに時間が流れていく。


 そして、夜——


 森は別の顔を見せていた。空気は澄んでいるが重く、闇が人の根源的な恐怖を煽る。澪の気配が揺れ動き始めた頃に、二人は小屋の外に出た。


 目の前には泉。今にも吸い込まれそうな漆黒……


 夜の森は、音が消えていた。風が止み、葉の擦れる音すらしない。


 ただ——


 水面が揺れ始めた。水の音だけが響いている。


 そして、ぼこり、と膨らむ。まるで内側から押し上げられるように。


「陸、きたで」

「わかっている」


 次の瞬間、水面が弾ける。水が飛び散る。黒い塊が、泉の淵から這い出てきた。


 ぬるり、とした音。水を引きずりながら地面へと落ちる。


 四肢が地を踏み、ゆっくりと持ち上がった。


 現れたのは牛の頭、異形の体。その姿はまるで鬼——水をまとった牛鬼。


 白く濁った目が、顔ごとこちらを向く。


 次の瞬間、海斗が動いた。だが、澪は動かない。


 海斗は牛鬼の間合いに届く。その踏み込みは速い。


 牛鬼の腕が振り下ろされ、空気が裂ける。海斗が体をずらした。紙一重で、腕が地面を叩く。


 地面がえぐれ、土と石が弾け飛んだ。


 ギリギリの攻防に見えるが、海斗の表情は変わらない。


「さすがにパワーはあるな」


 冷静さは失っていないようだ。そして、次の瞬間には踏み込んでいる。


 海斗の右腕に霊力が集まっているのが視えた。渦を巻き、その黒が黒を超えて濃くなっていく。


「——くらえや」


 右腕の一閃。拳が牛鬼の胴を捉えた。


 拳がめり込み、音と共に衝撃が爆ぜる。牛鬼の体が、内側から弾けた。


 そのまま膝から崩れ落ちる。しかし、完全には倒れない。牛鬼は腕を真横から、海斗に叩きつける。


 拳が届いたと思った瞬間、海斗は文字通り飛んだ。真上への垂直跳び。そして、そのまま空中で蹴りを入れた。足にも霊力を込めていたのを、陸は見逃さなかった。


 頭の一部分を吹き飛ばされ、牛鬼は今度こそ溶けるように崩れていった。


「ふぅ」


 海斗は足元を払いながら、息を吐いた。


 あっけない結末。陸は海斗を見つめる。そして、強く拳を握りしめた。


 牛鬼は水に戻るように、泉へと沈んでいく。


 やがて、静寂が訪れた。


 何もない。

 風もない。

 音もない。


——だが。


 ぼこり、と水面が膨らんだ。


 同じ動きで、同じ現象が起こる。


 再び——牛鬼が姿を現す。先ほどと何も変わらない異様さで。


「こいつ、不死身なんか!」


 海斗が牛鬼を睨む。


「もう、いっぺんや!」

「海斗、待て!」


 陸は海斗の肩を掴もうと前に出るが、腕が空を切る。伸ばした腕を降ろすことなく、唇を噛んだ。


 その時、また水面が揺れた。


 ぼこり、ぼこり……ぼこっぼこっ……


 小さな波はやがて泉を揺らす。陸の目には、泉そのものが真っ黒な闇に見えた。


「なにっ!」


 やがて、泉全体が泡立ち、その闇の中から何体もの牛鬼が迫り上がってくる。辺りに紫色の靄が立ち込め、臭気を放つ。


 息が重い。

 思考が鈍る。


 澪の気配が大きく揺れ、海斗は足を止め振り向いた。


「おいおい、この数は洒落にならんで……」

「海斗っ!」


 最初に湧き出た牛鬼が、素早い動きで海斗に迫り殴りつけた。反応が遅れた海斗は、避けきれず腕を交差し巨大な拳を受け止めた——が、受け止めきれない。吹き飛ばされ木立の中に消えていった。


 澪が海斗の方へ飛んでいくのが視えた。


「くそっ!」


 陸も駆け寄ろうとしたが、他の個体に阻まれる。二体同時に殴りつけられ、霊力の壁で防ぐ。


「ぐっ!」


 陸の顔が歪む。集中を切らせない。だが、先ほどから臭気が一段と強くなり邪魔をする。


 視界の端で、柊木のいる小屋を確認する。牛鬼たちの注意は向いていないようだ。柊木は大丈夫だ。


(これで、こちらに集中できる)


 その時、木立から海斗が飛び出してきた。澪を背中に乗せている。


「すまん、油断した!」

「海斗、大丈夫かっ?」

「平気や!」


 頭と口から血を流しながら、海斗は不敵な笑みを浮かべた。


「暴れるで! 澪っ!」


 海斗と澪の気配が重なり、霊力が流れ出す。一人の時とは比べ物にならない霊力で、二人は牛鬼を撃破していく。


 だが——


 やはり、牛鬼の復活は止まらない。むしろ、増えていく。陸は途中で数えるのを止めた。


 陸の相手は常時二体。それ以外は全て海斗たちへ。


 まるで陸はいないかのよう。


 しかし、陸は突如自身の体に異変を感じた。


(か、体が……)


 もどかしくなるほど、動きが鈍くなってきた。考えようとして、それすらも消えていく。


「まさか……この、靄、が……」


 目だけで海斗を確認すると、膝をついている後ろ姿が見えた。そこへ牛鬼たちが群がる。


「か、海斗……」


 まともに立つことすら厳しくなってきたが、這うように海斗を目指す。もはや視界もぼやけているが、それでも体は止まらない。


「俺が……護る……」


 海斗に追いつき、庇うように前に立つ。だが、薄くなった防御壁はあっさりと崩れ落ち、陸は横殴りの拳で吹っ飛ばされた。


「ぐっ!」


 途切れそうになる意識の中で、澪の気配が海斗を包み込むのを感じた。


(澪……頼む……)


 陸はそのまま泉の底へと沈んでいった。


 泉の底で、何かが光った気がした……


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