表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名もなき怪異の夜  作者: 早谷 蒼葉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/10

第十夜 淵より出し鬼 後編

第十夜 淵より出し鬼 後編


(みお)……頼む……)


 陸は薄れゆく意識の中、水の中に落ちる感覚を覚えた。無慈悲な冷たさが全身を覆う。浅いはずの泉に、陸はどこまでも沈んでいく。


(海斗は……無事か……)


 呼吸をしていないはずなのに、苦しくはない。


(俺は……護れ、なかった)


 落ちていく、どこまでも……

 …………

 ……


(……もう、ここまでか……ならせめて)


 もう体に力は入らない。


(俺の、全て——持っていけ)


——それでも、護れなかったとしても。


 やがて、体が土の上にゆっくりと落ちる。


 泉の底。


 目を開いているのかすら分からない暗闇。もはや感覚も失った。


 だが……胸に小石のようなものが乗る。その感触だけは感じた。そして、その場所がほんのり暖かくなる。


(な、んだ……)


 残された意識が、全て胸に集中する。それに意味があるのかは分からない。だが、温もりが全身に広がっていくようだ。


 そして——声が響いた。


「……人間よ——面白いな」


 それは、水中とは思えないほどはっきりと、陸の意識に届く。


 音として聞いているのかも分からない。ただ、その言葉は陸の内側に落ちてきた。


(幻聴、か……)


「……その揺らぎは我らにはないもの」


 遠いのか近いのか。位置というものが存在しない。ただ、意味だけが逃げ場なく降りてくる。


(何を、言っている……)


「お前は、真にその全てをかけるのか……」


(あぁ、海斗が助かるなら……)


 終わりのない一瞬の間。

 

 それは試すような沈黙に変わる。


「……ならば、(えにし)を結んでやろう」


 その言葉が落ちた瞬間——別の気配が、遠くから応えた。


 背中が地の底を離れていく。


「ほぅ、来たか……拾うものが」


 強い力が、陸を引き上げる。


「ならば、示してみよ——己が威を」


 陸の体はさらに上昇する。その時、手のひらに柔らかいが芯のある毛が触れていた。


(見える……)


 陸の瞳は、月明かりの反射する水面を捉えている。


 やがて——陸は水中から、勢いそのままで飛び出した。


 肺が空気を吸い込む。肌がその冷たさを思い出す。


 そして、硬い感触がする土の上に体を投げ出された。


「ぐっ……!」


 顔に触れる土や草の感触。


「俺は……生きている、のか……」


 体が重力を取り戻し、動くだけで力がいる。


 だが——動く。


 意識は明瞭で、思考が廻りだす。


 そして、開いた目に飛び込んだのは、銀色の狼——

 月に照らされ全身が輝く。雄々しく立つその姿は覇気を纏っている。


 陸は荒い呼吸の中、その声を聞いた。


「我は、縁に従いしもの」

「お、まえは……神、か?」

「畏れ多い。我が種は山犬(やまいぬ)


 その言葉は、すんなり陸に入ってくる。


「俺を、助けて、くれたのか?」

「否」


 その時、牛鬼が山犬の背後から、腕を振るった。後ろを見ずに、山犬は跳躍する。


「我は、汝の魂と共にある——」


 山犬は回転しつつ、後ろへ柔らかく着地した。


「それが(かげ)らぬ限り」


 牛鬼は動かない。やがて、頭から真っ二つに裂けた。そのまま、地面に溶けていく。


 陸は自ら立ち上がり、左手を胸に当てる。そこにはもう、何もない。だが、温もりだけは残っている気がした。


「……そうか、ならば俺は——」


 陸の足元から風が巻き起こる。そして、霊気が全身を包み込む。


 理解ではなく、ただ確信だけがあった。


 迷いはない。


——護る。


 それだけでいい。


 霊気が光となり、陸を中心にして結界が広がる。


「それだ」


 山犬が表情を崩した。


 結界は辺り一面を覆うほど広がっていた。そして、結界内の光が靄を消していく。


「この程度の瘴気(しょうき)塵芥(ちりあくた)よ——さて」


 山犬は海斗の方へ顔を向け、一足飛びに駆け寄った。

 今や海斗は、陸の結界に護られている。だが、目を覚まさない。傍に立つ澪が顔をのぞきこんでいた。


「そこな人間、これを返そう」


 山犬は口に含んでいた小石を、海斗の胸へ丁寧に置いた。


(あの石は……)


 すると、その石は小さく輝き、海斗の胸の中に落ちていった。


 その瞬間、澪の気配が大きく揺れた。石と同じ輝きが体を包む。


 そして、海斗が目を開けた。陸の肩が僅かに落ちる。しかし、海斗の瞳が、石と同じ光を放ったように見えた。


「くそっ、気失ってたんか! 陸、澪、大丈夫かっ!」


 海斗は体を起こして、矢継ぎ早に声をあげる。


「おわっ! なんや、この犬!」

「黙れ、小僧。ひとまず、この蟲どもを滅する」

「な、なんや分からんけど、分かったで!」


 山犬に一喝され、海斗は慌てて立ち上がる。そして、あたりを睨みつけた。


「小僧、半分任せるぞ」

「半分でええんか?」


 海斗は不敵な笑みを浮かべる。


「ふっ、我は今気分が良い。久方ぶりに暴れたい」

「同感や!」


 山犬も笑みを浮かべる。


 そして、双方の霊力が体から立ち昇る。霊気が渦巻き、二本の柱となる。


「汝よ、我が真名を呼ぶが良い」

「こっからリベンジや」


 牛鬼の群れがたじろいだように、動きを止める。


「我が名は——」

「いくで——」


「——狼鬼(ろうき)!」

「——澪!」


 狼鬼の体毛が逆立ち、顔は悪鬼のごとく。

 澪が海斗の背中に乗り、海斗の表情はまさに鬼。


 そして、二本の柱が左右に散った。


 泉の淵に沿って、黒い嵐が周囲を巻き込みながら周回する。


 海斗の拳が牛鬼の胴を貫く。

 狼鬼の爪が首を刎ねる。

 陸の結界が全てを弾き返す。


 牛鬼は群れで押し寄せる。強烈な力を込め、その腕を振り抜く。


 しかし、陸の結界は破られない。


 二度、三度——それでも結界はびくともしない。


 海斗と狼鬼は左右から挟み込む。逃げ場はない。


 一方的な蹂躙だった。


 再び、泉から牛鬼が這い出てくることもなかった。溶けていく牛鬼たちは、数を徐々に減らしていく。


 やがて、最後の一体が闇に溶けていった。


 淵より出し鬼は、鬼により淵に帰る——


 陸は、全体を見渡すように視線を巡らせる。


「これで、全て……護れた」


 そして静寂が戻った。


 陸はゆっくりと結界を閉じる。光は収束し、陸へと還っていった。


「陸、助かったで! 何や、あの技!」

「さっき出来るようになった」

「お前はいつもそうやな!」


 大きく口を開けて笑う海斗に、陸の表情も緩む。だが、確かめておきたいことがある。陸はすぐ真顔に戻った。


「海斗、あの石はお前のなんだ」


 海斗は呆けた顔をした。だがそれは一瞬のことで、眉を顰めて腕を組んだ。


「俺にも、よくわからへん。ただ——」

「ただ?」

「力が戻ったんは事実やし、なんていうか、その……」


 頭の中から言葉を探しているようで、忙しなく手が動いている。


「なんや、懐かしく感じたわ」


 その言葉に、陸は僅かな引っ掛かりを覚える。


「何かが……中におるような感じや……」


 柊木は神のかけらだと言った。それが今、海斗の中にある。


 陸は目を閉じ、意識を集中させた——だが、何も感じない。


「それより、その犬はなんや? 普通に喋っとんで!」

「……小僧、お主も引き裂かれたいか」


 狼鬼が牙を剥き出しにする。海斗は半歩後ろに下がった。


 陸は狼鬼を見つめる。


 銀の毛並み、真紅の瞳。


(これが、俺が縁を結んだもの……)


「海斗、犬じゃない。俺の守護者、山犬の狼鬼だ」

「人間……いや、陸よ」


 狼鬼は陸の足に、自らの尻尾を絡めるようにまとわりつく。


「陸は、我の嫁よ」

「……なに?」

「狼鬼、陸は男やで?」


 狼鬼はふん、と鼻を鳴らした。


「そうか、人間は性にこだわるものだな」

「……普通、そうやろ……」

「ふむ、ならば——」


 銀の毛並みが揺らぎ、輪郭が崩れていく。獣の形は溶けていき、月光を纏うように——人の形をとった。


 銀の長い髪、妖艶な口元。そして、全てを溶ろけさせるような紅い瞳。


——人ではない、美しさだった。


「これでよかろう」


 すでに声も女性のそれだった。


「そう言われてもな……」


 陸は頭を抱えたくなった。海斗は口を大きく開けたまま、固まっている。


「我と共にある幸せを噛み締めよ」

「あぁ、よろしくな……」


 その姿で言われると、陸ですら心臓の鼓動が早くなる。それに笑っていたが、目は一切笑っていない。陸は軽く深呼吸をした。


「せ、せや、澪。お前結構やられてたけ、ど……え?」


 我に返った海斗の言葉が、変なところで途切れた。陸も澪へ視線を移す。そして目を見張った。


「顔が……」

「澪、お前の顔が、視えるで……」


 今までずっと顔がぼやけていた。まるでピントが合っていないように。だが、今ははっきりと目や口が視える。


「お前、そんな顔してたんやな……」


 海斗は右の手のひらで、澪の頬を包み込んだ。澪の気配が震えた。穏やかに微笑む海斗を一瞬見上げたが、すぐに目を伏せてしまった。


「な、何や澪……変な感じになるやんけ……」


——まるで、初めて触れられたみたいに。


「ほぅ、小僧もなかなか……」

「どういう意味だ?」

「ふふっ、色々な意味で、じゃ」


 狼鬼は怪しい笑みを浮かべた。月に照らされたその横顔は、人が触れてはならない美しさがあった。


——不思議な夜だ。


 思考は闇に溶けていく。陸は泉へと視線を落とした。


 もう何も感じない。そこにあったはずの何かは、完全に消えていた。


 水面が、ただ月を映しているだけだった——





 同じ夜、数時間後—


 柊木の小屋を訪ねる者がいた。ノックもなく、いきなりドアを開ける。


「久しぶり、柊木(ひいらぎ)のおっさん」

「……八十藏(やそくら)か」


 柊木も特に何も注意しない。それどころか、コーヒーの準備をし始める。


「報告は読んだ。これでお役御免だな」

「あぁ……長かったで」

「あいつら、何か言ってたか?」


 柊木は不意に振り向いた。その目は笑っている。


「もう心配ないでって言っとったわ」

「そうか」

「ワシの事まで心配しおって」


 今度はクックッと声を出した。ふと、コーヒーの香りが八十藏の鼻をかすめた。


「けど、最後にええもんが見れたわ」

「そのようだな」

「あれほど愛されるとは、驚きやで」


 ようやくコーヒーが出てきた。八十藏は早速その味を確かめた。一口含んで、頬を緩ませる。


「これから、どうする?」

「もう、好きにさせてもらうで」

「他にも危険な場所はあるんだが」

「分かっとる、他のもんに任せるわ」


 八十藏は一瞬口を開きかけたが、コーヒーを啜った。


「老兵は去るのみ、やで」

「まだまだ、やれると思うけどな。一流だったんだし」

「ワシはただの一流止まりよ。お前とは違うわ」


 静かな夜に、二人のコーヒーを啜る音だけが流れている。外から感じる気配はもうない。


「ただ……」


 柊木が言葉を止めた。八十藏は口を挟まずに、続きを待っている。


「あの金髪小僧には、気をつけてやれ。あいつは——魅入られとるぞ」


 八十藏はゆっくりとコーヒーカップを置いた。


「やはり、そうか」

「……分かってるなら、ええんや」


 柊木は椅子から立ち上がった。ドアの近くには年季の入ったリュックが置いてある。


「ほな、ワシはもう行くわ……元気でな」

「あぁ、コーヒーいつも美味かったよ」

「今、言うんか……じゃあの」


 笑いながら柊木はドアを開け出ていった。


 小屋に一人残された八十藏は、最後に残ったコーヒーを飲み干す。


 一人きりの静かな時間。柊木が毎日過ごしていた時間——


 八十藏は、静かに声を出して笑った。


「確定だ……見つけたぞ」


——ようやく、揃った。


 闇夜に八十藏の声が消えていく。


 これより後、柊木の行方は誰も知らない——


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ