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名もなき怪異の夜  作者: 早谷 蒼葉


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第二十三夜 命の価値を測るもの —輪郭—

第二十三夜 命の価値を測るもの ―輪郭―


 M――


 その一文字が、まだこの部屋に残っている。


 海斗(かいと)は調書から顔を上げた。

 誰も口を開かない。


 沈黙を破ったのは、明神(みょうじん)だった。


「……ほな、もう一度整理するで」


 全員の視線が、明神へと集まった。


「ここからは、Mの話や」


 明神は、調書を指先で軽く叩いた。


「殺人を犯していたのは木崎(きざき)。それは間違いない……問題はその死体の処理や」


 死体という単語に、恵(めぐみ)が眉を顰めた。


「それを請け負っていたのが――M。自らをマーダー、殺人者と名乗るやつや」

「それに、Mの役割はそれだけやない」

「その通りや。標的の選定、実行の手引きと役割の幅が広い」

「つまりは木崎の共犯者、ってことですか?」


 亮太(りょうた)が、確かめるように口を開いた。


「形としては、そうやな。しかし、Mにとって木崎はただの駒や」

「何でそう思うんです?」

「Mは木崎に顔すら見せてないからや。会ったことは無いて言っとる」

「なるほど……自分の情報は漏らさないのに、相手の事は何でも知っている――」

「利用する気、満々やろ?」


 亮太は頷いた。

 明神は資料をめくる。


「巧妙なんが、事件化しにくい相手を選んでいることや。標的を木崎に教え、時が来れば場所を移すように指示をする」

「アフターケアまで万全、ってことかいな」

「笑えないジョークだ、海斗」


 陸にひと睨みされ、海斗は肩をすくめた。

 佐伯(さえき)は苦笑いして、言葉を挟んだ。


「木崎の供述によると、Mは対象者の勤務先や生活状況まで把握していたらしいです」

「……そこまで?」

「はい、偶然知った情報とは思えないですね」


 見ず知らずの人の生活を、そこまで知っている。そう考えた瞬間、海斗の背中に寒気が走った。


 陸(りく)が、調書を持ち上げる。


「Mが常に主導権を握っているのは間違いないだろう。Mの逮捕こそが、本当の解決だ」

「陸くんの言う通りや」

「でも……どうやって辿り着いたらええんや?」


 海斗の声で、時が止まった。

 その先の言葉が、誰からも出てこない。


「ちょっと、コーヒーでも入れましょうか」


 重くなっていく空気に反して、美作(みまさか)はそう言った。


「私も手伝う!」

「ありがとう、恵ちゃん」

「任せといて、コーヒー淹れるの得意やもん」


 恵が無邪気に笑う。

 たったそれだけの事だったが、部屋の空気が緩んでいくようだった。

 

 淹れたてのコーヒーの香りが、部屋に漂う。


「それにしても、不思議だね」


 美作がコーヒーを配りながら、会話に加わった。


「何が不思議なんや? センセ」

「そのMって人は、一体どうやって目標とする人物の状況を把握しているんだろう? かなりの個人情報だよ」

「せやな……行きずりの相手やない。相手をちゃんと選んでる」


 その時、部屋の隅でノートパソコンを叩いていた亮太が、小さく手を上げた。


「あの……ちょっと、ええですか?」


 部屋中の視線が、亮太に集まる。


「過去の失踪者に関して、共通点は無いんですか?」

「色々な観点から捜査したんやが、共通点は見つからんかったわ」

「本人たちの共通点ではなく、周りの人たちに関するものは?」

「どういうことや?」

「過去のデータを整理してると、確かにみんなバラバラでした。で、思ったんです――」


 亮太はパソコンの画面を、みんなの方へ向けた。


「この被害者たちの情報を、手にすることのできる人ってどんな人やろって」

「……なるほどな。個人的な繋がりは無視して、Mがどういう立場で情報を集めているか――それを探るんやな?」


 明神が、椅子から身を乗り出した。


「そういうことです」

「亮太、そのドヤ顔やめて!」


 恵は、笑いながら亮太の肩を叩いた。


「つまり、社会的地位や立場の問題だな。おそらくMは、ごく普通にこの社会に溶け込んでいるだろう。その表の顔を見つけてやろう」

「表の顔……学校の先生とか?」

「恵、嫌なこと言うなよ……」

「じゃあ、亮太も考えてよ」

「そうやな――市役所の職員、政治家、弁護士、探偵……とか?」


 亮太はスラスラと、職業の名を挙げていった。

 一つずつ、見えない何かの輪郭をなぞるように。

 明神は、挙げられたリストに自ら追加する。


「――警察もそうやな」

「もちろん、医者も当てはまりますよ」


 静かにコーヒーカップを置き、美作も続いた。


「これは、範囲が広すぎやろ……どうや、明神のおっさん」

「確かにな……けど、ちょっと観点を変えて、もう一度洗い直すわ」

「期待してるで」

「あぁ、また連絡を入れる。海斗くん、くれぐれも先走るんやないで」

「分かっとる」


 明神と佐伯が警察署へと戻った後でも、海斗たちは美作医院に残っていた。

 美作はすでに仕事に戻っており、いつもの溜まり場と化していた。


「亮太、さっきから何を熱心に調べとるんや?」

「うん……ちょっと、木崎周りから俺なりに調べてみよ思ってな」


 気のない返事をしながら、亮太の目はパソコンから離れない。

 海斗は苦笑いをした。


「亮太、そろそろ恵を家に送ってこや。もうこんな時間やで」

「あ、ほんまやな! すぐに片付けるわ」


 机の上に散乱した資料を、亮太は慌てた様子でまとめ出した。

 美作が廊下から顔を出した。


「おや、みんな帰るのかい? 気をつけてね」

「先生、またね」

「恵ちゃん、家までちゃんと送ってもらうんだよ」

「うん、分かってる」


 美作は、亮太を手伝いながら真剣な顔をして言った。


「ほら、これも関係書類だよ。個人情報が詰まってるんだから、取り扱いには注意してね」

「確かに、これはプライバシーの塊ですね――よし、行くで、恵!」


 海斗たちは、美作に見送られつつ夜の世界へと踏み出した。


「ほんなら、またな。センセ」

「うん、みんな真っ直ぐ家に帰るんだよ」


 四人は歩き慣れた道を進む。

 いつもは騒がしい恵が、今日はやけに静かだった。


「ねぇ、海斗……」

「なんや? 怖くなってきたんか?」

「……今度こそ、無茶せんといてよ」


 どんな顔をしているのか、海斗からは見えない。

 ただ、その声にはどこか縋るような響きを感じた。


「……努力はする」

「何やの、それ…………アホ――」


 恵の言葉に力は無く、最後の方は誰にも届かなかった。


「ところで亮太。どうしたんや、そんな難しい顔して」

「あぁ、考えごとしてたわ」

「なんか、気になることでもあるんか?」

「そうやな……色々考えてたんやけど、ちょっと調べてみたいことが出来た」


 亮太は肩からかけた鞄を、大事そうに抱えた。


(亮太のやつ、なんや活き活きしてへんか……)


「ええけど、気ぃつけろよ」

「海斗も心配性やな。オカンか」


 軽口に、それぞれの頬が緩む。

 恵は、そんな海斗たちを一番後ろから見ていた。


「なぁ、みんな……」


 いつの間にか、恵は立ち止まっていた。

 海斗は、それに気づいて振り返った。


「また、みんなで――会えるよね?」


 恵の視線は下を向いていた。


「当たり前や、心配すんな」

「う、うん。そうやね……」


 街灯の灯りに照らされて、恵の顔はよく見えた。

 その顔は淡い微笑みを湛えている。

 海斗には、その笑顔が妙に遠く感じた――

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