第二十二夜 悪魔と契約した男 —約束—
第二十二夜 悪魔と契約した男 ―約束―
木崎の病室を訪れてから、数日後。
海斗は、田辺光のアパートを目指していた。
身体の痛みは、ほとんど引いている。
鉛のようだった手足も、随分と軽くなった。
「陸、今日は俺一人でよかったんやで」
「行くさ。お前だけに、背負わせるつもりはない」
光の部屋のドアの前で、海斗は一度立ち止まる。
そして、インターホンのボタンを強く押し込んだ。
「あ、ほんまに来てくれたん?」
扉を開けた光は、すぐに海斗の顔を見上げた。
「おじさん、見つかった?」
海斗はすぐに答えなかった。
光の目は、期待で満ち溢れている。
「……すまんの、見つかってはない」
「えっ、そうなん」
海斗はしゃがみ込み、光と目線を合わせた。
「けどな――」
言葉を選びながら、事件のことを光に伝えた。
おじさんの名前は、中元誠一だということ。
そして、中元は事件に巻き込まれて亡くなっていること。
その犯人は捕まっていること。
木崎や悪魔のことは、口にしなかった。
光は下を向いたまま、動かなかった。
小さな肩が、小刻みに震えている。
「おじさん……ゲーム、するって……」
ようやく吐き出した声も震えていた。
「新しいコントローラー……買ったって……」
「光」
「僕との……約束」
「中元さんは……約束を忘れてた訳やない」
「でもっ!」
「ちゃんと帰ってくるつもりやったんや」
光の顔が歪んだ。
声を押し殺すように、涙だけが溢れた。
「中元さんがな……ごめんって言ってるで」
「……えっ?」
「約束守れんくて、ごめんって――」
光は、涙で滲んだ目を見開いた。
「お兄さん……おじさんがそこにいるの?」
海斗は、はっきりと頷いてみせた。
陸は目を閉じ、何も言わなかった。
「光――元気でな、って言っとる」
「……!」
光は目を見開いた。
まだ頬を濡らしたまま、海斗を見つめていた。
やがて――光は俯き、小さく呟いた。
「……そっか」
「あぁ」
「――ありがとう」
そして顔を上げ、
「探してくれて――ありがとう」
涙を流しながらも、笑顔でそう言った。
海斗も笑顔を返した。
廊下には、生きている者の笑顔だけが咲いていた。
「光、元気でやれよ。これは俺の言葉や」
「うん、ありがとう」
光は海斗たちが見えなくなるまで、ずっとアパートの前で見送っていた。
海斗たちも、別れを惜しむように何度も振り返った。
「お前が、一人で来たかった理由が分かったよ」
「……嘘つきは、俺だけでよかったんや」
「そんな寂しいことを言うな」
海斗たちの進む道の前に、澪と狼鬼が待っていた。
澪の顔には、薄い微笑みが浮かんでいた。
「二人して、待っとったんか」
「小僧……お主は真に酔狂なやつよの」
「ほっとけや……」
「我はこれでも、褒めておるのだぞ」
「そうかよ」
海斗は顔を背けて歩き出した。
「不器用なやつよ」
狼鬼の呟きは、海斗には届いていない。
「知ってるさ」
そう言いながら、陸は海斗の後に続いた。
ふいに海斗のスマホが震えた。
亮太からのメールが届いていた。
「海斗、どうした?」
「亮太からや。光がまたメールを送ったらしい」
海斗は転送されたメールを開いた。
『みなさんへ
おじさんのこと、教えてくれてありがとうございました。
まだ泣いてしまうけど、僕はがんばります。
僕は大丈夫だよって、あの優しいお兄さんに伝えてください。
それと、もうひとつ。
僕は、おじさんと遊んでいたゲームで「ひかり」というキャラを使っていました。漢字で書くと「光」です。
僕と同じ名前だったから、大好きなキャラです。おじさんも強いねってほめてくれました。
おじさんは、その強いキャラの名前で、僕を呼んでいました。
だから、僕も強くなります。
ありがとう、嘘のへたなお兄さん。
僕は大丈夫だよ、光より』
最後まで読んで、海斗はスマホを下ろした。
「……ガキのくせに、生意気やねん」
「そうだな」
「……生意気や」
「そうだな」
海斗は空を見上げた。
陸が後ろから、海斗の肩に手を乗せた。
二人はしばらくそのまま動かなかった――
海斗と陸が美作医院に着く頃には、辺りはすっかり陽が落ちていた。
表には、覆面パトカーも停まっていた。
「……ちゃんと、話せたん?」
海斗の顔を見るなり、恵が声をかけた。
「あぁ」
短く答える海斗に、恵はそれ以上聞かなかった。
「さて――まずは、みんなに礼を言っとく。ありがとう」
明神と佐伯が、頭を下げた。
「みんなのおかげで、胸のシコリが取れたわ。感謝するで!」
「明神のおっさん、木崎の様子はどうや?」
「あれからほとんど眠ってるわ。たまに目を覚ますけどな」
「事情聴取はほとんど終わっています。非常に協力的で助かりました」
「あいつの償うって言葉は、嘘やなかったわ」
佐伯が手元の資料をめくった。
「ただ、容態は良くありませんね。どんどん衰弱しています。医者も、もう長くはないと……」
それは当然予期されるものだった。
しかし、誰も軽率に口を開かない。
「せやけどな……木崎にとって救いなんは、殺人衝動が無くなったことや」
「木崎が言ってたんか?」
「あぁ、衝動も激痛も無くなったと、憑きものが落ちたような顔しとったわ」
「誰も殺さなくていい時間が、訪れたんやね」
恵は、自分に言い聞かせるように呟いた。
「三島さんはどうなりました? 僕の患者なので、心配していたんですが……」
「大丈夫や。気絶させられとっただけで、もう職場復帰しとる」
美作は胸に手を当てた。
「あと一つ、報告なんやが……」
眉を寄せた明神が切り出した。
「あの工場、もう運転再開してるで」
「は? あんだけ俺や狼鬼がぶっ壊したんにか?」
「俺はそこは見とらんが、何も壊れてなかったらしいで」
「陸、どういうことや?」
全員の視線を受けても、陸の表情は変わらない。
しばらく沈黙し、やがて静かに口を開いた。
「……俺の張っていた結界の影響だろう」
「いやいや、めちゃくちゃになってたで?」
「まぁ、全て結界内での出来事だからな」
陸は、サラリと言ってのけた。
「お前、そんなことできたん?」
「俺にもよく分からない」
あっさり分からないと言う陸に、海斗はそれ以上の追求を諦めた。
陸に説明できない以上、考えても答えは出ない。
海斗は、椅子にもたれかかった。
「ほな……木崎に関しては、これで終わりやな」
明神が、木崎の供述調書をテーブルに置いた。
そして、そこへ視線を落とした。
「木崎に関しては、な」
海斗と明神は視線を交わした。
「分かっとる。俺も陸も、これで終わらすつもりはない」
「頼むで」
「待ってください。まだ海斗と陸に何かをさせる気ですか? もう、解決したんじゃ……」
椅子から立ち上がり、美作が声を上げた。
「ええんや、センセ。まだ、こいつがおる――」
「こいつ?」
「――M、や」
その一文字が、海斗の口から放たれた。
言葉にすると、舌の上に苦いものが広がる。
「海斗、何なん? そのMって……」
「木崎の協力者や。むしろ、こいつが木崎を操っとったんかもしれん」
「そんな人が……」
「こいつを捕まえんと、ホントに終わったとは言えへん」
海斗は、置かれた調書を手に取った。
そこに書かれた『M』の文字。
ありふれたその文字を、海斗はいつまでも睨みつけていた。
「海斗?」
恵の声に、海斗は我に返る。
「……何でもあらへん」
窓の外では、いつもと変わらない夜が始まろうとしていた。




