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名もなき怪異の夜  作者: 早谷 蒼葉


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第十七夜 悪魔と契約した男 —疑惑—

第十七夜 悪魔と契約した男 ―疑惑―


「なんか……普通やな」


 海斗はスマホを片手に、歩いて目的地を目指していた。

 明神からメールが届き、目を通した頃に着信が入った。


『あぁ、そうや。生まれは徳島。普通の家庭に生まれ、進学して就職。前科もトラブルもあらへん』


 電話越しに聞く明神(みょうじん)の声は、直に話している時より音量がでかい。


『絵に描いたような、一般人や』

「両親は?」

『二人とも亡くなっとる。けど、事件性は無かったわ』

「天涯孤独なんか?」


 何となく、姿を消した中元誠一(なかもとせいいち)のような境遇を想像してしまった。


『いや、親戚はおるみたいやな』

「そうか……」

『とりあえず、木崎(きざき)の経歴は細かく調べてある』

「佐伯(さえき)はんが、やろ?」

『どっちでも一緒や。ともかく、今日も集まんぞ。海斗くん、今どこや?』


 海斗は足を止めた。


「木崎の工場の前や」

『なっ……!』

「すぐにセンセのとこ行くから、また後でな」

『お、おいっ! 海斗くん――』


 明神は何か言いたそうだったが、海斗はスマホを電源ごと切ってしまった。


「すまんの」


 相手にはもう届かない、謝罪の言葉を口にした。

 陸にすら何も言わず、海斗はここまで来た。だが、一人ではない。


「澪(みお)、そんな顔すんなや……」


 海斗と目を合わせず、澪は俯いていた。


「心配ないわ。昨日の感覚……気持ち悪さを、確かめたかっただけや」


 何度そう伝えても、今日の澪は海斗の前に立つことを止めなかった。

 澪の顔を、曇らせるものの正体を考える。


(もしかして……この場所があかん、のか?)


 海斗は、眉間に皺を寄せて、顎に手を当てた。


 トラックが、海斗の後ろを通り過ぎた。排気音が、遠ざかっていく。


 何気なく、海斗は顔を上げる。

 澪の肩越しに見えたものに、海斗は目を見開いた。


「や、八十藏(やそくら)……!」

「よう、海斗、澪ちゃん。久しぶりだな」


 黒のシャツとズボン。いつものスタイルの八十藏が、手を上げた。


「相変わらず……チャラい格好やの」

「海斗も変わらないな」


 八十藏が海斗に近づいてくると、澪は海斗の後ろに立った。


「なんで、この工場におるんや」

「散歩」

「また、それか」


 目を釣り上げて海斗は、八十藏を正面から見た。

 八十藏も、口元に微笑みを浮かべたまま、目を逸らさない。


「はは、冗談だ。仕事だよ」

「お前、陸と同じくらいの歳やろ。それなんに仕事しとるんか?」

「海斗だって、依頼受けて仕事してるじゃねえか」

「……ぐっ」


(ホンマに、こいつはやりにくい……)


「けど、今回の依頼は一旦保留にしてくれ」

「は?」

「お前らは手を出すな」

「またそれか。お前はいつも――」

「海斗」


 八十藏の声が低くなった。


「この件は、俺がケリをつける。邪魔をするな」


 その言葉には圧が乗っていた。

 海斗の全身が固まり、動けない。


(こ、こいつ!)


 しかし、それは一瞬だけのことで、すぐに八十藏から何も感じなくなった。

 身体から力が抜ける。


「それに、澪ちゃんにも止められているだろう?」


 八十藏は何事もなかったかのように、いつもの軽い口調で言った。


「じゃあな、頼んだぜ」


 海斗の返事を待たずに、八十藏は背中を向け歩き出した。

 その背中を、海斗はただ見送るしかなかった。


(この件……何かある。それが分かれば……)


 海斗は拳を強く握りしめた。

 やがて、八十藏の姿が見えなくなった頃に、大きく息を吐き出した。


 海斗はスマホを取り出し、電源を入れた。




 海斗は、美作(みまさか)医院に到着すると、事務室の前で一度深呼吸をした。

 部屋の中は静まり返っている。

 扉に手をかけ、勢いよく開けた。


「おぅ、おまっとさん!」


 努めて明るく声を出したが、一同の視線は冷たい。唯一、美作だけが、困ったように微笑んでいた。


「う……」

「まあまあ、みなさん。さっき明神さんが、電話で散々説教していたので……」

「先生ー、海斗を甘やかさんといて。私、めっちゃ心配したんやから」


 恵(めぐみ)が、不貞腐れたように言った。


「……すまんて。もう勝手には動かへん、約束するわ」


 海斗に見つめられて、恵は頬を染めた。


「で、どうだったんだ?」

「陸、収穫はあったで。アイツと出くわした」

「木崎か?」

「いや……八十藏や」


 海斗の答えに、陸の顔が険しくなった。


「やつは、何か言っていたか?」

「邪魔するな、それだけや」

「ち、ちょっと待て。その八十藏っていうのは、何者や?」


 明神が、慌てて口を挟んだ。


「事件に色々と口出してくる、厄介な奴や」

「……そいつも、霊能力者か?」

「あぁ、相当なもんやで」

「……敵か味方か、どっちや?」


 その問いに、海斗は答えを返すことができなかった。

 海斗の答えを待っているのか、誰も声を出さない。

 亮太(りょうた)がキーボードを叩く音だけが、静かな事務室に流れていた。


 美作は椅子から立ち上がり、部屋の電気を付けた。


「それにしても、八十藏ね……」

「センセ、知っとるんか?」

「いや、国内屈指の医療機器メーカーに、八十藏ってあるけど……」


(あいつが御曹子やと……似合わんな)


 海斗は、頭の中で舌を出した。


「で、その八十藏は、なんで木崎の会社におったんや?」


 明神が腕を組み、椅子の背にもたれた。


「分からん。あいつは、なんも言わんかったわ」

「木崎の名前は出たんか?」

「いや、出てへん。もちろん、俺も言ってへんで」


 しばらく考え込んだ後、明神は佐伯へと顔を向けた。


「分かってますよ。八十藏という男についても、調べてみます」

「頼んだ」

「しかし、さすがにこれだけでは……」

「まぁ、な」


 佐伯は返事をしながら、手帳に何かを書き込んだ。


「では、本題にいきましょう。木崎京吾について、何か分かりましたか?」


 陸が、テーブルに置かれた資料へ手を伸ばした。

 明神は眉間に皺を寄せた。


「経歴を探ってみたが――何もないってのが、結論や」

「女性関係は?」

「トラブルの情報はない」

「ただの一般人ということですね」

「まぁ、真っ当に生きとる奴が大半やからな」


 海斗は資料を手に取り、上から順番に目を通していく。

 学歴と職歴、家族や犯罪歴。

 木崎のこれまでの人生が、一枚の紙にまとめられていた。


(八十藏が追ってるのは、こいつとちゃうんか……)


「けどこの人、結構仕事変わってる。不真面目くんなんかなー?」

「んー、まぁ最近は、終身雇用って感じじゃないしな。けど、オモロいところに気がついたな、恵ちゃん」

「えへへ、そうですか?」


 唐突に褒められて、恵は頬を緩めた。


「いや……恵ちゃんは、本当に良いところを、ついているかもしれない」


 陸が資料から目を離さずに言った。


「え? どゆこと?」

「木崎の職場だ。一箇所だけではなく、これまでの勤務先も調べてみる価値はある」

「んんー? 陸さん、意味分かんないんだけど……」


 恵は、腕を組んで、頭を捻っている。

 その時、佐伯が資料を指で叩いた。


「そうか! 他の職場でも、失踪者が出ていたら木崎が共通項になる」

「なるほどな……被害者側だけ見てても、見つからんはずや」


 落ち着きのない様子で、明神は煙草を取り出した。

 だが、美作が無言で、禁煙の張り紙を指差す。


「……まだ、火はつけてへんぞ」


 顔を歪めて、煙草をポケットへ戻した。


「とりあえず、勤務先と失踪者の関連。住んでたとこも調査対象やな」

「もう始めてますよ」


 亮太がパソコンの画面を見たまま、口元だけで微笑んだ。


「最近の中学生は、末恐ろしいの……なぁ、佐伯」

「負けてられませんね」


 資料を抱えながら、佐伯は亮太の隣に腰を下ろした。


「さて――」

 と呟きつつ、明神は立ち上がった。

「明神さん、どこへ?」

「俺は、俺の仕事をしてくるわ」


 明神は、右手のスマホを持ち上げて、外へ出て行った。

 佐伯は、しばらく扉を見ていたが、やがてパソコンの画面に視線を戻した。

 美作は、本来の仕事に戻り、陸と恵は話し込んでいた。


(こんなんで……ホンマに見つかるんか)


 海斗は、椅子に背中を預けて、瞼を閉じた。すぐに、意識の中に沈んでいくような、世界が遠くなっていくような感覚に陥る――




 いつの間にか、海斗は木崎の工場の前に立っていた。

 辺りは昼間のように明るい。


「なんや? さっきまで、センセのところに――」


 その瞬間、工場の奥から強烈な視線を感じた。工場の奥は暗闇で何も見えない。

 しかし、確実に気配を感じる。

 海斗はその場で目を凝らした。


 人影が、暗闇の中から近づいてくる――


 身体が熱を帯び、一瞬で汗が吹き出してきた。

 海斗は喉を鳴らした。

 やがてその人影は、滲み出るようにゆっくりと姿を現した。


「や、八十藏!」


 八十藏は、いつものようにニヤニヤとした笑みを浮かべているが、何も言わない。


「お前、なんでまた、ここにおるんやっ!」


 海斗がそう叫ぶと、八十藏の顔が歪み始めた。その歪みは全身に広がっていき、別の何かへと変化していく。

 臭気が鼻をつく。

 背中に悪寒が走る。


 やがて、八十藏だったものは、別のものへと存在を変えた。


 海斗は、これを知っていた。これは――


「――悪魔!」


 山羊の頭と角。

 身体は人間のものだが、背中からは翼が伸びていた。

 それを目にしていると、心の奥底から抑え切れない激情が込み上げてきた。


「ぶち殺したるっ!」


 その瞬間、海斗の嗅覚が別の匂いを捉えた。


(煙草の、匂い……)



「――おい、海斗くん。大丈夫か!」


 身体が揺さぶられている。


「……明神の、おっさん……」

「ようやく、目覚めたか」

「……煙草臭いで」

「ほっとけや」


 周りを見ると、見慣れた美作医院の事務室に戻っていた。

 部屋にいる全員が、海斗を見つめていることに気がついた。


(夢、か……)


「海斗、大丈夫なん?」


 恵が、海斗の顔を覗き込む。


「あぁ、大丈夫や」

「いきなり、おっきな声出すから、びっくりしたんよ……」

「ちょっと、寝ぼけただけや。すまんの」


 海斗は、眉を寄せた恵の頭に手を置いた。


「それより、木崎はどうなったんや?」

「海斗、おそらくビンゴやで」


 亮太がパソコンの画面を、みんなが見えるように調整した。


「木崎が職場を変わる度に、失踪者が出とる。何件かは一致したで!」


 整理されたデータの中で、色が変わっている部分がある。

 ざっと見ただけでも十件はあった。


「海斗くん、これだけじゃ木崎を犯人扱いするわけにはいかへん」

「分かっとる」

「けど、偶然で片付けるには、出来過ぎや」

 

 明神は不敵な笑みを浮かべるが、目は笑っていない。


「木崎京吾、しばらく張るぞ。ちゃんと上にも話をつけといた」

「俺と明神さんだけでは、無理がありますからね……」


 海斗は身を乗り出した。


「なら、俺らもやるで」

「アホか、中学生に張り込みさせられるかい」

「陸は高校生や」

「そういう問題とちゃうわ! 監視は大人に任せとけや」


 その場に笑いが起きた。


 海斗は笑いながらも、デスクトップに表示されている『木崎京吾』の文字を見つめていた。

 昨日からずっと、胸の奥に何かが引っかかっている。


 澪も、狼鬼も、八十藏も――全てが、自分たちを止めようとしていた。


(ここまで言われて、引き下がれるかい……)


 海斗は木崎の名前から、目を離せなかった。



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