第七〇七話 いらない
フリルのように優雅に広がっていた触手が膨張する。ただでさえ人間サイズのブラットたちからすれば巨大だったそれが、さらに大きくなって嵐のように縦横無尽に暴れ狂う。
その一本一本が地脈の力を吸収し、生身では掠っただけで頑丈なグリードの体でさえ消滅する威力が込められていた。
その上でクロミアの超位職魔法すら凌駕する闇、水、氷系統の魔法が雨霰と降り注ぐ。
グリードにはナマクラ盾を複数渡して、魔盾に貼り付けてガードしてもらってはいるが、それでも手が足りない。
マリンが水世界を発動して全員を包み込み、アデルの血鉄壁、アイゼンの金属防御壁、ヌイの暗影障壁にも、ナマクラ盾を渡して補強してもらい、クロミアも防御に回る。
「めちゃくちゃすぎんだろ!」
「あいつだけずるい。マリンもあれくらい気持ちよく魔法撃ってみたい」
イグニスは防御というよりは、攻撃に攻撃をぶつけて威力を弱めるといった方法で貢献している。
全員が防御に専念しても無傷では抑えきれず、ファフニールは全力で回復薬を仲間たちに回していく。
スフィアも強力なバフやエンチャントで、ファフニールと一緒に縁の下で全員を支え続ける。
そこまでやってなお、クロミアたちが削られる割合の方が多い。陸上の七大陣営のボスたちも、さすがにここまでではなかった。
このままいけば、確実にクロミアたちが負けるだろう。
しかしイカの王のタイムリミットも近づいてきていた。肉体の許容量を大幅に超えたエネルギーを常に与えられ、限界を超えたさらに上の力を使うための代償だ。
その証拠に赤黒くなった肉体は、よりどす黒い色彩に染まっていき、体中に亀裂が入り、黒がまだらに混ざった青い血液が絶え間なく噴き出している。
地脈の力による無限の再生能力で無理やり体を維持していただけで、今やそれすら追いつかなくなっていた。
「でもこっちが、それまでもつか微妙なんだよねぇ」
「これだけ私たちが守りに入って劣勢になるなんて驚きだわ。強くなったと思ってたけれど、まだまだベグ・カウを倒すには足りないわね」
「イカの王が地脈の力を得たくらいじゃ、勝てる相手じゃないだろうからね」
無限のエネルギーを得たところで、しょせんはイカの王はイカの王。根底にある肉体のスペックにはどうしたって限界はある。
ブラットとて無限のエネルギーを得たところで、まだベグ・カウには勝てはしないだろう。
だから今のイカの王も、別に最強というわけではないのだ。
「このまま、こもってても勝敗は五分と五分……なら、やるしかないね」
「こんなところで賭けに出てるようじゃ、世界は救えないよね」
飛んできたミサイルのような闇氷をナマクラ盾で逸らしたクロミアが、覚悟を決めてイカの王を睨みつけると、治癒形態のファフニールも気合を入れたのか、丸い体が膨らんだ。
だがまだ出ない。どうみてもリスクある行動をとるのだから、少しでも確実にいきたい。
こちらの余力と相手の限界。その比率を見極め、最高のタイミングで打って出る。
「行くよ!」
「おぉおおおおおーー!!」
グリードが僅かに残った眷属悪魔たちを全て消費して肉体強化し、強力な悪魔盾を張りながら触手の嵐を押し広げ、道を作り皆を守る。
その隙間を抜けてナマクラ盾を展開したクロミアと、碧炎を纏ったイグニスが同時に飛び出しイカの王へ突撃していく。
後続にはアデルとマリンが続き、アイゼンは巨大なガトリング砲を取り出し弾幕を張り、グリードの負担をできる限り減らしていく。
「無駄なあがきは止めなさい!」
アデルの右手と左手から桜色の血が噴き出し、槍のような角が生えた血鉄の大蛇が飛び出し触手に食らいつく。
食いつかれた触手は外部からの衝撃によって砕けるように千切れていく。攻撃自体が効いたというよりは、強い衝撃に肉体がもう耐えられなかったのだ。
「押し通らせてもらうから!」
マリンのロケラン杖の先から、麒麟の形をした液体であり固体でもある変幻氷が飛び出し、ミニマリがその中へ飛び込んで融合する。
その麒麟が足を踏み鳴らせば、そこから一気にグリードの悪魔盾に群がる触手が凍り付き、爆発しながら崩れていく。
「イイィィィギィィイアアアアアアーーーーーーーーー!!」
「くぅっ──させ、ないよ!」
近づくクロミアとイグニスを消し飛ばそうと、超圧縮されてなお巨大な闇水の水玉を撃ち込まれたが、スフィアがブラックホールのような穴を出して吸い込む。
膨大すぎる力を吸い込んだ反動で目や耳、鼻や口から血が噴き出すが、スフィアは無視してホワイトホールで吸い込んだ力を加算した星雷を発生させる。
「ァァァァアアアアアアアアーーー!」
「スフィア姉ちゃん! すぐ治すから!」
自分の力以上の物が跳ね返ってきて、体の表面がボロボロと瓦礫のように崩れていく。内側から肉が再生しようとするが、それも追いついていない。
ただでさえ限界だった体に、かなりの駄目押しが入ったようだ。肉体の形を維持するだけで精一杯で、大きな隙が発生する。
ここしかないと、イグニスは足もとから炎を噴き出し、ロケットスタートでさらに加速。クロミアも雷化でそのすぐ後ろにピッタリ張り付き、追いかける。
「いい加減──くたばれや!!」
炎噴射の推進力で回転しながら、巨大な碧炎を纏った強烈な回転蹴りを胴体に叩きこむ。
触れた場所から舐めるように全身に炎が伝わっていき、炎の霊波が浸透して外と内の両方から丁寧に焼いていく。
膨大なエネルギーで無理やり消化しようとするが、なかなか消せない。その間にもクロミアが五本の剣を振り上げ、地脈の力を吸い上げている大きな一つ目──『天脈眼』に向けて振り下ろすのが視界に入った。
──けれどイカの王もそうくるのは予想していた。これまでの戦いで、仲間がこじ開けた道の先にいつもこうして現れていたのだから。
「あぐっ!?」
「イァアアアアアア! イァアアアア!!」
最後の奥の手として体内に隠していた、地脈の力をこれでもかと込めた細く研ぎ澄まされたワイヤーのような透明触手。それが目の周りから飛び出し、一瞬でクロミアの翼腕を含めた四つの腕と尻尾の先を斬り飛ばし、五本の剣が手ごと離されてしまった。
それに驚愕の表情を浮かべたクロミアを、文字通り目の前で見られたイカの王は大興奮で腕の無い怨敵に向けて闇氷で生成した海獣の咢でとどめを刺しに来た。
だがクロミアは深淵を観測し、渦巻くあり得ない量のエネルギーに隠れて見えづらかったが、剣技を放つ前に透明触手が隠されていたことに気づいていた。
しかしそれを回避してしまうと、せっかく詰めた距離が離れてしまうため、甘んじて受けたのだ。
「アオーーーン!!」
「ギビビィイッ!?」
幻狼……ではなく、クロミアが狼の雄たけびをあげると、灰風の刃が混ざった狼王の咆哮が口から飛び出し海獣の咢を破壊する。
【捕食者の残響】による、狼王の大気を切り裂く刃の咆哮スキル【鋼刃狼吼】。それに灰風の魔法をブレンドした、いわばクロミアと狼王の合体スキルだ。
さらにクロミアの影からタヌファンネルが飛び出し、邪魔な透明触手を黒雷レーザーで焼き払う。
ヌイがクロミアの影に潜み、タヌファンネルを隠していたのだ。
「やっちゃって! クロミアちゃん!」
「任せて! 《刻継剣》──《黄金竜の息吹》」
クロミアの斬り飛ばされたはずの腕や尻尾は、ヌイの闇影のワイヤーが繋がっており、切断面に押し付けるように戻ってくる。一瞬で神経が繋がり、感覚が元に戻る。
再生するより早く手と尻尾を取り戻し、海鮮に当てはまる海の存在に特攻効果を持つ世刻奇剣──『三枚卸』の力を継がせ、黄金竜の息吹を乗せた五本の刃を今度こそ目玉にお見舞いする。
「これで────終わり!」
「いぁぁぁ……?」
四つの刃で米の字に奥深くまで切り裂いて目を潰す。【黎明の天使】の力による、空間を切り裂く力も使っての一撃。地脈との流れが一時的に断たれる。
それを確認してから、残った尻尾の一本を突き刺し、鉄板のタコ焼きを串で回すように回転させながら引っこ抜いた。
引っこ抜いた目玉は無貌の口で捕食し、イカの王から地脈の力の供給が完全に失われる。
全身から膨大な力が抜けていき、風船のようにイカの王の肉体が萎れていく。
絞った雑巾のようにシワシワになって、もはや王として君臨していた頃の面影はない。
だがイカの王からは、どこか楽になったような気配を感じた。あの膨大な力を供給され続けた状態は、それだけ苦痛でもあったのだろう。
「むしろこれで生きている方が驚きなんだけど──あっ」
イカの王は、さすがにここから逆転する未来が想像できなかった。完全に敗北を心が認めてしまい、この馬鹿げた戦いのはじまりたる〝契約〟が履行される。
クロミアとイカの王、双方に契約の紋章が浮かび上がった。クロミアはすぐにブラットに戻る。
契約の縛りを弱めることも兼ねて、クロミアになっていたのだ。勝った場合は、契約の縛りを強くした方がいいに決まっている。
「これでイカの王はオレに従属したってことか」
「──我、敗北、認メル」
「随分と殊勝なこって」
ブラットも従魔の契約が強制的に執行されたのは、感覚で理解できた。
これでイカの王は、ブラットの下僕。契約上、どんな命令にも応えなければならなくなった。
それはイカの王も理解している。だからこそ、素直に敗北を認めたのだ。
「ブラット兄ちゃん、それは本当に大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫だよ。だからこんな命令も下せる。──契約者ブラットが命じる、オレに何の抵抗もなく食われろ」
「──────ハ?」
相手に反論の隙も与えず、【狂夢の根源喰らい】を発動。もとより抵抗できるだけの力も残っていなかったが、契約もあって感情による拒否すらできず精神世界に呑み込まれた。
もちろんブラットが来る際は、皆も念のため一緒に連れてきている。
ブラットは契約を意識しながら抵抗するなと告げ、動けないイカの王に向かって無貌の口を向けていく。
「──止メロ」
「止めるわけないだろ。お前はここで死んでもらう」
無貌の口が大きなイカの王の胴体に食らいつき、肉を抉るように捕食を開始する。
「──役ニ立ツ」
「残念。お前は信用できないから、ここでオレの糧にする」
食べる。食べる。どんどんイカの王の精神体の体積が減っていき、いよいよ焦ったように説得を続ける。
「──契約、絶対。──殺ス、勿体ナイ」
「契約……ね。お前さ、どうせ無効にする手段とか用意してるだろ?」
「──無。契約、絶対。我、強者、側、置クベキ」
「はっ」
本当に一瞬だけ精神体になって生えた三つの瞳の内の右目の瞳孔が揺れたのを見て、やっぱり契約を無効にする手段もあったのだと確信して鼻で笑う。やっぱりコイツは信用ならないな、と。
それはスフィアとの繋がりを通して、皆にも伝わっていた。生きたまま従属させるメリットを考えていた者もいたのだが、それで僅かに残っていた生かそうという気が全員の中から霧散する。
実際にイカの王は万が一、億が一にでも負けた場合も考えて契約による従属が発生しても、それを破るための穴をこっそりと分からないよう仕込んでいた。
そして自分が勝ったときは、その穴を綺麗に塞いで完全な契約になるようにもしてあった。
だがそれを実行するには、少しだけ時間がかかる。とくに今のように弱ってしまった状態では、どうにもできない。
だから時間を稼ぐ必要があった。時間を稼ぎ、業腹ながら従順に命令に従うふりをして機をうかがい、隙をついて契約を一時的に無効化して相手を殺す。これで完全に契約はなかったことにできる。
イカの王は自分の強さと、モンスターらしからぬ知性から、自身の有用性を疑っていなかった。
だからどんな相手だろうと、自分の力を目当てに殺すことなく従属させていいように使おうとするだろうと考えていた。
だから負けを認めても、どこで裏切ってやろうかと自分が掛けた保険の使い時をうかがう、なんていう展開になる──はずだった。
「止メ──止メ──」
「黙れ」
「────────」
契約によって言葉すら封じられる。精神体はどんどん小さくなっていき、自分の死が近づいてくるのを感じて恐怖した。
「……なんだ?」
これまでの捕食される側は、最後までブラットを見ていた。けれどイカの王はまだ残っている目をブラットではなく、なにもない虚空へ救いを求めるような視線を向けていた。
無性に気になってブラットもその視線の先を見て、深淵を観測し、気配を探ってみたが、何もない。
「最後の最後で神にでも祈ってるのかしらね」
「うちの神様は残念ながらポンコツだぞ。祈っても意味はない」
「────」
ブラットの言いたいことは伝わってるはずだが、結局イカの王は目を食われるまでずっと同じところを見つめ続けていた。そして──。
「ごちそうさま。本当に面倒くさい敵だったよ、お前は」
最後に残ったクチバシも平らげると、ブラットたちは精神世界から脱出する。
そしてすぐに異界が崩壊をはじめ、もう用はないと入ってきたのと同じ大きな門が現われ──ブラットたち全員がその先へと吸い込まれ、元の深海へと帰還を果たした。




