第七〇五話 リセット
イカの王からすれば何の前触れもなく、いきなり最重要オブジェクト『玉座』を生成したように見えたのだろうが、実際は深淵にて緻密な作業が密かに行われていた。
おかしなことをしないかとずっと力の流れを監視していたが故に、余計に混乱したことだろう。
魔眼『観脈眼』の性能はクロミアも認めるところだが、どれだけ素晴らしい魔眼を持っていようと深淵を観測することができなければ気づくのは難しい。
スフィアに視覚偽装を見破るのを交代してもらってからも、イカの王はずっとクロミアがやっていると思っていた。
おかげで不自然に思われずに、見破るのに必要なリソースを深淵への干渉へ回すことができた。
クロミアがずっと視覚偽装の看破をやっていると勘違いしていたからこそ、その作業に使われていた力の流れをそのまま誤認してしまったのだ。
だがいくら深淵を観測できる力があったとしても、普通はこの場における『玉座』を作るなど不可能だったというのも間違いではない。
しかしその作成に必要な材料を、クロミアはこれまでの道中で手に入れていた。
『沈没都市』『サンゴの森』『体内』『隠し通路』の四つの領域は、玉座を生成するための材料として使った。そのためもう『玉座の間』以外の領域は、この異界の中からほぼ消失しスカスカの状態だ。
それらも元はイカの王が創造した産物であり、ことこの異界に限って言えば、それ以上に相応しい材料はない。
完全に消してしまうと、さすがに自分の領域ではなくなったとはいえ、生成主であるイカの王も異変に気付いてしまうため、わざわざ外側だけ残して誤魔化した。
(本物のお手本は深淵経由で、イカの王のお尻の下にあるのを観測させてもらったからね。作り方をコピーするのはそこまで難しくなかった。
でもそれだけじゃ、ただ玉座っぽい椅子を作るだけ。ちゃんと機能させるために、『玉座』という役割を与えてあげないといけなかったんだけど、それも問題なく解決できたんだよね)
四つの領域を使って玉座にするための器はコピーできた。あとはイカの王が支配した領域に、それが玉座と認識させるだけ。
むしろ器づくりよりもこちらの方が時間がかかったが、クロミアはその作業も深淵経由でバレずに成し遂げた。
そのために役立ったのは、これまでイカの王が各領域に設置してきたダミーの生成法。イカの触手を複数本喰らっていたのも大きかった。
『玉座の間』と『玉座』を接続するために必要な、イカの王という認証キーともいえる存在を、ダミーで誤魔化したのだ。
表側では分かりやすく干渉しようとしているように見せ、そちらに意識を向けさせる。
その裏側では作戦の本命──ダミーですり抜け、こっそりと『玉座の間』の異界に正規の手段でアクセスしたように見せかけ深淵経由で侵入。深淵は当然ながら表側にも深く繋がっているため、ある程度扱いに慣れればそういうこともできてしまうのだ。
表側に気を取られていなければ、ダミーでの侵入も気づかれていたかもしれないが、この状況に持ってこれたおかげでバレずにやりきれた。
(間違えないように集中していたのもありがたかったかな。魔法以外のことを複数並行処理するのは苦手だったのかも)
あとは偽物を本物と認識させるだけ。管理者権限を持ったアカウントで好き勝手できるようなものなのだから、そこまでいけばもはや流れ作業だ。
本物の管理者にバレないようにだけ気をつけながら『玉座』を認識させ、肥沃な大地を巡る地脈の力とも接続し、最後の最後で深淵にあるデータだけの存在のような玉座を表側に召喚した──というわけである。
こうしてクロミアたちは『玉座』を手に入れ、イカの王と同じ無敵状態になった。
イカの王が座しているもののコピー版なため、地脈を通したエネルギー供給も当然ある。
守備で消耗していた分も含めて、全員が全回復していった。
「所詮、偽物」
それがちゃんと『玉座』としての機能が付いていることは理解しているが、それが偽物でしかないことはイカの王が一番分かっている。本物はあり得ないのだ。
だからこそ穴があるはずだと、クロミアたちへ超火力の攻撃魔法を乱発する。
もちろんその全ては意味をなさない。グリードも念のため盾を構えたが、衝撃すらなく当たってもダメージは入らなくなっていた。
何度やっても結果は変わらない。回数制限や時間制限もなさそうだとイカの王も理解する。
「不可解──不可解ッ!」
「おお、すげぇな」
エネルギー切れを起こさないことをいいことに、海を支配していた王に相応しい魔法が何度も何度もしつこいほどに撃ち込まれる。
ただ攻撃が通らない状態でそれをされても、ド派手なエフェクトを周囲にまき散らしているだけでしかない。
地球の映像作品で慣れているクロミアからすると珍しくないが、イグニスも壮観な光景に目を丸くしていた。
だがその派手な攻撃は、クロミアたちの意識をそちらに向けさせるブラフでしかなく──。
(きた)
──それに気付いたうえで、クロミアたちはあえてその囮に乗っておく。
すると完全に透明化したうえで、髪より細くしていた触手がスフィアが座る玉座に絡みついてくる。
「終リダ」
そのまま触手が肥大化し、玉座を握り潰すように砕く。次はもう作らせないように、玉座という存在を今できる限りの範囲で重要度を上げておいた。
これにより、この異界内での玉座の作成難易度は先ほどより数段上がる。いくらクロミアでも、ここまでされると先ほどと同じ方法で作れたとしても、もっと時間がかかるようになってしまう。
けれどクロミアからすれば、それこそが狙いであった。イカの王に直接玉座に触れてもらうことが目的であり、壊されても問題ない。
目的が達成されたのを確認し、クロミアは翼を純白に染めあげる。
「【フラウス・テンプス】。ありがとう。最後のピースがようやく嵌まったよ。これで本当に、この玉座は本物になった」
「──ハ?」
【黎明の天使】の技能によって時が一秒巻き戻り、壊したはずの玉座が逆再生するように復活する。まるで破壊された事実が、なかったことのように上書きされる。
イカの王には一切見せてこなかった、理不尽スキルその一だ。これにはさすがにイカの王も驚きを隠しきれず、体を硬直させていた。
「ナ、何──ッ!?」
だがそれ以上の衝撃を受け、イカの王は我に返る。
海水で満たされた白いだけの広い異界が、大きく揺れながら「ギギギィィイッ」と耳障りな音を立てだした。
実は先ほどまでのクロミア製の玉座は、完全なものではなかった。
どうしても本人でなければ設定できない項目と言えばわかりやすいか。『この世界に王は一人だけ。故に玉座は一つだけ』という法則が邪魔をしてきていたのだ。
それを押し通したことで、無理やり顕現させ同様の機能を持たせることはできたが、どうしても不安定な要素もあったし、なにより異界からは『玉座?』という認識がずっと続いている状態だった。
そのままでいれば、いずれ何かのタイミングで効果を失う可能性すらあった。
けれど一度でもイカの王が玉座に触れてくれれば、本人の権限を深淵からの干渉で強制使用できるようにトラップを仕込んでおいた。
触れられる=破壊される──というのはほぼ確定していたため、巻き戻りの反則スキルが使えるように、クロミアは玉座に座っていたスフィアの近くに立っていた。
これにより触れさせ、玉座として完全に認識させたうえで、破壊されないという特殊な条件もクリアする。
「玉座は二つ。王も二人。それはこの世界のルールとして、明確な矛盾だよね」
「初メカラ……?」
「もちろん。こんな異界、バグってしまえ」
そう、はじめからクロミアはこれを狙っていた。この『玉座の間』において、一番重要で根幹となるルールが歪められてしまった。
それはこの異界の存在意義すら奪いかねない劇薬となり、明らかに正常な状態を失いつつあった。
この異常事態が起きていないから、イカの王は最初の玉座は偽物だと断言できていたのだ。
「アデル姉!」
「ええ。一気にやるわよ」
既に準備していた血の巨大な化合弓に番えられたのは、マリンの水爆の力が混ざった『血槍の爆矢』。
動揺しているイカの王へ向けて、容赦なくそれが放たれた。
「クッ」
イカの王は何とか正常化を保とうと異界への干渉を試みようとしていたのだが、先ほど玉座の重要度を上げたせいで簡単に設定しなおせない。そんなふうに融通が利かなくなるから、元は少し下げていたのだ。
干渉するための脳のリソースを防御に回す。ルールに矛盾が発生したことで、玉座に座るものが無敵になるルールもどうなっているか分からなかったからである。
いくつもの闇と氷、水の三属性が混ざり合った障壁魔法が多重展開され、アデルとマリンによる極大魔法『血槍の爆矢』は、大爆発を起こしながら障壁に当たるたびに小さくなっていく。
それでも最後の一枚に小さな穴をあける所まで到達し、イカの王の目の前で最後の大爆発が起きる。
「──────ダラァアアアアアアアッ!!」
「ヌグッ!」
だが安心するのはまだ早い。大爆発に隠れてイグニスが飛び出していた。
その身に膨大な碧炎を圧縮し宿し、強大な鬼人を三体分その身に降ろし、最後に残っていた障壁の穴に向かって、【ベリオス流獣術】の奥義が込められた三つの碧炎による巨拳が炸裂する。
あっさりと最後の障壁を打ち破り、とっさに防御しようと体の前に構えた十本の触手を舐めるように焼いていく。
さらに【霊法波壊僧】のスキルによる霊法波動の力で、内側にも炎が浸透して内部からも焼かれて一瞬で炭へと変わっていき、その肉体まで僅かに炎が届いてしまう。
これでも無敵状態は多少は続いて硬くはなっていたはずだった。
それでもありあまる地脈の力を使ってスフィアが何重にもバフをかけた上で、BMO産の対海洋生物特攻の指輪やら腕輪など装備品も付けていたため、中途半端に適用され続けている玉座の守りも意味を成していない。
はやく再生しなければ──。イカの王は炭となって崩れていく触手を目に、そんなことを考えたが、それは呑気がすぎるというものだ。
チリッと肌に静電気のような刺激が走り、イカの王は全身に寒気を覚える。
「──死ね」
「イ゛イァアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
黒い雷光迸らせたクロミアの三本の重刃が、肉厚なイカの王の胴体を斬り裂き全身に電撃が巡って麻痺を起こす。
つづく灰色の風を纏う二本の刃による突きが、斬り裂いた体内に向かって刺しこまれ、爆発するように灰風が体内に吹き荒れ巨大な穴を穿つ。
「イ……イァアアアアッ!!」
「させない!」
体が麻痺していても、玉座の守りのおかげで魔法は撃てた。大きな攻撃で隙をみせたクロミアへ向けて、『停脈眼』で速度を奪い、闇氷でできた巨大な海獣の咢が襲い掛かるも、グリードがそれ以上に巨大な魔盾で防ぎ切った。
「今だよ、クロミアちゃん!」
「うん!」
ヌイが取得した職業【深層心縛使】と【封印術師】によるデバフを、いつの間にか体内に侵入していたアイゼンの補助ユニットが打ち込んだ、無数のファフニールの毒が籠った誘導杭に向かってかけると、麻痺状態のイカの王はさらにその力を弱める。
その瞬間を狙ってクロミアの右目が黄金に輝き出し、【空破竜瞳】を解き放とうとしたが──強制的にキャンセルされてしまった。
「サ……セ──ヌゥゥッ」
「やっぱりまだ隠してたか。でも残念、そっちは本命じゃないから」
これまで見せてこなかったイカの王の右目の『絶脈眼』を発動させたのだ。
それは相手の力の流れを途絶えさせ、相手の技を強制停止させることができ、それによって【空破竜瞳】は不発に終わる。
けれどそちらは分かりやすい囮でしかない。本命はクロミアの左目によって放たれた【存在剥離の魔眼】。
中央の目に視線を合わせ、その存在感をこの異界から薄くさせる。
度重なる攻撃とデバフによって弱った体では、完全にその魔眼に対抗することはできず、一時的にイカの王の存在が曖昧になった。
「王の権限により、この世界の王政を撤廃する! 王様なんていらないよ!」
イカの王の存在が曖昧になった瞬間だけ、玉座に座った二人の王の内の一人──スフィアの権限が一番上に格上げされた。
その権限を行使して、そもそものルールとしてあった『王』という存在の撤廃を異界へ言い渡す。
そうなるようにクロミアが事前に深淵から手を加えていたというのもあり、その宣言は最高権限者による言葉として異界に受理された。
「ア、アアアア……………………ッ」
「これで異界は安定したね。良かったじゃん」
王政が撤廃されたことで、『玉座の間』の矛盾が消え去った。
イカの王とスフィアが座っていた玉座はどちらもチリとなり、『王』という定義もなくなり、『王が二人存在する』という異常事態が取り除かれたことで、軋むような音を立てていた異界は、ただの『白い空間』となって安定する。
これで双方無敵という、不毛な状態はなくなった。異界が壊れ、予想外の事態が起きるなんて事故の心配もなくなった。
「愚カ──愚カ──ドレダケ──ドレダケノ──ッ!!」
「知らないよ。勝手にそっちが私たちを招いたからこその結果でしょ。責任はそっちで勝手に取りなよ」
この異界を創り上げるのに、クロミアたちでは想像もできない時間がかかっていた。
そしてもう一度創れと言われても、イカの王も同じものは創れないと理解している。
何故なら偶然や運に助けられ、この形になっていったのだ。王という法則も、零になった状態から元に戻せるか分からない。
ここでクロミアたちを倒したところで、もうこの異界は戻ってこないのだ。
この異界があったからこそ、イカの王は海で最強の存在でいられた。彼にしてみれば、絶対的な初見殺しとなるはずの唯一無二の奥の手だった。
それがよく分からない人間たちのせいで滅茶苦茶にされ、心中穏やかでいられるわけはない。
クロミアたちからすれば自分たちが勝つための最善手を打っただけで、知ったことではないが、イカの王は大きな三つの目を血走らせながら、カチカチと胴体の下に隠れたクチバシを鳴らす。
「絶許──」
「うん。やっぱり最後はガチンコ勝負だよね。下手な小細工しないで、かかってきなよ」
怒りの感情が抜け落ちたように静かになったかと思えば、巨大な全身から闘気を迸らせる。
灰風による腐食で再生が阻害されていた部分を、自分の魔法や再生した触手の吸盤で切除して元に戻していく。
「イァアアア……イァ……イイイィィィイイイァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「いいね。そっちの方が私好みだ。やるよ、皆!」
「ええ」「ああ!」「「「うん!」」」「おう!」「りょーかい」「お任せヲ」
異界の力を全て失い、死すらいとわぬ憤怒の化身となったイカの王との、最終決戦の火蓋が落とされた。
次は火曜日更新予定です!




