第七〇四話 最初の一手
限定的ながら無敵となった王は、クロミアたちが何かを企んでいることにも気付いている。
勝利を疑ってはいないが、無駄に抵抗されるのも面倒くさい。予想しうる限りのクロミアたちが取れる策を考え、先手を打って対抗策を巡らせていく。
自分の思い描いた流れにちゃんと乗ったことで、精神も随分と落ち着きを取り戻していた。おかげで思考もいつものように冴え渡る。
「無駄──思イ知レ」
「グリード、目に頼るな!」
「あ、ああ!!」
黒い氷棘の触手が、クロミアたちの足もとから貫くように伸びてきた。
しかしそれは闇魔法により、見えている光を歪められている。目に見えている情報から少しずれた位置から、本物の氷の触手は伸びていた。
視覚に頼って回避や防御をしてしまうと、あっさりと体を貫かれてしまう。
闇魔法に耐性のある悪魔のグリードですら騙される見事な視覚偽装の魔法だったが、クロミアの目はごまかせない。
スフィアを通してその情報はすぐさまグリードに共有され、虚像ではなく実体の場所に魔盾をそれぞれの足もとに展開して防ぎ切る。
だがそれを防いでいる間に、イカの王の触手六本それぞれの先に展開された魔法陣による、数千トンに圧縮された闇水玉が大量に飛んできた。
当たれば見た目からは信じられないほどの重量により、簡単に潰される。
そのどれもが目に見える位置から絶妙にずらされており、その魔法に関する演算能力の高さにクロミアさえ舌を巻く。
「お姉ちゃんの思考のリソースを奪って、こっちの反撃の隙を無くそうとしてるみたい」
「だろうね。この異界に干渉できるのは、この中だと私だけだし」
視覚偽装の闇魔法を、完全に見切れるのはクロミアしかいない。
そちらに思考を割かせることで、膨大な演算力を必要とする他人の異界への干渉を阻害しようとしているのだ。
その証拠に攻撃で倒すのではなく、相手の消耗を狙うような隙の無い魔法ばかりを、息をつく暇すら与えず使ってくる。
「でもこんな攻撃続けてたら、さすがにあいつだってバテるんじゃねーか?」
「それがあいつ、玉座から地脈を通じてエネルギーを供給してるみたいだよね。あれだけの魔法を使っても、ほとんど魔力が減ってない」
「つまりこのままだと、あいつよりも僕たちの方が先にバテちゃうってこと?」
「そうなるね。あれだけの魔法を一人で丸一日使い続けても、まったく問題なさそうだし」
無駄に抗ったところで消耗するだけ。クロミアたちはその猛攻をいなすように、省エネで対処し続ける。
その間に裏でクロミアが勝利のための仕込みを始めようとしたのだが、その瞬間、相手の三つある内の真ん中の瞳に淡い青みを帯びた光が宿り、攻撃の数がさらに倍増し邪魔された。
「サセヌ」
「ああ、真ん中のはそういう目なのね」
相手にバレないよう露骨な動きはしなかったのだが、イカの王はクロミアが巧妙に隠した力の流れを見通した。
あらゆる力の流れを見通す目。それが中央の瞳の能力である。
これにより何かしようとした瞬間、その力の流れである程度相手が何をしようとしているのかが分かってしまう。
しかも魔力操作に長けたクロミアが、ほんの少し行動を起こそうとしただけで気づいたことから、その精度は超位職に匹敵する。
敵対者によっては未来予知ができるのではないかと勘違いするほど、相手の動きを事前に察知できるだろう。
「無敵に、ほぼ無限の力、そしてあの目……厄介すぎるわね」
「さすがクロミアちゃんを、不殺のまま行動停止に持っていけるって思えるだけはある強さしてるね。ただの自信家ってわけじゃないわけだ。
負けるほうがどうかしてるってくらい、向こうに有利過ぎる状況だよね。向こうもまだ全力ってわけでもないんだろうし」
あまりにも理不尽すぎる、イカの王のために構築された異界という場所。単純な戦闘能力の合計値でいえば、間違いなくブラット隊に分があるはずだが、現状のまま戦えばまず勝てないというありえない状況をイカの王は作り出してしまったのだ。
あんなのにどうやって勝つんだと、ヌイは笑いすら込み上げてきてしまう。
しかし絶望的な状況かと言われれば、そうでもない。勝つためにクロミアが相手の裏をかく作戦を考えたのだから。
「諦メロ──時間無駄」
「お断り。それを決めるのはマリンたちだから」
「我々の命は、あなタのようなモンスターで使い切ルには、もったイないのでスよ」
「ハァ……我、異界、奪取不可能」
何故この状況で勝てると思えるのか理解できないと、馬鹿を見るような視線を向けてイカの王は溜息混じりの低い声を発する。
クロミアが何をしようとしているのかも、分かっているんだぞという警告まで入れてきた。
「お見通しってわけ?」
「当然。他ノ勝利、無シ」
異界の支配権の奪取。完全に奪うことができれば、『玉座に座った者を無敵にする』という、本来の世界ではありえない法則を崩すことができる。
それがたとえ一部でも、今の完全な形で発動しているその法則に穴をあけることができるかもしれない。
けれどクロミアがそのために夢仙術の力で干渉しようとしても、反発するような力をぶつけられて全く上手くいかなかった。
何度トライしても、それは変わらない。何せクロミアが何かしようとすれば、その特殊な真ん中の大きな瞳──『観脈眼』と呼ばれる、他者の力の流れを読み取る魔眼で怪しい気配は全て察知してしまうのだ。
ましてクロミアの仙術は夢の力。異界が夢世界に近い非現実的な場所だから互換性があるというだけで、厳密には異界に干渉する力ではない。
本物の異界を創造し管理する力を持っているイカの王からすれば、クロミアの邪魔をするなど容易いことである。
つまりアウェイな上に、純粋な干渉力でも敵に劣っているということになる。
イカの王は油断する気もなく、徹底的に邪魔をする気満々だ。そんな自分を出し抜けるわけがないのだ。
『なんて思ってるんだろうね。あの様子だと』
『お姉ちゃん、そろそろ代われるよ。あの視覚偽装の魔法は、全パターン観測して記憶したから』
『さっすがスフィア。頼もしいね。じゃあ、ここから本格的に反撃の狼煙を上げて行こうか』
相手は油断はしているわけではないが、勝ちを確信している。
このまま殺さずにクロミアの心を圧し折り、逃げることができないと心の底から思わせることができれば完全勝利。
失った大量の配下たちはもったいなかったが、クロミアが傘下に加わればその損失も補って余りある戦力が手に入ることになる──と思い込んでいる。
だから今目の前に見えていることに集中し、誤った手を打たないようにだけ気を付けている状況でもあった。
だがクロミアが仕掛けるのは、イカの王が見えている盤面ではない。
その盤面の見えない裏側から毒を少しずつ流し込むように、ジワジワとその盤面をひっくり返す手を打ちはじめる。
もちろんそれを悟られないよう表面の戦いも手を抜くわけにはいかないため、クロミアだけ戦場が二つになったようなものなのだが、こちらには仲間がいた。表側で足りない分は、その仲間たちがフォローしてくれる。
「はあっ、攻撃は絶対に通さない!」
「ダカラ何ダ?」
最初はクロミアしか見抜けなかった視覚の偽装魔法。イカの王はそれを上手く組み込んで、見えている情報とズレた場合と、魔法を使わずそのままの場合を巧妙に織り交ぜ難易度を上げていた。
そして未だに見破っているのはクロミアだと思い込んでいる。普通は一朝一夕に見破れるようになど、ならないことを知っているから。まして有り余る力を使って、超位職級の魔法を弾幕のようにばら撒かれた戦場で、正確に見極めるなど元からそういう力を持っている者しか対処はできない。
しかし、それは深淵が観測できない者同士での戦いでの話である。
クロミアの思考のリソースを奪うことに躍起になるあまり、視覚偽装の魔法を多用しすぎた。
おかげでスフィアの拙い深淵観測の技量でも、いくつものパターンを見て解析することで、深淵越しに偽装効果を見破れるようになった。
『本物、偽物──半歩先、偽物──右一歩先、本物──』
今ではクロミアではなく、全てをスフィアが見破り全員に伝えている。
演算を底上げするために、公転する惑星のような球体が彼女の周りをいくつもグルグル周回していた。
しかもその球体にはキノコが生え、菌類によるネットワークが構築されている。
さらに仲間たちからも、使っていない脳の領域を借りて演算に回させてもらうことで、慣れない深淵の観測も、有り余る演算力によって無理やり完璧にできるようになっている。
「愚カ」
「うるせぇ! かかってこいや!!」
「血の兵よ」
「そんなのきかない」
触手の先に黒い円が発生し、そこから漆黒の肉食クジラとでもいうべき巨大な魔法生物──『邪鯨』が数匹飛び出し、クロミアたちに迫ってくる。
超質量の圧縮された闇水玉や、闇氷の触手棘、吸いつかれれば肉が吸い込まれるように抉られる吸盤射出。これらにはグリードやヌイ、アイゼンが懸命に対処しているため、そちらにまで手が回らない。
そこでイグニスが碧炎を纏い、アデルは血の槍兵を出し、マリンがミニマリ──小さな水麒麟と共に水爆の弾丸をマシンガンのように射出して迎え撃つ。
BMOのHIMAの技術を宿した槍血兵が、身を挺して壁となり足止めしている間に、イグニスがグリードの守備範囲から出ないよう注意しながら、前に出て拳を邪鯨に叩きこむ。
すると内部から爆発するように碧色の炎が噴き出し、二匹が弾け飛ぶ。他の邪鯨たちはマリンの水爆連弾の弾幕で蜂の巣にされ、アデルが血の槍矢を飛ばして確実に始末していった。
「面倒」
「だったら私たちを出してくれていいんだけど?」
複数本の触手が渦を巻くように捩じれ、巨大な螺旋矢となってクロミアに射出される。
圧縮した水魔法の応用で加速したそれは、ブラットのレールガンにも匹敵する速度で、イカの王の肉体の一部を消費しただけあって威力も凄まじい。
もしも直撃すればクロミアも爆散し、周囲にも多大な被害が出るだろう。
「チッ」
けれどそんな一撃もクロミアが風雷の魔法を宿した五本の剣で、木っ端微塵になるまで切り裂き、一瞬で無力化してみせた。
三つの目が同時にピクリと動き、舌打ちのような鳴き声が聞こえてきたため、クロミアは「ふふん」と不敵に笑って挑発する。
だがイカの王は安い挑発にはのらず、ひたすら勝つための一手ではなく、負けないための一手を打ち続けた。
失ったはずの触手も、ダミーのために供物として捧げたもの以外は既に再生している。
「なん──ぐぁっ!?」
「グリード兄ちゃん!」
スフィアのおかげで攻撃を読めていたはずなのに、グリードの動きが突然鈍って触手の闇氷棘に右太ももを貫かれる。
刺さったままにしていると、そのまま体内に棘が伸びて死んでしまうため、一瞬の判断で自分で右脚を切断した。
いつでも回復できるように待機していたファフニールが、スフィアとの繋がりを通じて回復薬を注入したことでグリードの失った足は一瞬で再生し、すぐさま盾を構えて攻撃を弾く。
「頑丈ナ虫ケラダ」
「グリード、左目の魔眼の力に注意して。そっちが一瞬光ってた。たぶん、速度を奪う魔眼だと思う」
「速度を……? なるほど、それでか」
動く相手の速度を奪い鈍化させる左目の魔眼──『停脈眼』を初見で出すことで、壁役のグリードを潰そうとしたのだが、手を明かしただけで思っていた以上の効果は得られなかった。
それに悪態をつきながらも、イカの王は苛立つ心を抑えて焦り過ぎたかと反省する。
そういうところが、モンスターらしからぬ高い知性を感じさせ、より厄介だと再認識させられた。
「フンッ」
だがバレたところでどうだというのだとばかりに、イカの王は『観脈眼』でクロミアを監視しながら、『停脈眼』でグリードの動きを鈍らせる。
そしてまた彼を魔法の氷触手が貫く──と思わせて、本命は回復役であるファフニールだった。
ファフニールの足もとから大量の氷棘の触手が飛び出し、彼を絶命させようと伸びていく。
グリードは魔眼のせいで動きが遅く、間に合わない。だがイカの王もこれが決まるとは思っていなかった。
長期戦になりそうな状況で、ヒーラーを守らないわけがないのだ。おそらく位置的にもクロミアが側にいるため、未だに続けている異界への干渉を中断して、守りに入るのだろうと予測しての一手である。
だがファフニールを守ったのは、動きが鈍って間に合わないはずのグリードだった。
「何故? アアァァ…………女メ」
「あら、そんなに見つめても気持ち悪いだけだから止めてもらえるかしら」
グリードの体には血でできた糸がいつの間にか絡みついていた。動きが鈍るだけで、グリードの守りの能力は変わらない。
そしてグリード自身の速度が奪われるだけで、外部の力にまではその効力は及ばない。
ならば無理やりその場に引っ張りこんでしまえばいいだけである。操り人形のように器用にグリードを動かし、ファフニールを守らせたのだ。
グリードの動きは仲間なのだからアデルも熟知している。『停脈眼』の仕様を深淵を覗き込み、ある程度理解したクロミアが情報を全員と共有し、アデルはすぐに誰に使われても良いように、全員動かせるように血の糸を仲間たちに巻き付けたのだ。
『正直、一対一ならかなりヤバそうな相手だったみたいだけど、私たちみたいに仲間がいるならフォローできるんだよね』
魔法使いのくせに、タイマン性能がやたらと高いのがイカの王。本来であればブラット一人だけがこの異界に来るはずだったため、イカの王は強者と戦う際は一対一、もしくは自分側が複数いる状態で戦うというのが基本だったのだ。
そういう意味では、最初からイカの王の計画はズレはじめていたのだろう。
その後も感心するほど多彩な魔法でクロミアたちの守りを崩そうとし、この無駄と思える時間を短縮しようと頑張るイカの王。
けれど甲羅に籠った亀のように守りに徹したクロミアたちを崩すことはできず、時間だけがダラダラと過ぎ去っていく。
「忌々シィ……無駄ナ時間……無駄……無駄……無駄過ギルゥゥゥッ!!」
「あははっ、怒っちゃった? でも安心してよ。こっちの反撃の第一弾も、今完成したところだからさ」
「──何?」
「お待たせ。お前だけが王の時間は終わりだよ」
そう宣言したクロミアの真後ろに、玉座が発生する。
イカの王が座しているものより随分と小さく、装飾も抑え目だが、この異界における玉座は重要な意味を持つ。
もちろんただの玉座の形をしているだけであれば、何の意味もなさない。
けれどイカの王から見ても、それはまごうことなく、この異界にとっての『玉座』であった。
「えっと、お姉ちゃん。ほんとに私が座っていいのかな?」
「私が座っても全力で戦えないからね。スフィアが適任だよ」
そしてその玉座に座ったのはスフィアである。五〇メートル級のイカの王が座るようなものでなく、人間サイズの玉座なため彼女が座るにはちょうどいい。
そしてスフィアが座ったことで、この異界のルールによって彼女は非破壊オブジェクトと化した。
だがそれで終わりではない。スフィアの魂までも繋がり合う技能の力によって、その無敵効果は他の仲間たちにも共有されていく。
「これでとりあえずイーブンだ」
「不明……不明……理解不能ォォッ!」
元よりこの異界への干渉を続けていたのは、ただのブラフ。クロミアが勝つために必要な、最初の大きな一手として選んだのは『玉座』の生成だったのだ。
これにて戦況は五分と五分。どちらも無敵モードで、どちらも傷つけられない状況へと持ってくることに成功した。




