第六九六話 ズル
グリード以外には、スフィアの同調技能でクロミアについての情報を共有しておいた。
ただ一人よく分かっていない彼は、口調が女言葉になったブラットにずっと不思議そうな顔を向けている。
声も耳に掛けた眼鏡のツルが干渉して、普段のブラットの声に聞こえているから余計に意味が分からないだろう。
けれどここは敵の腹の中のようなもの。グリードも深く考えるのを止め、目の前のことに集中し直す。
「ワフ」
こっちにいると訴えかけてくる幻狼の案内についていき、沈没都市を駆け足で進んでいく。
沈没都市には何もいない。ただ海底に沈み滅んだ場所で、軽く見て回っただけでもあちこちに人骨が落ちている。
そういう意味ではかなり不気味な場所なのだが、逆に言えばそれ以上に害は見当たらない。平和そのものである。
「でも気配をあちこちに感じるんだよな──だよね」
「ずっと何かに見られている感じがするわよね。というか、口調は変える必要あるの?」
「一応、癖づけておいた方が意識を切り替えやすいからね」
口調なんていうのは色葉のままでいいはずで、BMOのときは簡単に切り替えられた。
けれど零世界では色葉ではなくブラットという存在としてこちらにいるため、微妙に意識が引っ張られてたまに男言葉が出てしまっていた。
もしも零世界でも夢やクロミアとしての力を使うつもりでいるなら、この夢ではない世界であっても今のうちに瞬間的な切り替えができるようにしておこうとさらに強くクロミアでいることを意識し直す。
そんなクロミアの空間把握能力であっても、この沈没都市には何もいない。どこかに隠れている──なんて様子もない。
だというのに常に監視されているような不快さが付きまとう。そんな嫌な場所だ。
「でもイカ野郎の居場所は割れてんだ。見つけてボコってぶっ殺せば終わりだぜ」
「うん。分かりやすくていい」
「そう簡単にいくとは限らないんだけどね」
イグニスとマリンの脳筋な会話に、ヌイは笑ってしまっていた。
相手の態度からして、イカの王は既に勝ちを確信している。その理由が分かっていないクロミアたちからすると、居場所が分かったくらいではまだ安心はできない。
何が出てきても動けるように身構えながら、クロミアたちは元々教会だったであろう廃墟の中へとやってきた。
その教会の祭壇には神の像らしきものがあったが、肩から上が地面に落ちて破損している。他にも右手もなく、足も脛の部分が大きく欠けている。
「ワウーーン」
「祭壇の下に何かあるの?」
祭壇を前脚でてしてし叩く幻狼にクロミアがそう訊ねると、「バウ!」と大きく鳴いて頷いた。
別にこちらが近づいてきていることくらい、向こうには筒抜けだろうから、バレないよう静かに動く必要もないと、イグニスが殴って祭壇を破壊する。
「あ? なんだこれ」
「自動修復機能があるみたいだね。壊しても壊してもすぐに直るんだと思う」
だが壊れても一瞬で元に戻り、クロミアやグリードが壊してもそれは同じだった。だが逆にそれが、現実世界でないとクロミアの意識を補強してもくれた。
「地脈からエネルギーを受けていルのでしょうシ、エネルギー切れでいツか修復しなくナる──なんてことモなさそうですネ。となるト……」
このままでは先に進めない。だが絶対に進めないようにしてしまうのはルール違反ではないかとアイゼンは考えたようだ。
クモボディを忙しなく動かし、小さな補助ユニットもまき散らして周囲を調査してみたところ──。
「なるホど。ここは現実的な仕掛けノようです。助かりマした。神像の欠けた部分をコうして繋げテいけばおソらく──────────成功でス」
「わっ、凄い! 祭壇が開いた! そんな仕掛けだったなんて、僕全然気づけなかったよ。さすがアイゼンだね」
「お褒めいただキ、ありがとうごザいます。ファフニール」
神像の破損が目立つ大きな部位しかないことを不審に思ったアイゼンは、その欠片を隠してあるものも含めて全て集めてあっという間に修復してみせた。
すると祭壇の絡繰りが作動するように、内部でカチャカチャと歯車が回るような音を上げながら、前面部分が自動でスライドして、その奥に地下へと繋がる階段が姿を現した。
幻狼はこの下だといの一番に入っていく。『ウルフ・アルファ』があれば、いくらでも呼び戻せる体だと幻狼も分かっているのだ。罠避けも兼ねて大胆に先行してくれる。
念のためアイゼンもトラップを警戒するよう補助ユニットをばら撒き、クロミアたちも階段を下っていった。
「アオーーーン」
「え? それがイカの王なの? 間違いなく?」
「バウ!」
警戒していたのが馬鹿らしく思えるくらいに、階段を下っている最中も、その後も何事もなく、最奥の怪しげな儀式場のような場所に辿り着く。
その部屋の床面には大きな魔法陣が描かれ、その中心部には五メートル以上ありそうな黒い柱が立っている。
幻狼はその柱を前脚で指し示し、クロミアに再度確認されても、これがイカの王だと自信満々に伝えてきた。
だがどうみてもそれはイカの王ではない。どういうことだと、クロミアは床の魔法陣に視線を落とし、しばらくして黒い柱に直接手で触れてみる。
「ブラットくん──じゃなくて、クロミアちゃん。触っても大丈夫なの?」
「大丈夫っぽいね。どうやらこの世界に本物だと思わせるダミーらしい。
私のこの剣みたいに、何かしらの方法で本体を見つけ出す能力に対して最初から対策をしていたみたいだ」
「兄ちゃん、壊すことはできないのか?」
「これも祭壇と同じかな。──ふっ! ほら」
クロミアが剣で柱を切り裂いてみせたが、またすぐ元に戻ってしまう。
この地に流れる膨大な地脈のエネルギーを利用しているため、それは誰が何度やっても結果は変わらない。
「それでいてコイツがあるせいで私の幻狼の追跡能力が無力化されてるから、本物を見つけるのが困難になってる。これに意識が吸い寄せられるみたいなんだよね。
この柱の範囲の外はあるはずだけど、これだけのことができるならきっと──」
「当然、あのイカの王は他にもダミーを用意してるだろうね」
クロミアが苦々しく止めた言葉の先を、スフィアが代わりに答えてくれた。
厄介なのはこの柱の作成自体は、これほどの異界を作り出せるほどの技術と地脈の力が借りられるのなら、複数作り出すのはそこまで難しくないという点にある。
ただ深淵領域を解放して視た魔法陣の裏側の記述から、体の一部を捧げる必要があるというのは分かっているため、無限に生み出せるわけでもないのは救いではあった。
「捧げた部位は、この柱を無くさない限り回復魔法でも戻せないだろうからね。
それにこれだけの存在感を出せるダミーともなると、触手の先っぽだけなんてことはないはず。少なくとも、触手一本分くらいはないとできないと思う」
「そこは一応、制約があるわけか。けど対象範囲が広いなら、それでも問題はなさそうか……」
柱の有効範囲はクロミアの見立てでは、この沈没都市一つ分は確実だという。
そしてこの都市の外に出たところで、どうせ別の柱に誘導されるだけで終わる。
「けどよ、あっちだってクロ姉を屈服させるつーか、逃げられないって状況にしなきゃなんねーんだよな? 待ってりゃ、向こうから接触してくるってことはねーのか?」
「向こうは、こっちが餓死寸前になるまで逃げ続けるつもりなのかもしれない。
私たちが配下につけば、たとえ海がその間に別の勢力に取られても簡単に取り戻せるとでも思ってるんじゃないかな」
「ご長寿なイカだし、確かに気は長そう。でも向こうも、マリンたちと同じでご飯はいるんじゃないの?」
「籠城するための準備くらいしてるだろうし、もしかしたら向こうは自由に出入りできる可能性すらあるよ」
「え? でもルール的にそれじゃあ成立しないんじゃない?」
「そのためのダミーでもあるのかもしれない。あいつが作ったルールだ。抜け穴を用意していてもおかしくはないでしょ。
少なくとも一時的には、外部に出るくらいはできると思っていいと思う」
クロミアは柱を剣で軽く叩きながら、ヌイの疑問にそう答えた。
つまりダミーを自分に見立てることで、異界としては本体が中にいると誤認させることができる。
さすがに不在が長すぎれば異界も偽物に気づき、ルール違反としてクロミアの契約が無効になり外に出られる可能性が高いが、ここまで高度な知能を持ったイカの王がそんなミスをするとも思えない。
「なにそれズルすぎるよ。僕らは出られないのに、あいつが好き勝手に出掛けられるなんて……」
「ルールを決められる立場にある存在だからね。もしもイカの王側にいたら、私だってそのくらいのズルは仕込んでる」
夢の力を使う過程で、そのズルをいかに上手く仕込むのかが重要になると今のクロミアは前以上に深く理解している。
だからこそ相手側のズルを想像することだってできるというわけだ。
「それじゃあ結局のところ、俺たちは俺たちの足で探して歩かなければいけないってことか。
でもそれだと、いったいどれだけの時間がかかるか……。ルインだってそれまで待ってくれるとは思えない。どうすれば……」
「グリード。そこまで悩む必要はないかもよ。お姉ちゃん、何だか余裕そうだし」
「お姉ちゃんだとか、イグニスなんかもクロ姉とか言っているし意味が分からない……のはもう良いとしてだ。そうなのか? ブラット兄ちゃん」
「うん。まぁ実際にやってみないとだけど……これなら何とかなるかな。深淵の領域が見られるようになって助かったぁ。夢の力もだけど」
深淵領域を観測できるようになったおかげで、表面上は見えない隠された魔法式の記述も読み解けた。
どんな法則で、どんな脆弱性があるのか。裏側を見れば一目瞭然だ。
「イカの王は深淵領域の観測手段は獲得してないみたいだね。じゃなきゃもうちょっと上手く根幹部分は隠すはず」
「深淵領域かぁ。確かに便利だよね」
「そうだね」
その深淵領域の観測だが、なんとスフィアもあっさり解放してしまった。ブラットと繋がることで、深淵領域がどういうものか感覚として理解したのだ。
しかも菌類ネットワークを使うことで脳の負担も大幅に減らす方法まで、既に確立している。
相も変わらずの妹分の天才っぷりに、さすがのクロミアも舌を巻くしかない。
だがそれだけではなかった。スフィアも理解したことで、さらに同調スキルを使って仲間たち向けにチューニングしていけば、他にも何人か深淵領域を解放できるかもしれないと、さらにとんでもないことを言っており、そのときばかりは言葉も出なかったのをクロミアは思い出す。
(使い方には注意だけど、解放できればやれる選択肢も増えるしいいことではあるかな)
「便利なのは分かったから、早く何とかする方法とやらをやってくれよ」
「おっとそうだった。ごめんごめん。今回は私だけじゃなく、皆もいるから楽ができそうだ。スフィア、私の思考を皆に同調させて」
「はーい」
割と面倒な工程を挟むのだが、スフィアがいれば一瞬でそれを皆と共有できてしまう。
今回重要な役割を担うのはクロミア、スフィア、マリン。次いでアデルといったところか。
「へぇ、今のクロミアちゃん、こんなこともできちゃうんだ」
「まーね。それじゃあ、時間ももったいないしちゃっちゃとやってこうか」
そう言いながらイカの王のダミーである黒い柱に手を触れる。夢の世界ではないが、現実世界でもない。
このどうやっても壊せないゲームのようなオブジェクトのおかげで、それをより強く認識させてくれた。
異界に捕らわれた最初のときよりも、さらに夢の力を使いやすくなったこともあり、そのダミーに侵食するように仙力の波動を撃ちこんでいく。
じんわりとクロミアの夢の力が浸透していき、ダミーの存在を一時的に掌握した。
「よこせ──【狂夢の根源喰らい】」
この異界がイカの王本体だと認識しているのなら、それを本体と見立てて喰らうことだってできるはずだ──というのがクロミアの考えである。
異界からさらに精神世界へとこんがらがりそうな状況だが、問題ない。
「ここが兄ちゃんの言ってた精神世界か」
「変な場所だぜ」
「僕もあんまり好きじゃないかなぁ」
さらに夢の力の理解度とスフィアの技能も借りたことで、精神世界に仲間たち全員を引っ張り込むこともできた。もちろん肉体も一緒にである。
光もない漆黒の広い空間なのに、視界は良好という現実離れした精神世界の中央には、予想通り柱に捧げられていたイカの王の触手が一本生えていた。
それだけでも意識があるのか、クロミアたちに負けたら喰われるわけにはいかないと、大蛇のように暴れ出す。
けれどたかが触手一本。クロミア一人でも対処可能な所へ、さらに仲間たちまでいる。
グリードが盾で抑え込んでくれている間に全員で袋叩きにして、最後にクロミアが美味しくいただいた。
「美味しい? マリンも興味ある。おいしかったら、本物のイカの王に会ったら触手をかじってみたい」
「齧るんじゃありません。別にこっちでは味とか特にないしなぁ」
全て食べ終わると、異界に全員戻ってきた。黒いタワーは消え去り、幻狼はここではない別の場所に反応を見つけたようだ。
この時点で作戦は成功だ。しかも捧げられたものを喰らったことで、クロミアを殺さない限りもう二度とイカの王にその触手が戻ることはないというオマケ付きだ。
「けどまだ終わりじゃない」
だが触手を喰らい、ダミーを消すなんてものはクロミアにとって前座に過ぎない。本命はこれからである。
というのもこの柱が座している場所は、沈没都市という異界の一角の起点にもなっていた。
それをイカの王は必死に隠すよう魔法式を記述していたし、なにより地形的にまったくここは中心ではない。むしろ沈没都市の中では端の方に寄っている。
普通ならそんな場所がこの都市の中心だとも思わない──というより、そう思い込ませるような思考誘導までご丁寧にこの空間には施されていた。
だが深淵領域で裏側を見たことで、そんな思考誘導などあっさりと散らし、ここが沈没都市の起点であると確信が持てた。
であるのなら今はまだ実力的にクロミア一人ではできなくても、今ここにいる仲間たちの能力により補助があれば、もっと先まで手が届く。
「この沈没都市は私たちが貰う。勝手に連れ込んだから、勝手に奪うけど別にいいよね? イカさん」
イカの異界の大きな区画の支配を奪取する。それこそが、クロミアが弾き出した最適解──本命の作戦であった。




