第六九五話 イカの異界
扉の向こう側に行くと、そこは先ほどの穴倉の王都などではなく、かつて人間が住んでいたような沈没都市が広がっていた。
かなり古く、あちこち崩れているがちゃんとした建造物が所々に建っている。
「ここは……って、そうじゃない。皆、大丈夫か!?」
「え、ええ、平気よ」
「ブラット兄ちゃんこそ、何ともないの? 僕がまた診察しようか?」
「いや、多分オレは大丈夫だけど……なんか皆も平気そうだな」
ここがどこかは知らないが、海の中だというのは間違いない。
レプリカのサメさんのお守りの効果を十全に発揮するには、あの砦を起点とした近海の範囲にいなければいけない。
それでもスフィアがいれば即死するほど弱体化するわけではないが、どこか分からない以上、すぐに対処する必要がある。
そう思ってブラットは慌てて周囲に視線を巡らせたのだが、こちらに一緒に来たアデルたちは思った以上に平然としていた。
もしかしてここは海の中のようでいて、海の中ではないのかとも思ったが、しっかりと自分の首元に下げられているオリジナルのお守りが発動状態なことに気が付く。
「どういうことだ? オレたちの見える風景が変わっただけで、場所は動いてないとか?」
「イえ、場所は移動していルかと。座標を調べてみましタが、計器が異常値を指していマすので」
「つーとあれか? 俺らの国にあるダンジョンとかいうのに近いか?」
「一種の異界のヨうなものなのは間違いナいかと。それでもちゃんと機能しているということは、この異界の構築には、あの場の地脈の力を借りていル可能性が高いデす」
地脈を通してワイヤレス化していた技術だったため、その力が流れていれば、どこにいようとレプリカも十全に機能し続けられる。
なのでこの謎空間にいようと、呼吸や動作で困ることはないというのが分かった。
それが機能しなくなったときのために、性能は落ちるが他アイテムやポーションで代用する方法も持ち込んではいたが、やはり今の状態がベストだ。
「敵の気配はなさそうだが、この状況はいったいどうなってるんだ? 兄ちゃんは分かるか?」
「何かしらのイカの王の技能を使われたんだろうけど……、オレをこうまで一方的に嵌められるほど実力が隔絶しているとも思え──供物ってそういうことか」
「そういえば、私たちがこっちに送られる前に、供物が~って言ってたもんね。というかモンスターなのに、何でしゃべれるのって話でもあるけど」
「ほんとにそれだよ。会話できる知能があるなら、それはもうモンスターじゃなくて人だよ、人。
もちろん攻撃してくるなら、モンスターだろうが人だろうが関係なく倒すしかないんだけど」
元々の仕事柄、様々な情報に触れてきたヌイも話すモンスターというのは聞いたこともないと言う。
そもそもこの世界で人かモンスターかの区別など、知能の高さでしか決められない。見た目が人外な人間なんて言うのは、国に戻れば周りにいくらでもいるのだから。
そうなるとである。イカの王が人間に分類できるほどの知性を持つなら、手を取り合うという未来もあり得たのかもしれない。
「ここまでされて、手を取り合うつもりはさらさらないけどな。先に攻めてきたのはオレたちなわけだけど、そうじゃなかったとしても結局同じようなことをされていただろうし」
「たりめーだぜ。あれは仲良くできるような奴じゃねーよ。目を見てすぐ分かったね。
んでよ。その供物がどうのこうのっていうのは結局なんだったんだ?」
「ああ、それか。たぶんだけどあいつはオレたちに供物を捧げ、オレたちがそれを受け取ったという事実があることで、契約を結びやすくかつ強力にしたんだと思う」
「僕たちに供物? そんなの貰ってないよ」
「いいえ、貰ってるじゃない。それでファフニールも進化できたのでしょう?」
「あ、ええっ!? そういうこと!?」
「自分の配下をほぼ──あるいはコこまで強力なわけですシ、全ての配下を私たちノ供物に捧げて、契約におケるハードルを下げたのでシょうね」
「それが本当だとしたら、相当な知能がないと難しそうだけど……そこまで頭いいのかな? 人の言葉を使ってはいたけど、下品というか、ちょっとお馬鹿に見えたけど」
スフィアの中々の酷評に、ブラットは思わず苦笑してしまう。
だがブラットも似たような印象ではあった。供物という儀式を行うことで、契約効果のバフをかける。
そこへ血という魔法的な契約において重要な意味を持たせられる触媒を利用して発動させる。
供物の大きさはブラットたちが受けた恩恵によって増大するため、グリードたちを進化させたことで得られた戦力の増強分も、契約の補正に大きく影響したとみていい。
そこまで見越して自分の配下をブラットへの供物に捧げた上で、それに付随した魔法の構築を行う。
イカの王は配下を全て犠牲にするという大きな代償を支払うという、逆にモンスターだからこそ絶対にそんなことはしないであろう作戦を敢行し、完璧に契約魔法をブラットに押し付けてみせたのだ。
それができるなら人類国の中でも相当に上位の知性がなければ、どこかで魔法式が破綻するはずだった。
けれど現にこんなことになっている。ブラットは話せるかどうかの確認もかねて、【神託】で小太郎へ呼びかけてみれば、すぐに返事がきた。
『あれはかなり特殊だね。馬鹿に見えたというのは、確かに人からすれば知性が劣っているんだよ』
(なのにこれほどの契約ができたの?)
『あれはね。人間のように汎用性のある知能ではなく、どこまでも魔法という点に特化した頭脳を持っていたみたいなんだよ』
(つまり他は劣っているけど、魔法という特性分野だけは人類でも上澄みレベルの知能を持っている特殊個体ってこと?)
『そう思ってくれていいよ。あれは相当に長く生きている個体だからね。他のどの王よりも長生きしているんじゃないかな?
だから普通の人間では考えられない時間を使って、知識をじっくり蓄えることもできたんだろうね』
(有り余る時間のゴリ押しもあったんだ……。ならこれくらいはできても不思議じゃないか)
人よりも一度に得られる知識は少なくても、イカの王には膨大な時間があった。人間が数十年で得られるような知識も、数百年もあれば追いつける。
そして魔法という一点に極大の適性があり、進化の過程で知性がそれに適応した。
一点突破型ではあるが、それでも一つの分野を高めたことで平均値も上がったがために、人の言葉までも最低限口にできるようになった。
──というのが、零世界の管理者である小太郎の見解だった。
(わりとそう言うことって多いの?)
『いや……多くはないね。極々低確率で起きるエラーみたいなものだと思っていい。
本来の設計上では、モンスターが人に匹敵する知性を得るなんてありえないんだよ。だから私も君が思っている以上に驚いている』
(もしかしてルインがまだ受肉する前に何かしたとかは?)
『私もそれを疑ったけど、その可能性はないと思う。ルインがやったというのなら、私は絶対に気が付ける。どれだけポンコツな私であろうと、それだけは断言できる』
小太郎は普段から自信がなさげで、自分の能力をいつも疑っている。そんな彼がここまでハッキリと断定するということは、その点において間違いはないのだろうとブラットもルインが何かしたという線を捨てた。
イカの王は自らの努力と大きな偶然によって引き起こされた、奇跡のような個体なのだと認識を改める。
(ちなみに、私たちの考察は合ってると思っていい? ここはあいつの作り出した異界のようなもので、供物という代償を私たちに支払ったことで不平等な契約を結ばせられたっていうやつ)
『ああ、私も同じ意見だよ。しかし……いくら魔法に特化しているとはいえ、ここまで完璧にできる者なんだろうか……? いや、実際に成っているのだから、疑う余地もないのか。
そこは時間の流れが現実より少し早いけど、あんまり悠長にしているとルインたちが更に成長して人類国を滅ぼしかねない。できるだけ早くそこから出た方がいいと思うよ』
(簡単に言ってくれちゃってまぁ。なにかここにいることで、私たちの肉体に変な影響があったりとはする?)
『そういうものはないよ。そのイカの王の異界には、作り出した本人すら破れないルールがあるのだと思う。
そのルールの一つが、ブラットくんたちへの悪い影響を及ぼさないというものかな。
契約を結ぶまでの供物だからね。結んだ後の内容までは、そこまで不条理なものではないはずだよ』
(詳しい内容は自分で調べて解決しろってことでOK?)
『あ、ああ……。そこまで地上のモンスターに干渉できるほど器用ではないんだ……申し訳ない。
けど〝契約〟ということは、何かしらブラットくん側でも内容を確認する術はあると思う』
(契約時の書類をコピーして持っておく──みたいな感じ?)
『そのイメージであってるね。あくまで相互で結ばれた契約だ。結び方は不条理でも、契約上のルールは平等である可能性が高いと思う。頑張ってくれ』
(うーん……そういうものか。分かった。もしも何か思いついたら、神託で教えてね)
『ああ、もちろんだ。すぐに知らせよう』
最近ではいろいろと成長してきた小太郎だが、まだまだ全能の神というわけではない。
これ以上話していてもしかたがなさそうだと、ブラットは礼を言って【神託】を切って皆と情報を共有しておいた。
「ってことで、契約内容の確認をしておこうか。こっちでも確認できるっていうのなら──これが一番怪しいけど………………ビンゴ!」
「はえーな」
「別に隠してるわけじゃなかったしな」
契約の紋章に触れて魔力を流してみれば赤く光り、どういう内容のものなのかブラットの脳内に文字が浮かび上がってきた。
それを咀嚼するように読み込んでいき、大きな溜息を吐く。
「そういうことか。これはどうやら壮大な鬼ごっこらしい」
「鬼ごっこ……というのはどういうことかしら?」
「つまりオレが鬼で、イカの王が逃走する側。敗北条件は、捕まえられる状態でなくなること。勝利条件は、相手を逃げられる状態でなくすこと」
「つまり俺たちがイカの王を殺せば、兄ちゃんの勝ちだと?」
「殺す必要はないんだけどな。相手はオレを殺す気はないみたいだし」
「え? どういうこと? こんなことしておいて、やっぱりマリンたちと仲良くなりたいの?」
「いや、仲良くしたいわけじゃない。あいつはオレたち──というか、オレを従えたいみたいなんだ。
というのもこのゲームの勝利報酬は、相手の生殺与奪の権利の獲得。勝った方が負けた方を奴隷にできる契約だ」
「えーと、ということはこっちが勝てば、あのイカさんをお兄ちゃんの奴隷にできるってことであってる?」
「合ってる。勝った方が相手の支配下に入るんだ。つまりあいつは配下全部よりも、オレという駒が欲しかったんだと思う。だからここまで面倒なことをしたんだ」
「なるほどねぇ。でも気持ちは分かるかも。私らに供物として送ってきたイカたち全部を合わせても、ブラットくん一人いてくれたほうが戦力になるもの」
「言われてみればそうかも。僕も同じ状況なら、あのイカたち全部を合わせても、ブラット兄ちゃんが近くにいてくれた方が心強いもん」
「そうファフたちに言ってもらえるのは嬉しいけど、イカの王に言われても嬉しくはないんだよなぁ」
「でもよ。俺たちが勝てばあのボスイカが手に入るんだろ。ブラット兄は、手に入れたらどうする気なんだ? 海の防衛でもさせるか?」
「え? 殺すけど」
「あら、殺すのね。けど……そうよね。生かしておくメリットも大きそうではあるけれど、殺した方が安心だもの」
「奴隷にできたなら、【狂夢の根源喰らい】で喰うのも簡単だしな。
契約といってもあいつが用意してきたものだし、勝って安心してたら変な方法で破棄されて逃げられる、もしくは痛い出費を払わされるなんてこともあり得る。
殺して【深淵からの代弁者】でその知能と意識を使った方が安心安全だ。変な腹の探り合いもしなくていい」
ブラットは勝手に契約を結ばされたにすぎない。これが互いの合意の上での契約であったのなら、素直に生かしたまま使う方法も考えていた可能性はあった。
けれど相手側が用意した契約とルール。絶対にイカの王側にとって都合のいい内容になっているに決まっている。
勝利次第、喰って殺しておいた方が後顧の憂いも断てるというもの。なんなら殺して勝利したっていいのだ。
ルイン戦やベグ・カウ戦で背中から攻撃されたなんてことになれば、目も当てられない。
故にブラットは相手を奴隷にするなんて言う生ぬるいことは一切考えず、確実に使える形として利用すべく必ず殺すと決めた。
「スフィ姉、相手の居場所は分かる?」
「え? うーん、やっぱりまったく分からないかも……。星の光が届かないうえに、そもそもここには星自体がない空間みたいだし……」
「スフィアと深海は相性が悪そうだよな。けど安心してくれ。そのために俺はわざわざ、この剣を使ったんだから」
「さすがブラット兄ちゃん、抜け目ないな。俺も見習わないと」
この剣とはもちろん『ウルフ・アルファ』のことだ。この剣の力を使えば、たとえどこに隠れようと、どれだけ離れようと居場所が特定できる。そのためにこれで斬りつけたのだから。
オオカミの幻体を一体呼び出し、【深淵からの代弁者】で狼王のコピーされた意識をそれに付与した。
すると意思のないゴーレムのようなオオカミの幻体に知性が宿り、生き物のような反応をみせてくる。
さらに幻体なため、呼吸する必要もなく深海の影響も受けていない。
「場所は分かるよな?」
「ワン」
大きく頷きながら、その方向へ体を向けて右前足を上げる。
「ちょっと可愛いかもしれないかも」
「ワフワフ」
中身は狼王のはずなのだが、ヌイに撫でられてまんざらでもなさそうに鼻をピスピス鳴らしていた。
オオカミというよりワンコにしか見えないなと密かに思いながらも、居場所が分かるのならどっちだっていいかと、さっそく案内を頼もうと考えたところでふと立ち止まる。
「そういえばここ。現実感がないな」
「ブラット? 突然どうしたの? なにか気になることでもあるのかしら」
「いや、気になることというか……」
現状確認に忙しくそちらに気を取られていたが、改めてこの異空間を肌で探ってみる。
【黎明の天使】という超位職を得てから、もともと高かった時空適性による感覚がさらに鋭敏になってきているように感じていた。
それでこの世界を感じてみれば、巧妙に現実の皮を被せて偽装されているが偽物の世界だということが分かる。
いかにイカの王とはいえ、本物の世界を一から創れるわけがないのだ。
(そんなことできるなら、ベグ・カウだって倒せるでしょって話だからね。つまりここは──夢の世界に近いってことでもあるわけ)
ならばとブラットはクロミアになれると確信を持ったのだが、そこでまた動きが止まり……横目でグリードを見つめた。
どうして見つめられているのか分からず、グリードは首をかしげている。
別にここは夢の世界というわけでもなく、精神世界とも少し違う。だがある程度夢の力について学んだ今のブラットであるのなら、現実でない世界でなら夢を自分に被せることだってできる。
とはいえここで夢に引っ張られるなどもないため、本来であればわざわざクロミアになる必要はなかった。
けれどここで無理やり結ばされた契約という縛りが、そのメリットを提示してくる。
この契約はあくまで『ブラット』と交わしたものであり、『クロミア』は関係ない。
(じぃじならここまでお膳立てされてれば、この段階で一方的に契約を破棄できるんだろうな。まぁそもそも契約すらさせないんだろうけど)
けれどブラットには、まだそこまでの力はない。クロミアになったところで、契約がなくなるわけではないだろう。
けれど存在を入れ変えるように別人になることで、この異常なまでに強固な契約の効果を薄めることはできるはずだ。
ブラットであれば契約的に絶対できないことでも、クロミアならギリギリできてしまう。なんていうことも、夢を挟むことでできそうだとブラットは確信している。
なのでクロミアになってしまおうと思ったわけなのだが、このグリードという弟はブラットが好きすぎるのだ。
もちろんブラットでいるのなら、彼は尊敬すべき兄として見てくれる。それ以上でも以下でもない、純粋な憧れだ。
だが女になると彼はおかしくなるのを以前、色葉の姿になったときに経験している。
あれはそもそも色葉の姿がグリードの好みに刺さったというのももちろんあったのだろうが、クロミアでも同じようなことになりそうだと妙な信頼感のようなものがあった。
(さすがにこっちでも、男に抱かれる気はないからなぁ。たとえそれが可愛い弟分だったとしても無理だ)
別にグリードも女になったからと言って、襲い掛かってくるほど暴走することはないだろう。
けれど下手に希望というか、可能性を見せてしまうのも酷な話である。
ならどうすればいいのか。ブラットはその優れた脳みそをフル回転させ考え──考えついた。
「グリード。この眼鏡をかけてくれ」
「え? 別にいいけど」
度の入っていない、無色透明レンズの眼鏡を夢の力で無理やり作り出しグリードに渡す。
ブラットが言うのなら意味があるはずだと、彼は素直にそれを受け取り、あつらえたようにフィットする眼鏡を顔に掛けた。
「気になるところとかはないか? 戦闘の邪魔になったりとかは?」
「問題なさそうだ。けどこれはどういう意味が?」
「まぁまぁ、それはお互いに集中するために必要なものなんだ。いいというまで……というか、ここを出るまでの間はそれを掛けていてくれ。外しちゃダメだぞ?」
「わ、分かった。兄ちゃんが言うんだ。そうしたほうがいいんだな」
「ああ、頼んだぞ。──ってことで、よっと」
「「「「「「──え!?」」」」」」「どうしたんだ?」
突然クロミアの姿になったブラットに驚きの声を上げるが、ただ一人グリードだけは何を驚いているのだと首をかしげていた。
それに「上手くいってるみたいだね」とブラット──クロミアは満足げに頷く。
その眼鏡はただのダテ眼鏡ではない。夢の力で作り出した、ブラットをブラットとしか見えなくさせる不思議な眼鏡なのだ。
なのでクロミアになっても、グリードにだけはいつも通りのブラットとして見えている。
ブラットのことを信頼してくれるという精神的な防壁がないからこそ、簡単にできたこと。
「よし。行こうか。狼王、案内よろしく」
「ワオーーン」
突然の女体化に戸惑うアデルたちを強引に引きつれ、クロミア一行はイカの王を探すべく、広大な異界の探索に乗り出した。
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