第六八一話 深層での戦い
《海の守り神による加護が更新されました。各種バフに加え、水中行動が付与されました》
渦に飛びこんだ瞬間、加護がさらに強力になった。水中行動とは何ぞやと、エレベーターのように下降し続けている間に確認していく。
「これがあるなら、水中戦対策はいらなかったっぽいね」
「でもサメさんに会いに行くのには必要だし、無駄ではなかったでしょう?」
「まあね」
水中行動はどんな深海にいようと水圧に負けることもなく、呼吸も水中でできる。会話も当たり前のように口頭で成立する。
さらに動作も地上と同じように振舞えるようになり、本来なら水の抵抗に邪魔される剣を振れるようになっていた。
それは射出された銃弾や魔法にも適用され、数秒間だけ水を押しのける保護がかかる。
まさにこれこそクロミアが求めていた、理想の水中戦対策だ。まだボスがいる場所へと運ばれる演出中なため、なんとか少しでも参考になるものはないかと、深淵領域を全開放して解析を試みる。
(ふむふむ……あれ? これ、意外となんとかなるのでは?)
「クロミア、大丈夫? 鼻血出てるわよ」
「うん、ちょっと気になることがあって……」
フランソワが見かねて鼻血を拭いてくれる。頭痛がひどく、HPすら削れてきているが、それでも思ったよりまともな法則で成り立っていることに興奮して、解析ははかどっていた。
ここが夢と現の狭間という特殊空間だからこそ、通常の法則をある程度無視していると考えていたのだが、これは現実世界でも同じ効果が得られると深淵を観測すれば理解できた。
BMOという高度な零世界シミュレーターで再現できるのなら、零世界でだって再現できる。
もちろんブラット単体でこれを再現するのは不可能だ。しかし他の仲間たちの力を借りることができれば、近いことができそうな気がしていた。
(今回一番の収穫はこれだったかも! ありがとワーズグース!! お前がイカ戦の救世主かもしれないぞ!!)
絶対に忘れないよう、視界カメラの録画は回しっぱなしでいる。さらに重要な点はメモアプリに殴り書くように、高速で記録していく。
時間にして四〇秒ほどか。クロミアが大興奮している間に、暗い海の底に到着した。
けれど視界はサメさんの加護のおかげで良好だ。まるで昼間の地上にいるように、周囲を見通せる。
正直言えば空気を読んで五分後くらいに来てほしいとクロミアは願っていたが、そんなに敵は都合よく動いてはくれない。
サメさんが出てきたときと同じように、海底のさらに下から湧き出すようにワーズグースの深層心理──本体が姿を現した。
「よくぞここまで来たものだ。その勇気だけは褒め称えよう」
海上の怪物だったときより流暢に言葉を発するそれは、二メートルと少しというサイズとしては常識の範囲内だ。
しかしその姿はもう人の姿とはいえない。サメさんの怒りを一身に浴び、その力を取り込んだことで、己の精神性にも影響を与えられたのか、人型は保っているが間違いなく化け物と言って相違ないだろう。
口からはイソギンチャクのような触手が湧き出し、左右でまったく大きさの違う、ぎょろぎょろとした魚の瞳。
ウツボの体のような腕に、ウツボの頭部のテクスチャーをぐちゃぐちゃに貼り付けたような、描写バグを疑いたくなる奇妙な八本指の手。
胴体はイカのように白く弾力がありそうで、足はカニのような甲殻で覆われている。尻尾のようにエイの細長い尾が伸びていた。
表層心理であれだけボコボコにされたというのに、態度は尊大。けれどここは完全に彼の世界。身にまとっている力もブーストがかかっているようで、かなりの圧が感じられる。
サメさんの加護を加味しても、中々に強そうだとクロミアたちは身構えた。だが相手は自分から動こうとせず、先手を譲ってやるとばかりに余裕ぶっている。
お言葉に甘えて解析で減ったHPを回復してから、クロミアは剣を持って突っ込む素振りを見せてから、雷をまとわせた風のリングを周囲に飛ばす。
「見え見えの罠とかやめてもらえる?」
「……あれも見えているのか。我と比べれば、まだ未熟な夢使いの癖にどうやって……」
こちらが近づけば発動する、置き型の火魔法がそこら中に仕掛けられていた。
それを風のリングが雷をほとばしらせながら、最小限の力で全て起動させて無効化する。
その無駄のない魔法の使い方は、完全にどこになんの魔法罠があるのか理解していなければできない芸当だ。
先の戦いで随分と成長させてしまった自覚はあれど、それでもこの自分の領域で完全に隠していたはずの罠を見破られるほど、夢使いとしての実力はないはずなのにである。
ワーズグースは何か特殊な力があるのだろうと、警戒を一段上げながら深海で派手な火炎放射を放つ。
『横!』
だがそれはブラフ。深海で炎という目を引きやすい魔法を囮に、ウミヘビの形をした透明の水が九つ、フランソワとドライを噛み殺そうと素早く忍び寄っていく。
けれどクロミアにはちゃんと見えている。そのことを双方に伝えながら、囮であっても無視できない威力を秘めた火炎放射を風の盾で受け止める。
水のウミヘビは戦乙女人形たちが盾を構え、女王であるフランソワを守るよう元帥人形クラウディアが指示を出し、ドライは『理を喰らう綻びの剣』で受け流す。
その間に騎士団長人形『イリス』が蛇たちを薙ぎ払い、フランソワは特殊な銃弾を込めた対物ライフルでワーズグースの脳天に向け撃ち放つ。
「これも容易く見破るかっ」
ライフル弾は炎の盾で溶かすように消滅させ、自分は水流を自在に操り距離を取りはじめる。
彼は夢使い兼、魔法使い。クロミアの剣術を表層心理で見ているだけに、近接戦は不利と悟りひたすら逃げに転じた。
それを追いかけようとするクロミアだが、水中の機動力はサメさんの加護による水中行動を加味してもワーズグースの方が上だ。
むやみに追いかけても、無駄に体力を消耗するだけだと、フランソワと通話で戦術を切り替えようと話をした。
「そうね。じゃあサポート役をさせてもらうわ──ね!」
「……ぬぅ?」
「うん、頼んだよ。ドライも、ちゃんとフランソワを守ってあげてね」
「キィ!」
フランソワは内部に詰める弾丸をスキルで加工し、深海をありえない速度で移動して回るワーズグースに狙いを定めて引き金を引いた。
ライフリングに沿って弾丸は高速で回転し、射出後に花開くようにプロペラ型となって、動きを読んだ先に銃弾が通過していく。
当てるのが目的ではなく、あくまで近くを通ればいい。その高速で突き進むプロペラ型の弾丸が、繊細な水流操作を乱すのだ。
あれだけの高速移動。繊細で複雑な魔法技術で可能にしていただけあり、僅かな乱れも大きなミスにつながりかねない。
ワーズグースは自然と、その乱れへの対処にリソースを割かれることになる。その隙さえあれば、クロミアだって負けていない。
「さぁ、殺し合いと行こうか」
「──くっ」
こちらは水ではなく風。その水の操作も参考に、風も使って水中を進む。加護のおかげで水の抵抗を気にする必要がないため、本来ではありえない速度でワーズグースへ迫り、レーザーのような雷を射出してどんどん距離を縮めていく。
焦りながらもワーズグースは冷静だ。雷レーザーに対処しながら炎のレーザーで相殺しつつ、火炎放射でクロミアを牽制。
さらに狙った相手に追尾する水蛇魔法を大量に放ち、鬱陶しい弾丸を飛ばしてくるフランソワを先に仕留めにかかる。
クロミアでなければ、気づかれない透明の魔法攻撃。これなら確実に後方は壊滅できると思ったようだ。冷や汗を海水に溶かしながらも、口角が少し上がりだす。
「勝ってもいないのに歯茎を出すなんて、随分と舐められたものだわ。クラウディア!」
「はい。お任せを」
女王の声でクラウディアが高揚し、能力が上がる。その上でスキルを発動し、目に見えない水蛇を全て看破し、全体にその位置を正確にテレパシーのように共有していく。
戦乙女人形たちが、一つの生物のように盾を持ち水蛇の動きを阻む。その間に騎士団長イリスとその配下である戦乙女人形たちが、次々と水蛇を攻撃し潰していく。
フランソワは水中を駆ける竜鎧のイノシシで移動しながら、狙ってくる水蛇の動きを撹乱しつつ、舌を巻くほど正確無比な狙撃でプロペラ弾を撃ちこみ水流をかき乱す。
ドライはそんなフランソワの手前に座り、彼女にまで迫ってきた水蛇を受け流し、ポチが噛み砕くようにそれを消滅させていく。
上がっていたワーズグースの口角が、忌々しげに歪み、フランソワは「フンッ」と鼻を鳴らす。
「──ちっ、浅いか」
「キサマっ」
サメさんの力を取り込んだ影響で、本来は常に自分のペースを保つことが重要とされる夢使いにしては単騎になってしまっていた。
それ故に見下されたように感じて、フランソワに意識が向いてしまい、クロミアの接近に気づくのが遅れた。
体を両断しようとした刃が胸を切り裂き、ここではじめてワーズグースのHPが減少する。
だが直前で水と炎を同時に噴射しクロミアの動きを邪魔し移動したおかげで、大ダメージというほどではない。
だが後方はあくまでサポートと思っていたせいで、フランソワによる二の矢が迫っていることに気付くのがまたもや遅れる。
「【スピンオフ】」
「な──っ!?」
超位職によるポチの人形劇の物語の主役はフランソワだ。しかしその主人公補正を、一時的に別の人形に切り替えるスキルを発動。
生前のサイズに戻ったイリスが、サメさんの加護も相まって本来の性能──英傑級の斬撃をワーズグースへ叩き込む。
右肩から鎖骨まで深く切り裂かれ、周囲に炎の球体を自分を中心に広げてイリスを追い払うも、続いてクロミアが迫ってくるため回復している余裕がない。
だがワーズグースの専門は夢の力だ。しかもここは深層心理。自分の領域と言っていい。
表層心理では多少支配力を奪われてしまっていたが、こちらのクロミアの侵食はほぼゼロ。これならいけると、精神汚染の波動を全体に向かって送り出す。
悪意マシマシで、染まれば一発で廃人になるほど狂う最大出力のものをたっぷりと。
「ドライ」
「キッ」
クロミアはこれまでたっぷりと勉強させてもらったことで、その波動を自力で跳ね除ける技術があった。
しかしそれは、フランソワを操っているポチを狂わせるに十分な全体攻撃だ。
しかしドライは移動して回るポチの頭の鎧を足でがっしりと掴んで立ち、手に持っていた『理を喰らう綻びの剣』を振るう。
余程相性が良かったのだろう。今では人の理性を喰らうその剣の力を、ドライはクロミア以上に引き出すことができる。
刀身が一本の細いタコ足の触手となり、吸盤の代わりにタコの嘴が無数についているものへと形を変え、その悪意の波動がポチに当たる前に剣が吸い込むように食べていく。
このメンバーで守るべきはポチ一人だけ。何故ならドライにはあらゆる精神汚染は無効化され、それ以外はフランソワ含め全てポチの人形だ。
ポチさえ正気なら、この戦線は崩れない。そして食べたエネルギーを変換し、斬撃を飛ばした。
「つれないな。逃げないでよ」
「やめろっ!」
もちろんそんな攻撃を受けてやる道理はないのだが、ここではじめてみせた【混沌の紡ぎ手】の力で、黒線を大量にばら撒いていた。
あちこちで虚空が発生し、その線の上を一瞬で転移しながらワーズグースを逃がさない。威力としては大したことなさそうではあるが、その斬撃に何故か悪寒が止まらないワーズグース。必死に藻掻くが、クロミアが全力で足止めしたことで頬を深く切り裂きながら斬撃が通り過ぎていく。
「あ゛ぎゃあああアアアアッ!?」
「ここでくたばれっ!」
「女王陛下の名のもとに、眠りなさい」
ワーズグースの剥き出しの深層心理。もちろん何重にも精神防御は施しているが、精神にダメージを与える『理を喰らう綻びの剣』の斬撃は、夢使いにとっては猛毒だ。
逆に自分の精神が蝕まれそうになり、叫んでいる間にクロミアと主人公補正を乗せたイリスの斬撃による挟み撃ちに遭い、体がバラバラに分割される。
それでも即死ではないが、一気にワーズグースのHPが減っていく。
「あ゛あああああっ!!」
だがそこでカウンターを撃ちだすように、夢世界の幻獣を生み出し一番危険視しているクロミアへ差し向ける。
それは大きなバクに近い姿をしている。けれど猛獣のような牙と爪を生やし、潮風のように粘つく黒い霧をまとったそれが、攻撃後の隙をつくようにクロミアを呑み込んでいく。
その幻獣は夢を喰らう。しかも纏う霧が強制的に存在属性を夢属性に固定し、今のクロミアでも食べられれば一撃で存在を消滅させられかねない威力を持っている。
攻撃後の僅かな隙をついた完璧なタイミングだ。黒線による転移もタイミング的に間に合わない。
それでもクロミアは呑み込まれていく中、冷静に【オーバーロード】を全力で加速させ、思考を巡らせる。
(今ならできる──はず)
切り札たる『彩雲夢刃』を切ろうかとも思ったが、それは最終手段だと別の手を打つ。
このワーズグースという存在は、桃色真君のような隔絶した夢使いでもなく、ちょうどいい格上で、本当に今のクロミアにとって最高にちょうどいい格上の教材だった。
桃色真君では理解が及ばないことでも、深淵による観測があればワーズグースの力は理解できる。
だからこそ、成長も早かった。新しく習得した超位職スキル【夢実逃避】を発動。
それはコンマ数秒間だけ、夢の干渉を無効化する完全回避スキル。桃色真君であれば、それすらも何とかしてきそうではあるが、ワーズグースも目の前の幻獣も、そこまでの相手ではない。
冷静に状況を解析し、最良のタイミングで発動してみれば、幻獣夢喰いバクの口をすり抜けて、さらに一歩ワーズグースへ詰め、五本の刃で斬りかかる。
「このぉおおおっ」
だがワーズグースも馬鹿ではない。これで決め切れない可能性も考えていた。
水と炎を使った水蒸気爆発をさらに強力にしたような魔法を、先読みしてクロミアが迫ってきているであろう位置に設置している。
このまま斬りかかれば、剣がそれに触れた瞬間大爆発。自分はそれを最小限のダメージで回避する術があるから問題ない。そう思っていたのだが──来ると感じた斬撃は来なかった。
「夢幻剣」
「は?」
来ると感じた斬撃は来ず、ワンテンポ遅れて、設置型魔法を回避する軌道で何の気配もない斬撃がワーズグースを切り裂いていく。
夢幻剣──こちらもワーズグースの虚実を織り交ぜた方法を参考にさせてもらい、さらに凶悪な剣技に昇華されていた。
水中の僅かな振動で気づけたはずの斬撃が、まったく感知できず、ワーズグースは木っ端みじんになるまで高速の斬撃で切り裂かれた────のに、HPはゼロにならない。
霧散するように消え、リポップするように少し離れた場所で復活するワーズグース。HPは一割切っているが、それでも生き残っていた。
だがその地点を読んでいたかのように、フランソワを乗せたポチが一瞬で詰めてきた。
復活直後で動きが鈍く、ここまで完璧にポイントを読まれているとも思っていなかったワーズグースは、慌てて水の障壁を張ろうとするがフランソワの銃撃系超位職による、最大火力の一撃を撃ち込まれ、分厚い障壁に小さな穴が開く。
「キィ(世刻遺言)」
「やめ──」
その小さな穴から、明らかに通るはずのない太く異質なタコ足がぬるりと入ってきて、まだ出来かけの体を巻き取るように締め上げる。
「──────────ッ────ッ──ッ!!」
先の斬撃の比ではない、精神を蝕む猛毒が流れ込んでくる。理性を喰われていく感触に声にならない悲鳴を上げ、精神防壁が剥がれ、まだ復活できるだけの余力はあったというのに、それを構築する余裕すらない。
それでもワーズグースは、クロミアを凌ぐ夢使い。このくらいはと、纏まらない思考を無理やり繋ぎ合わせるように、復活の術式を編んでいく。
「世刻遺言」
しかしそこへ駄目押しとばかりに、最後の切り札──『彩雲夢刃』を振り抜くクロミアがいた。
とうに緩んでいた水の障壁など意に介さず、ただの斬撃での死ならば、その中途半端な夢での復活術も成功する可能性はあった。
しかしそんな夢の残滓すら消し飛ばす、夢世界ではあり得ない力を発揮する剣から発せられる、どこか神聖さも感じさせる真っ白な光に呑み込まれるように、ワーズグースの全てが蒸発するように消し飛ばされた。




