第六七九話 主導権争い
そこはかつては各地の物流を支え、豊富な海洋資源を供給し、大陸随一の港町として栄えた場所だった。
海はいつも穏やかに澄み切っていて、危険なモンスターもおらず、捕っても捕っても溢れるほどの魚が常にいる、まさに海の楽園だ。
けれどそれは、たまたまそこがそういう土地だった──なんてことはない。その裏側には土地神ともいえる、海の守り神がいてくれたからこそ、そんな恵まれた環境が成り立っていた。
守り神は荒れる海を抑え、海の汚れを綺麗にし、危険なモンスターは排除し、魚を増やし、生態系を整えた。海で溺れそうな人や、事故などで船が沈みそうになれば、その力でそっと気づかれないよう、波を操り助けていた。
それもこれも沢山の人間たちがこの海を愛してくれたらいいなと、なんの見返りも求めずに、そこに生きる人々を見守り、愛し、支え続けてくれたからこそである。
だが海の守り神は、自分の姿があまりにも人にとっては恐ろしい外見だと分かっていたから、絶対にその存在を悟られないようにしていた。
本当はもっと人々と喋りたかった。友達になって欲しかった。その笑顔を自分に向けてほしかった。
けれどこのように醜い姿を見せてしまったら、きっとあそこにいる人間たちは、自分のことを恐がったり、驚かせてしまうだろうからと、何百年、何千年と海底からひっそりと人々をただただ見守り続けた。
しかしそんな守り神の存在に気付いた男がいた。
その男──ワーズグースは、明らかにその海は恵まれすぎている。何か裏があるに違いないと調べ、その真実を知った。
普通ならそれほど善良な守り神なら、感謝の祈りの一つも捧げたくなるのが人情というものだ。
けれどワーズグースは違った。それほどの奇跡が起こせる力を、是非ともわがものにしたいと考えた。
とはいえ相手は土地神を名乗れる存在。根源や根源の御子たちのような、常軌を逸した力は持っていないが、人の範疇を抜け出せていないワーズグースが手を出していい相手ではない。
それでもワーズグースには、特殊な夢の力を使う力があった。
これは弱いときは笑ってしまうほど弱いが、いざ自分の型を相手に押し付けられれば、驚くほど格上でも手玉に取れる可能性を秘めた力だ。
現実でどれほど強い相手であろうと、そのハードルさえ超えられれば、なんとかなるのではないかと思えるほどには、彼は夢の力を自在に扱えた。
だが自分だけでは、その最初のハードルは超えられない。それくらいには、隔絶した差がある相手だ。
ならどうすればいいか考えた末、この男はあまりにも身勝手で、他者を人とも思わぬ最低な方法を思いついてしまう。
まずワーズグースは、人々にその存在を暴露することにした。もちろん守り神としてではない。悍ましい捕食者として、その存在を守り神にバレないよう、港町に住まう者たちに吹き込んでいった。
なにせ守り神自身が気にするほど、その姿は恐ろしい。近くにこんな見た目をした、巨大なモンスターがいると吹聴することで、住民を不安にさせ、いずれこれに全てを破壊されるぞ、すぐにどうにかしなければいけないと扇動する。
当然のように住民たちは、それをいち早く発見したというワーズグースを頼る。どうすれば撃退できるのかと。
その悍ましいモンスターと呼んでいる存在に、どれだけ世話になっているのかも知らずに、人々はワーズグースに言われるがままに大規模な守り神を封じる儀式に協力してしまう。
人柱として住民から、健康で体力のある男女が八名選ばれる。
町内には巨大な魔法陣を総出で描かせ、相手に海の底にいる守り神に勘づかれる前に手際よく準備を済ませたワーズグースは、自分も九人目の人柱になるからとうそぶいて町の英雄として自分の夢世界の起点になる客船に乗り込んだ。
客船はワーズグースの思惑通りに海を進んでいき、ワザと沈没するように見せかけ、守り神が干渉してくるのを待つ。
当然、人を愛している守り神は危ない船があると気が付き、助けようと力を使ってしまった。
そこから何重にもワーズグースによって張り巡らされた罠が、八人の命を代償に発動し守り神を襲う。
もちろんその程度、本気を出せば振り払うことはできた。だがワーズグースとて、それくらいは理解している。
故に彼は、その守り神の人への無償の愛を利用した。港町に住まう全員を人質に取ったのだ。
もしも守り神が抵抗すれば、その分だけ客船と魔法的に繋がっている町の魔法陣によって人々は人柱になった八人と同様に死んでいく。
町人全員を殺す覚悟さえあれば、守り神はそれでも逃げることはできた。しかしそんなことが、この守り神にできるわけがない。
一切の抵抗を諦め、ワーズグースの思惑のままに捕らわれ、彼にとってだけ都合のいい夢の世界に引きずり込んだ。
守り神はそんな中でも、海と共に生きていた人々のことを想った。
自分の力も肉体も好きにすればいい。けれど生き残った者たちには手を出すなと、ワーズグースに強い意志で語り掛ける。
だが守り神を止めおけるほど、器の大きな夢の世界を作るには、己の力だけでも、人柱の命だけでも足りない。
ワーズグースは守り神の意思を汲むふりをしながら、住民全員の肉体を生贄に夢の世界の基盤を構築してしまう。
そして残った魂も使って、より完全なものにと考えたところで、海の神もさすがに怒り狂った。
それは許されない行為だと、もはやいなくなってしまった人質たる住民たちと、鍵の役割をしている起点となった人柱の八人の魂を奪い返し、自分の庇護下の元、夢の世界の海底に抱き込んだ。
中途半端な形で構築されてしまった夢の世界。守り神を封じることには成功したが、それでは完全に力を奪い盗ることなどできない。
せいぜいが二割程度。そこでせめて起点となった八人の魂を回収できないかと、荒ぶる守り神から奪おうとした。
それさえあれば、もう少しちゃんとした形で世界を構築できる。あとは少しずつ住民を掠め取って、完成させてしまえばいいと考えて。
所詮相手は、自分の夢に封じた相手。十全に力を振るえないうえに、強引に魂を自分から奪い取ったことで、無理がたたり意識が朦朧としている。
その状態なら、今の自分で行けると踏んで近づいた。しかしそれは守り神を舐め過ぎていた。
八名の魂を守り神から切り離すことはできたが、持ち帰ることは許されなかった。
それどころか手痛いしっぺ返しを受けてしまい、自分もまた自分の夢に囚われてしまった。
それはもはや守り神の執念だ。これ以上、ワーズグースを野放しにしてしまえば、他にもっと悲しい目に遭う人が増えてしまうと、夢の力もないのにその意志の力でしばりつけたのだ。
そして同じ世界にいるのならと、どこまでも追って食らい尽くしてやろうと、野生の獣のような本能のままにワーズグースを追いたてた。
さすがにこのままでは、ワーズグースとてただではすまない。けれど腐っても夢の力の使い手だ。
守り神の意思に縛られ現実には戻れずとも、その境目となる夢とも現実とも言い難い、曖昧な世界に滑り込み、誰も入ってこれないように細工をして閉じこもった。
全力が出せるときならいざしらず、今の無理をし続けた守り神では、その狭間の世界に入り込むことはできない。
さらにワーズグースの夢から出ていくこともできない。もしそうしてしまえば、住民たちの魂が消えてしまうからだ。
どちらも手が出せず、現実世界に戻れない膠着状態。そこでワーズグースは、他人を使って守り神を弱らせる方法を考えついた。
ワザと現実世界と繋ぐ入り口を開き、外の人間を招き入れる。後生大事に守り神が抱えている魂を宝石サンゴに変えて、欲望を刺激し、それを奪わせる。
そうすれば住民を愛している守り神は、たとえ意識が朦朧としていようと、守護者として全力でそれを阻止するために戦いとなり、力を使う。
その使った力を掠め取り、傷つけられれば、その隙をついて更に力を奪う。外の者が死ねば、人間好きの守り神の心が傷つき、それもまた隙となって力を奪える。
ここまで来たらワーズグースはここから何千何万何億という月日が経とうと、夢の住民となって必ず守り神の莫大な力を手にして見せると計画を練った。
その一環として、宝石サンゴに変えた住民の魂から漏れだす力を利用し、町の住民に植え付けた。
ここで守り神を悪者にするような言動を取らせることで、宝石欲しさだけでなく、正義感を振りかざしたい外の者に挑ませようと。
しかし誤算だったのが、その魂の全てが守り神がどういう存在だったのか、抱きかかえるように、その命すらもかけて守ろうとしてくれていることも理解してしまっていた。
その懺悔と後悔の念は、肉体を失ったことでより強固となり、守り神を悪く言わせることはできなかった。
それどころか皆がそのサメを称え、悪い存在ではないと、操られた状態でも訴えかけてしまう。
直接夢の世界に行って、操ればもっと上手いことやれたのかもしれないが、今の状態ではそこまでの強制力はなかった。
だが結果的には、操られた状態と強固な守り神への念から、他者から見れば異常な存在に思えて、それはそれで邪神のようなイメージを与えることはできたので良しとした。
それに定期的に魂の力を回収しなければ、宝石サンゴとなった住民の魂は弱ってしまう。
それを回収するために空飛ぶサメ部隊を派遣し、食べさせていたのだ。
意識がはっきりしていれば、もっと見た目のいい回収方法もあったのだろうが、今の守り神の状態では、それが精一杯だった。
そうして守り神のリソースを割くこともできたので、ワーズグースもその状態を受け入れ──今となる。
表側の荒れ果てた海は、荒ぶる守り神とワーズグースの力が噴き出し、何も守る存在もいないことで、町ごと負の感情に呑み込まれた結果である。
たった数日でその港町を得るために、先祖が苦労して勝ち取った領地を、国があっさりと放棄してしまうほど、そこは曰く付きの場に成り下がったのだ。
本来では〝夢罪鮫王の歯〟を手にしてからの町の探索で、この夢の世界の起点を作るための人柱にされ、中途半端な形で魂だけ逃げ出せている八人の住民を見つけ、ワーズグースの縛りから解放する過程で、これらの話が上手くつながるようにイベントが綿密に組まれていた。
しかしクロミアが高度な夢を操る、それも他者を解放することも得意とした超位職だったこともあり、その過程を大幅にすっ飛ばし、彼女たちは何故そうなったのかさっぱり理解しないまま、『なんか悪いやつがいる! 倒しに行こ! トゥルーエンドっぽいから報酬もいいはずだよね!』と、狭間の世界があるであろう、B-13号室の前に戻ってきた。
「ドライ、お願い」
「キィ!」
九つの起点となった魂を、存在まで歪められた守り神──サメさんの歯が繋ぎ合わせ、狭間へと通す穴を穿つキーアイテムとなっている。
それを持っていたドライは、ドアノブにキーをさし入れるように大きな歯をそこへ突き刺した。
扉の向こう側で、パリンッカララッと薄いガラスが割れ、破片が床に落ちるような音が届く。
それを確認してからクロミア、フランソワ、ドライはいつでも戦えるよう心構えを持ちながら、B-13号室へと入っていった。
「どうやら正解だったようね。合ってるわよね? クロミア」
「うん。ここで間違いないよ。客船の部屋って感じではまったくないけど」
「キィィ」
ドアの向こう側は、黄昏時の海だった。海中でもなく、ドアの下にはほんのりと温かい砂浜が広がり、その先には血のように赤い太陽が照らす、茜色に染まった広大な海がどこまでも伸びていた。
空気には潮の香りだけでなく、血のような鉄の香りが混ざり、鉛色をした雲が薄っすらと空にかかっている。
どこか寂し気で、悪寒を感じさせる不気味な心象風景とでもいえばいいのか。
その海の向こう側から、巨大な何かがクロミアたちのいる砂浜に向けて泳いでくるのが見えていた。
「サメさんより、よっぽど化け物だね」
「見た目そうだけど……この力、いかにもラスボスって感じね」
「キィ」
それは海から体半分だけ出した状態で、砂浜の上にいるクロミアたちを見下ろしていた。
それは言ってしまえば海産物のキメラとでもいうべきか。タコ、イカ、エビ、カニ、ウツボにウニ、熱帯魚、昆布に貝殻などなど、できの悪いモザイクアートのように組み合わせて無理やり人型にしたような巨大な怪人。
サメさんの負の感情ごと力を取り込んでいるせいで、人の肉体はとうに壊れ、このような化け物になってしまったが、これこそが今のワーズグースで間違いない。
そしてこんな姿になったとしても、彼は何も後悔しておらず、今もサメさんの力を全て奪い取ってやろうと行動し続けている。その見た目だけでなく、精神性も異形と言っていいのかもしれない。
半身だけで八メートルはあるだろう。そのあらゆる海産物の目が密集し、キャビアのようにブツブツと密集した目がクロミアたちに忌々し気な視線を向けながら、ベチャッと粘質な唇を開いて声をあげた。
「ここに踏み入るとは何用だぁ……。すぐに立ち去るがいいぃ……」
「今すぐにサメさんを解放しなさい。よく分からないけど、あれはいいサメさん……なのよね?」
「うん、そのはず?」
「…………知りもせずここまで来たのかぁ?」
「悪意がお前から流れだしてることは分かってるから、それでいい。どうせお前が悪いんでしょ」
「でも気になるから、話したいなら話してもいいわよ。いったい何したのよ」
「え、えぇ……ま、まぁいいだろう。聞くがいいぃ。我こそは偉大な──」
ワーズグースは自分のやったことを語りだし、そこでようやくクロミアたちも、このイベントの本筋を理解することができた。
ワーズグースが自分の都合のいいように多少脚色していても、やったことは外道以外の何物でもないため、良いように語った部分だけは二人は話半分に受け流していた。
「分かっただろぉ……。この我がいかに偉大かということをぉ……。
ここまで辿り着けた褒美として、この大魔法使いワーズグースの配下に加えてやってもいいぃぞぉ……。
さすれば特別に守り神の力の一端をお前たちにも授けてやろうではないかぁ……」
「いらないよ。そんなもの」
「まったくだわ。サメさんが可哀想よ」
「サメさんを解放しろー」
「サメさんに自由を与えなさーい」
「キィキィ~~」
クロミアが出したサメさん帽子を三人で被り、サメさんの法被とタスキを掛けて、表側にはサメさんの柄が、裏面にはサメさんLOVEと書かれた団扇を持って抗議する。
その突然の奇行に、ワーズグースも「なんだこいつらは……」と一歩後ろに下がった。
『良い感じ。このままペースを崩していこう』
『本当にこんなので効果があるの?』
『ばっちりだよ。ちょっと夢の世界とは違うけど、相手の圧が少し減ってる』
何もクロミアたちも、ふざけてこんなことをしているわけではない。
夢の世界での戦いは、いかに自分のペースを保てるかが重要になってくる。
ましてここは相手の領域だ。相手のペースに飲まれてしまえば、それだけ相手の影響力を強めるだけ。
わざわざワーズグースが大仰に自分のしたことを語ったのも、自分を少しでも大きく見せることで、クロミアたちに畏怖の念を抱かせられれば御の字だと考えたからに他ならない。
しかしクロミアも、にわかながらに夢について急速に理解を深めてきている。ワーズグースの意図も察したうえで、予想外のことをすることで意表を突き、この領域の支配力を弱め、逆にそのペースを自分たち側に引き寄せ奪ってしまおうと行動しているわけである。
なのでお嬢様に法被を着せるなんて……と、自分の美学に反してでも、ポチはサメさん応援団のような真似事をフランソワにさせていた。
クロミアもドライと一緒に、「サメさんイェーーーーーイ!」と大はしゃぎし、オタ芸のような踊りまで見せてワーズグースをドン引きさせている間に、毒を染み込ませるようにジワジワと気づかれるまで、この狭間の世界の支配力を奪っていく。
『これが夢での戦い方なのね……。ちょっと私は無理そうだわ……』
『まぁ癖が強いから、私もまだ手探り状態なんだけどね』
桃色真君がいい例だ。あれほど自分勝手で欲望に忠実だからこそ、相手のペースには絶対にならない。常に自分が主導権を握るマイペースな精神こそが、夢を扱う上で重要になってくる。
だからこそクロミアはあえて空気を読まない。ワーズグースが予想しない行動で精神をかき乱す。
とはいえここまで上手くいったのも、ワーズグースが未だにクロミアが高度な夢に作用する力を有していると気づいていないからこそ、できたこと。
けれど一定のラインまで侵食されれば、さすがに自分より夢の力を上手く扱える人間などいないと驕り昂り、夢の分野においては自分の領域だと油断しきっていたワーズグースでも、気が付いた。
「キサマぁッ……そういうことかぁ……」
「ワっさん、何いってるの? サメさん解放運動ははじまったばかりだぞ!」
「わ、わっさん? 我のことっ──い、いかん、ペースが…………」
「夢の力で我の右に出る者はいない──キリッって思ってたの? 残ねーん、君は三流だ!!」
「それで新参の夢使いにいいようにあしらわれて──ふふっ、滑稽よね」
「言いたいことはそれだけかぁ……」
ここで怒れば余計に向こうに主導権が握られる。ワーズグースは努めて冷静にいようとするが、その努力をしている時点でペースを奪われていることに気が付かない。
元々のワーズグースであれば、もっと上手く自分のペースに戻せたのかもしれないが、サメさんの怒りに長いこと触れ続けた結果、精神がどこか荒っぽくなってしまっていた。
つまり夢使いとしての能力は、その強い力の代償に弱まっていたのだ。だからこそクロミアに主導権を渡し、支配力まで何割か持っていかれる羽目になる。
そのことにようやくワーズグースも気づかされ、これ以上の会話は危険だと、実力行使でクロミアたちを潰すことにした。
「覚悟しろぉぉおおおお……。もう二度と現実に戻れると思うなよぉぉ……」
「生憎とそれはこっちのセリフだよ。おふざけタイムは終わりみたい、いくよ。二人とも」
「はぁ、やっと法被が脱げるのね」
「キィ」
クロミアは五本の剣を構え、タヌファンネルを展開し、魔法も構築していく。
ポチも種族超位職によって、ドラゴンの鱗のような鎧をまとった立派なイノシシに変身し、フランソワもそれに合わせて体が普通の女性サイズになりライフルを構え、人形たちを解放していく。
それを守るようにドライも劣化版、世碑納庫から『理を喰らう綻びの剣』を取り出し自然体で手に握る。
「目覚めぬ夢に沈むがいいぃいぃいいい…………っ」
そう叫びながら、いよいよワーズグースとの戦いがはじまった。




