第六七三話 底が見えない
HIMAといちゃついてから、ブラットはアネモネの宮殿を訪ねた。いつも通り容赦のない超位職級の風魔法攻撃も、危なげなく相殺して謁見の間へと辿り着く。
アネモネもブラットの風魔法の上達振りには満足しているようで、いつもより機嫌も良さそうだった。
最近では会うたびに、「それで灰風は使えるようになったのか?」と投げかけられてきていたのだが、今日はその言葉もない。
ブラットの自信満々な態度から、聞かずともその問いの答えが分かってしまったからだ。
「灰風の魔法が使えるようになりました」
「のようじゃな。して黒雷はどうじゃ?」
「そっちはまだですね」
「やはり師匠の差かのう」
「それは……えっと」
「くっく、冗談じゃよ。もとより種族的に扱いやすくなったからじゃろうな」
さすがに黒雷を教えてくれているトールのことを、いないからと言って下げるようなことは言えず困っていると、アネモネは意地悪そうにからかっていただけだと笑う。
むしろここで媚びるようにブラットがトールを下げたなら、機嫌は悪くなっていたことだろう。
「ただちょっと、想像していたものとは違う感じになったみたいで」
「ほぉ……、それは益々興味が出てきた。見せてみよ」
「はい」と返事をしたブラットは、彼女たちの前で【灰翼の風】を使って見せた。
綿毛のような小さな羽根と共に流れる灰の風が、静かにブラットの前で渦を巻くように展開される。
一瞬眉をピクッと動かすと、アネモネはじっと目を細めその風をしばらく見た後、「あはははっ」と笑い出す。
「なるほどのぉ、お前はそうなったか。実によい」
「ってことは、むしろ師匠としても良かった変化なんですかね?」
「そうじゃな。ワシの猿真似をしても、ワシにはなれん。この段階で既に自分なりの道を見つけられたのは、才能がある証拠じゃろう。
それにワシにとっても、違うほうが利ともなる。ふむ、こんな感じかのう」
「えっ」
ブラットの渦巻く灰風に、灰羽根の綿毛の代わりに灰色のタンポポの綿毛のようなものが混ざった灰風をそこへ混ぜる。
互いの綿毛がぶつかり合い、相殺するように消えていく。
「おかげでワシも、まだまだ強くなれそうじゃ」
灰天使固有の力も混ざった灰風を、アネモネは自分なりに解釈して落とし込み、似たようなことを即興でやって見せた。
ブラットがやっているものなど初歩の初歩で、真似しやすかったというのもあるかもしれないが、それにしても異常なほどの理解力だとブラットは驚きを隠せない。
一方でアネモネがさらに強くなると聞き、後ろで控えていたリッカルド含めた側近たちはパチパチと拍手して喜んでいた。
「弟子を取るというのも、存外良いものじゃのう。自分だけでは見えなかった可能性が、こうも簡単に見られるとは僥倖じゃった」
「では適性のありそうなものを探して、誘拐してきましょうか?」
「このレベルで成長する者がそうそうおるとも思えんしのぉ……。そこまでする必要はない」
天使のラフィエラの提案を、アネモネはすぐに棄却した。確かに数打てばいつかはまたブラットと同じように、また別の芽を出す弟子も出てくるかもしれないが、そもそも適性がある者が少ない。
そこからさらに自分なりの理解を示すものが、どれだけいるのか。今回に関してはブラットが特別だったとアネモネは考えていた。
ブラットは自分のせいで誰かが誘拐されるようなことにならずに済んだと、胸をなでおろす。
「故にこのまま精進するのじゃぞ。ワシもワシのためにも協力してやるからの」
「ありがとうございます」
先の理解力を見れば、灰天使としての灰風の使い方になろうと教わることは十分できそうだと確信もできた。
なのでブラットはそのまま灰風を使えるようになったからこそ抱くようになった、疑問点や手を加えたいと思っている部分など、自分なりの考察もまじえて彼女に質問を投げかけていった。
ようやく自分にとっても有意義な内容になってきたと、アネモネも鼻歌でも歌い出しそうなほどご機嫌なまま、灰風の魔法談議に付き合ってくれた。
おかげでブラットの中で纏まり切っていなかった魔法の理論が整理され、二つ目のスキル──触れたものを切断して腐らせる灰風羽の斬撃、【灰塵の羽撃】を習得した。
少しでもかすればそこから強烈な腐敗が進行し、装備なら耐久がごっそりと削れ、生身なら細胞がグズグズになって崩れ落ちる。
「まだその進化の形態からさほど経っておらんというのに、中々に灰天使としても成長しておるようだのう。
その灰風の魔法は、灰天使としての強さも重要になっておるようじゃし、どちらをおろそかにしてもバランスが崩れて使えなくなることもあるかもしれぬ。
新しい道を開拓したのじゃから、自分で可能性を潰さぬようにするのじゃぞ」
「はい。分かってます。灰天使の方もかなり順調ですし、どっちもがんばります」
「うむ。ところで灰天使の方も順調ということは、また何か変化でもあったのかの? サンプルが少ない故に、師を思うならいろいろと話してくれるとワシは信じておるのじゃが」
ようは灰天使についての情報を寄こせということだ。ノイマンほどではないが、暇ということもあってアネモネは情報に飢えていた。
長生きしてきた自分にとってもはじめての知識というのは、十分に娯楽になるようだ。
ブラットとしても世話にもなっているし、将来的に彼女を倒そうとも思っていないため、手の内を明かすのも構わないと思っている。
(戦いたいなら、英傑召喚の方のアネモネとやり合えばいいだけだしね。そっちはあんまり師匠とか先生って感じもしないから、気兼ねなく戦えるし)
ということでブラットは、最近になって覚えた灰天使の新しい力をアネモネにお披露目することにした。
もちろん他にも灰天使としての力が強くなった自覚はあるが、成長という意味では、これが一番分かりやすいだろうと。
「おいで。アイン、ツヴァイ」
ブラットの灰翼から羽根が舞い散り、それがミニハーピーとなり、そのミニハーピーたちがさらに寄り集まって一二〇センチほどの翼人へと変化し、ブラットの前に現れる。
毒竜王の脳天に剣を叩き込んでくれた、三体の内の二体の翼人がここにいるアインとツヴァイである。
ちなみに三体目は、毒竜王戦で死んでしまったのでここにはいない。
そのハーピーの上位版ともいえる翼人は、容姿に関しては女性的なハーピーをほぼそのまま受け継いでいる。
ただ腕と翼が一体化しているハーピーと違い、翼人にはしっかりとした腕と鳥足を人の手の形にしたような、鋭い爪の生えた立派な手があった。
翼は背中側に一対あり、それでハーピーたちと同じように縦横無尽に空を飛ぶこともできる。
また羽根の質も違った。羽毛のようにフワフワしているというよりは、鋭い小さな灰色のナイフを羽根にしたかのような、触れれば指が切れそうな質感をしている。
実際にミニハーピーたちよりもその毛質はずっと硬く、半端な刃はその羽毛によって弾かれる。
かといって重いわけでもなく、空を飛ぶのに邪魔にもならない。剣の灰天使の眷属としてより最適化された姿になっていた。
「眷属を一段上に引き上げられたようじゃのう。灰の眷属の質は灰天使の強さを見るバロメーターでもある。
確かに成長した証拠としては、一番分かりやすいじゃろうな。してアインとツヴァイが、そやつらの名前か」
「はい。あんまりちゃんとした名前を付けると、いざというときに迷いそうなので……」
「青いのう。そういうところは、まだまだ支配者としては未熟じゃな。
今や小国の王なのじゃろう? もうちぃと割り切れるようになっておいた方が良いのではないか?」
「それはそうなんですけどね。どうしても身近にいる子だと……」
「まぁそういう心構えは、時間とともに育まれていくものか」
この翼人は【堕灰の饗宴】で呼び出されるミニハーピーたちとは一線を画する存在だ。
ミニハーピーは言い方は悪いが、使い捨ての駒である。いくらでも生み出せる雑兵といったイメージでいい。
それでいくと翼人は、ブラットが任命し名を与えた騎士だと思っていい。
個体ごとに記憶や経験がちゃんと引き継がれ、しっかりとした個性を獲得している。
他のハーピーたちと一緒にブラットが消しても、ちゃんとブラットの中でそれは残り続ける。
だが何らかの原因で翼人の核として任命されたミニハーピーが死んでしまうと、その個体も個性も失われる。まごうことなき、それは死なのだ。
だからちゃんとした名前を付けてしまうと、いざ眷属の命の使いどころだという場面でも、すぐに判断できなくなってしまうのではないかと恐かった。
なのでブラットは死んでも悲しくないようにと、番号で呼ぶ。さすがに一号、二号では可哀想かと、自分の『ブラット』と同じ語源のドイツ語でそれっぽく名前を付けたのだ。
「今は二体が限界か?」
「いえ、三体までですね。その一体──ドライはちょうど、毒竜王との戦いで殺されちゃって……。ちょっと技術的に珍しい個体だったんですけどね」
「その言い方だと、ブラットの灰の眷属は戦闘スタイルにも個性があるということか?」
「そうですね。基本的にどの子を選んでも、剣士の才能はあります。剣を握るために腕が生えたんだと思いますし。代わりに特殊技能の〝歌〟は、ほぼなくなっちゃってるんですけどね。
でもドライは弓の才能もあったっぽいんですよ。目がアインとツヴァイと比べても良く、飛行速度は同じくらいだったんですけど機動力は上でしたし」
「ほぉほぉ! ワシの知っておるのとは、また違うようじゃのう。灰天使ごとにもしっかりと個性があって面白いわい」
「師匠が知ってる灰天使の眷属って言うと、突進する翼牛でしたっけ?」
「うむ。そやつのは上位眷属になると、翼牛人となってフライパンを振っておったわ」
「ふ、フライパン……? それってあの料理に使う、あのフライパンですか?」
「そうじゃ。熱々のフライパンを振り回して、なんとも愉快じゃったのう。あれは」
昔を懐かしむように目を細めるアネモネに、ブラットはなんで牛にフライパン? などなど、いろんな疑問が先輩灰天使に湧いていたが、その理由はアネモネにも分からないため、真相は闇の中だ。
「その灰天使さんは今どこにいるとかは?」
「さぁのう。遠い知人程度の仲じゃったし、今生きておるのか、死んでおるのかも分からん。
しかしあれほどの存在が、そう簡単にくたばっておるとも思えんがな。灰天使としての格だけでいえば、あっちの方が間違いなくブラットより上じゃったはずじゃ」
「崩絶とかですか? ちなみに名前とかは……?」
「そうじゃったはずじゃ。名前は……なんじゃったかのう」
そう言って後ろの側近たちに視線を向けると、黒猫のミスティが「ナティでは?」と口にする。
「おぉ、確かそんな名前じゃったはずじゃ。やはり同じ灰天使は気になるか」
「ですね。見たことないですし。あ、じゃあユレヴィナ、ユルレア、ユレリア、他にもこれに近い響きの名前の灰天使に心当たりないですか?」
「ワシはないのう。お前たちは?」
アネモネが後ろを向いて側近たちにも聞いてみるが、そちらも知らないと首を横に振っていた。
「その灰天使に何かあるのか?」
「いえ、この『聖灰剣ベリウス』も含めて、他にも灰天使の剣の製作に関わってるみたいなので。
せっかく同じ剣に関係した灰天使なら、会ってみたいなぁなんて思ってみたりして」
「なるほどのお」
ブラットが『聖灰剣ベリウス』を取り出して見せると、アネモネはそれは確かに気になるかと苦笑しながら、何か自分の記憶の中でそれに繋がりそうな情報はないかと考え出す。
「そういえば本当か嘘かは知らぬが、この世界のどこかには灰天使だけが辿り着ける場所があるなどという噂は聞いたことがあるのう」
「そんなところが!?」
「いや、あくまで噂の類じゃぞ? 信憑性は薄い。ただそんなところがあるのならば、ブラットが探している何某でなくとも、それを知っておる灰天使には出会えるやもしれんと思っただけじゃ」
「その噂の出どころとかは……?」
「それは覚えとらん。何かの本で読んだ気がするだけじゃ。あまり真に受けるでないぞ」
「なるほど」
そうは口にしたが、実際にどこかにあるのではないかとブラットは考えてしまう。
選定魔王であるアネモネが語る話に、ただの嘘でしかない噂があるかとメタ読みしてしまったのだ。
しかしそんな話がある程度のことしか分からず、世界のどのあたりにあるのか、どんな場所なのか。それら一切が不明。
気になる情報のわりに何のヒントもなく、ある意味では知らないほうが良かったのではないかとすら思ってしまう。
とはいえこれ以上の情報は出てこなさそうなため、そちらの話は切り上げることにした。
せっかくアネモネも機嫌が良さそうなのだから、ちょっと頼みごとをしてみようと。
「あの……せっかくなんで、ドライの選定をしてもらうこととかってできませんか?」
「む? 選定というのはどういうことじゃ?」
「オレの騎士をもう一体だけ任命できる権限みたいなのが残ってるんですけど、それを選んで見てほしいなと。オレとは違う何かを感じ取れそうですし、コツとか分かるかなって」
「ふむ。ワシも人を見る目はある方じゃとは思うが、そこのアインとツヴァイはどうやって選出したのじゃ?」
「大量に生み出して、最後の一体になるまで殺し合いをしてもらいました」
「なんじゃ、意外とエグイこともできるではないか」
今回の任命するスキル──【堕灰の叙任】を覚えてから知ったことなのだが、よくよく見るとミニハーピーたちもランダムで個体値のようなものが内部で定められているようで、微妙な違いが実はある。
飛ぶのが早い、歌が上手い、力が強い、他より大きい──などなど。本当に一体一体よく見て比べなければ分からないほどの、些細な違いだ。
しかしミニハーピーのその些細な違いが【堕灰の叙任】で上位の眷属に引き上げたとき、能力や個性の差となって出てくる。
それを灰天使としての本能として、アインを最初に生み出したとき何となしに気がついた。
なので強いやつが正義だろうと、脳筋なことを考えだし、万に上る数でのバトルロワイヤルをさせ、最後に残った一体を騎士に叙任する。なんてことをしたわけである。
ただこれをHIMAやはるるんに話したところ、「蟲毒みたい……」「蟲毒じゃねーか!」と似たような反応をされ、少し引かれてしまったのは記憶に新しい。
ただその蟲毒方式もなかなか馬鹿にはできず、アインはツヴァイやドライよりも力が強く、勇気がある個体となった。
ツヴァイはアインほどのパワーはないが、動きが素早く慎重で、相手の虚をつくのが上手い。
そして死んでしまったドライは、器用で何故か弓適性まで芽生えそうな特殊性があった。
これまでのその三体に、今のところ外れはない。なのでまたバトロワをさせるかとブラットも考えていたのだが、どうせドライの枠を埋めるならドライ一世のような特殊な何かがある子がいいと欲が出てしまう。
だが悲しいことに、それを見分ける術は今のブラットにはない。
深淵領域を解放して見てみたりもしたのだが、ミニハーピーのときの違いは微妙過ぎて、個体値を見分けることはできなかった。
そこで自分よりも超常の存在に選んでもらい、何か今後の見分けるヒントになってくれないかと思ったわけである。
「ふむ。灰天使の眷属選びか。なかなかできる機会もないじゃろうし、やってやろうではないか」
「ありがとうございます!」
気分が変わらぬうちにと、ブラットは【堕灰の饗宴】で大量のミニハーピーを呼び出した。
灰の雪は絶対に振らせないようにして、できるだけ宮殿内を汚さないように大人しくもさせておく。
最初の頃は命令しないと暴れ散らかしていたミニハーピーたちだったが、今は少し意識しただけで全員を制御できるようになっている。
アネモネは大量に出てきたミニハーピーたちを前に、玉座から身を乗り出すようにして視線を巡らせる。
長いこと生きてきたアネモネにとっても灰天使の眷属選定など、はじめての経験だったのようで、彼女も随分とやる気を出してくれていた。
そうしてたっぷり十分ほどかけてアネモネは、万に近い数のミニハーピーの中からたった一匹を選び出してくれた。
「これが良いな。これにすると良い」
ただの風魔法でその一匹を群れから引っ張り出すと、そのままブラットの前に置いた。
選ばれたミニハーピーは、これから何が起きるのかよく分かっていない様子で、呑気に首を傾げている。
「理由とかはありますか? 直感とかですかね? 今後の参考にさせてほしいです」
「ふむ。そうじゃのう。ワシにはそれが他とは違って見えたからじゃな」
「違って……ですか?」
「うむ。よく見てみぃ」
自前の目で見て、気配を感じて、深淵領域を解放して、様々な自分が思いつく限りの方法で比べてみたが、この個体が特別なようには思えない。
何が違うんだと、一人でうんうん唸っていると、アネモネは「くっく」と笑う。
「お前は底を見るときに、見ることだけに集中しすぎなのじゃ。
よく見るためにピントを合わせようとしておるようじゃが、そんな小手先の見方だけでは甘いのじゃよ。
見る側の状態も変えてみよ。波長を合わせるようにの」
「見る側の状態に波長………………。というか、もしかして師匠も深淵を知覚できます?」
その口ぶりは、ブラットが深淵領域を獲得していることも、深淵の見方も自分よりずっと理解しているように感じ、ドストレートに訊ねてみた。
「さての。なんのことかワシには分からぬよ」
しかしアネモネは曖昧な笑みを浮かべながら、そう言ってとぼけるだけで、それ以上のことは何も教えてはくれなかった。




