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第1楽章 城の少年

数の計算が、なぜこうも人の時間を奪うのか――時が惜しい。

時代の不穏な空気の中で、少年の心は逸りだす。

 メルキストン城の北の窓からは、エディンバラの灰色の屋根の連なりと、その向こうに横たわる海が見えた。フォース湾の水は、晴れた日でも鉛のような色をしていて、少年ジョンは、神が世界を量るために用いる秤の皿の色は、多分こんな色ではないだろうかと思っていた。


 一五五〇年代の終わり、スコットランドは引き裂かれていた。古い教会と新しい教会、フランスに肩入れする者とイングランドに目を向ける者。説教壇からは火のような言葉が放たれ、市場のすみでは人がひそひそ「誰それが異端で焼かれた」とか「誰それが城を追われた」と囁き合った。

 少年は、大人たちの顔にいつも薄い恐れの膜がはりついているのを見ていた。何かが終わろうとしている、という恐れだった。


 父アーチボルドは、まだ若かった。ジョンが生まれたとき父は十六であったから、二人は親子というより、年の離れた兄弟のようにも見えた。その父が、ある夜、暖炉のそばで息子の髪に手を置いて言った。


「ジョン。お前が大人になる前に、世界は裁かれるかもしれない。聖書にそう書いてある。だから一日も無駄にしてはいけない」


 裁き、という言葉は、少年の胸の底に小さな錘のように沈んで、生涯そこに残った。世界には終わりがある。時は、際限なく続くものではない。子どもにとってそれは、暗い廊下の奥にうずくまる獣のような観念だった。


 城には会計の老僕がいた。ヘンダソンといった。収穫の季節になると、彼は厨房の隅の卓に羊皮紙を広げ、穀物の量と、その値とを掛け合わせて、領地の実入りを計算した。

 少年はその仕事を眺めるのが好きだった。けれど好きであると同時に、見ていられないほど苦しくもあった。


 大きな数と大きな数を掛け合わせるのは、気の遠くなるような作業だった。

 ヘンダソンは指を折り、唇を動かし、桁を一つずつ積み上げ、途中で間違え、舌打ちをして消し、また初めからやり直した。一つの掛け算に、ろうそくが一本、ゆっくりと身を縮めていった。蝋が皿に垂れ、芯が黒く曲がり、やがて炎が小さくなる。少年は、数を数えるという行為が、人の灯りを――人の時間を――じりじりと食い潰してゆくのを見ていた。


「ヘンダソン」とある夜、少年は言った。「足し算なら、間違えないのに」


 老僕は笑った。「足し算で済むなら、誰も苦労はしませんよ、坊ちゃま。掛けるのと足すのは、別のことでございます」


 少年は黙った。けれど、本当にそうだろうか、と思った。倍にして、また倍にして、また倍にする――そういう増え方と、一つ、二つ、三つ、と数える増え方は、たしかに一見、まるきり別の世界の出来事のように見える。けれどその二つの世界は、どこかで手をつないでいやしないか。たとえば、橋のように。片方の岸の掛け算が、向こう岸では足し算になっている。そんな橋が、もしあるなら。


 少年は、その夜、夢の中でその橋を渡ろうとした。橋の上では、二つの大きな数が、軽々と足し合わされて、ヘンダソンのろうそくは一本も減らなかった。目覚めると、夢は崩れて、ただ「時が惜しい」という感覚だけが残った。


 窓の外、海の上を一隻の帆が滑っていった。どこへ行くのか、いつ帰るのか、少年は知らなかった。ただ、誰かがあの船の帰りを待っているのだということだけは、分かる気がした。世界は広く、時は短い。少年はそのことを、まだ言葉にできないまま感じはじめていた。


続く

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