第7話 羽柴充――出会う前①
執拗に絡む舌にうんざりして、然り気無く肩を押す。
リナ、と言ったか。
付近の大学に通っていると、飲みながら言っていたような気もする。
興味を抱けなかったせいで、記憶の中に残っていない。
肩を押されたリナは何を勘違いしたのか、甘えるような吐息を吐いた。
「――もう、キスばっかり」
豊満な肉体を押し付けながら首筋に吸い付く姿が不愉快で、顎に指を這わせて笑う。
自身の気分を誤魔化すために作った笑みは、鏡を見なくても分かる程に醜く歪に引き攣っていた。
触れるか触れないかの瀬戸際で、からかうように動く指先。
これが自分の物だという感覚が、まるで消え失せ麻痺していた。
波打つ悪戯な手つきに焦れて、女が痺れを切らし急かす。
「やだ、もう、……ミツル」
艶やかなその声音が、高校生に向けた物だと女は恐らく気付いていない。
明るいブラウンは金に近く、前髪に混ざる金メッシュは更に顔立ちを軟派にさせた。
耳朶で存在を主張する、いくつもの銀のピアスと指に嵌められた多数の指輪。
首筋に下がるネックレスに、女はそっと指を掛けた。
「――ね、来て」
女は静かに目を瞑る。
このまま首を絞めたら、どんな表情を浮かべるか。
僅かに抱いた興味はすぐに消え、日焼けを滅多にしない体質の、自身の白い腕が女の耳を優しく触る。
ちらりと覗かせた赤い舌の中央に、鈍く光る小さな金属。
女に覆い被さった身体は、まるで他人の物のようだった。
耳朶をそっと撫で、鼓膜をいつものように刺激する。
「……愛してる、リナ」
とろりと溶けるような笑みを浮かべ、女は目を閉じたまま微笑んでいた。
深夜2時。
trumpに足を踏み入れて、久住の嫌がる顔を見る。
楽し気に鼻歌を歌えば、途端に周囲は静まり返った。
「んー……なんで黙んの?続ければ」
店の真ん中で横たわる、制服姿の冴えない男。
一体どこから連れて来られたのか、trumpに来るにしては随分と真面目な出で立ちに見えた。
「さっきまでさぁ、ヤってたじゃん?笑って、蹴って、楽しんで。なぁんで俺見て止めんのー?」
びくり、と何人かの肩が跳ねる。
背後で久住が溜め息を吐いた。それに気付いて、身体を捻り振り返る。
「お前がヤらせてんの?」
「そう見えたか?」
「さぁねぇ。でも、まぁ……ちょーっとストレス解消させてよ」
「それがやりたかっただけだろう」
「お仕置きってことでヨロシク」
ニヤリと歪んだ俺の口元を見て、久住は目を伏せ傍観を決め込む。
賢く、狡く、当然の如く。
「――お前らと遊んでやるよ。ソイツ、ヤった分だけさぁ」
生唾を飲む音が、どこかから小さく聞こえた。
目の前の男を殴り付けた瞬間に、何人かがtrumpの出口へ走り出した。
唇を舐めながら、一番手前にいた男の背中を蹴り飛ばす。
「支払いしてから消えろよ?――それから、邪魔なオンナ全員連れてけ」
ポケットに両手を入れて、見下すように笑ってやる。
微かに響いた女の息を飲む音にニヤリと口許を歪めながら、カウンターに並べられた多数のボトルを蹴りで全て薙ぎ倒した。
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入って来た時よりもずっと人数の減った店内で、踞り嗚咽を洩らす男の背に座り、床に散らばっていた煙草に火を点ける。
燻らせた煙が天井に向かい、残された煙は肺の奥へと染み渡った。
不味くも美味くもないその味は、いつまで経っても興味を持てない。
「探されてる」
カウンターの向こうで呟いた久住に、顔を上げて先を促す。
「――堅気じゃない」
「で?」
「どうするつもりだ」
「んー……どうしよっか。なぁんも考えてナイけど」
「目立ち過ぎだろう」
咎めるような口調でそう言ってグラスをカウンターに置く久住は、相変わらず無感動に視線だけを寄越した。
灰を男の髪に落とし、間近で唸った別の男へ火の点いたままの煙草を投げる。
ジュッと燃えた音は、男の悲鳴でかき消された。
「……っと。煩いなぁ」
立ち上がって振り上げた足を、悲鳴を上げた男の横っ面に当てる。
鈍い音が店内に響き、久住はまた深く長い溜め息を吐いた。
「悟は?」
「さぁ。女引っ掛けてるかもねぇ」
「……ツルんでるんだろう?」
「――そう見えたなら、そうなんじゃナイの」
二度目の三年になったばかりで、ろくに学校に行かず街をさ迷っていた時。
声を掛けてきたのは、一人の恰幅の良い男だった。
何度か見たことのあるその男は、制作会社の人間で。
久住の周辺にいることで、噂こそ知っていたものの関係者になるつもりは更々なく、敢えて避けていた相手だった。
無許可で販売している映像、出演するのは盛りのついた若い男と金に困った若い女。
遣ることなんか一つしかない。
少しでも良い女を引き入れるために、声を掛けられた男はいずれも整った顔立ちの人間ばかり。
周辺に人を置かないことで知られる光渦の
『羽柴充』はどうやら噂を聞く限り、平均以上の顔立ちだと周囲には認識されているらしい。
それと同時に、無理強いできるとも思われているらしかった。
光渦の生徒、
及び卒業生なら羽柴充には手を出さない。
報復を恐れてのことだったが、大人はそんな小さな噂を信じようとはしないらしい。
ヒュンッ、と上げた足が声を掛けてきた男の横腹に衝撃を与えた。
突然の行動にさぞかし驚いたことだろう。
男に乗って顔をタコ殴りにしていた時、背後で能天気な声がした。
「見ろよ、龍ちゃん。あれが羽柴充だ」
「えげつねぇな」
「怖ぇな!アイツ滅茶苦茶笑ってるぜ!」
長身の男は、煙草の吸殻を携帯灰皿に押し込んだ。隣にいる坊主頭は、瞳を爛々と輝かせている。
へらり、と笑って見せた。邪気のない笑みに二人の男は目を見開く。
「なーに、俺に遊んで欲しいの?」
自分の口から出た言葉は、軽薄で期待の籠ったものだった。
このままじゃ、収まらない。
ひどく空虚なこの胸を満たすには、何か刺激が必要だ。
「……俺、鳥肌立った。初めて」
ぶるりと身を震わせた坊主頭は、一歩後ろに後ずさる。
鼻血で顔が汚れたスカウトの男から、身体を離し数歩下がって助走をつけた。
「イタイのイタイの飛んでいけッ……てね。――チッ……クソデブが。飛ばねぇし」
かなり力は込めたはずだが、恰幅の良い男は然程地面を転がらなかった。
道端に停められていた自転車にぶつかっただけで、距離は余り離れていない。
その事実に舌打ちして、首の骨をコキリと鳴らす。
長身で肩幅のがっしりした男、坊主頭でバットを背負った男。
二人を見据え、にっこりと笑い破顔する。
「――ヤろっか」
返事を聞く前に走り出して、地面から僅かに飛んだ身体をぐるりと捻る。
捻り際に伸ばした腕が坊主頭の顔に直撃して、反動で振り上げた片足が長身の男の腹に入った。
坊主頭が反射的に投げ出したバットが、コンクリートの上に転がる。
持ち手を踏んでバットが起き上がった瞬間に、それを握って真横に振った。
すぐ背後に迫っていた長身の男は、バットに当てられ転がった。
その手に嵌められた重い金属に気が付いて、心底愉快な気分になる。
「……ナックル?あ、メリケンサックか。物騒な物持ってるねぇ」




