第6話 橘恭平――二度目と結果
根性焼きと共に刻まれた恐怖は、思い出すだけで吐き気がした。
暗くなってからは公園に入ることができない程、達哉の中ではトラウマと化している。
恭平も同じくトラウマとなってはいるものの、元より恭平は達哉よりも打たれ強い傾向があった。
羽柴充は敵に回すべからず。
教訓としても良いくらいに、あの男は他人に容赦がない。
笑いながら人を痛め付ける人間にまともな人間はいない――などと言いながら、
達哉も実際の喧嘩では笑っていることが多かった。
恭平は無言で喧嘩をする。
そして、できるだけ早く終わらせたがる。
対照的な恭平と達哉だったが、お互いに性格が反対だからこそ仲が良かったのかもしれない。
もう終わった。
芝原はやられて、羽柴充からの制裁も受けた。これで面倒事はケリがついたと恭平は心底安堵していた。
――数週間後、思い出したように美崎一美が達哉の妹を拉致するまでは。
結局、美崎は芝原に手を出した。
それだけで終わると思っていた達哉と恭平が甘かったのかもしれない。
鈴子が羽柴充に奪われて、美崎が紗季を諦めるなどと思った自分達が馬鹿だったのか、それとも美崎一美が快楽主義者なだけなのか。
焦った達哉が鈴子の名前を出したとき、恭平はそれしかないと思ってしまった。
鈴子にした仕打ちを忘れた訳でもなかったが、突破口はそこにしかない。
羽柴充なら美崎一美に対抗できる。
それも、鈴子と羽柴充は今も関わりがあるという。
鈴子も愚かな女だと、達哉は馬鹿にして笑っていた。
本命はリン、鈴子は羽柴に付きまとい、羽柴もまた鈴子を手放していないと。
鈴子のマンションを訪ね、羽柴への仲介を頼んでいる最中に羽柴充本人が現れた。
黒ずくめで不敵な表情はぞくりと背筋を凍らせる。
記憶がフラッシュバックする。
達哉は羽柴充を見た瞬間に言い様のない気持ち悪さを感じていた。そして、恭平もそれは同じだった。
それでも必死に説明を続け、返ってきた返事は無情なもの。
当然といえば当然だった。
しかも、羽柴充が溺愛しているリン――それが鈴子のことだと知って、恭平は多大な不安を抱く。
何かを見落とし、何かを間違えた。
鈴子から紡がれた言葉に、恭平は愕然と立ち尽くす。
――謝罪のひとつすら、しなかった。
最終的に自分は達哉とは違うと思いながらも結局は同じだったのだ。
鈴子を個人として見ていなかった。いわゆる、自分の『もの』だと思っていたのである。
鈴子は変わった。
それも、自分にとって都合が悪い方に。
去り際に見せた、羽柴充の嫌な笑みが脳裏に焼き付く。
「……大事なもん、無くしたのか」
それにようやく恭平は気が付いた。
付き合い初めた頃の鈴子は、意地っ張りな女だった。
弱さを隠して一人で泣く、どうしても辛い時には恭平の片腕を抱き締めていた。
身体の繋がりがあれば良かった。
そうしたら恭平はきっと鈴子を手放せなくなっていたはずだろう。
触れる勇気すら抱けずに、恭平は尻込みして鈴子を抱き締めるだけだった。
紗季の行方はすぐに知らされた。
美崎は何もせず紗季をただ帰したという。
達哉はそれに安堵して、美崎も鬼畜じゃないのかも知れないと呑気に笑った。
恭平にはそうは思えない。
ぶるりと寒気がしているのは、本当に気のせいなんだろうか。
もし、自分が逆の立場であったなら――羽柴充であったなら。
このまま話を終わらせるか?
深夜の薄暗い通り。
恭平の自宅へ達哉と恭平が並んで向かっていたその日。
背後から振り下ろされた鉄パイプが、恭平の首筋に衝撃を走らせた。
――鈴。俺、鈴のことが好きだった。
今さら気付いても遅いだろ?
でも、思い出したんだ、初めて鈴が倒れた時。
ずっと頭痛がひどくて辛いって、寂しくて堪らないんだって、泣きそうな顔して言っただろ。
守ってやんなきゃいけねぇって、確かに俺は思ったんだ。
「――お前ら、羽柴さんの女に何したんだよ?すげぇキレてんぞ」
ニヤリと笑った男は倒れた恭平を見てそう言った。
「……鈴、ごめ、ん」
ごめんな。売ったりして、本当にごめん。
口では偉そうに言ってばかりで、実際は怖かっただけだった。
荒れていく達哉に付き合ってたら、いつの間にか自分も格好つけるようになった。
喧嘩で勝てば気分が良かった。
後輩から慕われるのが心地よかった。
悪ぶって、格好つけるために、鈴を犠牲にしていたのは。間違いなく、俺だった。
達哉が押し付けたんじゃない、達哉はきっかけに過ぎなかった。
恭平は乗せられた車の中で、歯を食い縛って涙を堪える。
気付くのが既に遅かった。
こんな落ちぶれた生活から、こんな汚れた生活から、抜け出す機会はあったのに。
非行。
それが、恭平の根底とは相容れないものだとどうして気付かなかったのか。
踏み込んだ世界は甘くない。
そうそう簡単には抜け出せない。
これは報復、自分の女を傷付けた、羽柴充の報復だ。
渦巻く暗い闇の中で、久し振りに恭平は本気で笑った。
惨めな自分に、愚かな達哉に。
仕掛けたのならばやり返されても仕方がない。それは言わずと知れたルールだった。
柏木鈴子に与えた精神的な傷を、今度は自分が物理的に与えられる。
ただそれだけのことだった。
「――戻れるか、」
戻れるだろうか。
これが終わったら、戻りたい。
親にも周りにも迷惑を掛けず、少しばかり押しに弱かった中学時代の恭平に戻り、達哉をたしなめて紗季と笑い合う。
そんな、
純粋で笑いの絶えない、あの頃当たり前だった日常に。




