第5話 橘恭平――夜明けと
美崎一美の噂は良くも悪くも芝原まで届いていた。
弄ぶように凶器を使い、見た目からは想像がつかない程の怪力だと。
癖が強く、拘りも強い。
そんな男を前にして、達哉が怖じ気づくのは当然だ。
恭平は、悔しそうに顔を歪めている達哉を冷静に見つめて溜め息を吐いた。
そもそも先に仕掛けたのは達哉で、美崎がいないと聞き付け人数を集めたのも全て達哉がやったことだ。
――と、他人事のように思ったものの、恭平自身も『あわよくば』という気持ちは持っていた。
もしかしたら、隙を突けば。
その愚かな考えが、達哉と恭平の首を締めていた。
美崎からの忠告だと都波の奴が伝言を伝えに来た瞬間、嫌な予感が脳裏を過り、案の定というべきか条件として提示されたのは『女』だった。
「――誰が渡すかよ……っ!」
駐車場のフェンスを蹴って、苛立ちながら達哉はそう言った。
妹を差し出せと言われて動揺しない兄はいない。
「……光渦さえ居なけりゃ、どうにか」
「ならないだろ、多分な」
すかさず恭平は答えを先に言う。
達哉が思う程甘くはない。
光渦と都波が手を組んでいたことを抜きにしても、今回のことは短慮だった。
「詫び入れんのか」
「入れる訳ねぇだろ!」
恭平の問い掛けに達哉は拳を打ち付ける。
多感な時期真っ最中の高校生が非を認め詫びるなどと情けない真似をするはずもなく。
「紗季は、アイツは関係ねぇだろ……」
達哉の声音は酷く震えていた。
「――恭平」
「何だ?」
「あの女……お前の女、必要か?」
「お前っ……!」
「いらねぇだろ!?紗季とあの女どっちが大事なんだよ!紗季との付き合いは――」
幼馴染みだ。
達哉も紗季も、恭平とは幼馴染みで旧知の仲だった。けれどもすぐに頷けるかといえば、恭平には頷けない。
「鈴は……俺の、」
「だからだろ。お前の女だから役に立つんじゃねぇか」
「本気で、言ってんのか」
「ああ。いいか?よく考えろ、紗季はまだ高校生だ。あの女は社会人だろ?どっちが大事かわかるよな……?」
必死の形相で達哉は恭平に縋り付く。
恭平はぐっと唇を噛み、達哉から視線をそらした。
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美崎一美は納得した。
達哉の妹から恭平の女に変わっただけで、献上品としてはランクアップしたとさえ言える。
――柏木鈴子。
恭平は最後まで肯定の返事はしなかった。
それでも達哉の段取りを邪魔せず見過ごしているということは、納得してはいるのだろう。
達哉は長年の付き合いから、恭平の心情を悟っていた。
恭平は自分が『悪』になりたくないというだけで、柏木鈴子を案じているという訳ではない。
良心が痛むから口に出して肯定しないだけだった。
美崎への連絡と交渉は、達哉が饒舌に行った。
紗季を差し出さなくて済む、その安堵が達哉の行動力に拍車を掛けて、鈴子は早い段階で捕まえられる手はずとなった。
「さっさと別れて来いよ。自分の女が他人にヤられたなんて思いたくねーだろ?」
何てことない口調で、達哉は恭平にそう言い放った。
本当に鈴子が好きならば、本当に大切ならば、恭平はここで達哉を殴ってでも鈴子の名誉を守るべきだった。
けれど、元来見栄っ張りで割と小心者でもある。
優しさと銘打った気弱さが、ここでも恭平の選択を誤らせた。
「――分かってる」
鈴子の住むマンションへと向かう恭平の足取りは酷く重たくふらついていた。
「羽柴って、羽柴充だろ……?」
達哉の茫然とした顔を見つめ、恭平はたった今後輩から聞いた話に眉間を寄せた。
「どうなってんだ?」
「俺が知るかよ……!アイツは美崎に、」
取り乱す達哉から視線を外して、詳しい話を更に聞こうと達哉の怒鳴り声でびくびくしていた後輩に問いかけた。
「美崎一美が探してたんじゃないのか」
「……はい。それで、光渦にも助っ人を頼んだら羽柴充が混ざってたとかで……」
「それじゃ、鈴子は羽柴充に連れていかれたってことか?」
「そうみたいです。羽柴充が捜索打ち切って、美崎一美にも話をつけたって聞きました」
芝原にしては珍しいくらい丁寧に説明した後輩に頷きを返し、予想外の展開に内心だけで焦りを抱く。
――復讐される。
鈴子を売ったのは自分だ。
しかも、単純に女に慣れた美崎一美ではなく、女に慣れていながら危ない噂しかない羽柴充。
手荒なことを羽柴充が鈴子にすれば、鈴子の怒りは恭平に向かう。
警察沙汰にでもされたら堪らない。
――所詮は漏れ聞き噂程度の情報しか手にしていない恭平と達哉。
美崎一美の本当の危なさも、羽柴充が気分屋だということも、どちらも知らない恭平だった。
噂だけでは、羽柴充は段違いに強い。
直接喧嘩をしたことはないが、聞いた話によると血祭りにあげて薬漬けにし、女は風呂に沈めるのだとか。
――噂とは恐いものである。
尾ひれがついた羽柴充はとんでもない悪役になっていた。
恭平は青ざめながら達哉を見る。
達哉の方も顔色は良くない。
「あの女が居なくなっちまったら、美崎はまた紗季に目をつけるよな……!?」
心配している所がお互いに違っていたらしい。
恭平は呆気に取られて、すぐに顔を真顔に戻した。
「それより、鈴が復讐なんて考えたら……」
「あの女にそんなことできる訳ねぇだろ」
達哉は完全に鈴子を下位に置いているらしい。
馬鹿にしたような目付きでそう言って話を終わらせた。
「あの女のことは良いんだよ。紗季の方が問題だろ?」
「美崎からの連絡は来てない。そんな状態で打つ手はないと思う」
「そりゃそうかもしんねぇけど……」
とりあえずは動きがないことを考えても仕方ない。
そう言って懸念を打ち切った――暫く後。
忘れた頃にやって来るとはこのことだろう。恭平も達哉も、油断していたのが不味かった。
美崎は最初から許すつもりなんかなかったのだろう。
芝原が落ちた。
一方的なやり方で、それも羽柴充が恭平と達哉の二人を拉致して。




