第3話 柏木鈴子――変化と腐敗
鈴子がカフェに勤めて半年。
通常営業となった森のカフェでは常連客も格段に増え、
売り上げは以前とは比べ物にならないほど跳ね上がっていた。
腰巻きタイプでダークブラウンのサロンエプロンは、
鈴子の利発で勝ち気そうな顔立ちに驚くほど合致している。
充はその姿を見て普段癒され、客もまた鈴子目当てで来る人間が増えていた。
時折、そんな客の中に紛れ込んでいる不埒な輩を充は秘密裏に潰していたものの
――どうやら鈴子にバレたらしい。
閉店後の森のカフェで、充は床に正座していた。
鈴子は結んでいた髪をほどき、そんな充を冷ややかに見下ろす。
「みーくん。お客さんに手を出さない。これ約束したよね?」
「……アイツ、りんちゃんの手ぇ握ろうとしてた」
「だからって脅したりしない。被害届が出てなかったから良かったものの……」
「りんごも何気に悪どいよな!ヤられた奴の心配くらいしてやろーぜ……」
「タキは黙ってて」
「んだと!?」
「――タキ、黙ってろ」
「みっつんまで!?」
騒がしい悟に久住がコーラを注いで手渡した。
とりあえずは黙った悟を鈴子は一瞥してから、充へと視線を戻す。
「肋骨」
「……」
「――アバラが2本。もしかしたら死んでたかも知れない」
「ごめんなさい」
「普段ね、私が何かされてみーくんが怒ってくれるのは嬉しいよ。でも、仕事中は仕方ないでしょ」
「リン……」
「そんな顔しない。次から仕事中に起きたことは後から掘り返したりしないで。お客さんの後をつけるのも『止めて』」
鈴子は最後を強調しながら目を細めた。
充が何をしようが誰をやっつけようが構わない。
ただ、それは『個人』にだけ適用される状況下じゃなければならない。
カフェに関連するという意味では今回のことは完全にアウト。
鈴子の心境は複雑だった。
「セクハラくらい自分で何とかする。みーくんが後からやり返したりしなくていいように、ちゃんと私が対応するから」
「……はぁーい」
「じゃあ、あの写真は捨てておいて。お客さんの恥ずかしい写真。どっから手に入れてくるの……」
ぶつぶつと鈴子はぼやきながら、脅しの材料として決定打となっていた写真の破棄を言い渡した。
充と二人で暮らすようになり、共に生きていく中で鈴子はたまに我に返る。
羽柴充は麻薬だと、そう思ったのは自分のくせに。
それを忘れそうになることは多々あった。
甘やかされて、ぬるま湯に浸けられ、気付かない内に擁護されている。
家事の分担一つにしても、きっちり分けているはずなのに充はとても気が利いていた。
買うのを忘れていた調味料はいつも充が知らぬ間に補充してしまい、
洗い忘れた浴槽も一体いつやっているのか翌日には必ず磨かれていた。
深夜起きる気配は感じないのに、目覚めて風呂場を覗きに行けば既に洗われた後だったりと。
――起床はいつも私が先なのに。
充は妖精の素質があるんじゃないかというくらいに、抜け目なく完璧な主夫だった。
そんな甘やかされて先回りされた生活をしていれば、誰でも必ず気が緩む。
疲れたらマッサージをしてくれて、思わず眠ってしまったら着替えさせてベッドまで運んでくれる。
そして鈴子は堕落しそうになりながら、ハッと目覚めて我に返る。
何でもかんでもしなくていい、そう言った鈴子に充は笑う。
何かしてやりたくて堪らない、悪戯に三日月を作り、そう言い返した。
「みーくんは過保護になり過ぎ。そうやって私のことを擁護するのはもう止めて」
きっぱりと言い放った鈴子に、充はさっと顔色を変えた。
蒼白。
顔色が悪くなる充を見て、悟と久住が目を見開く。
「みっつんが押されてんぞ……」
「さすがジョーカーだな」
「久住さん、それ止めて。本当に止めて。恥ずかしいから」
すかさず鈴子はそう答え、しゃがみ込んで顔面蒼白な充と目線を合わせた。
「マッサージもいらない、爪切りもいらない。私の家事を横取りしないで。洗濯物も直さなくていいから」
「リン……」
「なに?」
「触りてぇ」
「は?」
「爪切りは分かった。でもマッサージと洗濯物畳むのだけは駄目だ。譲れねぇ」
「――意味が分からないんだけど」
「洗濯物はリンの下着のじゅんば」
「ちょっと待った!ストップ!ストップして!みーくん!」
充の口を手で塞ぎ、鈴子は充に囁いた。
「……もしかして、下着をああやって並べてるのなんか意味ある?」
こそこそと充に聞いて、充もまた鈴子の耳元で囁いた。
「――俺の好みを前に出してローテーションしてる」
「好み……?好みってなに?」
「ピンク」
ぼんやりだがおかしいとは思っていた。
鈴子が持っている下着は大半が黒にも関わらず、4日に一度のペースでたった3種類しかないピンクの下着が手前に出ている。
確かによくよく考えてみれば、それは明らかにおかしいことだ。
20以上ある黒い下着が1週間続けて前にあったことはない。
「りんちゃん手前から取る癖があるし?」
確信犯の犯行に、鈴子の羞恥がぶわりと沸き上がった。
けれども付き合って年数が経ち、
鈴子と充の関係も最初に比べれば遥かに恋人らしくなっていた。
「……ピンクが好きとか聞いてない」
「りんちゃんは黒が好きなのかなぁって思ってたぁ」
「黒が無難な色だから」
「俺は黒もエロいから好きだけどねぇ」
「……」
「今度、ピンク買いに行くー?」
「好きなんでしょ」
「りんちゃんに一番似合うからスキ」
「……じゃあ、買う」
歩み寄ることを覚えた鈴子は怒るよりも充の希望を叶えようと考える。
付き合った当初は充の変態発言にいちいち怒っていた鈴子も、共に暮らすようになって変わった。
充は鈴子を溺愛して、なおかつずっと与え続ける。
頼りっぱなしの鈴子としては、たまに出る充の希望に応えたくもなる訳で。
小声で話していたせいか、悟と久住は思案顔。
その横のカウンターで小さく噴き出したのはお馴染みの相手で、鈴子は溜め息混じりに振り向いた。
「酒田さん、何で笑うんですか」
「いや……羽柴さんとりんごさんが真顔だったんで」
「――真剣な話してたんで」
思い切り真剣ではない話だが、鈴子は冷ややかにそう言った。
充の手を取り、立たせた後――
「……とりあえず、分かった。次回からそういうことで」
無理矢理に話を終わりに持っていった。
「全く分かんねーし、りんごマジ意味分かんねーし。なんで顔赤くなってんだよ」
「うるさい」




