第21話 羽柴充――ringleader?
リンの出勤日の前日、閉店後の静かな店。
ギリギリまで正確さに拘り、証拠を一つに纏めUSBへと詰め込んだ。
そのデータを、適当に買った容量が少ない安物のUSBへ丸々コピーして久住へと投げ付ける。
「っと、何だ」
当たれば良かったのに。
――当たるとは思ってなかったが。
左手で上手く受け取った久住に、軽く舌打ちをしながらカウンターの椅子に座った。
「……随分と荒々しいな」
「理由は分かってんだろ?」
俺の自信あり気な切り返しに、久住は僅かばかり目を見開いて押し黙る。
これで、確定。
たった一日見張っているだけで、沢山の真実が見えてくる。
今回は相手が佐伯――警戒心の欠片もない普通の一般人だったから、尚更得られる物も他よりは多かった。
美崎が自在に扱える人間の半数が佐伯の行動を一日追い掛けて、見たもの聞いたもの感じたものをそれぞれに挙げていく。
たったそれだけで、佐伯がどんな人間なのか容易に掴むことができた。
『普通の人間』なら一日対象に張り付くなどという行為は生活を顧みれば無理だ。
けれど、美崎はそうじゃない。
美崎の下にいる人間も『普通』とは言えなかった。
「佐伯には年子の弟がいる。どうも、顔はそっくりらしいなぁ」
「そうか」
「――久住ィ。お前、俺が動くのを見越して何も言わなかったんだろ?」
「何の話だ?」
握ったグラスは大量生産されている安物でいくつ割れても替えが利く。
悲しいかな、それを知った上での思考ゆえの行動だった。
――耳障りな音がして、投げたグラスが盛大に割れる。
破片は飛び散って、俺にも久住にも傷を負わせた。
「『食って掛かった』だっけ。内容をまだ聞いてなかったよねぇ、久住」
ああ、久しぶりに――
こんな風に笑った気がする。
薄笑いする俺を直視して、久住は左の頬から滲んだ鮮血を軽く指先で拭う。
頬から首筋に掛けて、うっすらと傷がいくつもできていた。
久住の後ろに投げたグラスは当然俺にも跳ね返っていて、額から目蓋に掛けてたらりと生温い血が流れた。
大きな破片が飛んだのだろう、久住よりも俺の方が深く傷付けられたらしい。
――だが、そんなことはどうでも良かった。
グラスを投げたことで発生した衝撃音で、少しだけすっきりした頭が俺に冷静を取り戻させる。
久住の長所は虚勢を虚勢だと思わせない所だった。
驚いても怯えても、それが面には出にくい。
分かりにくいというべきか、こんな時でも表情だけは相変わらず冷めた男だ。
ただ、恐れていない、という訳でもなく。
何年も付き合っていれば久住の感情くらいは分かる。
「佐伯はお前目当てにこの店に入ったらしいよ。告白でもされたかなぁ?」
「……」
「……違うなら違うって言えよ」
カウンターの手前に足を掛けて上り、久住の正面でしゃがむ。
カウンターに座る俺と内側で立つ久住は、暫く睨み合ったままだった。
久住が送り込んだ――この場合『間違って引き入れた』が正しいが――佐伯は面接だけを弟に任せ、この店に入り込んだ。
一か八かの賭けだったということは、履歴書の性別欄を見れば分かる。
久住は男だと一目見て思っただろう。
それ故に性別欄を確認することを怠った。
佐伯が女だと知ってから見せた久住の動揺は間違いなく本物だと長い付き合いの俺だから分かる。
ただ、佐伯が久住に『食って掛かった』らしいあの日、久住は恐らく佐伯から告白なり何なり受けたのだろう。
そして、敢えて言わなかった。
十中八九――それは、俺が佐伯をどうにかすると予め読んでいたからだ。
久住に良いように使われた側としては、苛立つのも仕方ないだろう。
「――こうなるって分かってたよねぇ。俺が怒らない訳ないしぃ?」
にっこりと笑って見せれば、久住は微かに動揺を示す。
瞳の奥に揺らめいた焦りはいつかの俺へ向けていたものに近い。
「扱えるなんて思うなよ。俺は単純で馬鹿なタキと同じなんかじゃねぇんだよ」
リンのために、と思っていた。
リンが望むのであれば、と。
それでも、他人から良いように使われるのは許容できない。
いつか俺自身が弱くなって力も無くして、いざリンを守ろうとしてそうできなかった時――俺は後悔するだろう。
「出し抜けると思ったか?」
「……いや」
「お前の手駒になる程落ちぶれちゃいねぇんだよ」
久住が面倒を回避するために俺は一役かったらしい。全て調べあげた結果、至った結論はそこだった。
「弟がリンに接触した。潰せよ、なぁ?できるだろ、久住」
「羽、柴……」
「んー?なぁに?」
「……悪かったな、面倒を、押し付けて」
それは、言葉通りの謝罪ではなく。
久住なりの抵抗だった。
――皮肉とも言える。
鳴った音は何だったか。
鈍い音と衝撃音と破裂音とくぐもった声。
カウンターに綺麗に並べられていたグラスは床に叩き付けられて、立っていた久住は床に転び、破片を俺は踏みにじった。
パリン、と軽快な音を奏でて靴底は軽やかに唄う。
「お前に押し付けられたんじゃねぇ。ついでに調べてやったんだよ」
お前のために動いてやる訳がねぇだろうが。全てはリンのため、俺のためだ。
「後始末はお前がやれよ」
『普通』になろうとする俺はさぞかし滑稽だっただろう。
少なくとも久住が俺を手駒にしようとする位には。
「ねぇ、久住ぃ。別にさぁ、ヤれって言ってる訳じゃないよ?」
「……」
「目障りだからあの女を辞めさせろって言ってるだーけ。弟は……そうだなぁ、不慮の事故にでも遭えば良いんじゃない?」
簡単でしょ、と笑い掛けて。
久住の腹に足を乗せれば、背中に破片が刺さったのか久住は小さく声を洩らした。
――その後、俺は少しだけ、一人っきりで静かに泣いた。
結局、そういう人間で構成されていたこの店が簡単に変わるはずも無くて。
タキ、久住、酒田、龍。
――龍を除いた残りの三人は、少なくとも『俺』のことを『羽柴充』だと認識していた。
やっぱり二人で逃げようか。
そんな風に思ったけれど、俺も結局は同じ穴の狢だと気が付かないはずがなくて。
「きれいなのはリンだけだ」
変わろうとしたことが無意味だったとは思わない。
そうすることでリンの気持ちは随分と落ち着いただろう。
だが、環境がいくら変わっても変わらないものもある。
過去はいつだって追い掛けてくる。なかったことにはできやしない。
俺が羽柴充である限り、一生それはついて回った。
帰宅して、リンに迎えられる。
顔に傷を負った俺を見て――
リンは泣きそうな顔をしながら、それでも『おかえり』と抱き締めてくれた。
「そうですか。そんなことが……みーくん何も言わないから。気にしないのに、女の子がいたって」
「羽柴は気にするんだろうな」
「なんか、凄い過保護なんですよね。顔の傷もみーくんが?」
「そうだな。……上手いこと利用しようとしたのが間違いだったのかも知れん」
「だから言ったじゃないですか。タキは良いけど、久住さんに『みーくん』は無理だって」
「……止めてやろうとは思わないのか?」
「知ってますか、久住さん」
「何をだ」
「人って『止めて』って言われると、止めたくなくなる生き物なんですよ」
「……本当に『イイ女』だな」
「からかわないで下さい。でも、そうですね――あと10年もしたらきっと、みーくんは変わりますよ」
「気が遠くなるだろう。羽柴はそんなに更生が難しいか」
久住のその問い掛けに、直接的な答えはなかった。
鈴子は静かに微笑んで、テーブルの向こうで作り笑いを浮かべる充へと柔らかな眼差しを向ける。
「みーくんはどうやってもみーくんで、私も結局私なんです。変わるなんて数か月やそこらじゃ無理だと思いますよ」
「そんな風に言ってやるな。健気に頑張っていた羽柴が不憫になる」
「じゃあ久住さんは変われますか?まだあのお馬鹿な猿に注意すらできてないですよね」
「……」
「みーくんを使おうとした位だから、私にも使われて下さい。絶賛遅刻中の猿が来たらちゃんと叱って下さいよ」
「俺より鈴子の方が適任だろう」
「――さぁ?聞こえません。これでも私、怒ってるんですよ。喧嘩なんて子供じゃあるまいし」
「あれは羽柴が……」
「はいはい」
トレイ片手に店内を見渡し、鈴子は小さく息を吐く。
やっと戻って来た。
ホッとする喫茶店の空気。
無理を働いて苛立っていた充と計算高くあざとい久住、知っていて知らない振りをした酒田に充の不機嫌を察知して逃げた悟。
どうやっても更生するには長い時間が必要だった。
そっと小さく呟く。
――私も簡単には変われなかった。
いまだにゆるせない兄と妹。距離を置いたままの家族。切っ掛けがあってもなくても変わるのは難しい――。
どこかが欠落した人間が、普通を装う喫茶店。
アンバランスなその空気は居心地良く穏やかだ。
「いらっしゃいませ」
春の嵐も来たは良いが、気候が余りにも合わず裸足で逃げ出したらしい――。
言うなればここは台風の目。
中は穏やかなものだ。
しかし、台風の目を操っているのはもはや羽柴充ではなく――
「みーくん、帰ったら話し合おうね」
『捨て身』だとかつて言われた、羽柴充の恋人だった。




