第19話 羽柴充――Shift
それは分かりやすく、唐突な変化だった。
帰宅してリンに迎えられた時、嗅ぎ慣れない匂いがして――思わず顔を顰めると、リンは苦笑いを浮かべた。
「おかえり、みーくん。とりあえず、ご飯食べながら話そう」
困ったように笑うリンは俺の今までの経験からして、現在進行形で何かに戸惑っている最中なのだと察しがつく。
「えっとね、今日は豚カツ。今油に入れたばっかりだから。あと、サラダと――」
「りーんちゃん」
「……うん」
無理に話そうとしなくて良い。
――起こった出来事を、ではなく無理に俺と会話をしようとしなくて良いという意味での制止だった。
リンは聡いから、俺が言いたいことを敏感に感じ取る。
素直に頷いて夕食の準備を続けるリンの背中は明らかに悩んでいて。
今までにも何度かあったリンが急に取るぎこちない態度は、高確率で『考え事をしている』時の態度だ。
だから、無理に会話をさせるよりも考え事を優先させてあげた方がリンの中で早く決着がつく。
油を扱うリンの後ろ姿を見ながら、リビングの雑誌や放り出されたクッションを片付ける。
こうして部屋を見渡してみると、リンが悩んでいた様子があっさりと目に浮かぶ。クッションは恐らく投げたんだろう。
雑誌はとりあえず気を紛らわせようとして読み始めた、といったところか。
早足に寝室へ向かい、クローゼットから部屋着を取り出す。
手早く着替えてリビングに戻れば、リンは難しい顔でグラスに麦茶を注いでいた。
――邪魔はしない。
リンの中で答えが出て一段落するまでは。
相談されたら当然答えるが、リンはそもそも人に相談することが少ない。
だから、何か言われるまでは俺は一切口を出さず見守るのがリンにとって一番良い状態だ。
「……やっぱり、分からない」
「ん?」
ぼそりと呟いたリンにできるだけ優しく聞き返す。
考えていることも、悩んでいることも、本当ならすべて知りたい。
「色々考えてみたんだけど、理由が見つからないから答えが出てこないの」
リンの漏らす言葉を聞きながら手を洗い、着替えていた間にバットに上げられたらしい豚カツを一口サイズに切って、用意された皿に盛っていく。
俺の背後を通ったリンは食器棚から小皿を取り出し、ダイニングテーブルに向かう途中で冷蔵庫からサラダも取り出した。
流石は日常的にトレーを扱うだけあって、バランス感覚が優れている。
指の間で上手く支えられていたドレッシングはすり抜けて落ちることもなく、ダイニングテーブルに到着していた。
「そもそも、知ってる風だったのが何か腑に落ちないんだよね……」
「うん」
独り言なのかどうか解りづらい微妙なラインだが、今のは多分独り言だろう。
豚カツを盛った皿とソースをテーブルまで運んで行く。
俺が箸を並べて席につけば、白米をよそった茶碗を二つ手にしてリンも同じく席についた。
「りんちゃん、頂きます」
「うん、頂きます」
手を合わせて箸を握り、リンが話し出すのを待つ。
――浅く息を吐き出して、リンは真っすぐに俺を見つめた。
「あのね、今日の帰り道で……」
「何かあった?」
「知らない人から告白されて」
――今、何て言った?
「リン、ストップ!もう一回言って」
「知らない人から告白されたんだけど」
「誰!?どんなやつ!?名前は!?」
「うん、とりあえず落ち着いて。座って」
真っ白になった頭でリンの言葉を聞き、ひとまずは席に座り直す。
動揺し過ぎて膝の裏を思い切り椅子で強打したものの、そんなことよりリンの話だ。
――告白?誰が?何で?
「それでね」
「断ったの?」
「まだ話してる途中」
「ごめん……」
「――それで、告白云々《うんぬん》は置いといて、私が悩んでたのは何でいきなりだったのかなってことなの」
そこまで言ってから食事を開始したリンに合わせて、俺も茶碗を手に持った。
白米が味気無く感じるのは話が気になっているからか。
「だって、会ったこともないのにいきなり告白って変じゃない?」
リンは記憶力が良い。客の顔を完璧とはいかなくても大体覚えていることが多かった。
そんなリンが確信を持って『会ったこともないのに』というのであれば、それはほぼ百パーセントの確率でリンとは初対面だということだ。
「だから、みーくん関係で私を知ったのかなって思ったんだけど、雰囲気が『普通』だったからそれも何となく違う気がして」
「……それで?」
「うん。本当に勘だけど、私がその人の邪魔になってるのかなって思った。……目的は分からないし、告白した理由も分からないけど」
何度も言うようだが、リンは頭の回転が早い。短い時間で弾き出した答えは高確率で正解している。
その時にリンがそう感じて、後から考えてもやっぱりそこに辿り着くならそれは限り無く正解に近いと俺は思う。
贔屓目だと言われても仕方ないが、リンがした予想は今までの俺の中で百発百中でもあった。
整理すると、リンに近付いた奴は他に何か目的があってリンの存在を邪魔だと感じている。
だけど、正攻法でただの告白をしたということは――リンを傷付ける意思は無くて。
それでも、最終的には俺とリンが別れることを望んでいる。
「なぁんか思い当たるかも」
誤解、誤算、誤聞。何やら少し思い違いをしていたような気がしてならない。
そして、近い人間にも良からぬ思惑があるようだ。
「思い当たるって……もしかしてみーくんの知り合いだったの?」
「んーん。多分違うけど。何で?」
「初対面だし知らない人だったから、つい強気な物言いしちゃったって言うか」
「つい?」
――私、恋人がいるので。
そう言って逃げて来ちゃったんだけど、と恥ずかしそうに俯くリンだったけれど、相変わらず端的で強気な物言いは格好良くて惚れ惚れした。
気が付けば毎日のようにリンに惚れ直していて、そうなるとやっぱり俺にはリン以外考えられなくて。
だから、少しでも火種になりそうなものは排除しておきたかった。




